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アマルコルド -私は忘れない-  作者: 利府 利九
第九章 Lights Of Cydonia
180/327

180.“最強の趣味作家”



 また、夢を見た。

 今度は幼少期の夢ではない。


 しかも“これは夢だ”と自分で認識できている。

 明晰夢だ。


 そこまで把握したレジーナはゆっくりと辺りを見回す。

 自分の姿はいつもと変わりは無い。


 だが周りの景色はレジーナの知る風景とは全く異なっていた。


 マリネリス大陸の町とは違い、全面ガラス張りの高層の建物がいくつも天高くそびえている。

 地面や道は驚くほど綺麗に整備され、その上を機械仕掛けの荷車のようなものが高速で走っている。

 馬に曳かれずにどうやってあんな速度を出しているのか不思議だった。

 

 そして歩道には整った身なりの人々が行き交っている。

 彼らは皆一様に忙しそうで、足早に目的地へと歩を進めている。


 中には何か小さい端末を耳に当てながら、口を動かしている者も居た。

 そこに居ない誰かと会話でもしているのだろうか。


 それらのマリネリスとは比較にならないほど高い文化・技術水準を有する世界の光景を見物するレジーナ。

 道を歩く人々に話しかけてみたが彼らにレジーナの姿は見えておらず、レジーナの方からも彼らに触ることも不可能であった。


 やがてレジーナはあることに気付く。

 時間の進みが速い。


 天に昇る太陽がぐんぐん移動している。

 あっという間に中天から夕暮れへと時間が変遷してゆく。


 やがて辺りは薄暗くなっていくかと思われたが、発達した照明設備により闇夜の中でもその町は明るかった。

 まるで暗闇の中に光る宝石を散りばめたような幻想的な光景に、思わず引き込まれた。


 飽きもせずその景色を眺めていたレジーナだったが、そのうちだんだんと不安になってくる。

 いつになったらこの夢は醒めるのだろうか。


 焦燥感に駆られてレジーナは移動を始めた。

 無論、土地勘なんてものは無いので行き当たりばったりで適当に歩く。


 時間の流れる速度が速いのと同様に、レジーナの移動スピードも現実とは比べ物にならないほど速い。

 出鱈目に移動を繰り返すが一向に目覚めの気配はなく、途方に暮れるレジーナ。

 移動をやめて座り込むと途端に寂寥感がこみ上げてくる。


 その時、近くの建物の磨きぬかれたガラスにレジーナの姿が反射した。


 見ると、幼少の頃の姿に戻っている。

 まだ父と暮らしていた頃の姿だ。

 すると精神まで幼少の頃に戻ってしまったようで、寂しさと不安によって目から涙が溢れてきた。


「うう……ひっく……」


 このくらいの頃のレジーナはまだ自分の感情を上手く律せていない。

 しゃがみ込んでベソをかくレジーナ。


 その時、遠くからかすかな物音が聞こえたような気がした。

 カチャカチャと何かを連続して指で叩くような音だ。


 レジーナはその方向へと吸い寄せられるように歩いてゆく。


 やがて集合住宅と思しき建物へとたどり着いた。

 建物を見上げるレジーナの耳に先ほど聞こえたカチャカチャという音がまた聞こえた。


 その音が聞こえる部屋のドアをすり抜けて中に入ると、一人の黒髪の男性が椅子に座って机に向き合っている。

 机には薄い板が乗っており、光を放つそれには文字が映し出されいる。

 そして男性の手元には文字が書かれた凹凸のある板があり、彼はそれをピアノでも演奏するかのように指で叩いていた。


 ゆったりとした部屋着を着た男性はリラックスした様子で指を走らせている。

 時折、楽しそうに考え込みながら独り言を呟く。


「こいつの設定どうすっかなー……」


 この夢の中で出会った他の人物とは意思疎通できないどころか声も聞くことは出来なかったが、不思議と彼の声はレジーナにも聞こえた。


 それは何故だかレジーナに安心感を与える声だった。

 ずっと昔からよく知っているような、ある種の懐かしさを覚える声だ。


 そしてその声の主である男性とはずっと会いたかったような気もする。


 落ち着きを取り戻したレジーナは腕で目を擦って涙を拭くと、勇気を振り絞って男性に声をかける。


「あっ! あのっ!!」

「わ、びっくりした」


 驚いてこちらを見る男性。

 振り返った彼はレジーナの顔を覗き込む。


「え? 子供? どうやって入って来たんだ?」

「え、あの……そこの、ドアを通り抜けて……」

「そんなわけない。鍵かけたよ、俺」


 怪訝な顔でレジーナを見る男性。

 レジーナは何とか状況を説明する。


「あっあの! ここはゆ、夢の中で……わたしは、違う場所から、来たんです……」


 それを聞いた男性は目をまんまると見開いて驚く。


「夢ぇ? マジかよ、久しぶりにいいのが書けたってのに……ちきしょう……」


 頭をボリボリと掻きながら悔しがる男性。

 だが彼は数秒後に思いなおす。


「いや、違うな。夢だからこそいい話が書けたのか。俺の話がこんなに面白いわけがないもんな……なるほど……」


 今度はがっくりとうなだれる男性。

 そんな男性にレジーナは問いかけた。


「何をしてたんですか?」

「ん、小説を書いてたんだ。趣味でね」

「すごい!」

「すごくない! 人気ないんだよ、俺の小説」

「えー……」


 レジーナの賛辞の言葉を即答で否定した男性。

 だが彼は卑屈に自虐するでもなく、自分の考えを語り始める。


「でもいいんだ。人気なんか無くたって」

「そうなんですか?」

「そりゃ沢山の人に見られた方が嬉しいけど、でも結局は自分がやりたくてやってることだ。楽しむのが大事なんだ。……別にこれは強がりじゃないぞ」

「ふーん……」


 曖昧な相槌を打つレジーナに男性は話を続ける。


「俺さ、憧れている人がいてさ。ヘンリー・ダーガーって人なんだけど」

「ダーガー?」


 その響きに剣呑なものを感じ取り、表情を強張らせるレジーナ。

 だが男性はそんな事はお構いなしに話を進めた。


「うん、ヘンリー・ダーガー。彼はアメリカのシカゴで六十年間ひとりで黙々と小説を書き続けたんだ。文章だけじゃなく挿絵も自分で描いてね。ページ数にして一万五千ページにものぼる超大作さ」


 とんでもない数字を聞いてびっくりするレジーナ。


「すごい……」

「だろ?」

「有名な人なんですか?」

「うん。といっても、生前はまったく注目されていなかった」

「え?」


 疑問符を顔に貼り付けるレジーナ。

 一大長編を書いた作家なら有名になって然るべしと思ったがそうでもなかったらしい。


「彼は書いた小説を誰にも見せなかったんだ。そしてダーガーは死ぬ前にアパートの大家に“自分の荷物はすべて捨ててくれ”と言ったそうだ。で、遺品整理をした大家によって彼の作品が発見されて脚光を浴びる事になった」

「じゃあ、その人は何の為に小説を書いていたんでしょう?」

「近隣住民の話を総合するに、ダーガーはあまり幸福とはいえない人生を歩んでいたようだ。だから現実世界ではなく自ら創造した小説の世界に彼は救いを求めていたんじゃないかと思う」

「救い……」

「ま、これは俺の解釈というか何というか……とにかく俺は彼の事を“最強の趣味作家”と勝手に呼んで尊敬している。だからこそ、俺が書いた小説に彼と同じ姓を持つ人物を登場させた。乗り越えるべき存在として」


 そして男性はレジーナに向き直って告げる。


「ザルカの皇帝リチャード・ダーガーのことだよ。レジーナ」


 自らの創造主に名前を呼ばれたレジーナはハッとする。

 いつしか自分の姿はいつもの姿に戻っていた。


「あ、あああ……」


 上手く口が動かず、そして頭も回らず、言葉にならない何かがレジーナの口から漏れ出す。

 そんなレジーナに微笑みかけながら男性は口を開いた。


「レジーナ。リチャード・ダーガーを倒せ。そして『ナイツオブサイドニア』に終止符ピリオドを打ってこい。お前ならきっとできる。作者の俺が保証する」


 そして男性はうまく体を動かせないレジーナの額にそっと指を触れた。

 たちまち視界が白く光って何も見えなくなってゆく。


 レジーナの体は夢から醒めて覚醒しようとしているのだ。

 白く消えゆく光の中でレジーナは声の限り叫んだ。



「クルスっ!!!!」



 寝汗をびっしょりとかいて飛び起きたレジーナ。

 ぜえぜえと息を切らしながら周りを見ると、そこはボロい家屋の中だった。


 鉱山都市ボレアレの頭領ビョルンの使っていた古い作業場の二階の寝所である。


「夢か……」


 そう呟きながら視線を下に向けると、コリンがレジーナの寝ているベッドに寄りかかって寝息を立てている。

 昏倒したレジーナを心配してずっと看病していてくれたのだろうか。


 レジーナはコリンをそっとやさしく持ち上げてベッドに寝かせると、その上から毛布を被せる。

 そしてスヤスヤと寝息を立てる彼を尻目に、階下へと降りる。


 辺りはまだ太陽が昇っておらず、真っ暗だ。

 手探りでランタンかマッチを探そうとしたところで、何者かに声をかけられる。


「おはようございます、レジーナさん」


 ハルだ。

 彼女はマッチを擦ると、火をランタンに移した。

 部屋が明るくなる。

 彼女は黒髪を揺らしながらレジーナに尋ねてくる。


「どうですか? 新しい目覚めの気分は?」

「すこぶる快調だよ」

「それは良かった」

「なぁハル」

「何ですか?」

「あたしはどのくらい眠ってた?」

「丸一日くらいですかねぇ。その間コリンが献身的に介護してくれてましたよ。後でお礼言っといてください」

「ああ、もちろんだ」


 言いながらレジーナが椅子に腰掛けると、ハルが木製のコップを差し出す。


「はい、お水」

「ああ、ありがとよ」


 水を飲んで喉を潤すとレジーナは言葉を続ける。


「あたしが寝てた間に何か変わったことは?」

「ええとですね、ビョルン頭領がテオドールとフォルトナを連れてサイドニアに旅立ちました。例のトロッコを使って行くそうなので往復でもさほど時間はかからないでしょう」

「そうか」

「ちなみにミントも一緒です」

「あ? なんであのネコが」

「彼は魔力の素養がありますからトロッコ要員ですね」

「ふうん。ネコの相棒は?」

「ヘルガさんはボレアレで自分の銃の製作に取り掛かってるようで」

「そうかぁ……。戦争も近いもんな……」


 しんみりとした様子で呟くレジーナをハルがおちょくる。


「あれー? ひょっとして怖気ついちゃいました?」

「んなわけねえだろ」

「どうだか。さっきだって、うなされてたじゃないですか」


 ハルはどうやら寝ているレジーナの様子を時折確認していたようだ。


「うっせぇーな」

「しまいには大声でマスターの事を呼んじゃって……。ねぇレジーナさん。どんな怖い夢を見てたんですか?」

「さぁな」

「えー教えてくださいよー。マスターに助けてもらったんでしょ?」


 嘲るような口調のハルだったが、実際のところは彼女はレジーナの見た夢に出てきたクルスの話を聞きたいだけなのだろう。

 目を輝かせながら聞いてくるハルに対して、レジーナは意地悪っぽく言い放った。


「教えねえ。知りたきゃ自分で夢見ろよ」


 それを聞いたアンドロイドのハルは、歯軋りをしながら悔しがるのだった。


「ぐぬぬぬ……」



用語補足


ヘンリー・ダーガー

 イリノイ州シカゴで活動していた趣味作家。

 仕事や教会でのミサで外出する以外の時間のほとんどを創作活動に充てていたとされる。

 六十年の歳月をかけて長大極まりない小説『非現実の王国で』(正式な題は『非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子供奴隷の反乱に起因するグランデコ-アンジェリニアン戦争の嵐の物語』)を完成させるが、その出来に不満があったのか清書はされていない。

 作中でクルスはダーガーの事を“最強の趣味作家”と呼称しているが、一般的には“アウトサイダーアートの祖”と呼ばれている。





お読み頂きありがとうございます。


次話更新は 8月14日(火) の予定です。


ご期待ください。




※ 8月13日  後書きに次話更新日を追加

※ 5月25日  一部文章を修正

物語展開に影響はありません。

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