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アマルコルド -私は忘れない-  作者: 利府 利九
第一章 Thoughts Of A Dying Novelist
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3.マルテの森にて



 漆黒の森、その奥深くから重厚な足音を響かせて現れたのは、体長三メートルはありそうなオーガであった。


 オーガは筋肉質の巨体を有し、体には何らかの呪術的文様が血のような赤黒い塗料で塗りたくられ、手には“その辺の大木をそのまま引き抜いて棍棒っぽく体裁を整えた武器”が握られていた。

 そして一本ヅノの生えた頭部では凶暴さを滲ませた双眸が、ギラギラと来栖の乗っている車を睨みつけている。


 その脇を固めるはゴブリンが四体。

 さっき逃げ出した個体も居るのだろうか。

 しかしながら来栖には区別はつかなかった。


 何にせよ、とんでもない化け物を引き連れて戻ってきてくれたものである。

 当然、ここは逃げの一手だ。


 そう腹を決めた来栖はオーガ達に近付かれる前にアクセル全開で逃走を試みた。

 するとその瞬間、オーガ達も全力疾走を開始する。

 だが流石に車の方が速度では勝るせいか、距離が開いてきた。


 しかし油断は出来ない。

 来栖が現在走っているのは森の中の道といっても現代日本のようにちゃんと整備されたものではなく、人の往来があった結果自然とできた道らしかった。


 夜間の全力走行は事故のリスクの方がが大きいと思われた。

 しかしそれでも捕まるよりはずっとマシだ。


 ふと、オーガが走るのを止める。

 

 良かった、追跡を諦めてくれた。


 そう来栖が安堵したその時。

 オーガは右手を引いて身を屈める。

 そして手にした武器を投擲してきた。


「まずい!!」


 慌ててハンドルを切って回避を試みる来栖。

 もしあんなものが直撃すれば、当たり所が悪ければ即死。

 良くても即死だ。


 重い風きり音と共にオーガの持っていた巨大な棍棒が飛来する。

 凄まじい衝撃が車を揺らす。


 直撃は免れたが今の衝撃で右のリアタイヤが完全にいかれた。

 真っ直ぐ走ることが出来ない。


「くそ! 誰だ! あんなクソモンスターを設定しやがった奴は!」


 そう来栖が毒づいた次の瞬間、左側面から石つぶての雨が降ってきた。

 助手席の窓が割れる。


 伏兵だ。

 あのオーガは単なる脳筋ではない。

 来栖が逃げる地点に、予めスリングショットで武装したゴブリンを配置していたのだ。


 いよいよ逃げ得る可能性が小さくなってきた。

 今流行りのライトノベルなら、ここらで主人公の秘められた能力ちからでも覚醒するのだろうか。


 しかし自らの作品世界でそういう要素を悉く否定してきたのは他ならぬ来栖自身だ。

 そのツケを払う時がきたのか。

 そんなツケは払う必要がそもそも無いんじゃあないか。


 などと現実逃避ならぬ空想逃避に逃げたのは時間にしてほんの数秒、いや一秒未満の短い時間だったがそれが命取りだった。

 気がつけば森は途切れておりそして目の前には断崖絶壁。


 渾身の力でブレーキを踏みつける来栖。

 しかし時既に遅くスピードの乗った車体は崖下に吸い込まれていった。


「……うっ……!!」


 多くの人間はこういう時に“うわああぁぁーー!”などという気の利いた叫び声を発する余裕は普通は無いものであり、もちろん来栖もその一人だった。

 とことん画にならないリアクションをしつつ、来栖は真っ黒な夜の海に吸い込まれる。


 視界一面に見えたその海は、さながら深淵への入り口であった。


 海に投げ出された衝撃は強烈だったが、崖の高さは意外と無かったせいか気を失わずに済んだ。

 来栖は急いでシートベルトを外し、先ほど“親切な”ゴブリンが割ってくれた助手席の窓から脱出する。


 水中で車のドアが開くわけがないので、もし割られていなかったら終わりだった。

 脱出する際に窓ガラスで体のあちこちを切ってしまったが、致し方ない。


 夜の海は思ったよりもかなり冷たく、おまけに危険な着衣水泳である。

 来栖は幼少の頃に嫌々通わされたスイミングスクールでの着衣水泳の訓練を思い出す。


 洗濯をする親御さんに配慮してか、Tシャツと水着のみ着用の訓練であり、子供心にも“果たしてこれは意味があるのか”と疑わしく思った訓練であった。


 おそらく、あまり意味は無かったのだろう。

 現に、いま実践している着衣水泳の負荷はその時の比ではない。


 できればさっさと岸に行きたいところではあったが、最短距離の岸にはおそらく奴らが待ち伏せている。

 危険なことは百も承知だが、迂回して安全な岸を探す他ない。

 懸命に平泳ぎで進むが、水温の冷たさと着衣の負荷は無情にもどんどん体力を奪っていく。

 おまけに窓ガラスで出血もしている。


 来栖にとって今の状況は死に方を選んでいるようなものだった。

 さっさと最短で岸に行ってオーガに頭をカチ割ってもらうか、海で緩慢な衰弱死に向かって泳ぐか。

 しかしそれでも僅かながら生存確率が高そうな後者を来栖は選ぶ。


 どれほど泳いだことか。

 時間の感覚はとうに無く視界もくらく滲んできた頃、来栖は岸に辿り着いた。

 その岸が安全かどうかすらもはや興味はなく、単にこれ以上泳いだら死ぬという判断であった。


 陸に上がると、とりあえずはあの森を抜けたらしい事がわかった。

 見ると前方には平原が広がっている。


 その平原には土がむき出しになっている道があり、おそらく日中はそこを人や馬車が通るのだろう。

 その道を進む他なさそうだ。

 問題は体力の限界がもう近いということだろうか。


 冷たい海を泳いだ代償は大きく、体の震えは止まる気配が無い。

 血を失ったせいもあり、意識を保つのも難しくなっていた。


 そんな中、しばらく進むと遠くの方に明かりが見えてきた。

 小屋だろうか。


 もしくは死に掛けの意識が願望を幻として見せているのだろうか。

 フラフラの足取りで前へ進む。


 この際、幻だって構わない。

 もうすぐだ。もうすぐで、着く……。


 そう思いながら一歩を踏み出した来栖は前のめりに倒れこんだ。




-----------------




 全くついていない。

 守衛は独りぼやいた。


 ここは付近の住民から漆黒の森などと渾名されている『マルテの森』を監視している小屋である。

 しばらく前からあの森には凶悪なオーガがゴブリンを引き連れて住み着いており、付近の町・村にとっては頭痛の種であった。


 そんな森の夜間監視・警戒任務など明らかに貧乏くじを引いたようなものである。

 週代わりの担当に過ぎないとはいえ、気が重い。

 いつもであれば相棒が話し相手になってくれるのでそれで暇を潰せるのだが、やっこさんは“呑みすぎた”などと抜かして先ほどから寝息を立てている。 


 だいたいあんな危険な森に、それも夜間に近付くバカがいるわけがない。

 そう守衛が考えたその時。


 どさっという何かが倒れるような音が聞こえた。

 衛兵は瞬時に長年愛用しているロングソードとバックラーを構え、外の様子を伺う。


 他に物音は聞こえない。

 幸せそうに惰眠を貪っている相棒を小突いて起こす。


「物音がした、警戒しろ。」


 と小声で注意を促す。

 相棒がショートスピアを構えたのを見て、慎重に小屋の扉を開ける。


 見ると、足元にずぶ濡れになった黒髪の男が倒れていた。


 思わず相棒と顔を見合わせる。

 衛兵はその黒髪の男を揺すってみた。

 すると男はひどく衰弱した様子で、しかし声を振り絞るようにして


「■■■■■■■」


 と言った。


 言葉はわからなかったが、男の持つ切迫した雰囲気を感じ取った衛兵とその相棒は、男の怪我の応急手当をしてやる。

 更にずぶ濡れだった男に着替えをくれてやり、城勤めの同僚が土産に寄越したカプリ村産の紅茶も与えた。


 すると男はたいそう感激した様子で、


「■■■■■■■■■■」


 と言うと、気を失うように眠ってしまった。

 寝息を立てる男を見ながら相棒が口を開いた。


異民いみんかね。こいつは」


 その推測は至極真っ当なものだ。


 ここいらでは見ない服装に聞いた事も無い言語。

 十中八九、『危難の海』を渡ってきた異民であろう。

 ここマリネリス大陸でも異民の報告は少数ながら挙がっており、この黒髪の男もそうだと思われた。


「……どうするんだよ、こいつ」


 相棒が尚も問いかけてくる。

 守衛は難しい表情で返答した。


「“商人”に引き渡すしかあるまい」

「おいおい、それはあんまり不憫に過ぎるんじゃねぇのか」

「ならばお前が引き取って面倒を見るか? 言葉の通じないこの男を?」

「……無理だな。うちにそんな余裕はねぇ」

「俺もだよ、相棒。気にするな、悪いのはお前だけじゃない」


 こうして彼らはこの男を“商人”に引き渡す事を決意する。


 サイドニアではほとんどの場合、異民は奴隷として扱われた。



お読み頂きありがとうございます。


次話更新は 4月11日(火) の予定です。


ご期待ください。


※ 7月30日  行間を修正

※ 8月 8日  レイアウトを修正

※ 1月22日  一部文章を修正

※ 6月 1日  一部文章を修正

物語展開に影響はありません。

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