192.それぞれの窮地
アルシアの森から離れた地点に停車している複数台のジープ。
その内の一台のシートに黒髪のいたいけな少年が横たわって、気持ち良さそうに寝息を立てている。
ザルカ皇帝リチャード・ダーガーの養子ハロルドだ。
彼は部下達に付近の警戒を任せると、自分は座席で寝始めてしまった。
歳相応の子供のような突飛な行動に呆れつつも、命令通り周囲の警戒に入る兵士たち。
その中の一人、キーラ・フロスト少尉は高性能義眼の望遠ズーム機能を使って付近の警戒を行っていた。
だが、未だこちらに接近してくるものは居ない。
それでも油断なくフロストが周りの警戒をしていると、不意に白い何かがこちらに飛んでくる。
義眼のズーム倍率を切り替えて見てみると、それはひらひらと羽ばたく純白のチョウであった。
そのチョウを目で追うフロスト。
チョウはふらふらと気まぐれな軌道で飛翔すると、ハロルドの方へと向かっていく。
そしてハロルドの鼻へと着地する。
その様を思わず注視してしまうフロスト。
花では無く鼻に止まったチョウはゆっくりと羽根を動かして、じっとしている。
だがハロルドはそれに気付く様子も無くすーすーと寝息を立てていた。
やがてフロストの興味はチョウからハロルドへと移行する。
かつてテオドールとフォルトナを逃がした責任を取るという名目で彼に目を潰されて以来、まともに彼の顔を見れていなかったフロスト。
そんな恐怖の対象であるハロルドの顔をまじまじと見ていると、後ろからバーンズ少尉が小声で話しかけてきた。
「どうしたフロスト。ハロルド様の様子がおかしいのか?」
「いや……ただ」
「ただ?」
「こうして見るとハロルド様も子供なのだな、と」
それを聞いて噴き出すバーンズ。
「ははっ、なんだそりゃ。久しぶりのラクな仕事で寝ぼけているんじゃねえか、フロスト」
「そんな事は無いさ」
「どうだか」
「……ところでバーンズ」
「あ? なんだよ」
「ハロルド様の顔立ち……どこかで見たような事がある気がするんだが、私の気のせいだろうか?」
「んー? んー……」
唸りながらハロルドの顔を観察するバーンズ。
短くさっぱりと整えられた黒髪に、黄色い肌、瞳は黒に近い茶色で他に目立った特徴もない。
だがそれらの外見的特徴を備えた人物を、フロストは以前どこかで見ていた気がしていた。
そしてそれはバーンズも同じらしかった。
「たしかにどっかで見た気がしないでもない」
「お前もそうか」
「ああ、どこだろうな。思いだせねえ」
眉間に皺を寄せて記憶を探るバーンズ。
フロストもこめかみに手を当てて遠い記憶を漁るが、だが後一歩で出てこないもどかしい感覚を味わった。
そうしてバーンズとフロストが唸っていると、遠くから地響きのような轟音が聞こえてきた。
その音にびっくりしたのか、真っ白いチョウがどこかへと飛んでいく。
フロストが音のした方向に顔を向けると、“黒い骨の竜”が多数の“グスタフ”を従えて森へと突き進んで行くところだった。
ザルカ皇帝リチャード・ダーガーが竜に変異したのだ。
それを見てバーンズが一言。
「まったく、ウチの大将は頼もしいぜ。なぁ?」
「そうだな。あれが敵じゃなくて良かった」
「ホントにな。これであの森の連中は残念な最期を迎えることになるんだろうな」
しみじみと感想を述べる二人。
その時、フロストは視界の隅に何かが動くのを見た、ような気がした。
アルシアの森の西の端、平野と森林の境目である。
気になってフロストがズーム倍率を上げた次の瞬間。
ヒュンという風切り音とともに大きな氷の塊が多数こちらに飛来してきた。
敵の手品師の攻撃だ。
こちらでの正式な呼び名は魔術師というらしい。
かなりの遠距離から氷の塊を放ってきたせいか精度は高くなかったが、それでもこちらの部隊兵士が直撃を食らい戦闘不能に陥る。
「総員、伏せろっ!!!」
フロストは声を張り上げて、自らも平野の草むらに隠れる。
そしてセミオートのスナイパーライフルである《グライフ》を構えつつバーンズに叫ぶ。
「バーンズ! 敵はこちらで足止めする! お前はハロルド様を起こせ!」
「ああ! わかった!!」
そう言ったバーンズがハロルドの乗っているジープへと向かうと、中から不機嫌な声が聞こえてきた。
「もう起きてるよ。ったく……人が寝てる時に……」
不快感を隠そうともしないハロルドの声色に冷や汗をだらだらと流すフロストとバーンズ。
それでも果敢にハロルドに話しかけるバーンズ。
「ハロルド様。申し訳ございません。ここは危険です。すぐに離脱を」
「あっそ。じゃあさっさと車を出せよ」
「り、了解!」
そう言ってジープのアクセルを踏みしめるバーンズだったが、一向に発進する気配が無い。
不思議に思ったバーンズが見ると、ジープのタイヤに無数の蔦が絡まっていた。
ハロルドが忌々しげに吐き捨てる。
「チッ《呪術》か。プレアデスの連中だな」
そして驚いた事に、その言葉に返答するものがあった。
「正解よ。お坊ちゃん」
声がすると同時に回りの茂みがガサッと揺れて、冒険者が姿を現す。
肌の浅黒い女、女性かと見まがうほどの整った顔の男、剃髪の神官と思しき男、大きな盾を携えた男の四名だ。
彼らはギリースーツを纏ってここまで這って来たようだ。
遠距離から攻撃してきた魔術師は陽動だったのだ。
突然の奇襲に完全に対応が遅れたフロスト達が反応する間も無く、肌の浅黒い黒髪の女がハロルドにナタを突きつける。
それにより、周りの兵士は動けなくなった。
それを確認した肌の浅黒い女がハロルドに話しかける。
「さて僕ちゃん、私が誰かわかるかしら?」
「さぁ? 雑魚には興味ないんだ」
絶体絶命の状況にも関わらず相手を煽るハロルド。
何か逆転の策があるのか、それともヤケになっているのか。
一方のフロストは冒険者の女に銃を向けるが、大きな盾と槍で武装した男性冒険者がきっちりと射線を塞いでいる。
これではあの女を撃ち抜けない。
残り二人の男もそれぞれ周りの兵士達がよからぬ動きを見せないかどうか目を光らせている。
そんな状況の中、女がハロルドに告げる。
「言ってくれるじゃない。私はあなたに利用されたラシェル・オーベイの妹よ」
「ふうん。ごめん、記憶に無いや」
「……どうやら命が惜しく無いようね」
憤怒の形相で女がナタを振り上げた。
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サイドニアから派兵されてきたディランの前に突如現れた竜の群れ。
それをディランの隣で見ていた気弱な兵士が呟いた。
「おい、あんなのがいるなんて聞いてねえぞ……」
ディランも一瞬呆けた表情で骨の竜に見入っていたが、すぐに気を取り直した。
「ぼさっとすんな! 走るぞ! 逃げるんだ!」
その言葉につられて他の皆も我に返り、脱兎の如く後ろに駆け出す。
あんな竜の群れを相手に出来るほどディラン達は命知らずではないし、それに勝算もない。
だったら逃げて、この“黒い骨の竜”の情報を持ち帰ることの方が重要だ。
彼らのすぐ後方には体長十メートルはあろうかという黒い骨の竜が迫ってきている。
さらに骨の竜の後ろからはグスタフの群れが追従してくる。
彼らはまるで綺麗に整地された道でも進んでいるかのように、アルシアの森をのっしのっしと駆けてきている。
竜の群れが進む度に木々がミシミシと音を立てて倒れていくその様はまるで現実感が無かった。
そしてディラン達と竜どもの距離はどんどん短くなってきている。
そもそもの歩幅が違いすぎる故に、どんなに急いで逃げてもあっという間に距離を詰められてしまうのだった。
やがて体力の限界を迎えた兵士の一人が、木々の根っこに足を取られて転倒する。
次の瞬間、ディランの後方から悲鳴が響く。
だがディランにはどうすることもできない。
グスタフ数体だけなら何とか対処できたかもしれない。
先のノアキスでの戦闘の際に冒険者パーティによって攻略法が発見されていたのだ。
だが今回は数が多い上に、未知の相手である骨の竜も居る。
挑むのは自殺行為だ。
そうして一人が食われ、二人が食われ、ディランの小隊はだんだんと数を減らしていく。
走り続けて疲労困憊のディランがふと周りを見渡せば、自分のほかには生きている者は皆無であった。
そして遂に体力の限界がディランにも訪れる。
足がもつれて前のめりに転ぶディラン。
だが起き上がる力も無い。
全身の筋肉に乳酸がたまり、体が動くのを拒否している。
もう一歩たりとも動けなかった。
うつ伏せのまま首を動かして後ろを窺うと、黒い骨の竜がこちらに猛烈な勢いで走ってくる。
ああ、良かった、グスタフじゃない。
骨の竜だ。
これなら喰われずに即死できそうだ。
諦観の境地で目の前の光景を見つめるディラン。
骨の竜があと数メートルの距離まで来たところで静かに目を閉じる。
だがその時、ぐおおおおという雄たけびがディランの鼓膜を震わせた。
それはグスタフのものではなく、もっと荘厳で雄大さを感じさせる咆哮だ。
そしてその咆哮で黒い骨の竜が歩みを止めた。
ディランが目を開けて声のした方向を見ると、そこにはトカゲどもとは一線を画す赤い竜が大きな翼を広げて羽ばたいていた。
お読み頂きありがとうございます。
次話更新は 9月25日(火) の予定です。
ご期待ください。
※ 9月24日 後書きに次話更新日を追加 一部文章を修正
※ 6月 6日 一部文章を修正
物語展開に影響はありません。