69.誰が為に鐘は成る
骨董屋パニッツィにて親交を深め合うクルスとハル、そして“吸血鬼”の面々。
すっかり話し込んでしまい、気づけばもうそろそろ夕暮れという時間である。
その事に気づいたクルスが告げる。
「さてと、そろそろ俺たちはお暇するかね。あまり遅いと皆が心配する」
その言葉にチェルソが反応した。
「ああ、もうそんな時間か。クルス君にハルちゃん、今日は楽しい時間をありがとう……っと、そうだ。忘れるところだった」
チェルソはそう言って、包みが入った小洒落た手提げ袋を渡してくる。
「ほら、一昨日お買い上げの贈答品だ」
「ああ、話に夢中ですっかり忘れてたよ。ありがとう」
「こちらこそ、“お買い上げありがとうございます”」
急に真面目な店主の調子になって品物を渡してくるチェルソの様子が可笑しかった。
ダラハイド家への土産を受け取った後、クルスは先ほどから気になっていた事を聞いてみる。
「ところで、引越しはいつするんだ?」
「そうだな……。今まで取引のあった商人達にも話を通さないといけないからね。急に消えると怪しまれるし。まぁ適当に話をでっち上げるにしても一週間は欲しいね」
この“吸血鬼”達は永らく周囲に嘘をついているせいか、話をでっち上げるという事にはかなり慣れているようだ。
それは決して周囲に不誠実というわけではなく、彼らなりの処世術である。
「家財道具はどうする?」
「なるべくなら持って行きたいね。どれも愛着のあるものだし。でも馬車で運ぶとなると……費用がね……。まぁ商品が最優先だから家財道具は手放すよ」
そう残念そうに述べるチェルソ。
だが、クルスの一言に目を剥くこととなった。
「なら俺が運ぼうか? 『ベヘモスの胃袋』にたぶん入りきると思うし」
「……は? すまないクルス君、ちょっと何を言っているかわからない」
「この袋はプレアデス諸島の魔道具でな。沢山の物を収納できるんだ。ほらこんな感じで」
そう言って持ち物の出し入れを実践してみせるクルス。
心配症のクルスは、普段からかなりの数の回復薬を『ベヘモスの胃袋』に詰めていた。
それに加えて戦闘時以外は使わない様な、かさばる装備類も大方突っ込んでいる。
そのあまりの容量の多さに腰を抜かす“吸血鬼”一同。
「そ、それは凄いな。ということはここの部屋にある全てものは……」
「入りきるだろうな」
言い切るクルスにため息混じりに答えるチェルソ。
「まったく、君達には驚かされてばかりだよ」
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「できたァーーーーっ!!!」
突如として工房に響く獣人族の少女の叫び声。
『メルヴィレイ』、またの名を『レヴィアタン』と呼ばれる海の怪物を避ける鐘が遂にポーラの手によって完成したのだ。
「とうとうできたんだね。あたしも嬉しいよ」
ドワーフの見習い女職人・ヘルガが言う。
彼女はポーラたちがこの工房に訪れた初日からずっと手伝ってくれていた。
二日目以降から他の経験豊かな職人たちも合流し、作業は大幅に加速した。
ナゼールとレリアも献身的に働いてくれた。
ポーラが作業に没頭できたのは彼らの的確なサポートあっての事だ。
各々の職人達がポーラの起こした図面を参考にした試作品を作り、それらを鳴らしてみて微調整を繰り返した結果の完成品である。
苦労したぶん、感動もひとしおであった。
「手伝ってくれた、皆さんのおかげです。ありがとうございます」
皆に感謝の念を告げるポーラ。
そこへフィオレンティーナがやって来た。
もうすぐ日没なので迎えに来たようだ。
今日は古巣の教会に奉仕してくると言っていた。
「何やら、ポーラさんの叫び声が聞こえましたけど……あ、もしかして完成したんですか?」
「はい!!」
「良かったですね。私にも聞かせてくださいよ」
「いいですよー」
そう言って完成した鐘を鳴らすポーラ。
ドーン……という重厚な低音が工房に響き渡る。
ポーラがその音をうっとりしながら聞いていると、フィオレンティーナは困惑した様子で言った。
「あの、それって音鳴ってます? ごめんなさい、私にはよくわからなくて……」
そうだった。
この鐘の音は普通の人間には聞こえないのだった。
物知りクルスによると“かちょういき”がどうのこうの言っていたが、ポーラにはよくわからなかった。
だがとにかく普通の人間には聞こえなくてポーラのような獣人族、そして『メルヴィレイ』には聞こえるらしい。
その時、丁度物知りクルスとハルが帰ってきた。
今日は農場の皆への土産を受け取りに行っていたらしい。
クルスがポーラに尋ねてくる。
「お、やってるな。進捗はどうだ?」
「はい、完成です!」
「本当か! それは良かった。試しにちょっと鳴らしてみてくれよ」
「はい」
もう一度、鐘の音が響き渡る。
するとクルスはいつの間に用意したのか、コップに水を入れていてそれを見ている。
「おお、凄いな。俺には聞こえないけど本当に鳴ってるな。空気が振動してる」
見るとコップの水に波紋が浮かび上がっている。
それを見たフィオレンティーナがクルスに尋ねた。
「え、それで鳴ってるってわかるんですか?」
「ああ、鳴ってなかったらコップの水は動かないよ」
「へええ……」
博識っぷりを披露するクルス。
いや、彼の口ぶりから察するにおそらくニホン列島では常識なのだろう。
文化水準の高さの違いが窺えた。
プレアデス諸島の飢饉を助けて、時間ができたらいつか彼の故郷にも行ってみたいと思うポーラであった。
その時、工房内にいたナゼールがクルスに話しかける。
「なぁ、クルスさん」
「どうした? ナゼール」
「クルスさんの、指輪でこの鐘を、もっと、つくれないか? 完成はしたけど、予備もいる」
ポーラ達がマリネリス大陸に渡ってきた時は、航海の途中で大時化になり海が荒れた。
強烈な波に船が襲われた結果、鐘が破損し『メルヴィレイ』に襲われたのだ。
鐘の予備があれば防げた惨事であった。
「なるほど、試してみよう。ポーラ、図面をくれ」
「どうぞ」
受け取った図面を見ながら鐘の構造を検分するクルス。
彼の指輪は便利な代物だが、“知らない物は造れない”という制約があるらしい。
暫し鐘の構造を調べた後、クルスは指輪で鐘を生成した。
「どれ、鳴らしてみるか。ポーラ、音を確認してくれ」
「はいっ」
そう言ってクルスが鐘を鳴らす。
見た目はポーラ達の作ったオリジナルと遜色ない。
だが、その音はポーラ達が作り上げたものとは違ったものだった。
これではダメだ。
『メルヴィレイ』はこの音を避けてくれない。
その事をクルスに伝える。
「ダメです」
「えっ? ダメなのか」
「はい、見た目は、そっくりですが、中の構造が、再現できてません」
「そうか……」
落胆するクルスに今度はレリアが声をかける。
「クルスさん、その指輪、私にちょっと、貸してくれる?」
「ん? レリアが試すのか?」
「ええ。どう使うの?」
「指に嵌めて作りたいものを強く念じてくれ」
受け取った指輪を嵌めて今度はレリアが念じる。
確かに作業に関わっていないクルスよりは、製作過程を目の当たりにしていたレリアの方が適任かもしれない。
おまけに彼女は優秀な呪術師であり、魔力量も申し分ない。
教わったとおりにレリアが鐘を生成する。
こちらも鳴らしてたところ、残念ながら欲しい音は出なかった。
「これもダメです。欲しい音は、でてません。やっぱり地道に、数を作るしか、ありません」
その事実にクルスはため息を吐く。
「つまり、ポーラ達が作った鐘ってのは指輪でもそうそう再現できないくらいの超精巧・緻密な物なのか……。恐れ入った」
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クルス達との食事を楽しんだ翌日、チェルソは馴染みの古物商達の元を回っていた。
早速、引越しをする旨を伝えて回っていたのだ。
当然、理由を聞かれたが“吸血鬼騒ぎで経営が苦しい”だの“知り合いに誘われて別の街へ行く”だのとはぐらかした。
彼らからは高額な古物を仕入れているのみで、実際に商売の主流になっているのはジルドとルチア製作のパニッツィオリジナルのプライベートブランド商品だ。
その為、彼らとは商取引よりも情報交換で会う機会の方が多かった。
そういう古物商達との別れの言葉は大抵“おいしい話があったら誘ってくれ”であった。
彼らがプレアデス諸島の事を聞いたら地団駄を踏んで悔しがるに違いない。
その後、チェルソの店を管轄している不動産に行き解約の手続きをした。
これでチェルソ達が退去した後に、あの店は売りに出される事となる。
今月の家賃は支払い済みなので早めに退去するぶん損でもあるのだが、そんなものは“渇き”の心配をしなくても済むという事に比べれば些事である。
そういう雑事を片付けるともうすっかり夕暮れになってしまっていた。
店のある路地裏に戻ってきたチェルソ。
ふと店の入り口を見やると、小さな人影が店内の様子を窺っている。
ルチアの遊び友達であるエルマだった。
店に入ろうか、入るまいか迷っている風に見える。
そんな彼女にチェルソは優しく声をかける。
「エルマちゃん、こんにちは」
「あ、こ、こんにちは」
「ルチアは中で店番してるよ。会って行くかい?」
その問いに悲痛な表情を浮かべながらエルマが答える。
「いえ、そんな資格、私には……」
「資格? 何の事だい?」
「私は……」
目から大粒の涙を零しながら彼女は言った。
「私は、ルチアちゃんを信じられませんでした。私はともだち失格なんです……」
お読み頂きありがとうございます。
次話更新は 8月19日(土) の予定です。
ご期待ください。
※ 8月18日 後書きに次話更新日を追加 誤字を修正
※11月19日 一部文章を修正
※ 4月12日 一部文章を修正
物語展開に影響はありません。




