181.“黒い骨竜”
ザルカ帝国の中枢である帝都ザルカ。
そこの宮殿内部地下に存在する研究施設に二人の男の声が響く。
ザルカ帝国を治める皇帝リチャード・ダーガーと、彼のお抱えの宮廷魔術師グスタフ・バッハシュタインだ。
グスタフは突如として現れた皇帝リチャードを制止するべく声をかける。
「皇帝陛下!! おやめください!! 危険です!!」
「五月蝿いぞ、グスタフ。余を止めるな」
グスタフの制止にも耳をかさず、研究施設をずかずかと進むリチャード。
突然ここを訪れたリチャードは自分に“竜の細胞”を投与しろと言って聞かない。
そんなリチャードをグスタフは説得する。
「皇帝陛下! 私の研究は未だ不完全であると以前に説明したはずです」
「時間が無いのだ、グスタフ。被験者が“強い意志”を備えて居るのなら問題ないのであろう?」
グスタフが現在研究している人間を竜に変貌させる“竜種”。
それは人間を一時的に竜に変異させるというものであった。
人間を強力な生物兵器に変貌させるという考えの下に研究が続けられていたが、その結果出来上がるのは理性を失ったトカゲのバケモノのみであり、戦略的運用が期待できるような代物ではなかった。
だが長きに渡る研究の末にグスタフはある考えにたどり着いた。
グスタフは被験者のもつ性格に着目し、“竜の細胞”移植前にいくつかの質問を交えて性格を記録し始めた。
それによって一つの傾向が浮かび上がる。
気の強い人間、もしくは何らかの目的意識を強く持った人間、つまりは“強い意志”を携えた人間の方が僅かながら細胞の定着率が高かったのだ。
それを発見してからは研究の進むスピードが飛躍的に上がった。
今までただただ無為に浪費していた被験者をある程度狙い撃ちすることが可能になった。
さらに興奮作用のある植物であるカート等のハーブ類をブレンドして薬品を開発したグスタフは、それを被験者に移植前に投与することで“竜の細胞”の定着率を底上げすることに成功する。
とはいえ、ここまでしても定着率は決して高いとは言えない。
以前、戯れで実施したリチャードの性格分析に於いてかなりの“意志の強さ”が見られたものの、“竜の細胞”移植は時期尚早であるというのがグスタフの所感であった。
グスタフは狂気的な人物であり実験そのものには何の異論も無かったが、自分の研究環境を整えてくれた皇帝に対する感謝の念は一応持ち合わせていた。
語気を強めてリチャードの説得を試みるグスタフ。
「なりません! ましてそれを陛下ご自身の体で試すとなるなど、もっての他です」
「くどいぞ、グスタフ。状況が変わったのだ」
「状況……でございますか?」
「ああ、ハロルドから文が来た。“戦争開始を早めるべきだ”とな」
そう言ってリチャードは尚も研究所内を闊歩する。
グスタフは並行して歩きながら、手紙について疑義を向けた。
「お言葉ですが皇帝陛下。ハロルド殿下が如何に優秀といえど彼はまだ幼い子供にございます。あまり彼の言に振り回されるのは……」
そこまで言いかけたところでグスタフは、リチャードから尋常ではない怒気を感じ取った。
禍々しい双眸でグスタフを睨みつけるその表情は、そこいらの魔物ですら震え上がって逃げ出しそうな悪魔じみたものだった。
「貴様、言うに事欠いてハロルドを愚弄するか」
「い、いえ……とんでもございません」
「たしかにあやつはまだまだ幼い。だが年に似合わぬ尋常ならざる慧眼を備えておる。あれは世を統べる皇帝の器だ。それは間違いない」
自身たっぷりに断言するリチャードを見て、内心げんなりとするグスタフ。
彼は正直、ハロルドという少年を大変に警戒していた。
たしかに頭は切れるし有能だ。
ルサールカ人工島でジュノー社と接触し、彼らの技術を帝国に取り入れた手腕は評価せざるを得ない。
しかしながらグスタフはまるですべての事象について予め“全て知っている”と言わんばかりの的確なハロルドの行動に、いささか気味悪さも感じていた。
実際、彼はリチャードの心の隙間に上手く取り入り、とんとん拍子に現在の地位を手に入れている。
その様子がまるでザルカという獅子の身体の中に入り込んだ寄生虫のようにグスタフには見えていたのだ。
うっすらと全身が総毛立つ感覚を覚えるグスタフだったが、リチャードはそれに気付かずどんどんと研究所内を歩いていき、そしてグスタフの研究室へとたどり着いた。
「さて、グスタフよ」
「はっ……」
「準備しろ。余は急いでおる」
「……御意に」
半ば諦めながらグスタフはリチャードに“竜の細胞”を移植する準備を開始する。
本当は拒否したかったが、これ以上抵抗すると粛清の対象になりかねない。
グスタフは部下の研究員に指示を出して“竜の細胞”を持って来るように伝える。
それを待つ間に特製の興奮剤をリチャードに投与した。
そして自らは医療用の小刀と紫色の粉末が入った瓶を用意する。
その瓶を携えながらリチャードに歩み寄るグスタフ。
「皇帝陛下。これを」
「何だ、それは?」
「“狸の小剣”と呼ばれる植物の粉末を用いた睡眠薬をより強力にした麻酔薬です。あなた様には細胞の移植手術をする前に眠って頂きます」
「わかった」
手術用の薄手の衣に着替えたリチャードは躊躇なく麻酔薬を吸引し、昏倒する。
丁度そのタイミングで分厚い手袋をつけた研究員が“竜の細胞”が入った容器を持ってきた。
素手で触ると凍傷になりそうなほど冷たい容器は宮殿の地下深くで冷やされたものだ。
それを開けると発狂してしまいそうな腐臭が中から漂ってくる。
竜の死体から漂う腐臭は他の生物のものとは比べ物にならず、虫すらそれを避けるほどだ。
まるで死して尚すべての生物を拒絶しているような腐臭を嗅ぎながら、グスタフは移植作業に取り掛かる。
麻酔の効いたリチャードの胸部を小刀で切開し、容器から竜の死体から切り分けた肉片を取り出す。
ぬちゃりと不快な音を立てて赤黒い肉片を手に持ったグスタフは、どくどくと脈打つ心臓に“竜の細胞”を近づける。
すると“竜の細胞”からまるで生きているかのような触手がいくつも伸びて、そしてリチャードの心臓に癒着を始める。
この“竜の細胞”と言う名の肉塊はこうして生きている他の生物を取り込みおぞましい姿に変えてしまうという特性を持っていた。
完全に癒着したのを確認して胸部を縫合して閉じるグスタフ。
高い手術技能を有するグスタフであったがそれはもちろん医療のためでは無く、この手の実験のためだ。
そのためこの宮殿の外にはこの技術は伝わっていない。
縫合を終えたグスタフはリチャードの脈を調べる。
かすかに脈を感じ取り、安堵するグスタフ。
おそらく成功だ。
後はこのまましばらくすれば起き上がるはずだ。
そう思いながらリチャードを見守るグスタフだったが、ここで予想外の出来事が起こる。
突如リチャードの身体がビクっと動き、やがてガタガタと痙攣しはじめた。
そして白い泡を口から吐き出す。
「皇帝陛下!!」
慌てて駆け寄るグスタフ。
だが痙攣が治まる気配は全くない。
移植した細胞にリチャードの意志が負けようとしているのだろうか。
そう危惧したグスタフが小刀を手にリチャードの腹を割いて細胞を取り除こうとした瞬間。
腹部に鋭い痛みを感じた。
見るとリチャードの身体から黒く大きな骨、まるであばら骨のような形状の鋭い突起が伸びていて、それがグスタフの脇腹を貫いている。
慌てて体を動かしその突起を引き抜くグスタフ。
痛みで視界が真っ赤に染まりながらも、リチャードから距離を取る。
「バッハシュタイン様!!」
部下の研究員が駆け寄ってくるがグスタフはそれを制した。
「寄るな!」
だがその制止も空しく部下は更に伸びてきた黒い突起に胸を刺し貫かれる。
口からごぼごぼと血を吐き出しながら息絶える研究員。
後ろに後ずさりながらリチャードの身体を改めて確認したグスタフは驚愕する。
彼の身体からは黒い骨の様な突起がいくつもいくつも伸びており、それらがバキバキと音を鳴らしながら骨格を形成してゆく。
やがて研究室に収まるサイズではなくなったソレは天井を突き抜けた。
それを呆然と見守るグスタフ。
彼の目の前には体長十五メートルはありそうな黒い骨の竜が居た。
それは他の被験者とは明らかに異質な竜だ。
短い時間でその原因を推察するグスタフ。
おそらくだがリチャードのどす黒い精神性が、竜の姿形に色濃く影響を残しているのだろう。
この世の全てに憎悪を向けている彼にとっては相応しい姿なのかもしれない。
やがて骨の竜がグスタフを見つめる。
深淵のように黒い眼窩を向けてグスタフを見つめてくる骨の竜。
それを見てグスタフは合点がいった。
彼はこんな姿になってもちゃんと理性を残している。
「あ、ああ。皇帝陛」
次の瞬間、グスタフの意識が消失する。
彼は骨の竜によって首を噛み切られていたのだった。
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帝都アレスの邸宅にて、モニターを見ながらハロルドは呟く。
「あーらら。グスタフ死んじゃった。でもま、予定通りだねぇ……」
映像には黒い骨の竜がザルカの研究施設内で暴れまわる姿が捉えられていた。
ハロルドの後ろでその映像を見ているフロスト、バーンズ両少尉は顔を強張らせてその映像を見つめている。
今回見ている映像は宮殿内のハロルドの手の者に記録させた映像だ。
後ろでそれを見ていたバーンズ少尉がハロルドに尋ねてきた。
「は、ハロルド様。あの怪物は一体……?」
「こらこらバーンズ少尉。怪物なんて、そんな言い方は失礼だよ。あれはリチャード皇帝陛下その人さ」
「で、ですが……」
「まぁ見てなよ。直に落ち着く」
言いながらハロルドは映像をじっくりと観察する。
あの“黒い骨竜”は『ナイツオブサイドニア』の最終局面で主人公レジーナとぶつかる最後の障壁だ。
おそらく戦闘の際にはレジーナ側も竜に変異するだろう。
クルスの書いた筋書きではレジーナが勝利を収める戦いではあるが、そう易々と勝たせるわけにはいかない。
ハロルドが画面に見入りながら思案していると、突然“黒い骨竜”が骨を折りたたみ始めた。
この映像では音声が不明瞭でよく聞こえないが、なにやらバキバキと音が鳴っているようだ。
やがて全ての骨が折りたたまれ、それらがリチャードの身体に吸い込まれてゆく。
人間の姿に戻り、倒れ込むリチャードに研究員達が駆け寄る。
その様子を見てフロスト少尉が息を呑んだ。
「す、凄い……」
「うん、そうだね。後は竜の力を引き出すのに習熟すれば自由自在に変異できるだろう」
「習熟……ですか?」
「ああ、ある程度体に馴染ませないと制御が利かなくて危険だからね。現にグスタフも死んじゃったし」
ハロルドはそう解説しながら、内心では呆れている。
荒唐無稽で無茶苦茶な設定だ。
この設定を考えたクルスは“中二病ここに極まれリ”といった感じである。
否、この話を考えた当時、実際に彼は中学生くらいだったか。
そこへバーンズが問いかけてくる。
「習熟の期間はどの程度なのですか?」
「最低でも一週間。おそらく皇帝陛下はその最短の期間で動くだろう。今の彼は戦いたくてしょうがないといった感じだろうからね」
「手に入れた力を試したがっているのでしょうか?」
「うん、そうだね」
ハロルドはテーブルに置いてあった口に紅茶を飲み干すと立ち上がった。
「さぁ、二人ともこれから忙しくなるよ。サイドニアとの戦争はすぐそこまで迫ってる」
用語補足
カート
興奮性のある物質カチノン及びカチンを含んだ照葉樹の植物。
葉を根気よく噛む事で意識の明晰さを保ったまま高揚感や多幸感を得ることが出来る。
ソマリアでも取引されており、かの地の海賊達は集中力持続と恐怖心の抑制の為に使用しているようだ。
お読み頂きありがとうございます。
次話更新は 8月16日(木) の予定です。
ご期待ください。
※ 8月15日 後書きに次話更新日を追加
※ 5月26日 一部文章を修正
物語展開に影響はありません。