71.住まい探し
冒険者フィオレンティーナ・サリーニはノアキスから出発した馬車に揺られていた。
その車内では二人の子供達とその世話をしている男性が楽しそうに会話をしている。
ノアキスで骨董屋を営んでいたというチェルソ・パニッツィという男性とその二人の子供、ルチアとジルドの三人だ。
チェルソ達三人はノアキス出立の際に、ハルが連れて来た。
聞くところによるとチェルソがクルスと商売の事で意気投合したとか何とかで、ドゥルセまで同道することになったらしい。
仲睦まじいチェルソたち三人を見ていると非常に落ち着くので、フィオレンティーナには同道を反対する理由も特に無かった。
たいへん仲の良い三人だが彼らは親子というわけでは無く、昔に世話になった人物の子供をチェルソが預かっているのだそうだ。
クルスは今回馬車を三台チャーターしており、そのうち一台はチェルソの店の荷物を運んでいるようだった。
もう一台にはチェルソ達三名とフィオレンティーナ。
そして現在、御者台にクルスが乗っている。
クルスは何やら御者と談笑しているようだった。
ハルとプレアデスの皆はもう一台の馬車に乗っている。
だがプレアデス勢は鐘作りですっかり疲弊している様子だったので、今頃馬車で眠りこけているかもしれない。
もしそうならハルはさぞかし退屈な思いをしているだろう。
フィオレンティーナが考えていると、唐突にルチアという少女が耐えかねた様子で言う。
「おにいちゃん、のど渇いたー」
それを聞いた骨董屋の店主であるチェルソは呆れ顔だ。
「ルチア、さっき水を飲んだばかりだろう。あとで花を摘みたくなっても知らないよ」
「まだ大丈夫だもん!」
「ならいいけどね」
そう言って皮製の水筒をルチアに手渡すチェルソ。
渡された水筒の中身をおいしそうに飲むルチア。
その様子を見ていたジルド少年が、からかう様な口調でルチアに言う。
「さっきエルマちゃんと別れるときに大泣きしたから、体から水が無くなっちゃったんじゃない?」
「そんなことないもん!」
そんな二人を諌めるチェルソ。
「ほらほら、二人とも喧嘩しないで。その辺にしときなさい」
「「はーい」」
タイミングをぴったり揃えて子供たちが言う。
チェルソはルチアから水筒を取り返すと、こちらに木製のカップを差し出してきた。
「フィオさんもどうですか? 一杯」
「ええ。じゃあ、お言葉に甘えまして……」
そう言ってカップを受け取り水を飲むフィオレンティーナ。
「ありがとうございます。チェルソさん。ところで……」
カップを返しつつ言うフィオレンティーナ。
「ん、何だい? フィオさん」
「ドゥルセに引っ越すということは、ノアキスで何かあったんですか?」
この時機に引っ越すというのはあの忌々しい“吸血鬼”絡みの話なのではないか。
フィオレンティーナはそう予想していた。
そんな彼女の様子を見て、表情を渋くしながらチェルソが答える。
「んー……まぁ、アレだよ。お察しの通り“吸血鬼”絡みさ。夕刻以降の売り上げがしょっぱくなってしまってね」
やはりフィオレンティーナの想像通りの事態が起こっていたようだ。
理不尽に見舞われ引越しを余儀なくされたチェルソ達に同情を禁じえないフィオレンティーナ。
「お気の毒に……。早く“吸血鬼”が捕まるといいですね」
「う、うん。そうだね」
ちょっと困ったような表情を浮かべながら、端正な顔に微笑を浮かべるチェルソ。
神に仕える身である自分が他人を第一印象で判断するのもどうかと思うが、それでも彼は善人以外の何者にも見えなかった。
クルスと気が合ったというのも頷ける話である。
そんな事を思っていると不意に、ジルドが虚空を両の手でパンッと叩く。
見ると蚊であった。
見事仕留めたジルドが言う。
「ほら、フィオさん。ぼく“吸血鬼”をやっつけたよ! ちっちゃいけど」
「ふふふ、偉いですね。ジルド君は」
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行きと同じく、アルシアの町で一泊を挟むのみの強行軍の馬車の旅。
幸いにして大過なく行程を消化する事が出来、一行はまだ日の高いうちに無事ドゥルセに到着した。
当初の予定では直接サイドニアへと赴き、国王エドガーに鐘完成の報を伝える予定であった。
だがクルスがエドガーから受け取った密書によると、船と食料の手配にはまだ日数を要するらしい。
そこで、クルスとチェルソは骨董屋パニッツィの新たな店舗となる物件を物色する事にした。
店の商品を載せた馬車は一旦ハル達に預けてある。
街を歩きながらチェルソがしみじみと言う。
「ドゥルセも久々だなぁ」
「チェルソさんも前に来た事あるのか……ってそりゃ永く生きてれば当然か」
「それがそうでもないんだよクルス君。僕は結構住む所にはうるさくてね。ある程度便利で綺麗じゃないと住みたくないんだ。今まで行った事が無い場所も勿論あるよ」
どうやら彼は住む場所には強いこだわりを持っているらしい。
「そうかい。ところでチェルソさん。今回は変装はいいのかい?」
「ノアキスに移ってからまだそんなに経ってないし、姿を変えなくても特に問題もないよ。それにもうフィオさんやナゼール君達に顔を見せちゃったしね」
「それもそうか」
今回の引越しで見た目を変えるかと思いきや、チェルソ続投のようだ。
「そうさ。何より、今の自分の外見に慣れてしまうとそれを変えるのが億劫になってしまうんだよ」
「ふうん。そればっかりは体験しないと共感できそうにないな」
「だろうね。しかし驚いたよ。クルス君は本当に皆に僕らの正体を言ってないんだね」
「ああ」
「フィオさんが言ってたよ。“早く吸血鬼が捕らえられればいいですね”ってさ。あの時、僕は表情を保つのに苦労したよ」
「気を使わせて済まないな」
「いや、なに。些細な事さ」
そんな事を話しているうちにドゥルセ不動産に到着した二人。
ずっと宿暮らしの冒険者であったクルスは初めて訪れる建物であった。
常に危険と隣り合わせの冒険者は、定住用の住居を探すような事はしないものだ。
中へ入ると仕立ての良い服を身に纏った男性が声をかけてくる。
「いらっしゃいませ。物件をお探しですか?」
その問いにカウンター越しに答えるチェルソ。
「ええ。小規模な骨董屋を営んでいるので、その店舗に適した物件を探しに」
「なるほど。ではお二人とも、おかけになって少々お待ちください」
言われるまま椅子に腰掛ける。
カウンターの向こうでは男が台帳をぺらぺらとめくっている。
その間、クルスは中を見回す。
現実世界の不動産屋の中は間取りが記載されている物件情報が所狭しと壁に貼られていたが、ここは随分さっぱりとしている。
不動産を扱っていると言われなければ用途不明にも見える空間であった。
そんな事を考えながら待っていると、男性が台帳を開いて見せてくる。
「お待たせ致しました。こちらの物件などはいかがでしょう?」
「どれどれ……」
チェルソが身を乗り出して物件情報をチェックする。
クルスも一応横から確認するが、基本的にはチェルソの判断に任せるつもりであった。
正直な話“吸血鬼”達が落ち着いてくれさえすれば、どこでもいいと思っていたのだ。
チェルソは腕を組みながら熟考している。
住まい選びに妥協はしない、というのはどうやら本当のようだ。
クルスがチェルソの決断を待っていると、男性が話しかけてくる。
「あの、そちらの冒険者様」
クルスの下げている“銀”のタグが目に留まったようだ。
「はい、何か?」
「もしかして、クルス様でいらっしゃいますか?」
「はい、そうですが。失礼、どこかでお会いしましたか?」
この男とは今日初めて会った筈だ。
そう思いクルスが尋ねると、意外な答えが返ってくる。
「いえ、実は私の義父のアルフレッド・ギルマンから貴方のお話を聞いておりまして」
「ギルマン?」
はて、と一瞬考えてクルスは思い出す。
「ああ! バフェット伯の執事のギルマンさん」
「ええ、そうです。その節は義父がお世話になったそうで」
「いえいえ、そんな」
「それで、是非貴方のお耳に入れたい話が……」
「何ですか?」
「はい、実は伯爵様が貴方をお探しになっておられます」
「俺を?」
「ええ、何でも“ふぃるむが切れた”とお困りのようで」
どうやらバフェット伯はもうカメラのフィルムを使い切ってしまったらしい。
更に男性は続ける。
「もう待ちきれなくなったようで、近頃ドゥルセのギルドに足繁く通っておられるそうなんですよ。できれば様子を見に行って頂ければありがたいのですが……」
「なるほど、でしたらちょっとギルドに行ってきます。チェルソさん、いいか?」
そうクルスが尋ねると、チェルソは台帳から顔も上げずに言った。
「ああ、行ってきたらいいさ。僕はもうちょっと吟味したいしね」
「悪いな。すぐ戻る」
そう言い残しクルスは不動産を後にする。
それにしてもバフェット伯にも困ったものだ。
あのアイテム卿め。
いや、アイテム狂だろうか。
興味のあるものに対しての執着は、設定狂のクルスとどっこいである。
クルスは大きなため息を吐き出しつつドゥルセ不動産を後にした。
そして内心で毒づく。
誰だ、あんな面倒な人物を設定したのは!
お読み頂きありがとうございます。
次話更新は 8月24日(木) の予定です。
ご期待ください。
※ 8月23日 後書きに次話更新日を追加
※ 4月13日 一部文章を修正
物語展開に影響はありません。




