167.寂れた劇場
「あ”---。疲れた」
ザルカ領の都市アレスに帰還し、邸宅に着くなりハロルドは機嫌悪そうに唸る。
そのハロルドの護衛に当たっていたフロスト少尉は、しかめっ面の彼を見て内心穏やかでは無いが表情を崩さずに追従する。
アレスの邸宅にあるハロルドの自室へとたどり着き、普段使っている椅子へと向かうハロルド。
即座にフロストは彼の上着を預かる。
いつもなら“ああ、ありがとう少尉”とでも言ってくれるところだが、今日のハロルドはそれを言うのも億劫なようだ。
そんな彼をなるべく刺激しないように普段のルーティンを遵守するフロスト。
上着についた埃を丁寧に払い、きちんと整理されたハンガーラックへとかけた。
そして邸宅住み込みの給仕に茶の指示を出して、ストレートティーを用意させる。
それらの作業をこなしながらハロルドの様子を盗み見るフロスト。
ハロルドは首都ザルカでは義父であるリチャードに呼び出され二人きりで話をしたそうだが、どんな内容を話していたかフロスト少尉は聞いていない。
ひょっとすると、その事で機嫌をくずしているのだろうか。
そう思案しつつ、給仕が淹れたストレートティーを受け取って運ぶフロスト。
紅茶の入ったカップと砂糖をハロルドの机に置いたところで、彼が話しかけてくる。
「フロスト少尉、僕らが帝都に行ってる間に届いた郵便物をとってきてくれ」
「了解しました」
きびきびとした動作で部屋の外へと向かい、給仕を呼び出す。
そして手紙の類いを集めさせ、危険物が仕込まれていないかチェックした。
安全を確認した後、ハロルドの下へと持っていくフロスト。
受け取った手紙を見たハロルドは長いため息を吐いて、言った。
「はぁーっ。まだ魔鉱調達の目処は立っていないか……」
彼は現在さらなる銃の性能を実現させる為に、魔鉱というものを利用しようとしていた。
ルサールカから直接武器を輸入してしまえば話は早いのだが、向こうの情勢が完全に決するまではそういうわけにもいかない。
尚も悩ましげなハロルド。
そんなハロルドにフロストは恐る恐る話しかける。
「もし、お望みなら私がボレアレに赴きますが」
ザルカ帝国は鎖国政策を実施しているが、実際のところは帝国側から外に出る分にはフリーパスに近い。
鎖国を実施しているのはあくまで帝国だけであって、他の国は“来るもの拒まず”の姿勢をとっているのだ。
もちろん大きな町や都では身分を示さねば入れないが、しかし鉱山都市ボレアレは出入り自由と聞いている。
フロストの提案を聞いたハロルドはゆっくりと手を振った。
「あー、いいからいいから大丈夫。既にバーンズ少尉を向かわせている。帝都に行く前に頼んでおいた。まだ結果は出てないみたいだけどね」
「そうですか。出過ぎた提案をしてしまいました。申し訳ありません」
「君が気にする事はないよ、フロスト少尉。この前の汚名を雪ぐ機会が欲しいだろうけど、今は我慢してくれ」
「了解しました」
そしてハロルドは別の手紙に目を通した。
途端に顔が苦虫を噛み潰したように渋くなる。
「うーん、こっちもダメか……」
「どうされたのですか?」
「ルサールカの五番シェルターに内偵に行った大尉が、まだ音信不通だ」
五番シェルターといえば、ヴェスパー社の管轄シェルターだ。
おそらくラルフは例の組織が本当にヴェスパーと手を組んだのか調べていたのだろう。
「あまり、こういう事は言いたくありませんが……」
「大尉は翻意した、かい?」
「ええ……その可能性もゼロではないかと」
ラルフは優れた軍人である。
それはエリートを自負するフロストにも異論は無かった。
数々の作戦を成功に導いてきた彼は、生身のフロストが唯一尊敬する身体拡張者である。
そんな彼が敵に遅れを取るとは考えづらい。
であるならば、謀反の可能性も否定できない。
フロストの見解を聞いたハロルドは紅茶を啜り、そして首をひねった。
「うーん、どうだかね。いずれにせよ情報が少なすぎる。ボレアレの件が済み次第、内偵要員を増やそう」
紅茶を飲みフロストと会話しているうちに落ち着いたのか、冷静に告げるハロルド。
それを聞いてフロストは思いを巡らせる。
今頃、ラルフはどうしているのだろうか。
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ルサールカ人工島にある五番シェルターの古い区画。
そこに寂れた劇場が建っていた。
そこに一人の男が向かっている。
ハロルドの命によりこの地に内偵調査に訪れたラルフ・ヴィーク大尉だ。
彼はくたびれたスーツを身にまとい、中折れのソフトハットを被る。
なるべく軍人っぽく見えない服装を吟味した結果、この格好に落ち着いた。
しばらく歩くと、件の劇場が見えてきた。
取り壊し寸前と言われても納得できる外見の建物である。
だが煌々と照明が灯されており、中からは観客の話し声が聞こえてくる。
寂れているのは外観だけで建物内はむしろ盛況である。
どうやら開演には間に合ったようだ。
入り口の男から入場チケットを買い、手近なテーブル席へと着くラルフ。
劇場内を見渡すと客入りは上々であった。
その時、隣のテーブルの客が話している声がラルフの耳に入る。
そいつらは男女の二人組みで、どうやらラルフと同じく初見の客のようだ。
女が男に尋ねている。
「ねぇ、なんでこんなボロッちい劇場が混んでんの? おかしくなーい?」
「それはな、ここの演劇は海向こうの土地の話を元にしているんだとよ」
「うぇっ!? なにそれ、ちょっと面白そう」
「だろぉ? だからみんな珍しくてよ、こんなに客が入ってんだ」
そう。
この劇場ではルサールカの外の大陸を演劇の舞台にしているという。
そしてここを仕切っているのは、若い白髪の男だという情報をラルフは得ていた。
その時ブザーが鳴って、幕が上がる。
開演の時間だ。
期待に胸を膨らませた観客の視線を受けながら、劇はスタートした。
舞台上には、緑色の布で作られたセットがある。
森を模しているようだ。
その鬱蒼とした森を奇異な格好をした者たちが進んでいる。
一人はローブを纏った小さな背丈の少年だ。
手には杖を持っており、頭に特徴的なとんがり帽子を被っていた。
そしてその隣には長身の赤毛の女性がいて、大きな剣を背負っている。
この二人が劇の主役だろうか。
やがて劇は進み、彼らの目的が明らかになる。
ナブア村とかいうところに急遽襲来した怪物の群れを追い払うのだそうだ。
ルサールカの民が見ることを考慮してか、ところどころ注釈のナレーションが入る。
そのナレーションは随分機械的だったが、おそらくアンドロイドにでも喋らせているのだろう。
そして遂に二人組みがその怪物の群れと遭遇する。
怪物たちは人間くらいの体長の二足歩行するトカゲだった。
“リザードマンという種族だ”という注釈が入る。
リザードマンは被り物を被った人間の役者だったが、妙に気合の入った特殊メイクで臨場感抜群だ。
自然と前のめりになる観客達。
そして赤毛の女がリザードマンの群れを自慢の大剣でばったばったと切り伏せる。
役者達は相当な練習を積んだのだろう。
見事な剣さばきを見せた彼らの殺陣に観客も沸く。
だが、興奮の時間も長くは続かない。
今度は巨大なリザードマンが姿を現した。
五~六人くらいで気ぐるみの中に入って動かしている。
着ぐるみとはいえ、大型リザードマンは肌の質感が非常に凝っていてリアルだった。
隣の席の女が小さい声で“ひっ”と呻く。
だがそんな巨大な敵にも主役達は勇敢に立ち向かい、最後は赤毛がリザードマンの胴体に剣を突き立てて勝利した。
そのカタルシスに劇場内も盛り上がる。
その歓声に合わせて主役の二人が天高く手を突き上げて、劇は幕を閉じた。
そして幕が落ちた壇上に役者達が並び、観客達にお辞儀をする。
観客達の拍手に包まれての幸せそうな光景だ。
それを見つめながらラルフは考えた。
ルサールカの価値基準では有り得ない荒唐無稽な内容の話ではあるが、実際にマリネリスに行ったラルフからすると非常に真実味のある話だ。
実際、注釈のナレーションは正しい知識を喋っていたし、セットで再現された森も正確だ。
それに何よりあのリザードマン達。
まるで“グスタフ”だ。
現在ザルカ帝国領で研究開発されている生物兵器を思い出し、ラルフは身震いする。
まさか情報が漏れているのか。
いや、そうとしか考えられない。
ジュノー社、もしくはザルカ帝国内に内通者がいる。
たぶんザルカ帝国の者だろう。
ザルカ帝国の者だったら、それなりの地位にいる者ならばマリネリス全土を移動できる。
それならこの劇の異常なまでのリアリティにも説明がつく。
ラルフが座って思案していると、とある人物が目に付いた。
若い男で、マフィアの様なダークスーツにサングラスをかけている。
そしてその男の髪色は白だった。
彼こそがラルフの追っていた人物だ。
その人物は関係者席から立ち上がって、護衛を伴い出口へと向かう。
ラルフは気付かれないようにその男を追った。
男達は劇場を出ると、人気の無い方へと歩いていく。
その先は古い雑居ビルが立ち並んでいる区画だ。
久しく行政の手も入っていないのを良い事に、反社会的組織の根城になっていると噂されている。
その剣呑な区画をずんずんと進んでいく男達。
それを見てラルフは逡巡する。
ここは深入りするともう戻れないかもしれない。
だがその一方で、これまで影も形も見えなかった白髪の男が目の前に居る。
悩んだ末、ラルフは追うことを選択した。
本来ならこの劇場のこと、内通者のことをハロルドに報告するべきだ。
それだけでも手柄としては充分だろう。
だがラルフは直感していたのだ。
あの白髪の男のしっぽはこの機を逃すと二度と掴めない、と
狭い路地に雑居ビルが並ぶその区画を慎重に進むラルフ。
前方には白髪と護衛が悠々と歩いている。
白髪たちが突き当たりを曲がる。
曲がり角で一瞬、連中の姿が見えなくなる。
その後を小走りで追うラルフ。
そして自身も突き当たりを曲がろうとして愕然とした。
前を歩いていたはずの白髪たちの姿がない。
その先は行き止まりであった。
困惑するラルフは後ろから声をかけられる。
「おい、あんた。ウチのボスに何か用か?」
ラルフが振り向くと二人の男がそこに居た。
一人は細身の男でバイザー型の視覚補助器とヘッドホン型の高性能補聴器をつけている。
もう一人は浅黒い肌の筋骨隆々としたスキンヘッドの大男で、こちらは両腕を義手に換装していた。
ラルフは慎重に問いに答えた。
「いやあ、すみません。ちょっと道に迷ってしまって、前を歩いていた人達に聞こうと思ってたんですが……」
とぼけるラルフだったが、二人の男達は信じていないようだった。
「あーはいはい、嘘乙嘘乙」
ヘッドホンの男が嘲るように言う。
すると、隣の大男がヘッドホンに確認した。
「どうする、オスカー?」
「どうするって……喋る気がないなら、そりゃ殺すに決まってんしょ。ボスはこいつの生死については指示してなかったし」
オスカー。
その名前を聞いてラルフは戦慄した。
こいつらは二人組みの殺し屋、オスカー・ライリーとマイク・サンダーソンだ。
要注意人物としてジュノー社から注意勧告をラルフは受けており、その時もらった情報と特徴も一致する。
「まさか悪名高い“オスカーマイク”と、こんなところで会えるとはな」
ラルフがそう言うと、ヘッドホンのオスカーが嬉しそうに笑った。
「あれ、俺らのこと知ってたの? なぁマイク。ひょっとして俺らって有名人?」
「はしゃぐなオスカー。仕事の時間だ」
「はいはい。オッケーオーケー。さっさとやろう」
獰猛な捕食者じみた笑みを浮かべるオスカー。
対してマイクは僅かな油断も無い様子で、じっとラルフを睨みつける。
そんな彼らにラルフは内心の緊張を悟られないように気さくに声をかける。
「お手柔らかに頼むぞ、お二人さん」
覚悟を決めたラルフは護身用に持ってきた《ウステンファルケ》に手を掛けた。
お読み頂きありがとうございます。
次話更新は 7月11日(水) の予定です。
ご期待ください。
※ 7月10日 後書きに次話更新日を追加 一部文章を修正
※ 7月31日 一部文章を修正
※10月20日 一部文章を修正
※ 5月12日 一部文章を修正
物語展開に影響はありません。