63.ねこのたまりば
ノアキスの街の商業区と聖堂街の境目のやや閑散とした区画にて。
平民の娘・エルマは友達であるルチアと猫が集まる溜まり場へと向かっていた。
「こっちだよ、ねこさんの溜まり場!」
先を進むルチアが心底楽しそうに告げる。
彼女は骨董屋パニッツィの娘である。
エルマとは歳も近く家も近いので、よくこうして一緒に出かけているのだ。
「ルチアちゃん、待って。あんまりどたばたすると、ねこさん達びっくりして逃げちゃう」
「あ、そっか」
そうして二人でくふふと笑いながら、今度はゆったりと歩きながらその溜まり場へと向かう。
猫たちの溜まり場はとある空き家の裏手であった。
人の出入りも無くとても静かなので、猫たちにとっては落ち着く場所なのであろう。
もしかしたら空き家に侵入している猫もいるかもしれない。
エルマとルチアの二人の姿を視認した猫たちは一瞬こちらに顔を向けてきたが、興味を失くしたのかすぐに思い思いの行動をとり始める。
ある猫は毛繕いをして毛並みを整えている。
またある猫は地べたに寝っころがり体を伸ばしている。
座った姿勢でずっと虚空を眺めているものもいる。
視線の先には何も無いが、一体なにを見つめているのだろうか。
そんなことをエルマが考えていると、ルチアが話しかけてきた。
「あのねこさん、何を見てるか気になる?」
「え、ルチアちゃん、わかるの?」
その言葉にルチアは得意げに、と同時に意地悪そうな笑みを浮かべて言った。
「ねこさんにはね、亡霊が見えるんだよ……。だから、ちょうどあのあたりに……」
「ちょっと、やめてよ……ルチアちゃん。こわいよ……」
エルマは怪談の類いが本当に苦手であった。
家で父に怖い話を聞かされて、大泣きしたこともある。
「あ、冗談だよ。冗談。ごめんね、エルマちゃん」
「もう」
「わかった。じゃあ、今度はいい事教えてあげる」
「なーに?」
「ねこさんが撫でられて嬉しいところ」
そう言うとルチアは近くの猫に自分の手を見せる。
何かを指先で握っているような動作をしているが、実際には何も持っていない。
それでも猫の興味は惹けたようで、鼻先を寄せてくんくんと匂いを嗅ごうとしてくる。
そうして近付いてきた猫の顔の、口の横の部分をやさしく撫でるルチア。
撫でられた猫はごろごろと咽を鳴らし、気持ち良さそうに目を細めている。
猫はきれい好きな動物として知られており、暇さえあれば自分で毛繕いして毛並みを常にきれいに整えている。
だが、猫が自分で毛繕いできない部分がある。
顔と頭の周りである。
それ故にその部分を整えてくれると非常に機嫌が良くなると言われている。
口の横と目の横を撫で、次は頭をゆっくりとやさしく撫でるルチア。
気持ちよくなって横になった猫の首周りも掻いてやると、程なくしてその猫は眠ってしまった。
よっぽど心地良かったのだろう。
「ルチアちゃん、すごいね。どこで教わったの?」
「おにいちゃんが教えてくれたよ」
彼女の言うおにいちゃんというのは骨董屋パニッツィの主人のチェルソの事だ。
エルマも彼を数回見た事があるが、かなりの美形の男性で見ているだけで緊張してしまった。
振る舞いも上品なので実は貴族だ、と言われても違和感が無い。
「ふーん、すごいね。チェルソさん。かっこいいだけじゃなくて物知りなんだね」
「そうだよー、おにいちゃんは凄いんだから」
自慢げに言うルチアだが、確か二人は血縁関係ではないはずだ。
ルチアをチェルソが期限付きで預かっているらしい。
その時、唐突にルチアが呟く。
「あ、そうだ。わたし、買わなきゃいけないものがあるんだった」
「え? なーに?」
「“ビアーナ”のチーズケーキ!」
「じゃあ、早く行かないと売り切れちゃうよ。いっしょに行こう」
「うん、ありがとう」
二人は大急ぎでビアーナに向かい、何とか件のチーズケーキを入手することに成功した。
ルチアが買ったときには残り三個だったので本当にギリギリであった。
何とか目当てのものを手に入れられてほっと息をつくエルマとルチア。
「よかったね。売り切れてなくて」
「うん、ありがとう。エルマちゃんのおかげだよ」
エルマはただ一緒に走っただけであり、特にケーキ購入に関しては何もしていないのだが褒めてくれるルチア。
こういう人当たりの良さが彼女の魅力だ。
ふいに、ガラガラと荷車が通る音が聞こえてくる。
体格の良い男が、石材などが積まれている荷車を曳いている。
その向かう先は壁が老朽化して脆くなったと思われる民家だ。
補修工事に使うのだろう。
何の気なしに二人がその光景を歩きながら眺めていると、急にルチアがあさっての方向に顔を向けた。
突然の事に驚いたエルマが問いかける。
「ルチアちゃん、どうしたの?」
「向こうの方から何か、変な音が聞こえた……気がする。“プシュ”って」
エルマには何も聞こえなかった。
次の瞬間、がしゃんという音が響き渡る。
今度は荷車の方からだ。
見ると、荷車の木製の車輪が割れてしまったようだった。
そして積んであった石材が崩れて男に当たったようで、かなり出血してしまっている。
「うわ、痛そうだね。ルチアちゃん」
そう声をかけるがルチアから返事がない。
不思議に思い、ルチアを見るエルマ。
そして我が目を疑う。
エルマの口から八重歯……というにはあまりに鋭い“牙”のようなものが突き出ている。
そしてルチアは男が流した血を一心不乱にじっと見つめている。
「大丈夫ですか?」
エルマがハッとしてその声の方を見ると、金髪の女性冒険者が出血した男に回復薬を使っているところだった。
「ああ、すまねぇ。ありがとうよ冒険者さんよ。これは礼だ」
「いえ結構です。人助けは当然ですからね。では、私は先を急いでますので、これで」
そう言うと、さっさとその女性冒険者は去ってしまった。
そして改めてルチアの方を見るエルマ。
もう先ほどの“牙”は引っ込んでいる。
いや、きっと見間違いだ。
エルマは気を取り直して声をかける。
「ルチアちゃん、大丈夫?」
「う、うん。ごめんね。わたし、その、血が苦手で……びっくりしちゃったの」
「そっか。大丈夫ならよかった。でも気分わるそうだし、もう帰った方がいいかも」
そう提案するとルチアは頷いた。
「うん、ごめんね。また今度遊ぼうね」
「ううん、気にしなくていいよ。また今度ね」
骨董屋パニッツィがある裏路地までルチアを送り、また遊ぼうと約束して別れた。
エルマも家に帰ろうとした時一枚の張り紙が目に付く。
それは“吸血鬼”に対する注意を呼びかけていた。
中でも次の文章にエルマの視線は釘付けになった。
“少しでもおかしな事があったら遠慮なく僧兵までお知らせください。勘違いによる通報でも罪に問われる事はありません。通報者は僧兵が責任をもってお守りします。”
エルマはその文章を時間を掛けてじっくり読むと、まっすぐ家へは帰らずに僧兵の詰め所へと向かった。
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骨董屋パニッツィのある裏路地で二人の少女が別れた。
その光景をクルスはハルと一緒に物陰から見つめていた。
「マスター、エルマちゃんは僧兵の詰め所に通報に向かいました」
エルマ嬢の動向を《望遠ズーム》を使って監視していたハルが告げる。
それを聞いたクルスはひとまず安心した。
「よし、ここまでは“台本”通りだな」
「ええ、でも本当に危険なのはここからですよ。マスター」
「ああ、わかってるさ。それにしてもさっきは焦ったよ。あのガキ、消音機付きの銃声に気づきやがった」
クルスはルチアに血を見せる為に、男が曳いていた荷車の車輪を《リューグナー18》の銃撃で破壊したのだが、その時ルチアはクルスの居た物陰を見たのだ。
「ええ? それって大丈夫なんですか? まさかもうバレてるとか……」
「いや、俺の姿は見られていない。大丈夫だ。バレてはいない」
「なら、いいんですけど……」
「それよりもこれからの事を心配しようか。ハル“台本”は頭に入ってるな?」
「ええ、もちろん。そう言うマスターは?」
「あまり入っていない」
その言葉にずっこけるハル。
「え? ダメじゃないですか」
「いや、大丈夫だ。どうせ全部が全部台本通りとは行かない。むしろ即興の方が重要かもしれない」
「あ、私はそっち自信ないです。マスターのフォローに期待してます」
「おい、せめて努力する姿勢を見せろ」
「が、頑張るぞ~……」
力なく右手を上げるハル。
演技面ではあまり期待できないが、万が一チェルソ達と戦闘になった場合頼みの綱となるのは間違いなくハルである。
「ふぅ……、わかったよ。万が一の時は頼むぞ。ハル」
一転して真面目な表情で答えるハル。
「ええ、その時はおまかせください。尤も、そんな事態にならない事を祈ってますが」
「まったくだ。吸血鬼諸君が一流の役者である事を願おう。そろそろ行くぞ、ハル」
「はいっ」
そうして二人は骨董屋パニッツィへと歩き出した。
お読み頂きありがとうございます。
次話更新は 7月29日(土) の予定です。
ご期待ください。
※ 7月28日 後書きに次話更新日を追加
※ 8月18日 レイアウトを修正
※ 4月10日 一部文章を修正
物語展開に影響はありません。




