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アマルコルド -私は忘れない-  作者: 利府 利九
第一章 Thoughts Of A Dying Novelist
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2.長電話



「そこはお前の頭ん中の空想の世界だよ。設定狂の作家先生」


 電話の男からそう告げられても、来栖はすぐには理解が追いつかなかった。


「空想の世界? 俺の?」

「そう、お前の」

「そこに俺が居るって?」

「だからそう言ってるじゃねえか」


 俄かには信じがたい話だった。

 自分で考えた世界に自分で迷い込むなどと、何とも滑稽な話ではないか。


 予想外の事態に言葉が出てこない来栖の心情を察してか、電話の男は話を続けた。


「お? さては信じてねぇな? ほんならカーナビを見てみな」

「カーナビ?」


 言われて画面を見遣ると、そこには明らかに日本のものではない地図が表示されていた。

 《王都サイドニアまで約十キロ》などという表記とともに。


「サイドニア!?」


 来栖の処女作『ナイツオブサイドニア』の舞台となった地である。

 中世ヨーロッパ風のファンタジーな世界観であり、魔法やらエルフやらドワーフやらゴブリン等の読者諸君もお馴染みの要素が詰まっている。


 そんな手垢まみれの、だが同時に読者の共感も得やすい世界で主人公の戦士が数多の苦難を乗り越え大願を成就する。

 あらすじはそんなところだ。


「大昔にあんたがノートに書いた地図の通りだろ?」


 学生時代の来栖は今以上に社交性の欠片も無かった来栖は夜な夜な人知れずノートに自分の頭の中に存在する世界の地図をしたためていたのだった。

 その事を思い出し、恥ずかしさと痛ましさが混じった感情が来栖の胸に去来する。


「なるほど、じゃあ俺はこれからサイドニア旅行にもいけるのかな」


 半ば自暴自棄になりながら来栖は吐き捨てる。

 もはや電話の男の言を疑う気は無かった。

 あの忌々しいノートの存在は来栖しか知らないのだ。


「サイドニアだけじゃねぇぞ。地図でもっと広い範囲を見てみろ」


 言われた通りにしてみた来栖は驚愕に目を見開いた。


「そこは、お前の空想世界だからな。当然全作品の舞台がぶっ込まれてるぞ」


 来栖がこれまでに書いた三作品。


『ナイツオブサイドニア』

『この森が生まれた朝に』

『機械仕掛けの女神』


 この三つである。


 サイドニア王国のあるマリネリス大陸の眼前には大海が横たわっており、その大海を囲むようにして『この森が生まれた朝に』の舞台であるプレアデス諸島、さらには『機械仕掛けの女神』に登場するルサールカ人工島が存在していた。


 各大陸間は距離が大分離れており行き来は楽ではなさそうだが、これは予想外だ。

 作者来栖にも予想困難な異文化交流があるかもしれない。

 厄介なことこの上ない。


「自分の考えた世界に立っているんだ。作家冥利に尽きるんじゃねぇか?」


 男は暢気な台詞を吐いてくる。

 成るほど、そういう考え方もあるのかもしれない。


 だが、作者である来栖は知っている。

 先ほど出くわした子鬼がほんの四、五体も居ればそこらの村など軽く蹂躙できるほどに脅威的な存在だと。


 “そう設定してしまった。”


 その方が、世界観に緊迫感が生まれる、というくだらない理由で。

 さっき遭遇して来栖が生き残れたのはただ単に運が良かっただけなのだ。


 誰だ! 

 こんなクソ設定を考えたのは!


 そう叫びたい気持ちを押し殺して来栖は電話の男に問いかける。


「……それは確かに魅力的ではあるんだが俺としては現実世界に戻りたい。空想世界からの戻り方を知らないか?」


 恐らくそう簡単に戻れないであろう事は来栖にもわかっていたが、僅かな望みにかけて一応尋ねてみる。


「脳内の空想世界はある種の“夢”みたいなものだ。現実世界で本体が起きれば戻れるだろうよ」

「本体? 今の俺が本体じゃないのか?」

「なんだお前、憶えてねぇのか」

「……なにを?」


 声が掠れていた。

 何か、何か重要なことを忘れている。


「よく思い出せ。あの時サービスエリアの食堂でお前はぶっ倒れたんだ」


 それを聞いた瞬間、来栖の記憶が蘇る。


 そうだ。

 急激に体調が悪化した来栖は、夜でも人が居そうな食堂にゾンビのようにフラフラとした足取りで向かった。


 夜勤の医療スタッフが居ないか職員に尋ねようとしたのだ。

 そして途中で力尽きた。

 倒れた音を聞いた食堂のおばちゃんが駆けつけて救急車を呼んでくれた。


 救急車の中で何度も呼びかけられ、来栖にもそれは届いてたので返事をしようとしたのだが、体が一切動かなかった。

 昔、テレビ番組で臨死体験をした人が語っていた内容を思い出す。

 大丈夫ですかと呼びかけられて、それは聞こえていたのだが体が一切動かず返事が出来なかった、と。


 その事から推察するに、どうやら自分の本体は生命の危機に瀕しているらしい。


「バルトロメウス症候群」


 ふいに電話の男が病名を口にする。

 どこかで聞いたことがある病名だ。


 そうだ、ラジオのニュース番組で話題にあがっていた。

 眠り病の様な症状で、治療方法は確立されていない。


「その病気に罹って俺は眠ってしまっているのか」

「そうだ、本当のお前は病室にいる」


 電話の男が珍しく素直に首肯する。

 だとすると自分はこの難病をどうにかしない限り、現実に戻れない。

 そして来栖はまるで自分のすべてを知っているかのような電話の男に対して思いを巡らす。


 この男はこう言っていた“お前がくたばると俺もやばい”と。

 そして、当初は聞き覚えの無いと思っていた声にも心当たりが浮かぶ。


 自分自身の声をレコーダーか何かに録音して、それを聞いた時の声質に似ている。

 人間の声、というか自分自身の声は頭蓋骨のアゴ関節で骨伝導する音が混じる為、聞こえ方が異なると聞いた事がある。


 つまり、電話口の声は来栖自身の声のようだった。


「……お前が誰なのか、もう一回聞いていいか?」


 歯切れ悪く、男は答える。


「俺は…その、なんていうか、お前の本体に眠っている無意識というか」


 随分、抽象的な物言いだったが要するにこうだ。


“こいつは俺で、俺はこいつ”


 それを理解した来栖は自分の無意識に尋ねる。


「どうすれば目を覚ませると思う?」

「そりゃ病気を治せば一発だろ」

「現実世界の医師は病気を治せると思うか?」

「わからん、少なくとも受け入れ先の医者先生は匙を投げてらっしゃったぜ。」


 どうやら寝てる本体の耳に入った音声をこの“無意識”君は拾ってくれてるらしい。


「でも、海外には他の患者の症例があるんだろ?」

「一応、その海外患者の詳細な症例を取り寄せてるみたいではあるが、治った患者は皆無らしいぜ」

「……」


 来栖は絶句する。

 わかってはいたが望みはかなり薄そうだ。


「だが、全く希望が無いわけではない。これは、あくまでも俺の推測だが、この病気は他の病気とは毛色が違う」

「と、いうと?」

「たぶん、患者の精神世界に直接影響を及ぼしてるんだ」

「何でそんなことがわかるんだ?」

「患者が自分の空想世界に閉じ込められる、なんて症例の病気は聞いた事が無いからだ」


「なるほど。ん? 待てよ……ということはもしかして、こっちの世界から病気にアプローチできるかも知れない、とは考えられないか?」


 半ば自問自答と化した会話を続ける来栖。


「その可能性はある。空想世界は俺たちの脳内でもある。そこに何らかの『歪み』を見つけれ……」


 突然、通話が切れた。


「おい! どうした! おい! 無意識!」


 そう言ってスマートフォンの電波表示を見ると圏外になっている。


「おかけになった電話は、只今電波の届かない所にあるか……」


 臍を噛む思いでスマートフォンを手放した。


「『世界の歪み』……」


 それを見つけないことには現実に帰れないらしい。

 大変喜ばしいことに手がかりは皆無だ。


 お先真っ暗とはこのことである。

 そう、今居るこの漆黒の森のように。


 その時、物音が聞こえた気がした来栖は後ろを振り返った。

 大型動物の足音のような足音が後方から聞こえた気がしたのだ。


 闇夜の森を目を凝らして見つめる来栖。

 すると巨大な人影のシルエットが微かに見えた。


 来栖の後方、森の奥深くからおぞましい何かが迫って来ていた。




お読み頂きありがとうございます。


次話更新は 4月10日(月) の予定です。


ご期待ください。


※ 7月30日  行間を修正

※ 8月 8日  レイアウトを修正

※ 1月21日  一部文章を修正

※ 6月 1日  一部文章を修正


物語展開に影響はありません。


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