6.果ての光景
一夜明けて、いつものように奴隷達は領地を守る外壁の補修工事に従事していた。
休憩中に来栖はそれとなくラム爺に近付いて話しかける。
「ラム爺、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「ん? どうしたんだい、クルス」
声量を落として続きを話す。
トビーは離れた所で他の奴隷と談笑中だった。
「トビーとハンナ奥様ってさ、その、アレなのかね」
途端にラム爺の顔が渋くなる。
「どこで聞いた?」
「いや、推測」
「そうかぁ……。クルス、わかってると思うが屋敷の人間の前では……」
「うん、わかってる。ここだけの話だよ」
やはり来栖の推測の通り、あの二人すっかり“デキて”いた。
来栖の話を聞いたラム爺はひどく長いため息を吐き出すと話を続けた。
「まぁ、奴隷達の間でも暗黙のアレだからなぁ」
「やっぱり、そうなんだ」
「まぁ直接本人の口から聞いたわけではないんだがなぁ」
「いや、さすがに言いづらいでしょ」
「そうなぁ、こんな状況じゃなきゃ応援してやりたいんだがなぁ……」
「まったく、旦那様にバレたらどうなるか……」
しれっと心配するそぶりをみせる来栖だったが、バラそうとしてる張本人の言葉である。
来栖は作業中にもずっとトビーとハンナの事について考えている。
二人の事がマクニールに知れたら、この停滞した状況にも何らかの変化が訪れるだろう。
決して小さくないリスクと隣り合わせの手段ではあるが、他に手もない。
問題はマクニールは奴隷の視察の際あまりこちら側に近付いてこない事だ。
接触する機会はかなり少ないと考えていいだろう。
さらに来栖は他の奴隷達に密告現場を見られたくなかった。
心情的にも気分が良いものではないし、自分の身に危険が及ぶ事もあり得る。
最悪の場合、仲間を売った咎で私刑に遭う事も予想された。
さてどうやって旦那様に密告したものか。
そう考えていた来栖に早速好機が訪れる。
休憩明け、来栖は運良く台車押しの担当になれたのだ。
外壁の補強に使う石を仲間達が台車に載せるので、それを押して運ぶ作業だ。
大変都合の良いことに台車の進路の近くをマクニールが歩いている。
彼は尊大な態度で使用人と何事か話をしている。
そして、こちらにはあまり注意を払っていない。
タイミングを計って来栖は演技を開始する。
「あ、危ないです! 旦那様!」
来栖はわざと台車に乗っていた石をマクニールの目前にぶちまける。
それを後退して避けるマクニールと使用人。
次の瞬間、使用人が叫ぶ。
「貴様ぁ!!」
「た、大変申し訳ありません!!」
すかさず地に臥せって許しを請う来栖。
激昂した使用人が来栖の胸倉を掴み、殴打しようとしたその時だった。
「待て」
マクニールが鋭く言い放つ。
「そいつは私が直々に調教しよう」
そう言うとマクニールは来栖の髪を乱暴に引っ張りながら物陰へと連れて行った。
そして物陰に着くと口を開く。
「さて、貴様はこの私に何か話があるのだろう? 異民の奴隷よ」
彼は来栖の意図を読んでいたようだ。
ここは先ほどの作業場からは物理的に離れている。
なるほど密談には持って来いの場所である。
「はい、実は奥様の事でお話が……」
一瞬マクニールの眉がピクリと動く。
「ふむ、申せ」
「はい。非常に申し上げにくい事なのですが、奥様に、その……不倫の疑いが」
そこまで言ったところでマクニールの拳が飛んできた。
「貴様ぁ! 言うに事欠いて我が妻が、不義理を成しているというのか!」
さらに彼は腰にぶら下げていた皮袋を来栖に激しく打ち付けてきた。
ただの皮袋ではなく、中に砂と石でも詰めているのだろう。
ブラックジャックなどと呼ばれる、れっきとした武器である。
「貴様! よくも! よくも! よぉくもぉ!!」
尚もブラックジャックで殴打される来栖。
数十発もブラックジャックを叩きつけられ彼の意識は既に朦朧としている。
よもやこの男爵がこんなにヒステリックで脆い精神を有していたとは。
迂闊だった。
密告は悪手だったのだ。
うずくまる来栖に男爵は狂ったように殴打を繰り返し、それは止む気配がない。
もはや、拷問から処刑に段階が移行しつつある。
来栖が死を覚悟したその時、叫び声が聞こえた。
「クルスっ!!!」
トビーがこちらに走って向かって来ていた。
手に作業で使用していたスコップを携えて全力疾走してくる。
後ろには監視役の使用人が追いかけてきていた。
制止しようとして振り切られたのだろう。
「……ト……ビ」
たくさん殴られたおかげで口内の出血がひどく、うまく喋れない。
やめろ、ばか、トビー、こっちへくるな。
おれはおまえを売ったクズなんだ。
おれなんかのために命を捨てるな。
そうトビーに伝えたかった来栖であったが、それは叶わない。
この時になって初めて、来栖はこれ以上無いほどに自分の選択を後悔していた。
奥様に手を出したトビーがそもそも悪い?
トビーが空想世界の登場人物だからどうなってもいい?
自分が脱出するためには仕方ない?
じゃあ目の前のこの光景も仕方ないのか?
自問自答を繰り返す来栖の眼前でトビーがマクニールに襲い掛かる。
トビーの振り下ろしたスコップを左手で遮り、その痛みに顔を顰めながらも、マクニールは冷徹にブラックジャックで反撃をお見舞いした。
しなる皮袋はトビーのこめかみを直撃し、一瞬で意識を奪う。
糸が切れた人形のようにグラついて倒れるトビー。
そこからは、一方的なリンチであった。
マクニールとその部下数人がかりで殴る蹴るの暴行を受けたトビーは数分と経たずに、赤黒いボロ雑巾のようになって事切れていた。
「……あ……あぁ……」
来栖の頬を涙が伝う。
死んでしまった。
トビーが、親友が、死んでしまった。
その時、背後から女性の絶叫が響く。
「いやぁああああああああああああああああああ!!!」
ハンナが駆けつけて来たのだ。
奥様はトビーの骸にすがってすすり泣いていた。
その様子を心ここにあらずといった様子でしばらく見つめるマクニールだったが、やがて何も言わず足早に去っていった。
彼の眼中にはもう、来栖とかいうもう一人のボロ雑巾は入っていないようだった。
その後、まったく身動きの取れなかった来栖の事を奴隷小屋へは仲間達が運んでくれた。
小屋への道すがら、ラム爺がぽつぽつと語ってくれた内容によると、あの時来栖が連れて行かれた物陰から男爵の何かの叫び声とブラックジャックの叩きつける音を聞いたトビーは憤りを露わにしていたらしい。
「……あいつが……あんなやつがいるから、俺も、みんなも、ハンナも……ずっと、ずっと、こんなクソ溜めに縛り付けられて……!!」
などと一人でぶつぶつ呟くなり、トビーは使用人達を振り切り突っ走っていったとの事だった。
そしてラム爺はこう付け加えた。
「遅かれ早かれこうなる運命だったのかも知れない。お前は自分を責めるだろうけど、気に病んではいけないよ。クルス」
その慈しみに満ちた言葉を来栖はただただ黙って聞いていた。
応急手当てを受けた来栖にはミイラを思わせる包帯が雑に巻かれていた。
全身の痛みもひどく一睡もできない。
いや、違う。
先ほどから網膜にこびり付いて離れない光景があった。
トビーの骸とそれにすがってむせび泣くハンナだ。
それが物理的な痛みを伴って来栖を苛む。
停滞していたのは事実だった。
打開策がなかったのも事実だった。
だがしかし、もっと別に方法は無かったのか。
ほんとうに、何も、無かったのか。
寝付けずに横になって自責の念に駆られていた来栖。
ふと、何かが焦げ付く匂いが来栖の折れた鼻腔をつつく。
程なく何やらパチパチとまるで暖炉の薪が爆ぜるような音が聞こえてきた。
上体を起こして外の様子を窺っていると、突如使用人が小屋に来るなり大声で怒鳴った。
「お前ら! 起きて今すぐに表へ出ろ!!」
奴隷達が外へ出る頃には、木が爆ぜるパチパチという音は木材が勢い良く燃えるゴォーという音に変化していた。
音の方へ目を向けると赤く燃え盛っている屋敷が見えた。
少し離れたあたりには使用人や侍女が固まって呆然とした様子で、炎に包まれる自らの職場を眺めている。
その群集の中には、カール・マクニール男爵、ハンナ奥様両名の姿はなかった。
そして彼は強く心に刻む。
偏屈な来栖が想像して、創造したこの世界はとても残酷だ。
ここではすべての登場人物に幸せは保証されていない。
モブはもちろん、名前付きの人物でさえも、油断すればあっと言う間に死んでしまう非情な世界だ。
そしてそれは創造主の来栖といえども例外ではないだろう。
現実世界に早く帰らねばならない。
それが来栖自身の身の安全にも繋がるのだ。
そして何より、こんな悲しい結末を見せ付けられるのはもう二度と御免だった。
来栖は唇を噛み締めながら二人を呑み込んで燃える屋敷をずっと、ずっと眺めていた。
お読み頂きありがとうございます。
次話更新は 4月14日(金) の予定です。
ご期待ください。
※ 7月30日 行間を修正
※ 8月 8日 レイアウトを修正
※ 2月14日 一部文章を修正
※ 4月25日 一部文章を修正 後半に記述を追加
物語展開に影響はありません。