36.あの時、お前を
「あ、マスター! 席、ちゃんと確保しましたよ」
「うん。ご苦労さんハル」
なんてこった……。
なんであの黒髪がこんなところに。
レジーナは忸怩たる思いで黒髪の異民を見やる。
その時レジーナの隣に座っていた相棒・コリンが気づいて声をかけた。
「あ、クルスじゃん!」
「おおコリン先輩。元気か?」
急にコリンの事を“先輩”付けで呼ぶクルスにレジーナは少し驚く。
レジーナが魔物の毒を受けて床に臥せっている時に一緒に仕事をした事は聞いていたが、それにしても随分と仲良くなったものだ。
急激に疎外感を感じるレジーナ。
そんな彼女をよそに二人の会話は続く。
「うん僕は元気だよ。あ、クルス“銅”になってるじゃん。良かったね」
「そういう先輩も相棒が復活して良かったな」
などと言ってこっちを見てくるクルス。
黙っていても仕方ないので声をかけるレジーナ。
「……よぉ」
「ああ、マンティコアの毒は抜けたか?」
「……おかげさまでな。で? 王都に何の用だよ? こんな物騒な時に」
「旦那様の護衛だよ」
護衛の依頼か。
どうやら農場を出てから多少は経験を積んで一端の冒険者になったようだ。
そこに横からコリンが口を挟む。
「ところでその女の人とパーティ組んでるの、クルス?」
「ああ」
「ふーん、その人さっきは凄かったよね。ごろつきどもをあっさり追い払っちゃってさ」
「……追い払って?」
「うん。“そこはマスターの席だー、どけー”って」
「……おい、ハル?」
そう言って胡乱げな表情で女を見るクルス。
あの女性はハルというらしい。
ハルはクルスに向けて自己弁護を開始する。
「い、いやっ違うんですよ! 決してその、ぼ、暴力沙汰ではなくてですね。正当な、防衛的な、そのー……」
さっきの毅然とした態度が嘘のように、しどろもどろになるハル。
そこへ店主がフォローを入れる。
「この子の言ってる事は本当さ。悪漢どもに絡まれてそれを返り討ちにしたんだよ。衛兵が来る様な事態にはならないさ。あいつらが“食堂で女の子一人に絡んだけど逆襲されて逃げだしてきた”って衛兵に訴えれば別だがね」
「なんだ、そうだったんですね。ご迷惑をおかけしました」
「いやいや、中々に愉快な見世物だったよ」
そう言って可笑しそうに笑う店主。
クルスはハルに向けて注意する。
「ハル、それならそうと言ってくれ。心配になったじゃないか」
「うう、ごめんなさいマスター……」
そこへ農場の護衛ダリルが一言。
「おーい、いい加減メシ注文しようぜ」
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静かな王都で夕食にありつくダラハイド男爵の一行。
こじんまりとした食堂での食事に舌鼓を打つクルスたち。
中でも男爵とダリルはご満悦である。
「いやー、食った食った」
「うむ、美味であったな」
クルスも夕食の出来には満足していた。
だが一方でハルは、いつもの食いしん坊ぶりは影を潜めている。
そして真剣な表情でクルスに提言してきた。
「マスター、あんまり遅くなると危険では?」
どうやら彼女は“殺人鬼”の事が気がかりであるらしい。
クルスはハルの提案を受け入れて男爵に告げる。
「たしかにな。旦那様、そろそろ宿へ向かった方が賢明かと」
「そうだな。よし行くぞ、皆。主人、勘定を置いていくぞ」
立ち上がる一行に食堂の主人が頭を下げる。
「はい、またお越しください」
その時ふとレジーナ達の事が気になったクルスは彼女に声をかけてみた。
「そういえば二人はさっきからずっと居るけど、宿に戻らないのか?」
「ああ、あたしらは今夜はここの用心棒さ。店が閉まるまでは戻らねえよ」
「そうか。じゃあ、またな」
「おう、あの時の借りはいずれ返してやるからな。それまで死ぬなよ」
拳闘会の事をまだ根に持っているようだ。
コリンは水に流してくれたのだから、レジーナもいい加減忘れてくれないだろうか。
クルスは小さくため息を吐き出すと歩き出す。
そして店を出る一同。
店の外はもうすっかり真っ暗で、ひと気がまったく無い。
まるで住人全員が消失してしまったような静寂さだ。
剣呑な街の気配に表情を厳しくしながらも、ダリルが努めて明るい声を出す。
「さーて、さっさと宿に向かおうぜ。おっかねえ奴に出会いたくねえしな」
「同感です、ダリルさん」
いつもより大分真面目な様子でハルが同意する。
もう既に“目”を光らせているのだろう。
ハルの目は望遠ズームの他に、暗視と温度感知を備えている。
異常があれば、すぐ気づくだろう。
そうして誰も居ない道を進む一行。
不気味な静寂の中、自然と口数が減り無言で宿を目指す。
もうすぐ宿だ、というところでボロ切れの様なフード付きローブを纏った男が近付いてくる。
物乞いだろうか。
警戒を強める護衛の三人。
ダリルが物乞いの前に立ちふさがる。
「おい、止まれ」
だが、物乞いは聞こえているのかいないのか、無視してダリルに近付いてくる。
そしてしわがれた声で言う。
「め、恵んでくだせえ。くいも、食い物を。おねげえです。おねげえです」
「ちっ、これやるからとっとと失せな」
そう言って金貨を放り投げようとするダリル。
その瞬間、ハルが駆け出し突進しながら叫ぶ。
「ダリルさん! 避けて!!」
その声を聞いたダリルが咄嗟に左に回避動作をとる。
物乞いが隠し持っていたカタールによる刺突を、ハルが《パイルバンカーE型》で受け止める。
ギィンという乾いた金属音が響く。
奇襲に失敗した物乞い……いや殺人鬼が曲芸師のような動作で後ろに飛びずさる。
飛びずさって着地したと同時に投げナイフを投擲してくる殺人鬼。
ハルとダリルは回避に成功。
唯一反応できなかった男爵だったが、クルスがターゲットシールドでナイフを叩き落とす。
「ダリル! 気をつけろ! 毒が塗ってある!」
「わかった!」
毒に耐性の無いダリルに注意を促すクルス。
そして自分は手早く《印術》を発動する。
毒性の物質に対する耐性を高める《活力》のルーンだ。
その会話を聞いてか、殺人鬼は戦法を変える。
十八番の武器である鎖鎌を取り出した。
鎖鎌は小型の鎌に長い鎖、そしてその鎖の先に重しとなる分銅を取り付けた武器である。
分銅の付いた鎖を相手の武器に絡ませて封じた上で、鎌による一方的な攻撃を行うのだ。
しかし、現在の状況は三対一。
殺人鬼が一人の武器を封じたところで他の二人の攻撃が飛んでくる。
普通に考えたら奇襲に失敗した段階で撤退を考える状況である。
しかし、この悪役を設定したクルスには分かる。
こいつは絶対に退かない。
歪んだ宗教観に支配されているこの男は自分の死すら恐れていないのだ。
とするとこいつの次の狙いは何だ。
頭の中の引き出しを引っ掻き回すクルス。
ひゅんひゅんと音を立てて鎖を回している殺人鬼。
そうか、あれは“釣り”で狙いは別の何かだ。
お互いに出方を伺い動けない中、ふと殺人鬼の足元に目が行くクルス。
月明かりに照らされて紅紫色の粉末の入った小瓶が見えた。
靴に仕込んでおいて、どさくさ紛れにさりげなく落としたのだろう。
あの小瓶は以前見た事がある。
デズモンドと子鬼の巣窟に向かった際に使用した強力な眠り薬“狸の小剣”だ。
殺人鬼が右足を後ろに引く。
小瓶を蹴るつもりだ。
あの中の粉末を吸ったら昏倒してしまう。
「ダリル! 息を止めろ!」
クルスが叫んだ瞬間、殺人鬼が蹴った小瓶が割れて中の粉末が舞ってくる。
即座に《風塵》を発動し粉末を飛ばすクルス。
一方、昏倒の心配の無いアンドロイドのハルは粉末を意に介さず突っ込む。
その突進に面食らったか、殺人鬼の動きが一瞬止まる。
これを殺人鬼を仕留める好機と見たか、《パイルバンカーE型》での一撃必殺を狙うハル。
拳を突き出し杭を射出させるが、すんでのところでかわされてしまう。
だがハルは構わずに電撃を放出する。
杭との位置が近すぎたせいで電流に痺れてしまった殺人鬼は、よろけたところをハルに取り押さえられてしまう。
クルスはハルに叫ぶ。
「ハル! そいつの両手を押さえろ! まだ何か隠し持っているぞ!」
「もう押さえてます!」
今回もハルのお手柄だった。
やれやれ、これで一安心か。
いや、まだ油断はできない。
この危険人物を衛兵に突き出さなくては。
そう思っているとダリルがクルスに指示を出してくる。
「おいクルス。この野郎は俺とハルちゃんで見張っておくから詰め所に行って衛兵を呼んできな」
エストックを殺人鬼に突きつけながらダリルが言う。
わかった、とクルスが言いかけたところで殺人鬼が口を開いた。
「……クルス、懐かしい名前だねぇ」
さっきのしわがれた声ではなく、今度ははっきりとした老人の声。
クルスの聞き覚えのある声だった。
この声はまさか、そんな……。
クルスは激しく狼狽した。
クルスがこの空想世界に来たばかりの頃、マクニールの元で働かされていた時にトビーと共にクルスに言葉を教えてくれた親切な好々爺の奴隷仲間の声だ。
クルスがマクニールに半殺しにされた時も彼は手当てをしてくれて、優しい言葉もかけてくれた。
その彼が何故……。
信じられない思いで殺人鬼に問いかけるクルス。
「……あんた、ラム爺か?」
「うん。久しぶりだねぇ、クルス。こんな事になるならあの時、お前を殺しておけば良かったよ……」
用語補足
カタール
北インドで使用されていた独特の形状を持つ両刃の短剣。
握りこぶしの先端に刃先が向く構造になっており、刺突に特化している。
本来の名称はジャマダハルだが、十六世紀の書物の挿絵ミスにより間違って西洋に広まってしまった。
なお非常にどうでもいい余談だが、作中で殺人鬼のジャマダハルによる刺突を邪魔したのがハルだったのは単なる偶然である。
お読み頂きありがとうございます。
次話更新は 5月14日(日) の予定です。
ご期待ください。
※ 8月11日 レイアウトを修正
※ 3月 9日 一部文章を修正
物語展開に影響はありません。




