166.もう一つの方
鉱山都市ボレアレの夜が開け、朝日が昇る。
レジーナ・カルヴァートはその朝焼けを古い作業場の屋根の上で見ていた。
昨日ハルの話を聞いてから幾分涙腺が緩くなっていた彼女はしばらく独りになりたかったのだ。
階下では物音がすることから察するに、もう皆起きてるらしい。
そして再びボレアレの町に目を向けると、徐々に煙が立ちこめ始める。
朝の早い職人達が作業を開始したようだ。
こうしていつもの煙たい町の姿を取り戻すボレアレを見ていると、屋根上に誰かが昇ってきた。
コリンだ。
「よ、よっ、レジーナ。ええと、その、お、おはよう」
何やら腫れ物にでも触るような挨拶をかましてくるコリン。
その様子だと、昨日こっそり泣いていたのを聞かれたかもしれない。
その事をちょっと恥ずかしく思うレジーナだったが、敢えていつもの調子でコリンに返事をする。
「おい、コリン。何だよその締まらねえ挨拶は」
「え、え? 何言ってんのさレジーナ。い、いつも通りじゃん」
「全然違えよ。で、どうした?」
「あ、うん。これから朝イチで頭領のところに行こうかと思うんだけど、レジーナはどうする?」
昨日捉えた暗殺者から情報を引き出せてないか聞きに行くのだろう。
「全員で行くのか?」
「いや。僕とおじじ、ミントとハルさんで」
「ならいいや。あたしは残る」
今はハルの顔を見たくない。
別に彼女本人が悪いというわけではないが、それでもレジーナは嫌であった。
「そっか。あ、何か欲しいものある? 買ってこようか?」
「いや、大丈夫だ。気をつけろよ」
「そっちもね」
そう言ってコリンは階下へと降りていく。
しばらくして出かける四人の姿がレジーナの目に映る。
こちらに気付いたハルが満面の笑顔を浮かべて大きく手を振ってくる。
レジーナは複雑な表情で手を振り返した。
昨日散々人の過去を掘り返しておいて、よくあんな笑顔を浮かべられるものだ。
だが彼女の話が真実だとするならば、彼女も内心では焦っているのだろう。
ここで手を拱いていても創造主クルスは救えない。
それどころか、彼はこのまま一生寝たきりの可能性すらあるのだ。
などとレジーナが思案していると、お腹から音がする。
そういえば何も食べていない。
レジーナは一つため息を吐くと、階下へと降りる。
「あっレジーナさん、おはようございまッス!!」
一階まで降りてきたレジーナに気付いたフォルトナが声をかけてくる。
ハルの顔を見たくなくてここに残る選択をしたレジーナだったが、そういえばほぼ同じ顔がもう一人いた。
露骨に嫌な顔を見せながら、レジーナは返事する。
「ああ……、おはようさん。ハル二号」
「二号じゃないッス!! フォルトナッス」
フォルトナの抗議を無視してレジーナが腰を降ろすと、“まだら髪”のテオドールが保存用の乾パンとスープを渡してくる。
昨日レジーナが寝た後で誰かが買ってきたのだろう。
「ほれ、食えよ」
「ああ、ありがとよ」
「……ふん」
テオドールは悪い目つきで、レジーナを値踏みするように見つめてくる。
この警戒心の強さを見ると彼も何か辛い過去を持っているかもしれない。
テオドールにもらった食事をとっていると、ふと隣のテーブルの様子が気にかかった。
イェルドの装備であるランタンシールドを念入りにドワーフ女のヘルガがチェックしている。
ヘルガはそのランタンシールドに仕込まれた散弾銃にご執心のようだった。
装備を検分しながらそれを分析している。
「へぇ、まさか盾に銃を暗器代わりに仕込むとはねえ……。しかも散弾銃なら咄嗟の白兵戦でも有効だ」
「うむ、この前も活躍した」
ヘルガとイェルドが話しているところへテオドールが、割り込む。
「通常の散弾しか使えねえのか? それ」
「通常の? どういう事だ? テオドール」
疑問をぶつけるイェルドにテオドールが答える。
「散弾銃に込める実包なら散弾以外にもあるだろ。単発で威力の高いスラグ弾とか発火性のある焼夷弾とかよ」
「何、そうなのか? それは良い事を知った」
イェルドが感心しているとヘルガが何かを閃く。
「あ、そうだ。それなら魔鉱の欠片を弾に詰めたらすげえ威力になりそう」
ヘルガのひらめきにイェルドは同意する。
「たしかにな。魔鉱そのものを使うと非常に高価だが、欠片なら幾らか安く済むだろう」
「それな。優れた工業製品はコスパも大事だよな」
コスパという言葉を聞いて、一瞬苦い顔をするテオドール。
何か痛い目を見たのだろうか。
銃について議論している三人にレジーナは問いかける。
「随分熱心なこったな」
それにテオドールが真剣な様子で答える。
「そりゃ熱心にもなるぜ。急がねえとザルカが準備を整えちまう」
それを聞いレジーナは、ビョルンから聞いた噂話を思い出す。
“これは、あくまで噂の一つに過ぎねえんだけどよ。ザルカの連中は戦争の準備を整えてて、近々それが完了するんじゃねえかって”。
彼はそんな事を言っていた。
今のテオドールの発言を聞くに、どうやらその噂は本当の事であったらしい。
レジーナは身を乗り出してテオドールに尋ねる。
「ザルカが準備してるって話……詳しく聞かせろ」
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「で、どうなのだ? 首尾は」
「はっ順調でございます。……父上」
帝都ザルカの執政室で畏まる黒髪の少年、ハロルド。
彼が唯一傲岸な態度をとれない相手が目の前に居た。
金色の刺繍が施された黒い法衣を纏い、切れ長の目でこちらをじっと見据えている。
この世界でのハロルドの後見人とも言える存在、ザルカ皇帝リチャード・ダーガーだ。
この空想世界にたどり着いたばかりで身寄りの無い頃に、彼はハロルドを保護してくれた。
そして、その返礼にと様々な知識を授けたハロルドを養子扱いにしてくれたのであった。
リチャードはクルスの書いた処女作『ナイツオブサイドニア』では帝国ザルカの皇帝、即ち悪の親玉として描かれる存在である。
物語後半では、様々な禁忌を犯して帝国の武力を高め他国に宣戦布告をする。
その過程で他国から“魔王”と呼称され恐れられる。
そしてサイドニアと他国の連合軍と衝突し、その際に“勇者”レジーナ率いるパーティと戦う。
言わば“ラスボス”だ。
自身が幼少の頃にあったサイドニアとザルカの大戦により、サイドニアに対して尋常ではない憎しみを抱いているリチャード。
そんな彼はかつては賢王との誉れ高く臣民の信頼も厚かったが、後継者となる息子を数年前に病気で亡くして以来おかしくなってしまった。
狂気に取り憑かれたリチャードを恐れた妃にも逃げられ、孤独になった哀れな独裁者である。
その設定を知っていたハロルドは言葉巧みにリチャードに取り入り、今の地位を得ている。
ハロルドの答えを聞いたリチャードは満足そうに頷いた。
「そうか、それは僥倖だ。お前は私の宝だよ、ハロルド」
「そのようなお言葉をかけて頂き、身に余る光栄にございます」
深々と頭を下げながら述べるハロルド。
だが内心では毒づいていた。
“うるせえ、こっちは今それどころじゃないんだよ。このクソ忙しい時期に呼びつけやがって”
その罵詈雑言を胸に秘めてハロルドは続ける。
「一般兵向けの銃の生産は滞り無く進んでいます。手練向けの高性能なものも鋭意開発中です」
これは半分嘘であった。
たしかに一般兵向けの銃の生産は順調だ。
だが問題は更なる高性能な銃の開発の方で、こちらの進捗は芳しくない。
抜本的な性能向上には新素材である魔鉱が必要とされたが、その調達が難航しているようだ。
魔鉱はボレアレの特産品だが、そこでザルカの工作員が目立って動いたら戦争準備を気取られる危険があった。
現在その情報はテオドール達が亡命したサイドニアしか知らない情報である。
ボレアレは他国とは政治的に不干渉という方針をとっている自由都市である。
戦争準備の情報はまだ入っていないはずだが、工作員の活動でそれが露見したら元も子もない。
そうならないように慎重にやらせているが、そのせいで予想外に時間がかかってしまっている。
しかしながら、そちらはハロルドとしてはそこまで重要と捉えていはいない。
問題はもう一つの方だ。
そのもう一つの方について、リチャードが聞いてくる。
「で、ルサールカのジュノー社は無事向こうで覇権を獲れているのだろうな?」
「大分優勢と伝え聞いております。こちらでの戦が終わりましたら、皇帝陛下も向こうへとお連れできるかと」
「ふむ、その時が楽しみであるな。期待しておるぞ、ハロルドよ」
「はっ」
「よろしい、もう下がってよいぞ。大儀であった」
「それでは失礼致します」
執政室を出るハロルドは足早に歩きながら頭を回転させていた。
ルサールカの現在の情勢についてである。
確かにルサールカでは現在もジュノー社が優勢だ。
しかし同時に嫌な兆候も見せ始めている。
ジュノー社管轄の八番シェルターで活動しているという、白髪の男が率いる謎の組織。
そいつらがヴェスパー社と手を組んだという情報がもたらされる。
ヴェスパーといえば、トップ企業だったのをジュノーに追い落とされた悪役企業だ。
そのヴェスパーと謎の組織が手を組んだというのは、何ともキナ臭い香りのする出来事だ。
もしかすると思わぬ力を持った“第三勢力”になってしまうかもしれない。
それは由々しき事態であった。
そして更に最悪なことに、これらの情報をもたらしてくれたラルフ大尉はその後消息を絶っている。
お読み頂きありがとうございます。
次話更新は 7月 9日(月) の予定です。
ご期待ください。
※ 7月 8日 後書きに次話更新日を追加
※ 5月11日 一部文章を修正
物語展開に影響はありません。