70.吸血鬼の目にも涙
「私は、ルチアちゃんを信じられませんでした。私はともだち失格なんです……」
大粒の涙をぽろぽろと流しながらエルマが言う。
そんな彼女の姿を見てチェルソは思案する。
さて、どうしたものか。
今まで確証は無かったが、やはりルチアの事を密告したのはこの少女であったらしい。
友を売った罪悪感に苛まれこうして赴いて来たというわけだ。
となればルチアに会わせるというのも躊躇してしまう。
彼女がどう思っているかわからないのだ。
あれ以来、ルチアは店に居る時にエルマの話をしなくなった。
ひょっとすると顔も見たくないのかもしれない。
だがしかし今日という日を逃すと、もう二人に和解の機会は無いように思える。
チェルソ達は引越しを目前に控えており、もうすぐノアキスを発つ。
そんな状況でもルチアはおそらく自分からはエルマに会いたがらないだろう。
無理強いをするつもりも無いが、だがやはり会わせてやるべきだと思うチェルソ。
彼は意を決してエルマに告げる。
「“ともだち”なら、なおさら仲直りしないといけないね」
「……え?」
「とにかく、こんなところでグズグズしていても始まらないよ。中に入ろう」
「で、でも……」
「ルチアがどう思ってるかは、本人に会ってみないとわからないだろう? エルマちゃんが嫌ならしょうがないけど」
「いや、じゃないです……」
「それは良かった。じゃあ、中に入ろう」
そう言って店の扉を空けるチェルソ。
後ろからエルマが俯いて物言わずについて来る。
その姿を認めたルチアが声をかけてきた。
「おかえり、おにいちゃん。それと……」
どうやら店の外から窺っていた段階でエルマには気づいていたらしい。
笑顔を浮かべてルチアは続ける。
「エルマちゃん、いらっしゃい」
その声にはっとしてエルマが顔を上げる。
「ルチアちゃん……あの、わたし……」
目を真っ赤にしながらエルマが言う。
それを遮るルチア。
「大丈夫だよ、エルマちゃん。わたし、気にしてないもん」
「うう……ルチアちゃん」
泣きじゃくりながら、ルチアに飛びつくエルマ。
そのエルマを受け止め、よしよしと慰めるルチア。
だが慰めながらもルチアも目を潤ませている。
彼女もずっとこうしたかったのだ。
その光景にチェルソは思わずもらい泣きしそうになるが、意志の力で抑えつける。
そして友情を確かめ合う二人に言う。
「ルチア、エルマちゃんを連れて二階へ行っておいで。そこでしばらくおしゃべりしてていいよ」
「えっいいの?」
「ああ。僕らの引越しの事も教えてあげなさい」
「……うん、わかった。ありがとう、おにいちゃん」
そして、とたとたと足音を立てて階段を上がって行く二人。
危なかった。
もう少しで自分も泣いてしまうところだった。
チェルソはほっと胸を撫で下ろす。
二階に行った二人は暫く楽しそうに会話を楽しんでいたが、やがてすすり泣くような嗚咽が聞こえてくる。
ルチアが引越しの事を伝えたのだろう。
通常の人間同士なら“またいつか会えるさ”となるのだろうが、社会に溶け込んでいる“吸血鬼”はそうはいかない。
数年後にもしエルマがルチアと再会を果たしたら、自分と比べて全く成長していないルチアを見て恐怖するだろう。
その時は“ルチアの血縁だ”とか何とか言って他人を演じるしかないのだ。
よって、ルチアとエルマはもうじき今生の別れとなる。
永い時を生きる“吸血鬼”にとって人間達との交流、そして別れというのは退屈な生活を彩るスパイスのようなものだ。
しかし今回のは、ちと辛すぎる。
ルチアのすすり鳴く声を聞きながらチェルソは思った。
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鐘の完成から五日が経った。
その後サイドニアの国王ウィリアム・エドガー陛下からの密書が届いた。
その内容は要約すると“最低でも二つの鐘を作成せよ。現在、二隻の大型船と保存食を手配している”との事だった。
それを読んだクルスは鐘作成個数のノルマを“六”に定めた。
二隻の船に鐘を各一つ、予備を二つを搭載するのだ。
ポーラ率いる優秀な鐘職人達はこれに見事に応え、期日までに精巧な鐘を“八”用意してみせた。
これには小心者……もとい心配症のクルスも“予備はいくつあっても困らない”と大喜びであった。
そしてやってきたノアキス出立の日。
ハルは一人、骨董屋パニッツィに向かっていた。
現在クルスは他のメンバーを連れて、ジャンルイージ・ガンドルフォ猊下にノアキス出立のご挨拶をしている頃だ。
その間にハルは骨董屋の連中を迎えに行くのである。
店の前まで行くと馬車が停まっている。
馬を撫でながら御者が暇そうに欠伸をしていた。
チェルソが手配したものだ。
あの後、詳細に話を詰めた結果“馬車を使わない引越しは不自然で目立つ”という事で結局馬車を使う事になった。
そして馬車に入りきらない荷物をクルスから預かった『ベヘモスの胃袋』に収納するのだ。
馬車の費用はクルスとチェルソで折半したようだ。
ハルは店内に声をかける。
「こんにちはー、チェルソさん居ますかー?」
店の入り口を覗くとチェルソとジルド、ルチアそしてエルマが居た。
チェルソとジルドは荷物の運搬と整理をしている。
ジルドも普通に作業しているのが意外であったが、一日、それも短い時間であるならば人前に姿を見せても問題ないという判断であろう。
エルマはルチアと名残惜しそうにお喋りしている。
この二人の関係に亀裂を入れたのはある意味クルスとハルであったので、二人が無事和解している様子を見て安心する。
作業の手を止めてチェルソが話しかけて来る。
「おっ来たな、ハルちゃん。待ってたよ」
「はい、作業はどんな具合ですか?」
「うん、実はもうほぼ積み込みは終わっているんだ。例の魔道具は持ってきたかい?」
「ええ、もちろん」
そう言って白い袋を見せるハル。
「よし、早速始めてくれ」
「合点承知です!」
そうしてチェルソ達によって几帳面に纏められた荷物を、まるで掃除機で埃を吸い込むかのように次々と収納していくハル。
その様子を唖然とした面持ちで見つめる“吸血鬼”達とエルマ。
その様子が可笑しくてちょっとだけ優越感に浸るアンドロイド。
そういえばこの白い袋は自分と同じ時期にマスター・クルスによって作られたものだと聞いた。
そう思うと自然と愛着も湧いてきた。
それにしてもクルスは何故こういう便利なアイテムではなく、厄介な存在ばかり設定するのだろう。
そんな事をぼんやりと考えながら作業をしていると、いつの間にかもう収納するものがなくなっていた。
「ハルちゃん、ありがとう。本当に助かったよ」
「あれ、もう終わりですか。何ならこの建物も持って行っちゃいましょうか?」
あっさりと仕事を終えて冗談を言うハル。
この袋の容量は正に底なしでクルスですら“キャパシティはよくわからん、覚えていない”と言うくらいのバケモノ袋であった。
「ははは、そうするなら更地の土地を向こうで見つけないとね。よし、そろそろ行こうか。ジルド、ルチア」
チェルソに促されたジルドがさっさと馬車に向かう。
一方のルチアはエルマに何やら包みを渡している。
「エルマちゃん、今までありがとう。これは感謝の気持ちだよ」
「ありがとう、開けていい?」
「うん」
中から出てきたのはピンの部分に布でできた可愛らしい花が取り付けられた髪留めであった。
「すごい!!」
「わたしが編んだ花飾りの髪留めだよ。ピンの部分はジルドだけど……」
受け取ったエルマはまたも泣きそうである。
しかし彼女も手ぶらではなかったようだ。
「はい、これ……」
そう言ってルチアに手渡す。
写真立てのような小さな木製の額縁である。
見るからに安物のそれは、この小さい少女が何とか用意した精一杯の品だ。
本来このくらいの歳の少女はルチアの髪留めのような精巧で気合の入ったものは用意できないのだ。
そしてその額縁の中にはこのくらいの歳の少女にしては上手な絵が入っている。
二人の少女、ルチアとエルマが笑いながら微笑んでいる絵だ。
「エルマちゃん……」
その絵を見て号泣するルチア。
そんなルチアにエルマは言った。
「ルチアちゃん、またいつか会おうね。絶対」
泣きじゃくりながら答えるルチア。
「うん……うん……」
その麗しい友情の光景を見てハンカチで目を覆うチェルソ。
意外と涙もろいらしい。
ハルは彼をちょっとからかってみる事にする。
「あれぇ? 泣いてるんですかぁ、チェルソさん?」
「……目にゴミが入っただけだよ」
「おかしいですねぇ、今は風は吹いてないですよぉ?」
にやにやと笑いながら言うハルにチェルソは目を拭きながら言った。
「まったく……君は血も涙もないのかい、ハルちゃん」
「ええ、ないですよ。アンドロイドですから。ふふっ」
そうは言うものの、いつか自分も涙を流してみたいと思うハルであった。
お読み頂きありがとうございます。
次話更新は 8月22日(火) の予定です。
ご期待ください。
※ 8月21日 後書きに次話更新日を追加
※ 4月12日 一部文章を修正
物語展開に影響はありません。




