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アマルコルド -私は忘れない-  作者: 利府 利九
第四章 To Escape Your Meaningless
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64.いいから噛めって



「暇だ……」


 骨董屋パニッツィの店主・チェルソはぼやいていた。


 路地裏に居を構えるこの店は、ノアキスの住民からは“隠れた名店”的な扱いを受けている。

 しかし人間の消費活動にはいつだって波はあるものなのだ。


 特に今日は凪といっても過言ではないくらい客足が少ない。

 中天までに数人が店を訪れたきりである。


 ここ数ヶ月で最も退屈な日であった。

 今日のところはもういっそ店を閉めてしまおうか、などとぼんやり思っていると店の扉が開く。


「いらっしゃ……あ、おかえり。ルチア」


 客かと思って“いらっしゃいませ”と言いかけるチェルソであったが、扉を開けたのはルチアであった。

 右手には“ビアーナ”の袋を携えている。

 どうやらジルドがリクエストしたケーキは無事入手できたらしい。


「うん、ただいま。おにいちゃん」

「ケーキは買えたみたいだね。ジルドに届けておいで。僕はあとで貰うよ」

「うん、わかった……」


 そう言ってジルドが作業している地下室に下りていくルチア。


 その様子を見て“おや”と思うチェルソ。

 普段は元気いっぱいのルチアであるが、今日は何だか表情が暗い。


 いや、朝の時点では彼女の様子はいつも通りであった。

 ということは、遊び友達のエルマちゃんと何かあったのだろうか。


 大方、くだらない喧嘩でもしてしまって気まずいのだろう。

 何か言葉をかけて励ましてやらなければ……。


 そう考えているとルチアが地下室から昇ってきた。

 相変わらず暗い顔である。


 幾分、間を置いてからチェルソに話しかけてくる。


「あの……おにいちゃん。ちょっと話したい事があるんだけど……」


 それに応じようとした時、チェルソの耳朶が外の足音を捉える。


「ルチア、ごめん。ちょっと待ってて。お客さんだ」

「あ……う、うん……」



 扉を開けて入って来たのは二人組みの男女だった。

 一人は金髪のショートカットの女で、そしてもう一人は黒髪の男だった。


 そういえば今日来店した客が噂していた。

 街に異民が来ている、と。

 髪だか肌が黒いのだと聞いていたが、髪が正解であったようだ。

 それがこの男なのだろう。


 チェルソも異民を実際に目にするのは初めてであったが、普段通りに声をかける。


「いらっしゃいませ。何かお探しで?」


 それに黒髪の男が答える。


「ええ、お世話になった人達への贈答品を。店内を見てまわっても?」

「はい、もちろん。なにかありましたら、お声をおかけください」

「どうも」


 そう言って店内を見て回る二人組み。

 その時二人組みが首からぶら下げているタグが目に付いた。


 “銀”と“銅”のタグ。

 冒険者だ。


 しかも“銀”といえば高ランクだ。

 かつてチェルソは人間に敵対的だった頃に、幾度か冒険者と戦っている。


 過去には“金”のタグをつけた冒険者も倒していた。

 のろまの衛兵やら僧兵などと比べると、だいぶ手強い連中だったと記憶している。

 目の前にいる二人もおそらく戦ったら手強いのだろうな、と思って見ているとルチアが小声で尋ねてくる。


「ねぇ、おにいちゃん。あの人って“いみん”さんなの?」

「たぶんね。ルチア、しばらくお店の掃除していてくれるかな? 僕の手が空くまで、まだかかりそうだ」

「うん、わかった」


 そうして掃除を始めるルチア。

 客から離れた箇所の陳列棚を布巾で丁寧に拭いている。


 だが今日初めて目撃した異民が気になるようで、二人組みの方を時折見ている。

 その視線の先の二人組みは、商品を陳列しているガラスケースの前で何やら話している。


「さて、何をあげたら喜ぶかね」


 腕組みをしながら黒髪が言うと、金髪がそれに答える。


「あ、コレなんかどうですか? メガネ! 旦那様もそろそろ新調したいと思ってるかも」

「なるほど、悪くないな。……旦那様のメガネの度数がわからない、ということを除けばな」

「あっそっか……。じゃあ、コレはどうです?」

「どれどれ……」


 などと二人組みは会話しながら贈答品を選んでいた。

 チェルソの見た感じだと親密な関係にも見える二人だ。

 真剣に商品を選んでいるが、実はデートのついでかもしれない。


 だが彼らの贈答品選びが難航するようなら店主として知恵を貸さねばならない。

 何をお勧めすればいいものか。

 と、熟考しながら眺めていると金髪が妙案を出した。


「あ、私思いつきました、マスター。どうせなら夫婦おそろいの物がいいんじゃないですか? ほら、このペアバングルみたいな」

「おお、たしかに。名案だよハル」

「でしょう?」

「実際に手にとって見たいな。あの、すみません」


 お呼びがかかった。

 ガラスケースの鍵を手に取り黒髪の方へと向かうチェルソ。


「はい、今お開けします」


 手馴れた動作でガラスケースを開けて品物を手渡す。

 二人はペアバングルを眺めて吟味し始めた。


 暫し話しあった後、黒髪がチェルソに尋ねてくる。


「これって刻印は入れられますか? イニシャルとか」

「はいもちろん。若干のお時間を頂きますが、本日中にご用意できます」


 すると、二人の意見は纏まったようで


「じゃあ、これをください」


 と、黒髪が言ってきた。


「かしこまりました。刻印は何と入れましょう?」

「男性用の方にS・D。女性用の方はK・Dで」

「わかりました。それでは一旦こちらでお預かり致します。お買い物は以上で?」

「いえ、まだ見たいものが」

「あ、そうですか。ごゆっくりどうぞ。私は職人に刻印させておきます。十分少々かかるかと」

「わかりました」


 地下室に下りたチェルソはジルドに声をかける。

 彼はチーズケーキをおいしそうに頬張っていた。


「ジルド、ごめん。仕事だ。バングルに刻印を頼むよ」

「わかったよ。おにいちゃん。お渡しは今日?」

「そうだよ。十分後に取りに来る」

「うん。やっておく」


 チェルソが階段を上がり店に戻ると、ルチアと二人組みが何やら話していた。

 金髪の女がルチアに尋ねる。


「ルチアちゃんがプレゼント貰うならどれがいいですか?」

「ええと、このカチューシャとか、かなぁ」


 それを聞いて二人組みは相談を始める。


「ハル、これフレデリカちゃんに似合うと思うか?」

「ええ、私は大丈夫だと思いますよ。マスターは?」

「俺は、よくわからないんだよなぁ。女の子のおしゃれとか……。そういえば昔、凄い怒られたことがある」

「え? 何ですか? 何ですか? 教えてくださいよ、マスター」

「いや、たいした話じゃないよ。ちっちゃい頃、幼馴染の女の子が髪型変えたの気づかなくてめちゃくちゃ怒られてさ。あの時は本当に怖かった。あの子今なにしてんのかな……」


 本当にたいした話では無かったが、それを聞いたルチアは大いに笑う


「きっとその子クルスさんの事好きだったんだよ」


 ルチアはチェルソが地下室に行っている時に黒髪の名前を聞いていたようだ。

 クルスというらしい。

 変な名前だ。


「いや、どうだかな。今となっては真実は闇の中だな。まぁそんな話はおいといて。フレデリカにあげるのはそのカチューシャでいいだろう。次はジョスリンのぶんだな」

「そうですね。ねぇルチアちゃん。あなたと同じくらいの歳の男の子は何を貰ったら嬉しいでしょう?」

「うーん。どんな性格の子なの?」


 それに答えるのはクルスと呼ばれた黒髪だ。


「真面目で、同年代の子よりはちょっと大人っぽいかな」

「なるほど。お勉強はするの?」

「旦那様の跡取りだから当然しているよ」

「じゃあ、これは?」


 そう言ってルチアが取り出したのは一本のペンだ。

 といっても、マリネリス大陸で主流の羽ペンではない。


 金属でできたメタルペンだ。


 これはチェルソが商人から仕入れた珍品であり、従来のペンとは違いインクではなくごく少量の金属を紙に移動させて書くという変わった代物である。

 わずかずつ金属を消費してはいくが、そのペースは非常にゆっくりしているので半永久的に使えるという触れ込みであった。


 チェルソも私的利用のために一本確保してあり、本当に半永久的に使えるのか現在進行形で確認中である。


 メタルペンを試し書きをしたクルスはとても感心した様子であった。

 すぐに心は決まったようで、


「これにしよう。きっとジョスリンも喜ぶ」


 と購入の意志を露にする。

 よしよし、一時は店を早仕舞いすることも考えたがとんだ上客が来たものだ。

 そうチェルソが内心でほくそ笑んだ時、店の扉が開いた。


「いらっしゃ……」


 言いかけたチェルソは凍りつく。


 僧兵だ。


 彼らは四人組みで、しかも武装している。

 そのうちの一人が口を開いた。


「失礼、店主はあなたか?」

「ええ、そうですが。今日はどういったご用で?」


 可能な限り、平静を装って答えるチェルソ。


「うむ。実はここの少女が“吸血鬼ヴァンパイア”ではないか、という通報があってな。その確認だ」


 頭の中が真っ白になる。

 それでも自分を鼓舞したチェルソはルチアの方を見ると、彼女の顔は蒼白であった。


 まさか、さっき言っていた“話したいこと”というのは……。

 チェルソが戦慄しているとクルスが能天気な声を出す。


「“吸血鬼”? なんだそれ?」


 どうやら異民の彼は“吸血鬼”を知らないようだ。


 いや、今はそんな事はクソどうでもいい。

 この場を切り抜ける事を考えなければ。

 頭をフル回転させるチェルソ。

 しかし、事態は彼の考えなどお構いなしに転がってゆく。


 クルスにハルが“吸血鬼”の説明を始めた。


「マスター、“吸血鬼”っていうのはですね、人の血を吸うんですよ。ちゅーって。それで噛まれた人間は眷属になって操られてしまうのです」

「へぇ。……この子が?」


 信じられないような表情をするクルス。

 ルチアは蒼白な表情でその会話を聞いていた。


 そこへ、ハルが腕を差し出して言う。


「ほら、ルチアちゃん」

「………え?」

「ほら、噛んで。“吸血鬼”じゃないって証明ですよ」


 それを見た僧兵がハルを諌める。


「おい、冒険者殿。危険だ。やめておきなさい」

「いやいや、僧兵さん。こんなかわいい女の子が“吸血鬼”のわけがないじゃないですか。ほら、ルチアちゃん。はやく」

「え、え、でも……」


 ……このバカ女。

 チェルソは叫びたくなった。


 “吸血鬼”のわけがない?

 あるんだよと。


 その時、ハルがルチアの耳元で囁く。

 極小の音量であったがチェルソの耳はその内容を拾えた。


「いいからさっさと噛めってんだよ。この薄汚いひるめが」


 その瞬間、ルチアの顔が怒りに染まる。

 そしてハルの腕にがぶりと噛み付いた。


 ああ、ここまでか。

 チェルソは覚悟を決めてカウンターの裏に隠してある仕込み杖を握る。


 ルチアがあの女を眷属に変えたら、目撃者を全員始末して逃亡する他に手は無い。

 ほとぼりが冷めるまで何十年かかるかわからないが、それまで街には近づけないだろう。


 二人の子供たちには苦労をかけるが、それもやむなしだ。

 まずはこの場を生き残らなければならない。



 その時、チェルソは異変に気づく。

 女が一向に眷属になる気配がないのだ。

 その理由はチェルソには見当もつかなかった。


 永遠とも思える数十秒が経過した後、ルチアが腕から口を離す。

 その顔は疑問符で一杯であった。


 そして噛まれていた本人であるハルが口を開く。


「あのー、どのくらい噛まれてれば眷属になるんですかね、僧兵さん?」

「文献によると、数秒であるらしい」


 そこへ、クルスが微笑みながら一言。


「ハル、なんか眷属っぽく鳴いてみろよ」

「う、ヴー、ぐるるる……うがーー!」


 まったく迫力がないうなり声を披露するハル。

 それを聞いて僧兵たちは力なく笑った。


 ルチアも周りに合わせて笑っているが、その笑みは引きつっている。

 やがて僧兵の一人がチェルソ達に頭を下げてきた。


「やれやれ、勘違いの通報か……。ご主人、それにお嬢ちゃん、迷惑をかけた。規定により通報者は明かせないが、周りの人間といざこざは起こさないように頼む。通報者は街を守ろうとしたのだから」

「え、ええ。もちろんです」

「それと冒険者殿、あまり無茶をするな。本物だったら死んでいたぞ」


 僧兵の注意にハルが素直に頭を下げた。


「はい、ごめんなさい」

「それでは我々はこれで失礼する」


 そう言って僧兵たちは引き上げていった。


 僧兵が引き上げて店を出たと同時に、ルチアがチェルソの後ろに駆け寄ってくる。

 その目は恐怖に満ちていた。


「ルチア……」

「おにいちゃん……。あの女、人間じゃないよ……」

「何だって……?」


 チェルソが改めて二人組みに目を向けると、クルスがにっこりと微笑みながら言った。


「いやぁ、危ないところでしたね。“吸血鬼”さん達」




用語補足


メタルペン

 金属でできた鉛筆のような外観のペン。

 先端部分にメタルチップが取り付けられており、それが紙に移動して筆跡となる。

 鉛筆を用いた線画とはまた別の趣があり、このペンを使ったメタルポイントドローイングという手法は芸術家に人気であったという。

 レオナルド・ダヴィンチもこのペンを愛用していたと言われている。

 


お読み頂きありがとうございます。


次話は既に掲載済みです。

予告の記載を忘れてしまっておりました。

申し訳ありません。


※ 8月 4日  後書きに文章を追加

※ 8月18日  レイアウトを修正

※ 4月10日  一部文章を修正

物語展開に影響はありません。

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