17.旅立ちの時
狂乱と興奮の決勝戦の後、怪我を神官の《奇跡》で治してもらう来栖とダリル。
治癒を受けた来栖は悔しさを噛み締めながら言った。
「あーあ、あそこでタックル切られたのが敗因だな」
ここが勝負所、と踏んで一気に攻め込む為に繰り出したタックル。
しかし何の捻りも無く馬鹿正直に出してしまった為、あっさりと読み切られ、そこから流れが変わってしまった。
対するダリルは清清しい表情を浮かべている。
がっくりと肩を落とす来栖を慰めるような台詞を吐いてきた。
「まぁ良いじゃねぇの。これで一勝一敗だし」
今まで打撃一辺倒だったダリルは来栖との訓練を重ねることで、コンプリートファイターへと変貌を遂げた。
そんなダリルに対して来栖は悔しさを隠すように告げた。
「弟子の成長が垣間見れて嬉しいよ」
「へへへ、師を越える事こそが最高の恩返しってな」
そこへ赤毛の女がやってきた。
レジーナだ。
彼女は来栖達の姿を見るなり、ぶっきらぼうに話しかけてきた。
「居やがったな、てめぇら」
自分が絞め落とした相手の登場に非常に気まずい思いをする来栖。
来栖が言葉を選んでいると、隣のダリルがレジーナに話しかける。
どうやら、この二人はもう幾度か会話していたらしい。
「よぉ残念だったなぁ、準決勝で俺の師匠に当たっちまって」
「けっ、どの道、今のあたしじゃお前らには勝てなかっただろうよ」
これは来栖にとっては意外な発言だった。
レジーナは自分の力にかなりの自信を持っている筈だ。
それなのにあっさりと負けを認めるこの発言。
来栖がレジーナの発言に驚いていると、レジーナが人差し指を向けてきた。
「だがな! おい、クルスとやら! てめぇにはいずれ必ず借りを返す! だからまた拳闘会に来るからな! それまで首洗って待ってろよ!」
と、勇ましい調子でリベンジ宣言をするレジーナ。
しかしそれが来栖には心苦しい事であった。
来栖は近いうちにバーラムを離れるつもりであった。
よって拳闘会では再戦の機会は無い。
「意気込んでいるところに水を差すようで悪いがレジーナ、俺はもうそろそろこの町を出るつもりなんだ」
それを聞いて、狼狽したような表情を浮かべるレジーナ。
「あ? な、なんでだよ?」
「旦那様に雇ってもらった経理の仕事は三ヶ月契約だったからな。金もちょっとは貯まったし、そろそろ他の場所も旅したい」
それを聞いていたダリルは寂しそうに呟く。
「おいクルス。どうしても行くつもりか? ここにはお前の居場所がちゃんとあるぜ?」
来栖のことをじっと見据えてダリルは問いかけてくる。
それを聞いて来栖は少しばかり目頭が熱くなる。
ダリルが言ってくれた事は嬉しいし、自分が認められる事は誇らしい。
だがここは、否……“この世界は”来栖の居場所ではないのだ。
来栖はダリルに告げる。
「ダリル。その言葉は嬉しいし光栄だ。本当に心からそう思ってる。でも俺にはやりたい事……いや違う。やらなきゃいけない事がある。その為にはここを離れて旅をする必要があるんだ」
その言葉を受けて沈黙するダリル。
するとレジーナが横から割り込んできた。
「あたしにはてめえの事情はわかんねえけどよ。その“やらなきゃいけない事”ってのは、お前の命を賭ける程の事なのか? 外にはこの前の狼以上の脅威が腐るほどあるぜ?」
「ああ。絶対にやらなきゃいけない事だ。俺の存在理由といってもいい」
その強固な意思を感じさせる物言いにレジーナは頷いた。
「なるほど。お前の意思はよくわかった。今回の借りは運良くまた出会えたら、その時に利子付きで返す」
「付けなくていいから。っていうか返さなくていいから」
「遠慮すんなって」
そして拳闘会から明けて翌日。
あの騒がしい二人組みは朝早くに発ったようだ。
コリン少年の人見知りをフレデリカ嬢が治したというのは、来栖にとっても興味深い出来事だった。
フレデリカは来栖が名づけた登場人物ではない。
言わばモブだ。
そのモブがメイン級の登場人物に深い影響を及ぼすというのは来栖も想定していなかった。
これからメイン級の登場人物に出会う時は注意が必要かもしれない。
設定した性格と違っている可能性もあるのだ。
そして、レジーナ。
彼女は決して表には出さないが、内面に恐ろしいまでの“闇”を抱えている。
元々は、カルヴァート家という貴族の令嬢だったレジーナ。
その家を滅ぼしたザルカ帝国への激しい憎悪を彼女は抱いている。
激烈な復讐心を糧に一人泥水を啜って生き延びた令嬢は、今は姓も名乗れない。
ただの冒険者のレジーナを演じて復讐の成就の為に牙を研いでいる。
自分ごと周りの全てを焼き尽くしかねない、そんな炎を内に宿しているのだ。
それ故に、一歩間違えれば最凶の悪役になる可能性もゼロでは無いのだ。
その日来栖は、ダラハイド家の面々に本来の経理担当のジャニスさんが復帰し次第、旅に出る意思を告げる。
最初は何とか思いとどまらせようとしていた男爵であったが、やがて来栖の意思の固さを知り、最終的には
「そこまで言うなら好きにしろ。私はもう知らん。どこぞで野垂れ死にでもするがいい」
という、非常に暖かい言葉を投げかけてくれた。
その顛末を聞いたダリルが、交換授業中に話しかけてきた。
拳闘会に来栖が出ることはもう無いが訓練はいまだ続いている。
昼休憩の時間かもしくは、お互いの仕事が片付いた夜に訓練を行うのが習慣になっていた。
休憩中に来栖から男爵の事を聞いたダリルが呟く。
「そらまた、随分と感動的な台詞だねぇ」
「何か、恩を仇で返してるような気分になったよ」
「いや、そんなことは無いだろ。絶対ない。普段の経理の仕事だって、拳闘会を盛り上げた時だって、ジョス坊を助けた時だって旦那はお前に感謝してるはずさ。単に寂しいんだよ、あのおっさんは」
「そうだといいけどな」
「それよか、今は自分のことに集中するべきだぜクルス。ショートソードとターゲットシールドの扱いにはボチボチ慣れてきたか?」
「何とかな。ある程度はサマになってきたような感覚はある」
来栖はダリルの薦めで小ぶりで扱いやすいショートソードと、相手の攻撃を逸らすターゲットシールドの組み合わせを手に慣らしていた。
最初は刺突用のレイピアも試してみたのだがしっくり来ず、結果ショートソードに落ち着いた。
刃を落とした訓練用の剣を用いて基礎を叩き込まれる。
剣の振り方、縦振り、横振り、袈裟切り、突き、シールドを用いたバッシュといった攻撃技術。
それと並行してターゲットシールドで相手の攻撃を受け流して、ショートソードの突きで仕留めるという連携を徹底的に体に覚えこませる。
そういった練習をここ二ヶ月ほど取り組んでいた。
「確かに最初のほうに比べたら大分マシになってきたな」
ダリル教官からお褒めの言葉を頂く。
「ふふ、生徒のやる気を出すのが上手いな」
そう言いながら黙々と体を動かす来栖。
実際、交換授業を始めた頃よりもかなりマシになってきたように感じていた。
あとは“実戦”で同じ動きが出来るか。
こればっかりは自分で経験するしかない。
実戦になってから後悔するようでは遅いのだ。
準備は万全にせねば。
来栖は固い決意を胸に訓練の日々を過ごした。
そうして時は過ぎてゆき、別れの時はやってくる。
昨日から出勤してきたジャニスさんに業務の引継ぎを済ませ、旅の支度を整える来栖。
ショートソードとターゲットシールドはダリルから格安で購入した。
ダリルは譲り渡すつもりだったようだが、頼りすぎるのは自分の成長にならないと来栖は固辞した。
旅に出る来栖をダラハイド一家が見送る為に集まった。
「どうしても行くんだな?」
最後通告の様相を滲ませながら男爵が問いかけてくる。
「ええ。今まで大変お世話になりました、旦那様。私は旦那様に拾われなければ、どこぞの貴族に今頃ボロ雑巾のようにこき使われていたでしょう。旦那様に受けたご恩は一生忘れません」
「ふむ、ならばこれを持って行け」
そう言って手渡される一枚の羊皮紙。
「これは……」
「それはお前の身分を私が保証するという証書だ。魔術による偽造防止の刻印も施してある。無くすなよ」
来栖はその紙をまじまじと見つめる。
名前欄の所には『クルス・ダラハイド』と記載されていた。
「だ、旦那様、これは……」
「勘違いするなよ。家督を継げというわけではないぞ。一応戸籍上は養子扱いだが爵位や資産等もろもろの相続権はジョスリンにある。その証書は私からの感謝の意だと思ってくれていい」
「あ、ありがとうございます」
来栖の歯切れの悪い言葉を、訝しむ男爵。
「ん? 何だ、ダラハイドの名前が嫌なのか?」
ここで“いや、来栖とダラハイド、どっちも“姓”なんですが……”と言うのは憚られた。
折角だ。
この際、空想世界ではクルス・ダラハイドとして生きていこう。
来栖は肚を決めて男爵に答えた。
「いえとても光栄です。この不肖クルスはダラハイド家の名に恥じないように生きていきます」
「うむ、その意気だ」
『来栖』が『クルス』になった瞬間だった。
ダラハイド男爵の傍らではジョスリン少年、フレデリカ嬢、キャスリン奥様が別れを惜しむように見守っていた。
キャスリンがクルスに近寄ってきて両肩をぎゅっと握る。
「クルスちゃん、ここはあんたの家なんだからね。いつでも帰ってきていいんだよ」
「はい……!」
そして二人の子供たちもクルスに別れの言葉を述べる。
「クルスさん……また来てね、絶対だよ!」
泣きじゃくりながら伝えるフレデリカ。
「クルスさん、あなたは僕の恩人です。あなたに幸福のあらんことを、お祈りしています」
ジョスリンは目を真っ赤にしながらも気丈に告げた。
ダラハイド一家の言葉を聞いたクルスは大きく感動し、そして激しく動揺した。
いかん。
このままここに居ると、昨日固めた覚悟がどっかに吹っ飛んでいってしまう。
病気なんかどうでも良いじゃないか。
ここには俺の居場所がある。
俺はこの農場に骨を埋めるんだ。
そうやって、自分の使命を諦めてしまいそうになる。
その誘惑を振り払うようにクルスは軽く首を振ると、
「皆大げさだよ、しばらくはドゥルセを拠点にする予定だから会おうと思えば会えるさ」
そして大きく息を吸い、万感の思いを胸に、皆に告げた。
「それじゃあ、皆さん。お達者で」
そう言い放ち、農場を後にした。
クルスは決して振り返らなかった。
一人トボトボと歩いたクルスはバーラムの町の入り口にたどり着く。
そこではダリルが待っていた。
「何だよクルス、結局泣いてんじゃねぇか」
実は農場を出て三歩目には、既に涙を流していたクルス。
「目にゴミが入っただけだ」
「おいおい、今は無風だぜ」
「うるさいよ」
ゴシゴシと目を乱暴に拭うと、ダリルに謝意を述べる。
「見送り、ありがとな」
「別に良いってことよ。お前がいる間は退屈しなかったしな。ほれ、さっさと行けよ」
しっしと手を振るダリル。
どうやら湿っぽいのは苦手らしい。
「うん行ってくる。ダリル、またな」
「おう、またなクルス」
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勤務先の大学病院で医師・葛城は、自らの担当患者を診ながら物思いに耽っていた。
『バルトロメウス症候群』。
この患者を蝕んでいる病気の名前だ。
日本初の症例が確認された直後にこの患者が運び込まれた。
立て続けに二人の感染者が確認された事により一時はパンデミックも危惧されたが、どうやら杞憂であったようだ。
葛城は海外から取り寄せたレポートに目を通す。
そこには目を疑う内容が記されていた。
この病気は普通じゃない。
向こうの医師がレポート提供を異様に渋った理由も今なら理解できる。
とてもじゃないがこれは世間には発表できない。
患者の家族にも伝えていない。
いずれは告知しなくてはならないだろうが、今は止めておいたほうがいいだろう。
ふと、患者の瞼が、ぴくりと動く。
この患者は今、夢でも見ているのだろうか。
お読み頂きありがとうございます。
今回で第一章は終了で、次話から第二章のはじまりです。
二章では満を持して(遅い)メインヒロインの登場を予定しております。
次話更新は 4月25日(火) の予定です。
ご期待ください。
※ 8月 8日 レイアウトを修正
※ 2月22日 一部文章を修正
物語展開に影響はありません。