45.ブラックギルド
多くの人が行き交う貿易都市ドゥルセの冒険者ギルド。
荒くれ者の冒険者たちに依頼を割り振るのがその施設の役目であったが、今日はいつも通りに営業していなかった。
休み知らずの鉄人受付嬢・メイベルが高熱でダウンしたのだ。
それもギルドの受付業務の大半を娘であるメイベルに丸投げしたせいであろうか。
そう後悔しつつ頭を抱える男が一人いた。
メイベルの父であるギルド長ブライアン・ミルズである。
今日、彼は娘の代わりにギルドの受付業務を行う。
しかしブライアンもまったく対策を講じなかったわけでは無い。
冒険者崩れで現在は酒場の給仕をしているアンナに声をかけていたのだ。
急な相談だったにも関わらず二つ返事で了承してくれたアンナに感謝の念を抱きつつ、ブライアンは日頃娘が働いてる業務に臨んだ。
自分が普段やっていない業務は大いにブライアンとアンナを苦しめたが、何とか依頼に飢えた冒険者達を捌く事に成功する。
「ふう、これで一段落ですね」
共に受付をしていたアンナがブライアンに話し掛けてくる。
「そうみたいだな。悪りいな、アンナちゃん。急にこんな事頼んじまって」
「ギルド長。謝るなら私にじゃなくてメイベルちゃんに、ですよ。今までずーっとこれを一人でやってたなんて正気の沙汰じゃないですよ! ブラックですよ、ブラック!」
「あ? ぶ、ブラック?」
聞き覚えのない単語に面食らうブライアン。
「クルスさんが酒場で呑んでた時に言ってました。“このギルドはブラックだ”って。クルスさんの故郷では、働いている人を使い潰す職場のことをそう呼んでたそうですよ」
どうやらアンナは仲間の仇をとってくれたクルスとデズモンドの事を、とても尊敬しているようだった。
そのため酒場の給仕の際にも彼らとはよく話しているらしい。
しかしあの異民め、変な知識を吹き込んでくれたものだ。
「う、そ、そうか……。気をつけよう……」
ブライアンも勿論、娘を使い潰す気などさらさらなく、生粋の働きたがりであるメイベルの自由意志を尊重しただけなのだ。
現に、今日も高熱にも関わらずギルドに行こうとするのを引き止めたくらいである。
だが娘の意思を尊重するだけでは父親失格なのかもしれない。
「そうですよ。子供を休ませるのも親の仕事です」
そう力説するアンナ。
思えば、このアンナという元冒険者も随分ここに馴染んだものだ。
酒場で働き始めた頃は仲間の死を引き摺っている暗い女性だったと記憶しているが、随分と明るくなったものである。
折角の機会なので、ブライアンは昨日からずっと考えていた事を口にする。
「なあ、アンナちゃんよ。一つ頼みがあるんだけどよ」
「なんですか?」
「このまま受付をやってくれねえか? 酒場の給仕じゃなくてよ」
ギルドの受付は人気が無い仕事の筆頭である。
冒険前の気が立っている荒くれ者達の相手をしたがる酔狂な人間は珍しいのだ。
まだひと仕事終えて緩みきった連中を酒場でもてなす方が、精神的には楽である。
ブライアンもアンナが了承するとは思っておらず、ダメ元でのお願いだった。
ところが返ってきたのは快諾の返事だった。
「え? 良いですよ」
「おっ、本当にいいのか?」
しかしそんなうまい話は転がってないのだ。
「でも料理長にはギルド長から許可とってくださいね。あの人が給仕を引き抜かれる事を、良しとするとは思えませんが」
料理長。
すなわちブライアンの奥方であるアマンダ・ミルズだ。
彼女はギルドに併設されている酒場を取り仕切るボスである。
荒くれ者の集まる酒場をまとめているだけあって、とても気の強い女性であり夫であるブライアンはいつも尻に敷かれている。
大きなため息を吐きながらブライアンは呟く。
「……一応、交渉してみよう」
「そうですね。夫婦でよく話し合ってみてください」
そんな話をしているとギルドの扉が開かれる。
先ほど話題にも上がった男、クルスとその相棒のハル。
その後ろには先日ブライアンも見た浅黒い肌の異民達もいる。
彼らと会うのはサイドニア王城以来だ。
受付に座るブライアンの姿を見たクルスが話しかけてきた。
「あれ、ギルド長。どうしたんですか? 受付なんかに座って」
「どうもこうもねえよ。娘が寝込んでしまってな」
「えっ、あのメイベルさんが?」
驚愕に満ちた表情をするクルス。
「だから俺がこうやって受付に居るんだろが。アンナちゃんにも手伝ってもらってな」
「そうなんですか。あ、そういえば俺、アンナさんに言わなきゃいけない事があって」
急にクルスから話を振られてびっくりした様子のアンナ。
「へ? 私に?」
「ええ。実はアンナさんのお仲間の形見のハンドアクスなんですが、壊されてしまって」
その言葉でブライアンは思い出す。
王都での“殺人鬼”と冒険者達の戦闘現場からどろどろに溶解した斧が見つかったとの報告があった。
たしか、その斧は宮廷魔術師が鑑定にかけるため城に送られたはずだ。
申し訳無さそうにしているクルスにアンナは優しく声をかける。
「いえ、クルスさんが無事でしたら私は全然構いませんよ」
「そう言ってくれて助かります。あのハンドアクスが無ければ俺は死んでました。きっとお仲間が守ってくれたんでしょう」
そう神妙に告げるクルス。
この男がそんなオカルトを信じる程の信仰心を持ち合わせているとは思えなかったが、おそらくアンナに気を遣ってるのだろう。
そして“殺人鬼”という言葉でブライアンは思い出した。
彼にはこのクルスとハルに渡す物があったのだ。
「おいクルス。この前の殺人鬼の討伐の件で王都から報奨金が届いてるぞ」
「えっ。という事は……」
「ああ、ラム爺とやらが実在したって裏はとれたってことだな」
「じゃあ、奴がどんな邪教に入っていたとか、何の薬物を使っていたとかは……」
クルスが前のめりになって聞いてくる。
咽から手が出るほどその情報を欲しているらしい。
「いや、そっちの方は依然わかっていない。その情報を募る意味でも今回の“人が魔物に変じた”っていう事はちゃんと公表するらしい」
「そうですか。情報が集まる事に期待、ですね」
「そうそう、“果報は寝て待て”ってな。ちょっと待ってな。今、金庫から報奨金取ってくるからよ」
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クルスは、たった今ブライアンから得た情報を吟味していた。
てっきり今回の“人が魔物に変じた”というショッキングな出来事は、隠匿されるものだと思っていたが予想外である。
むしろ情報収集の為に公表するというのは中々に良い手かも知れない。
サイドニア国王ウィリアム・エドガーはクルスの設定通りに聡明な男であるようだ。
問題はあの時ラム爺が摂取した薬物とバルトロメウスを信仰する邪教の存在が未だ不透明である、という事か。
これらはクルスが設定したわけでは無い事象なので、自分で足を使って情報を集める必要もありそうだ。
やがてブライアンが受付へと戻ってくる。
「ほれ、これが報奨金。レジーナ達の分は引いてある。あとはお前らと農場の護衛のダリル、だっけか? そいつと分けてくれ」
「はい」
「そんでこれが、王様から頂いた当座の資金な」
これが、今日クルスがドゥルセに来たもう一つの理由である。
クルス達が語学を教えている間、生活に困らないようにという国王エドガーの配慮であった。
ブライアンから受け取った金貨をクルスが数えていると、更にブライアンが何かを渡してくる。
「で、これが“おまけ”だ」
そう言ってブライアンが手渡してきたものは少々意外なものだった。
冒険者用のタグだ。
「ほれ、新しいタグだ。クルスは“銀”に昇格。ハルちゃんは“銅”な。おめでとさん」
「え、まだ貢献点たまってないはずですけど……」
殺人鬼討伐はギルドの依頼ではなく、王都が懸賞金を懸けていたので貢献点の対象にはならないはずであった。
「これも王様の差し金だからな。“殺人鬼討伐の功績を反映してやれ”ってさ。ま、あの人もお前らとは仲良くしたいと思ってくれてるんだろうさ。今度お礼言っとけよ」
「ええ、そうします」
そしてギルドを出る一行。
思わぬ臨時収入が入った上に昇格までできた。
自然とほくほく顔になるクルス。
更に懸案事項だったポーラもハルの一言で随分とすっきりした表情になった。
今回プレアデス勢をドゥルセに連れて来たのは正解であったようだ。
そう思いながらクルスはバーラムへと向かう馬車を手配する。
ナゼール達と幌付き馬車の中へ入り、目の良いハルに御者の隣に座るように頼んだ。
そうして馬車に揺られながらクルスがナゼール達と雑談していると、御者の隣に座っていたハルから声がかかる。
「マスター、前方から人が来ます。見たところひどい怪我を負っているようですが、どうします?」
「……こんな場所でか?」
もう既にドゥルセからは結構離れた場所である。
近くには小さい村があったような気もするが、思い出せない。
少し考えてクルスは御者に声をかけた。
「止めてくれ」
「かしこまりました」
御者が馬の手綱を引き、馬車を停める。
クルスが降りて前方を見やると、血だらけになった母子と思しき二人連れが息も絶え絶えの様子でこちらに来るところだった。
その親子はクルス達の姿を認めると、縋る様な口調でこう言った。
「お、お願いです、冒険者さん。私たちの村を、助けてください……」
お読み頂きありがとうございます。
次話更新は 6月1日(木) の予定です。
ご期待ください。
※ 5月31日 後書きに次話更新日を追加
※ 8月11日 レイアウトを修正
※ 3月21日 一部文章を修正
物語展開に影響はありません。




