190.狼煙
ハロルドがノアキスでリチャードと作戦会議をしているその頃。
王都サイドニアにて。
威厳を漂わせる白亜のサイドニア王城の中を慌しく歩む者たちがいた。
ノアキスから生還したミント達である。
戦場となったノアキスからどうにか逃げ延びたミント、ナゼール、イェシカの三人は脱出の途中で拾った老夫婦グレアム夫妻とエルマを城の者に預けた後、サイドニアの王ウィリアム・エドガーへの報告の為に執務室へと向かっていた。
エドガーにノアキスが落ちた事を早く伝えねばならない。
その一心で歩を進めるミント達。
やがて執務室の前にたどり着き、執事が扉を開ける。
中ではエドガーが相も変わらず書類に目を通している。
前に見た時より一層やつれており、顔色も悪い。
ドアが開いたのにも目もくれず、書類に目を通すエドガー。
そして顔も上げずに問うて来た。
「あー、この時間は面会の予定は無い筈だったが、一体どこのどいつだ?」
不機嫌そうに唸るエドガー。
どうやら執事の言葉もロクに耳に入れてなかったらしい。
そんな彼にナゼールが話しかける。
「俺です。陛下」
「ん、なんだナゼールか!! よく帰ってきたな、ノアキスの様子はどうだ? 嵐の前の静けさといったところか?」
「いえ、陛下。心して聞いて下さい」
「何だ、もったいぶりおって」
「ノアキスは落ちました。敵軍の奇襲によって陥落です」
「……む?」
ナゼールの言葉に一瞬、目をぱちくりさせたエドガー。
一秒ほど固まった後、急に立ち上がると“顔を洗ってくる。少し待て”とだけ言い置いてどこかへ行ってしまう。
三人が執務室でじっと待っていると、足早にエドガーが戻ってきた。
そして鋭い眼光を放ちながら席に座ると、ナゼールに問いかける。
「ザルカの先遣隊がノアキスに着くまでまだ時間があったはずだ。それなのにノアキスは陥れられたのか?」
「ええ」
「ナゼール、詳細を話せ」
「はい、テオドール達の目撃した生物兵器“グスタフ”達が神教関係者に化けて町に侵入していました。そのグスタフ部隊がノアキスの外に居た別働隊に合図を出した後、砲弾の雨が町に降り注いだんです」
「砲弾の雨……だと? 連中は投石器でも担いで来たのか?」
疑問を口にするエドガー。
彼の疑問にミントが答える。
「それはたぶん迫撃砲です。前方に大きな放射線を描いて砲弾を投擲する兵器です」
「……なるほどな。で、我が軍のクルックシャンク将軍は? 無事なのか?」
それに答えるイェシカ。
普段はガサツな彼女もエドガー相手では丁寧な物言いであった。
「近衛兵長曰く、死亡したとのことです」
「……では、ノアキスのガンドルフォ猊下は?」
「生死不明ですが、あまり期待は持てなさそうかと」
「…………そうか」
ふぅーっとため息を吐き出し天を仰ぐエドガー。
だがすぐに頭を戻し、目線をミントに合わせると質問してくる。
「ネコよ、エセルバードはどうした?」
「はい、近衛兵長殿とはノアキスの町で別れました。彼は町の生き残りの捜索・救助に当たっていたので、今ごろは生き残りを纏め上げている頃かと」
「生き残りは多いのか?」
「正確な数はわかりかねますが、多くは無さそうです」
「ふうむ、わかった」
そう言うとエドガーは執事を複数人呼びつけ、矢継ぎ早に指示を出す。
会話内容から察するに、ノアキスとサイドニアの線上に位置する町に派兵する段取りを整えているようだ。
いずれかの町で敵の進軍を迎え撃つつもりなのだろう。
更にエドガーは別の指示も出す。
「頭領とオーベイの族長を呼んでこい」
その言葉を受けた執事が足早に部屋を後にする。
しばらくして、ボレアレの頭領ビョルンとプレアデスのデボラが部屋に入ってきた。
ナゼールの姿を見たデボラが安堵の表情で話しかけてくる。
「若様、良かった……。ご無事だったんですね」
「ああ、何とかな。心配してくれてありがとうな、デボラ」
「いえ、とんでもございません。ところで姉様は? ご一緒じゃないのですか?」
「レリアはエセルバードやデズモンド達と一緒に町に残った。民間人の救助の為だ。無事に離脱できてればいいんだが」
「まぁ……」
一旦は明るくなったデボラの表情が再び曇る。
そんなデボラをナゼールが勇気づける。
「心配すんなデボラ。お前の姉貴はそんなにヤワじゃねえ」
「……でも」
「それに俺もすぐに向こうに引き返すつもりだ。その時に必ずあいつを連れて帰る」
「はい……。ありがとう、若様。ちょっとだけ勇気が出ました」
一方のビョルンはミントを気遣う。
「ネコ、お前は大丈夫か? 怪我はねえか」
「大丈夫だよー」
「そうか。そいつは良かった」
「うん。ところでテオドールとフォルトナは? 一緒じゃないの?」
「あいつらは今兵士達に銃の訓練をしてやってるところだ」
「そっか」
その様子を見守っていたエドガーが口を開く。
「再会を喜ぶのも程ほどにしてもらおうか。生憎、今は時間が惜しい」
そしてエドガーはミントに視線を合わせると言ってきた。
「ネコよ、戻ってきたばかりで悪いがお前には今度はボレアレに向かってもらうぞ。頭領をボレアレに送り届けた後、“白金”の冒険者どもに声をかけて来い」
無論、エドガーに言われるまでもなくミントはそうするつもりであった。
レジーナが自身の力を覚醒させていようがいまいが、現在の状況は是非とも彼女に伝えなければならないと感じていたミントは大きく頷く。
「わかりました」
「それとハルにもだ。あやつも戦力になるに違いない」
「はい、お任せを」
「よし、では行け。お前の双肩にマリネリス大陸の存亡がかかっている。頼むぞ、ミントよ」
「はっ!!」
-------------------------------
ノアキス陥落から六日後。
サイドニアとノアキスの間に存在する町、アルシア。
周りを鬱蒼とした針葉樹林に囲まれたアルシアは静寂に包まれている。
そんな静けさが支配する森で、じっと息を潜めているレリア。
辛くもノアキスから逃げ延びた彼女はチェルソと共にこの森の監視を行っていた。
先のノアキスの戦闘では人間状態の“グスタフ”の侵入を許してしまったおかげで、一方的な展開になってしまった。
その教訓を生かして、監視を強めているのである。
今回は“身分のハッキリしている者以外は何人たりとも通すな”というお達しが来ている。
神教関係者だろうが、ボランティアの神官だろうが、義勇兵だろうが事前に王都から連絡があったもの以外は誰も通していない。
もしそれ以外の誰かが強引に侵入しようものなら、監視員が狼煙を上げる手はずになっている。
森を見張る監視員は二人組みで等間隔に並べられており、穴は無いはずだった。
レリアの隣ではチェルソが骨董品の望遠鏡を使って前方に目を向けている。
そんなチェルソに話しかけるレリア。
「何か見えた? チェルソさん」
「いいや」
「そう……」
そう言いつつ、自分も前方に目を向ける。
森は相変わらず静かで穏やかな風が木々を微かに揺らす音が響いている。
レリアが木々のざわめきに耳を澄ましていると、今度はチェルソが話しかけてくる。
「それにしても、ザルカの連中はここを侵攻ルートに選ぶだろうか。僕にはそうは思えないんだけどね」
そう言って首を傾げるチェルソ。
確かに彼の言うとおりザルカがこのアルシアを経由してサイドニアに侵攻するのは考えづらい。
この森を抜けて進軍するのに体力をを喰うし、それに森という地形は守る側からすれば待ち伏せし易いものだ。
当然、敵軍もそれは考えている筈であり、わざわざリスクを負ってまでこの森を強行進軍してくる可能性は低いと思われる。
だが、臨時指揮官のエセルバードはレリア達にこの森の監視を指示してきた。
「私にはわからないわ。でも何か考えがあるんでしょ、あの近衛兵長さんには」
「そうなのかなぁ……。うーん」
レリアの言葉に釈然としない態度で答えるチェルソ。
ノアキスから生き残りを纏め上げて脱出しここアルシアまでたどり着いたエセルバードは優秀であった。
民間人の生き残りを手早く他の町へ避難させ、義勇兵やサイドニアの兵士から臨時の隊長を選抜し指揮系統を一応ながら確立させた。
そしてすぐに王都へ早馬を出発させ、ここに戦力を割くようにと要請していたようだった。
以来、徐々に兵士たちが到着し始めて防備が整い始めている。
その結果、こうして森に警戒線が敷かれている。
以上の様な辣腕を振るった彼のことだ。
今回、森の監視体制を強化したのも最悪の結果に備えてのことだろう。
そう考えたレリアはチェルソに言う。
「まぁでも、ここを固めるのはそこまで悪手では無いんじゃないかしら。直線距離ではここが一番近いんだし」
「それもそうだね。それに“ここは絶対無い”って思うルートを敢えて敵が選んでくる可能性もあるしね」
「ええ」
チェルソの言葉を肯定するレリア。
とは言っても心中では“まさか本当にこのルートを選んでは来ないだろう”とも思っていた。
補給が不自由になりがちな敵地を進軍してくるザルカが、わざわざ不要なリスクを冒してくるとはとても思えない。
その時、レリアは前方の空にふと視線を動かす。
特に何かを見ようとしたわけではなく、只単に何となく視線を動かしただけだった。
ところが、そこに信じられないものを目にする。
「チェルソさん、あれ……」
「おや。………どうやらエセルバードは賭けに勝ったようだね」
空には二本の煙の柱が立っていた。
一本の煙であれば“侵入者を発見”を示す合図だったのだが、それが二本となると最悪である。
二本の煙は“ザルカ軍接近”を示す狼煙であった。
お読み頂きありがとうございます。
次話更新は 9月18日(火) の予定です。
ご期待ください。
※ 9月17日 後書きに次話更新日を追加
※ 6月 4日 一部文章を修正
物語展開に影響はありません。