203.続・決戦
ノアキス大聖堂の礼拝堂跡地にて。
二匹の竜の体が燃えた後に灰となり、それが辺りに堆く積もっている。
その上で二人の男が剣で切り結び合っていた。
金属同士がぶつかる音がキンキンと鳴って、その甲高い音が静かな大聖堂に響き渡る。
ハルマキス出身のエルフの冒険者イェルドは、ザルカ皇帝リチャード・ダーガーを相手に白熱した戦いを繰り広げていた。
リチャードの細身の長刀による攻撃を、右手のレイピアと左手のランタンシールドをうまく使っていなしている。
幸いにして致命傷は貰っていないものの、掠り傷を二つほどこしらえていた。
一方のリチャードは両手で長刀を振るっており、盾や補助武器を一切使っていない。
攻撃も防御も全て刀で済ませており、その技量の高さをイェルドは肌で感じる。
一般的には武器というものは長ければ長いほど、大きければ大きいほど扱うのが難しくなる。
そのような大型武器を自由自在に扱う者こそが一流と呼ばれる存在であり、そういう観点で言えばリチャードはまさしく一流の刀使いであった。
イェルドは戦いながら思考する。
相手の分析は戦闘の結果を左右しかねない重要な作業だ。
なぜ国を統べる立場のこの男がこれほどまでの武力を手にしているのか。
信頼に足る部下がいるのであれば、そいつに戦闘を任せて自分は後方で安全に指揮がとれた筈だ。
それをせずにこうして前線で死闘を演じているということは、おそらく彼は自分以外の誰も心の底からは信用してはいないのだろう。
イェルドが戦いながら分析していると、不意に体が重くなる感覚を得る。
そして動きが鈍り、だんだんと防戦一方になっていくイェルド。
刀による斬撃を防御するだけで手一杯となり、散弾銃の装填の暇すらない。
どういうことかとリチャードの刀に目を凝らすと、その刀はうっすらと瘴気を纏っていた。
そのどす黒い霧にまるで生気でも吸い取られているようだ。
もしかすると先ほど受けたかすり傷がよろしくなかったのかもしれない。
その傷から体温が無くなっていくような薄ら寒さを感じるイェルド。
その時、イェルドは地面に積もった灰に足を取られる。
足を滑らしてバランスを崩したのは僅かな時間であったが、それが命取りであった。
イェルドはリチャードの刀をかわせず右手で受け止める。
彼はコリンとは違いガントレットをつけていたので、腕を切断されるような事にはならなかった。
だが先ほどのかすり傷とは異なり、刀の鋭い刃が腕を深く傷つけた。
その傷で更に瘴気が入り込んできたようで、イェルドは徐々に気が遠くなってくる。
重度の貧血に陥った時のようにゆっくりと視界が黒くなり、足元もおぼつかない。
やがて立つこともままならなくなって、地に膝をつけるイェルド。
非常にもどかしい思いだった。
まだ自分の闘志は消えておらず、心も折れていない。
それなのに体がいうことを聞かないのだ。
悔しさを顔に滲ませながらリチャードを睨みつけるが、彼は無表情に言っただけだった。
「終わりだ、エルフよ。我が覇道の前に屈するのだな」
そう言ってリチャードは無慈悲に長刀を振るう。
イェルドが生を諦めかけたその瞬間、背後から声が聞こえてきた。
「イェルド!! 伏せろ!!」
次の瞬間、レジーナの投擲したマンゴーシュがこちらに飛んできた。
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レジーナの投げたマンゴーシュを刀で弾き返すリチャード。
その隙にレジーナはイェルドの前に躍り出る。
そしてリチャードの前に立ちはだかった。
「イェルド、時間稼ぎありがとよ」
「構わんさ。それより奴の刀に気をつけろ。生気を吸い取られてるようだ」
「ああ、わかってる。お前は下がれ、イェルド。後はあたしがやる」
「ふん、死ぬなよレジーナ」
不死者のようによろよろとした足取りでその場を離れるイェルド。
彼を見送ったレジーナは、リチャードが弾いたマンゴーシュを足で救い上げるようにしてキャッチした。
そして左手に“鉄板”、右手にマンゴーシュといういつものスタイルに戻す。
変則二刀流の構えをとったレジーナに、リチャードが話しかけてきた。
「お前が赤い竜か」
「だったらどうした」
「ふうむ、となるとお前がカルヴァートの娘なのだな……ふふふ」
レジーナに油断なく刀を向けながらも、何かを思い出して笑うリチャード。
それはレジーナの癇にひどく障る笑いであった。
「何がおかしい!!」
「いや、なあに。只の思い出し笑いだ」
「思い出し笑い?」
「そうさ。お前の両親の仇はグスタフ・バッハシュタインという男なのだが、その男はもういない。私が殺してしまった。ふふ、すまないな」
それを聞いたレジーナはため息をつく。
「そうか、貴重な情報をありがとよ。ささやかなお礼として、この剣をお前にぶち込んでやるぜ。でかい剣と細い剣、どっちの剣が良い? 選べよ」
「ふっ。どちらも要らんなっ!!」
その台詞とともに地を蹴ってこちらに肉薄してくるリチャード。
レジーナはその尋常ではない剣速の攻撃を鉄板でがっしりと受け止め、マンゴーシュで“後の先”を狙う。
だがリチャードはマンゴーシュの反撃も刀で器用に受け流し、再び距離を取る。
イェルドと戦っていた時とは異なり、リチャードは慎重だった。
コリンの魔術《魔刃》でエンチャントされたレジーナの二本の剣は青白く光を放っている。
そのおかげで切れ味が向上している剣の一撃を受ければ、たとえリチャードでも只では済むまい。
これはお互いに一太刀も貰えない中での一発勝負の戦いであった。
レジーナは再び直感する。
次の交錯がこの戦いに終止符を打つことになる、と。
レジーナはすぅーと息を吐き、呼吸を整えると澄んだ目でリチャードを見つめる。
覚悟は済んだ。
無心の境地だ。
レジーナは自分から踏み込む事はせず、敢えてじっと相手の攻撃を待つ。
一方のリチャードはレジーナの佇まいを見て少なからず困惑しているようだった。
両の手に全く力を入れず武器を握っている彼女の姿は、僅かな穴も無い鉄壁の要塞のようであり、そして同時に隙だらけでもあった。
そんなレジーナを見て大いに困惑したリチャードだったが、とうとう腹を括ったらしい。
刀の切っ先を上げて刀全体を斜めに傾ける八相の構えをとると、一気に距離を詰めてきた。
それに反応したレジーナは鉄板を盾のように構えて、再び後の先を狙う。
だがリチャードはレジーナの予想に反し刀での攻撃をせず、足で地面に積もった灰を蹴り上げる。
高く舞い上がった灰がレジーナの視界を塞いだ。
目潰しだ。
しかしレジーナは落ち着いて耳を澄ます。
視覚が塞がれたのならば、聴覚に頼れば良い。
一瞬、かすかに灰の積もった地面を踏みしめる足音が聞こえた。
レジーナはその方向に向けて鉄板を構える。
直後、ギィンと重い音が聞こえ敵の長刀を弾く感触が手に伝わってきた。
そして更に刀が地面に落ちる音も聞こえる。
リチャードは刀を落としたのだ。
勝利を確信したレジーナはマンゴーシュで音の方向に刺突攻撃を見舞う。
だがその突きは空を切った。
「甘いな」
次の瞬間、刀を捨てたリチャードがレジーナの側面から襲いかかってくる。
その手には刀と同じく黒い瘴気を纏った短剣が握り締められていた。
リチャードは素早くレジーナの背中に回りこむと左手で首を押さえて自由を奪う。
そしてもがくレジーナの腹に短剣を突き刺した。
「ぐあああああ!!!」
視界が揺れ、天地がひっくり返るほどの激痛を感じるレジーナ。
そんな彼女にリチャードは冷たく言い放つ。
「本当に甘いな、カルヴァートの娘よ。能ある鷹は常にツメを隠しているものだ」
だがレジーナは身を裂くような激痛に顔を歪めながらもにたりと笑う。
「けっ、甘いのはどっちかな」
「どういう意味だ? そこからはお前の剣は当たらんぞ」
背後でレジーナの首を完全に押さえているリチャードは余裕綽々だ。
だがレジーナは口から血を吐きながら笑う。
「ばぁーか、当たるんだよ」
そしてマンゴーシュを両手で握り締めると、まるで切腹でもするかのように自らの腹に剣を突き立てた。
深く刺さった剣はレジーナの脇腹を貫通し、背後のリチャードに突き刺さる。
「なんだと……!」
驚愕と痛みで首を拘束する力が弱まったリチャード。
その隙を狙ってレジーナは後頭部を後ろに勢い良く振って頭突きをかます。
頭部に強い衝撃を受けたリチャードは軽い脳震盪を起こしている。
レジーナは腹からマンゴーシュを抜き取って地に落ちた鉄板を拾うと、それを両手で握り締める。
腹からどくどくと血を垂れ流しながらも、鉄板を振り上げる。
そして雄たけびを上げながらそれを振り下ろした。
「うあああああああああっ!!!!!」
ぐしゃっという鈍い音とともにリチャードの頭蓋が砕ける音がレジーナの耳朶を打つ。
即死だった。
それでもレジーナは何回も鉄板を振り上げそれを打ち下ろし続けた。
悲鳴にも似た叫び声を上げながら何度も、何度も。
不意に誰かに腕を押さえられる。
マルシアルだった。
「レジーナ! もういい、そいつは死んでる」
「おじじ……わたし、わたし……」
レジーナは気付けば滂沱の涙を流していた。
そのままマルシアルに言う。
「わたし、やったよ……。自分の物語に、決着をつけた」
「そうだな。うん、そうだ……お前はよくやった。だから休みなさい。レジーナ」
「うん、あ、りが、と……おじじ」
その瞬間、糸が切れた人形のように崩れ落ちるレジーナ。
ノアキスを巡る戦い、そしてレジーナの物語『ナイツオブサイドニア』最後の戦いが終結した瞬間だった。
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「うう……バルトロメウス様ぁ……」
ノアキスで最も高い建造物である鐘楼。
そこから少し離れた場所で一人の少年が悲嘆に暮れている。
ハロルド・ダーガーの影武者を務めていた少年だ。
彼はハロルドの着ていた衣服を掴んで号泣している。
彼の遺体はどういうわけか、頭のてっぺんから足の先っぽに至るまで全て塩に変化しているようだった。
崇拝対象を失った少年は彼の着ていた衣服に縋って頬を濡らす。
「僕を置いていかないでください。バルトロメウス様、お願いですから、どうか、どうか後慈悲を……」
その時、塩の山の中で何かがもぞもぞと動くのを感じる少年。
「バルトロメウス様!?」
少年が呼びかけた次の瞬間。
塩の山の中から小さく細長い何者かが飛び出してきた。
「う、うわっ」
びっくりして腰を抜かす少年。
彼の大きく開けられた口から、その何かが体内に入る。
それは小さく白い細長い虫、線虫だった。
線虫に体内への侵入を許してしまった少年はゲホゲホと苦しそうに咳き込む。
暫くうずくまってもがいていた少年だったが、やがて彼に変化が訪れる。
綺麗なブロンドだったその髪が黒く変色していき、肌も黄色へと変わってゆく。
顔立ちも彼本来のものとは別人のように様変わりしていた。
そして身体を作り変えた少年は、頭をぽりぽりと掻きながら不機嫌そうに呟いた。
「あー、やっと乗っ取れた……。ったく、まさかこの僕が負けるなんて。クソっ! ミントの野郎……。次に会ったら八つ裂きにしてやる」
『バルトロメウス線虫』に身体を作り変えられ、精神も乗っ取られた少年が歩いていく。
きっと町から脱出するのだろう。
少年の変化にまつわる一連の様子を、物陰からじっと見つめる人物が居た。
その人物は声を押し殺して呟く。
「影武者が……ハロルド様……になった、のか?」
その人物は少しばかり逡巡した後、折られた足を引き摺りながらハロルドとは反対方向に進んだ。
痛む足を動かして苦心して進むと、大聖堂前の広場に敵であるサイドニア軍の兵士達がたむろしているのを発見した。
一瞬躊躇するが、意を決して足を引き摺りながら彼らの前に姿を見せる。
その姿を認めた敵が大声を上げた。
「おい、そこの!! 何者だ!! 動くな!!」
指示に従い、動きを止める。
敵兵士が数人近付いてきて周りを囲まれた。
彼らに告げる。
「私はザルカのキーラ・フロスト少尉だ。投降する……。助けてくれ……」
力ない声で呟いて、膝をつくフロスト。
もうあの少年の皮を被ったバケモノにはついていけない。
彼女はそう悟ったのだった。
お読み頂きありがとうございます。
次話更新は 10月16日(火) の予定です。
ご期待ください。
※10月15日 後書きに次話更新日を追加
※10月16日 一部文章を修正 誤字・ルビの振りミスを修正
※ 6月15日 一部文章を修正
物語展開に影響はありません。