53.苦手な野菜
ダラハイド農場の敷地内にあるこじんまりとした小屋。
かつてクルスがジャニスさんの経理の仕事の代理をしていた時に借りていた小屋である。
クルス、ハルの冒険者両名とナゼール達プレアデス勢の三名は現在そこで寝泊りしている。
「あ”-……」
気だるさを全身に滲ませながらクルスは起き上がった。
もう既に日は天高く上っている。
どうやら寝過ごしてしまったらしい。
昨日、ナブアの村にて“グスタフ”並びにリザードマンの群れと戦いを繰り広げたクルス達。
一日寝れば体力も多少は回復するかと思ったが、甘い見通しだったようだ。
そっと音を立てないように立ち上がるクルス。
まだナゼールとレリアがぐっすりと眠っているのだ。
というよりも爆睡している。
この二人は昨日の戦闘では最前線でトカゲの群れの侵攻を遅らせるという、きつい役割をこなしてもらった。
今日はゆっくり寝てもらおう。
そう思ったクルスが辺りを見回すとハルとポーラの姿が見えない。
もうとっくに起きているのだろう。
クルスはぼさぼさの髪を軽く手で梳かすと、そっと小屋を抜け出した。
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ダラハイド農場の母屋にて。
現在そこの一室を借りてハルはポーラにマリネリス公用語を教えている。
クルスとナゼール、レリアの三人は昨日の疲れからか昼近くになっても起きてこないが、唯一ポーラだけは早くに起床した。
最前線で敵と戦闘していたナゼールとレリアや、魔術を継続使用して炎の壁を維持していたクルス達に比べればポーラは余裕のある役回りだったのであろう。
一方、ハルは人間の彼らと違ってその気になれば睡眠をとらずとも活動可能なのであるが、それだと食事をより多く摂取しなければならず非効率的である。
よって結局はスリープ状態にならざるを得ない。
いや、その前にまったく寝ないと怪しまれてしまう。
「あの、ハルさん」
ポーラが話し掛けてくる。
「ん? どうしました、ポーラさん?」
「ハルさんは、疲れ、は無い、んですか? きのう、はあんなに、動いてた、のに」
思い返せば昨日はハルはずっとトカゲの悪魔を相手に動き回っていた。
確かに普通の人間なら、消耗してヘトヘトになっていてもおかしくないかも知れない。
しかしアンドロイドであるハルは《フックショット》をどれだけ使ったところで、三半規管がおかしくなって眩暈を起こす心配もない。
だがそれをそのまま伝えるわけにもいかないので適当に話をでっち上げる。
もしハルが人間ではないとバレたら厄介ごとに巻き込まれる恐れもあるし、最悪これまで築いた人間関係が壊れてしまう心配もあった。
「そりゃあ、昔から鍛錬を積んでますからね。あの《フックショット》はきちんと訓練すれば体力の消耗は少なく済むんですよ」
などというハルの言葉にポーラはわかったような、わからないような曖昧な返事を返した。
「へええ……、すごい、ですね……」
そんな話を二人がしているところに、キャスリン奥様が入って来た。
「ハルちゃん、居るかい?」
「はい。どうされました、奥様?」
「昼食前にちょっと町へ買い物に行きたいんだけど、付き合ってくれるかい」
「いいですよー」
そこへポーラが遠慮がちに話しかけてくる。
「わ、私も、いいですか?」
「ええもちろん。それじゃあ、行きましょうか」
そうして町に繰り出す三人。
今回は食料品の買出しである。
燻製肉、パン、香草などを買い込む。
一通り買い終えたところで、見覚えのある女性の姿が目に付いた。
長めの茶髪を後ろに縛ってポニーテールにしている女性だ。
そして大荷物だ。
何やら武器を沢山担いでいる。
本人が昨日使用していたメイスに加えて、弓やら剣、そして木製のクロスボウだ。
材質こそ違うが、ルサールカでも稀に使用されている飛び道具を目の当たりにして、少し心が躍るハル。
欲しいなぁ。
などとハルが考えているとポーラが小声で話しかけてくる。
「ハルさん。あの人……」
「ええ。昨日、一緒に戦った冒険者の方ですね」
その時、先方もこちらに気がついたようで近付いてくる。
「あ、あの……ハルさん、ですよね?」
「はい、そうですが……あなたは?」
「あ、申し遅れました。私は冒険者フィオレンティーナ・サリーニといいます。昨日は助けていただき、ありがとうございました」
「いえいえ、そんな、たいしたことはしていません」
「本日は是非お礼がしたくて、リオネル様からこの場所を聞いて参りました」
と、丁寧に述べる女冒険者。
なるほど、リオネルからハル達の名前と居場所を聞いたのだろう。
するとキャスリンがフィオレンティーナに話しかける。
「ん、なんだい? あなたハルちゃんの知り合いかい。ねえ、せっかくだから一緒に昼食でもどうだい?」
「え、それは私としても非常に嬉しいのですが、よろしいのですか?」
「なーに、今更一人増えたところでたいした違いじゃないよ。それにあなただって、クルスちゃんにもお礼言っといた方がいいでしょ?」
キャスリンの提案は少々強引だとハルは思ったが、しかしフィオレンティーナは即答で了承する。
「はい、ありがとうございます」
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女冒険者フィオレンティーナはハル達に連れられてダラハイド農場に到着した。
この農場にあの黒髪の男クルスが居るらしい。
「フィオレンティーナちゃんは、苦手な野菜とかあるかい?」
農場の敷地を歩きながらキャスリンという婦人が聞いてくる。
この人はこの農場を経営しているダラハイド男爵の奥方であるそうだ。
「いえ、特には」
本当は茄子が苦手なフィオレンティーナではあるが、教会で長い時を過ごしていたせいか食べ物に関しての好き嫌いを表情に出さない癖がついていた。
時折教会では炊き出しが行われており、その日の食い物に困るような貧民も訪れる。
彼らの前で好き嫌いなど言おうものなら、炊き出しならぬ叩き出しが行われてしまうだろう。
「そうかい。それは良かった。……まあ、苦手な物があっても食べてもらうつもりだったんだけどね。アッハッハッハ!」
そう言って豪快に笑うキャスリン。
当然、農場なのだから自分のところの野菜には自信があるのだろう。
自慢の食材を味合わせるつもりのようだ。
そこへハルが唐突に話を振ってくる。
「ところでフィオさん。あ、フィオさんって呼んでいいですか? 長いんで」
一旦しれっと愛称で呼んでから、愛称で呼んでいいかと聞いてくるのが何ともずうずうしい。
だがそのずうずうしさはかつての仲間を思い出させるせいか、不思議と悪い気はしなかった。
「いいですよ。それで、何ですか?」
「はい、何やら武器を一杯背負ってますけど、それは一体……」
そう言っているハルの目はルーベンのクロスボウに釘付けのようだ。
「ええ、これは私には扱えない武器なんで、お世話になった方達にお譲りしようかと思いまして……」
「えっ? えっ? それってもしかして私たちのことですか?」
まるで十代の子供のようにはしゃぐハル。
その無邪気な様子は昨日の冷静な戦い振りとはかけ離れていた。
つかみどころの無い不思議な女性だ。
テンションの上がるハルをキャスリンが諌める。
「はいはい、武器の話は後にしてまずはお昼だよ。あんた達、手伝っておくれ」
気がつくと、男爵一家が暮らしていると思しき建物に到着していた。
促されて中にお邪魔する。
台所に町で購入した食材を並べ、料理の準備をするキャスリン。
ポーラという少女は鍋やら包丁やらの調理器具を準備している。
改めて獣人族の少女、ポーラを見やる。
昨日はじっくりと見る余裕がなかったが、今日改めて見るとやはり視線が釘付けになってしまう。
だがいくら珍しいとはいえ、あまりじろじろ見るのも失礼なのでこっそり盗み見るような感じになってしまうのだが。
一方、ハルは水を汲みに行った。
キャスリン曰く、多才なハルの唯一苦手な事が料理なのだそうだ。
なので、こういう場合はお手伝いに徹するのだという。
そうして食事の用意をしているところに一人の男が顔を出す。
黒髪の男クルスだ。
ついさっき起きたのだろうか、いささか眠そうである。
「おかえりなさい、奥様。ハルとポーラも」
「うん、ただいま。クルスちゃん。あの二人はまだ寝てるかい?」
「ええ」
「起こしてきてくれるかい? 疲れているとは言え、あまり寝すぎても体に毒だよ」
「わかりました。……あれ? あんたは」
そこで、ようやっとクルスはフィオレンティーナの存在に気づいた。
「マスター、この人はフィオさんです。昨日のお礼を言いに来たんですって」
と、ハルが紹介してくれる。
「ど、どうも……。フィオレンティーナと言います」
自分でもよくわからないが、緊張しながら挨拶をするフィオレンティーナ。
昨日助けられてから、何故だかこの男の事を考えると胸が高鳴るようになっていた。
対するクルスは至って普通に挨拶を返してきた。
「ああ、よろしく。クルスです」
お読み頂きありがとうございます。
次話更新は 7月8日(土) の予定です。
ご期待ください。
※ 7月 7日 後書きに次話更新日を追加
※ 8月11日 レイアウトを修正
※ 3月31日 一部文章を修正
物語展開に影響はありません。




