82.二回転
「じゃあ、次は私と闘りましょっか。マスター」
一瞬、頭が真っ白になるクルス。
「……は?」
戸惑うクルスにハルが告げる。
「だって、今の一戦はマスターへの挑戦権を賭けた勝負だったんですよ?」
「え? そうなのか?」
「はい、そうです」
クルスにとっては寝耳に水の話であった。
てっきりハルが気を利かせて挑戦者レジーナを退けてくれたとクルスは思っていたのだが、実際にはハルもクルスと闘いたかったようだ。
ここでクルスはようやく、自分が抱いていた誤解に気づく。
ハルは単に自分の能力を、主であるクルスに示したかっただけなのだ。
“こんなに強いアンドロイドがあなたに仕えているのだ”と。
しかし、ハルの強さなんぞクルスはとっくに知っている。
クルスにはハルと闘う理由は特になかった。
よって、勝負の中止を提案する。
「い、いや……俺よりハルの方が強いのは明白だ。闘う必要は無いだろう」
クルスの発言を聞いたハルは目を丸くする。
そして、とても悲しそうな表情と声色でこう言った。
「マスター。ひょっとして……私と闘うのは嫌……ですか……?」
上目遣いで聞いてくるハルの顔を目の当たりにして、急に罪悪感が芽生えるクルス。
いや、騙されるな。
コイツは機械だ。
合成樹脂で覆われた鉄の塊だ。
しかし、見た目というのはまったくもって厄介なものだ。
はっきりと“嫌に決まってんだろ”と言うことを躊躇してしまうクルス。
「い、嫌ってわけじゃなくてだな……闘う理由が無いってだけなんだが……」
「でも、私はマスターと闘いたいです。……それじゃダメですか?」
「……」
反駁の言葉が中々出てこないクルス。
そこへレジーナが割り込んでくる。
「おい、クルス。てめぇ、あんまり女の子に恥かかすんじゃねえよ」
“女の子”はあんな風に殴りあったりしない!
と、反論したい気持ちを堪えるクルス。
ここでいくら“やりたくない”とゴネても通らない気がした。
非常に不本意だが、やるしかないようだ。
「……わかったよ。やろう」
クルスの言葉に目に見えて喜びを表すハル。
「ありがとうございます! じゃあ、ほら! 行きましょうっ!!」
そう言ってクルスの腕を引っ張り、円の中へと誘うハル。
連れられて歩きながらクルスは小声でハルに告げた。
「ハル、“極まったら、ちゃんとタップしろよ?”」
一瞬きょとんとした表情を浮かべるハルであったが、すぐに意図を理解したようだ。
「ええ、もちろん。“極まったら”ですけどね」
アンドロイドのハルに絞め技は通用しない。
関節技もおそらく効かないだろう。
だがそれだと人間ではないとバレてしまう。
だから、ちゃんと技の形に入ったらタップしろと釘を刺したのだ。
よしよし、とクルスは内心安堵する。
限りなく勝算の薄い勝負ではあるが、これで僅かに勝率が上がった。
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クルスとハルが円の中に歩いていくのを見送ったレジーナ。
彼女はコリンに連れられて祈祷師の元へと向かう。
“腕試し”で負傷した者を治しているのだ。
「レジーナさーん!」
呼ばれた方を見やると獣人族の少女が手を振っている。
あれは確かクルスの連れだ。
ポーラという名であったか。
そういえば彼女も祈祷師だった。
「よお、ネコ耳。治してくれんのか?」
「はい。そこ座ってください」
「おうよ、すまねぇな」
「いえいえ。それで、どこが痛みますか? やっぱり顔ですか?」
「いんや、拳が一番痛む」
そう言って握りこぶしをさするレジーナ。
「あ、そうなんですか? ハルさんのパンチをもらってたから、てっきり顔かと……」
「いや、顔もそりゃ痛えよ? でも、何ていうか……ハルはたぶん目茶苦茶“骨が硬い”んだ。殴っててこんなに痛えのは初めてだよ」
「へぇー、そうなんですね」
そう言って、祈るような動作をするポーラ。
祈祷によりレジーナの体の痛みが引いてゆく。
その時、こちらに話しかけて来る者があった。
ナゼールだ。
「よっ、レジーナ。さっきは惜しかったな」
「そうか? 拳闘の実力は奴の方が数段上だぜ」
レジーナの返答に驚いた表情をするナゼール。
「お前の数段上って……バケモノじゃねえか」
「かもな」
「おいおい……冗談きついぜ」
ため息交じりに言うナゼール。
そんな彼にレジーナは問いかける。
「何だ、ナゼール。お前、気づいてねぇのか?」
「あ? 何が?」
「ハルはな、あたしとの試合を終えた後も全く息を乱してねえ。それどころか……」
その瞬間にナゼールも気づいたようだ。
「……まったく汗もかいてなかったな。そういえば」
「だろ? バケモノだよ、あいつは」
そこへ、コリンが割り込んできた。
「じゃあ、そのバケモノとクルス。どっちが勝つと思う?」
その問いに即答で答えるレジーナ。
「ハルだろ」
「即答だね」
「ああ、その両方と闘ったあたしの勘だ」
「ふーん。まぁさっきクルス本人も“ハルの方が強い”って言ってたしね」
「ああ、でもハルにとっても楽な試合にはならねえだろうよ」
「そっか……あ、始まるよ」
レジーナは試合が行われる円の方へと視線を移す。
そこではクルスとハルが円の中で向かい合っていた。
クルスは拳闘会でも見せたポーカーフェイスで落ち着き払っている。
対するハルは何だか嬉しそうだ。
観衆が見つめる中、審判役の男の合図を受けて試合がスタートした。
先ほどの試合同様、開幕と同時に距離を詰めるハル。
対するクルスはどっしりと懐深く構えている。
先ずは飛び込んだハルが挨拶代わりのワンツーを打ち込むも、バックステップでかわすクルス。
更にフックを振り回すハルだったが、クルスはこれにカウンターのフックを合わせる。
いや、ただのフックではない。
拳ではなく手の平で殴っている。
ナゼールもそれに気づいたようで、疑問を口にした。
「クルスさんのパンチ……何か変じゃねえか?」
「ああ、掌底だな」
「何で普通に殴らねえんだ?」
「たぶん、拳を痛めねえ為だ。ハルの骨はバッカみてえに硬えからな」
数発パンチの交換をした両者だったがお互いに致命打は無い。
一旦距離をとって仕切り直す両者。
ふと、クルスが構えを変える。
懐深く構えたカウンター狙いのスタイルを捨てて、半身になるクルス。
いや、半身どころか相手に少し背中を見せている。
そして腕をゆらゆらと動かしている。
その妖しい動きを見てハルも困惑しているようだ。
中々踏み込めないでいる。
「あ? 何だありゃ?」
そう思わず口走ってしまうレジーナ。
ナゼールがそれに答える。
「わっかんねぇな。でも顔はずっとハルさんの方を向いているから、たぶん何か策があるんだろうな。単にふざけてるわけじゃなくて」
その時コリンが何かに思い当たったようだ。
「あっ僕わかったかも。あれじゃない? くるんって回る技」
コリンの言葉を聞いてレジーナは思い出した。
かつて自分もその目で見たクルスのトリッキーな回転技の数々。
「なるほどなコリン。事前にああやって半身になっておけば、回転技をすんなり出せるんだな」
レジーナ達は知る由も無い事であるが、現在クルスはかつて“変幻自在のトリックスター”と呼ばれた総合格闘家のファイトスタイルをコピーしている。
彼はバックハンドブローをはじめとしたトリッキーな技の名手であった。
その時、妖しく蠢いていたクルスが距離を詰める。
彼は一瞬身を屈めた後、水平方向に一回転して裏拳を振り回す。
バックハンドブローだ。
これはハルもある程度予想していたのか、バックステップで難なくかわす。
そして、打ち終わりの隙に反撃を決めようと踏み込む。
しかしクルスは裏拳を振り抜いた勢いで、さらにもう一回転した。
クルスの狙いは、二回転のバックハンドブローだったのだ。
予想外だった二回転目の裏拳をモロに喰らいバランスを崩したハル。
横に傾いた体を立て直そうとしたハルをクルスの前蹴りが襲う。
前蹴りを喰らい、後ろによろめくハル。
更にクルスが追撃の飛び膝を放ち、ハルの体は大きく後ろに下がった。
そしてドンという太鼓の音が響き渡る。
ハルの場外だ。
「おおおおおお!!」
見た目も鮮やかな連携であっさりと一回目の場外を勝ち取ったクルス。
観客も盛り上がっている。
「すごい!! クルスさんって剣だけじゃなくて拳闘も強いんですね!!」
ネコ耳ポーラが興奮した様子で語る。
一方、コリンは冷静に状況を分析する。
「でもまだ場外一回だし、この後ハルさんの打撃をもらって倒されるのも有り得るよね。レジーナ、どう思う?」
「ああ、まだ勝負はわからねえな。あたしも場外一回とったけど、奴の本領発揮はそこからだった」
そうなのだ。
あの時もハルはちょっと焦った表情を浮かべつつ、だが冷静な試合運びで勝利をもぎ取った。
ちょうど今も、その時と似た表情をしている。
用語補足
変幻自在のトリックスター
レスリング出身の元総合格闘家、須藤元気のキャッチコピー。
現役時代に70キロ級で活躍していた彼は、トリッキーな立ち技と卓越した寝技で観客を魅了した。
多数のバックダンサーを従えたド派手な入場でもお馴染みだったが、ダンサーのギャラや衣装代等は全て自費であったという。
お読み頂きありがとうございます。
次話更新は 9月30日(土) の予定です。
ご期待ください。
※ 9月29日 後書きに次話更新日を追加
※ 4月15日 一部文章を修正
物語展開に影響はありません。




