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アマルコルド -私は忘れない-  作者: 利府 利九
第九章 Lights Of Cydonia
165/327

165.愛




 正直、父の顔はあまり覚えていない。

 幼い頃に生き別れてしまったからだ。


 母は自分を産んだ時に他界してしまったらしい。

 家の中に飾っている絵画で母の姿を見たが、綺麗な人だった。

 絵画の中から穏やかな、それでいて凛とした表情でこちらを見ていた。



 記憶の中の父は優しい人だった。

 周りの子供よりも鈍臭かった自分に嫌な顔一つせず、大らかに接してくれた。


 だがそんな父が一度だけ険しい顔で自分を叱った事があった。



 あれは自分が五歳か六歳くらいの頃であったと思う。

 家で飼っている犬のフランシスが自分に飛び掛った事があったのだ。


 その時、父が外出しており特にすることの無かった自分は、裏庭で同じくヒマを持て余しているフランシスと遊ぼうと考えたのであった。

 そしてフランシスは嬉しさ余りに飛びついてくる。


 フランシスからすれば“飼い主の子供相手にじゃれ付いた”程度の事であり、今なら笑い話にもできる。

 だが当時の幼い自分にとって、それは多大な恐怖を伴う瞬間であった。


 フランシスに飛び掛られた時、頭が猛烈に痛み出し視界が赤く染まる。

 ふわっと体が浮揚するような感覚を覚え、次の瞬間に意識が飛んだ。


 後の記憶はまったくと言っていいほど無かった。

 ただ気がついた時にはフランシスは酷く怯えており、そして彼の小屋も付近の柵も何もかも壊れていた。


 まるで凶暴な台風が駆け抜けた後の様な惨状である。



 カルヴァート家の家政婦メアリーもその時の光景を見ていたそうなのだが、何があったのか聞いても頑として教えてくれなかった。


 そしてメアリーから父に話が伝わり、自分は彼の書斎へと呼び出される。


「レジーナ」

「はい、お父様」

「メアリーから聞いたよ。今日、裏庭で何があったか憶えているかい?」

「え、ええと……。フランシスに飛び掛られて……わ、私……」

「レジーナ。落ち着いて、ゆっくり喋ってごらん」

「は、はい。ええと、それで私すごく怖くて……その後は……」

「その後は?」

「……ごめんなさい。おぼえてません」


 大きな目に涙を溜めて言うと、父はいつもより少しだけ厳しい調子で言ってくる。


「そんな事はないはずだ、レジーナ。“こわい”以外の感情がないと“ああ”はならない」

「……?」

「ほら、レジーナ。落ち着いて、よく思い出してごらん」


 こめかみに手を当ててその時の情景を思い浮かべる。

 心のどこかで思い出したくないのか、頭がズキズキと痛んだが父を失望させたくなかった自分はその時の心情について思考を巡らせる。


 やがて、一つだけ“こわい”以外の感情を抱いたことを思い出した。

 だが、それはあまり他人には言いたくない類いのものだ。


「あ」

「何か思い出したかい?」

「はい……でも」

「いいから、言ってごらん」


 父が自分の目を真っ直ぐ見つめながら言ってくる。

 正しさの化身のような彼の目に貫かれる思いで、自分はその時の心情を吐露した。


「“フランシスなんかいなくなっちゃえばいいのに。そうすれば私は怖い思いをしなくていいのに”って」


 それを聞いた父は自分の両肩をがっしりと掴み、強い語調で告げてくる。

 激昂こそしていないが、今まで見た中で一番怖い顔だ。


「レジーナ、こっちを見なさい」

「は、はい……」

「例えばここで私がレジーナを大声で怒鳴り散らして叱ったとする。お前はその時も“お父さんなんかいなくなればいい”と思うかい?」


 千切れんばかりの勢いで首を横に振る。


「そうか。じゃあレジーナにとって“お父さんは居なくなったら困るけど、フランシスは別にそうでもない”んだな?」

「ち、ちがいます……」

「違わないよ、レジーナ。お前は無意識に選別している」

「せんべつ……」

「そう。自身にとって“要る”と“要らない”に他者を選り分けている」

「……」

「今日の事はお前が“フランシスを要らない”と思ったからあんな事になったんだ」


 相変わらず厳しい口調で続ける父に、自分は問いかけた。


「お父様、フランシスは、その……大丈夫なんですか?」

「獣医に見せたが、大丈夫だと言っていた。ただの打撲だ」

「打撲? 誰がそんな……」

「レジーナ、お前だよ」



 その言葉に思考が停止したのを覚えている。

 幼い自分に大きなシェパード犬であるフランシスに怪我を負わせるなど出来るわけが無いからだ。


 だが父は次に信じられない事を言う。


「レジーナ、よく聞きなさい。お前の中には竜が棲んでいる」

「りゅう……が?」

「今はよくわからなくても良い。だがそれがどれだけ危険な事か、いずれわかるだろう」

「……?」

「とにかく、お前の中には強大な力が眠っている。だからお前は自分自身を律せる強い心を身につけなくてはならない」

「わ、私はどうすれば良いのですか?」

「愛を知りなさい、レジーナ」

「愛……」

「そう、愛だ。例えば、そうだな……。私はレジーナのためなら、この命を落としても構わないと思っている。お前の為に自身の全てを捧げる覚悟がある。愛とはそういうものだ。他者を“好き”“嫌い”だの“要る”“要らない”などと選別することじゃないんだ」


 などと大真面目に語る父。

 そして父は更に続ける。


「レジーナ、いいかい? この世に“要らない”存在なんて無いんだ。フランシスだってレジーナにとっては今は怖いだろうけど、とても賢い良い犬だ」

「……はい」

「だからレジーナにもみんなを愛して欲しい。そうすれば今日みたいにお前の中の竜が暴れ出す事はないはずだ」

「は、はい……お父様」


 まったく理解できない話であったが、父のただならぬ様子に感化されて首を縦に振った。



 もし再び父に会うことがあったら謝らなければならない。


 今の自分は、みんなを愛してはいないのだ。





--------------------






「こんな感じで合ってますかね、幼少期のレジーナさんって」


 ハルの口から、スラスラと語られたレジーナの過去。


 それを聞いていたコリンはレジーナの予想外の生い立ちに、驚愕した。

 あの狂戦士ベルセルクが元々はどこかの貴族のお嬢様だったらしい。


 何かたちの悪い冗談かと思ったコリンはレジーナの顔を見たが、彼女は口をきっと結んで耐え忍ぶようにハルの話を聞いていた。

 その表情から、ハルが語った内容は全て真実だとコリンは悟る。


 やがて掠れ声でレジーナはハルの言葉を肯定した。


「ああ、合ってるよ」

「そうですか、良かった。これで少しは信じていただけましたかね? マスターが創造主だって」

「そうだな」


 そう言って目を伏せるレジーナ。


 コリンがよく見ると彼女は口を震わせていた。

 そして彼女はその震えを抑えつける様にハルに質問をする。


「ひとつだけ聞かせてくれ」

「なんですか?」

「お父さ……親父は、今も生きてるか?」


 縋るような視線を向けてハルに問いかけるレジーナ。

 だが彼女の答えは非情であった。


「いえ、あなたと生き別れた直後にザルカの兵士に殺害されています。メアリーさんもフランシスも」


 その言葉を静かに聞き入れたレジーナは、すっと立ち上がるとハルに告げた。


「そうか、教えてくれてありがとよ」

「いえ」

「ちょっと今日は疲れちまった。あたしはもう寝るぜ」


 そう言って彼女は二階へと上がっていく。


 その様子がひどく寂しそうで心配になったコリンは階段の傍で聞き耳を立てた。

 階上からは、レジーナが押し殺した声ですすり泣くのが聞こえてきた。


 居ても立っても居られなくなったコリンは階段を上ろうとするが、イェルドに止められる。

 彼は黙って首を横に振った。


 “今は一人にしてやれ”という事だろう。


 相棒レジーナが初めて見せる弱い面を見て、コリンは大いに動揺した。

 だがそれと同時に、こうも思った。


 彼女のために何かをしてやりたい。

 今まで長い間付き合ってきた相棒として。


 共に死線を潜り抜けた仲間として。







-----------------------









 久しぶりに夢を見た。

 子供の頃の夢だ。



 ザルカ帝国領内のレジーナの住む家。

 その家の屋根を雨が叩く音が響く。


 夜も更けて寝る時間になったので、レジーナは子供部屋のベッドに向かう。

 メアリーが本を読んでくれたのでそれを聞いて、一度は眠りについた。


 だが、突如として雷鳴が闇夜を切り裂く。

 落雷の音で目を覚ました彼女はベッドの中で震えていた。


 一瞬、窓の外が光ってその数秒後に雷が轟く。

 まだ雷は遠い。

 しかし、段々と落雷地点が家から近くなっていき、窓が衝撃でビリビリと振動する。


 こわい。


 レジーナは元来、怖がりな少女だった。

 特に嫌いなのは夜の暗闇と雷だ。

 だがそんな彼女の脳裏に父の言葉が過ぎる。


 “お前は自分を律せるようにならなければならない”。


 そうだ、こんな雷くらいで怖がっててはいけないのだ。

 何とかそう自分に言い聞かせて、布団を頭から被る。


 そして先ほどメアリーから聞いた本の話を思い出す。

 レジーナは本の途中で眠りについてしまったので、その話の続きを考えた。


 自分ならどういう結末にするだろうか。

 やっぱりハッピーエンドがいい。

 せっかく物語を最後まで読んだのに悲しい思いをするのは嫌だった。

 そうやって思考を巡らせていると、再び眠気が彼女を包み込む。


 彼女がまどろんでいると、突然子供部屋のドアが開けられる。

 その音にビックリして飛び起きるレジーナ。


 彼女がドアの方を見るとそこには父が居た。

 ずぶ濡れで息を切らして、レジーナに駆け寄ってくる。


「レジーナ」

「お父……様? どうしたのですか? そんな、びしょびしょになって」


 だが父はその問いには答えず、レジーナを抱き寄せる。


「いいか、レジーナ。よく聞くんだ。この家を出なきゃならなくなった」

「え? なんで……ですか?」

「すまない、レジーナ。今は説明している時間は無いんだ。とにかく、支度をしなさい。馬車を待たせてある」

「はい……」


 釈然としないながらも、眠い頭をフル回転させて出かける支度をするレジーナ。

 そうしている間にメアリーが部屋に入ってきて、小声で父を話している。


 雨音でよく聞こえなかったが微かに“ザルカの兵士が……”、“竜の事が露見した”、“帝国領を抜けたらノアキスに”などと聞こえてくる。


 レジーナが支度を済ませると、父が再びレジーナを抱き寄せる。


「レジーナ、先に行っててくれ」

「え? お父様は一緒に行かないんですか?」

「私はここでやっておかなければならない事がある。大丈夫だ、必ず追いつくから」

「でも……」

「レジーナ、また後で。メアリー、後を頼む」


 父の言葉にメアリーは力強く頷く。


「ええ、必ずお守りします。ほら、お嬢様。行きますよ」


 強引に腕を引っ張られ、子供部屋から連れ出される。

 父はそれをにこやかな表情で見守っていた。


 メアリーに馬車に乗せられる。

 御者はおらず、メアリー自ら手綱を握った。


 そして家から離れる際にフランシスの鳴き声が聞こえた。

 苦しそうなそれは断末魔のように聞こえた。


「メアリー!! フランシスの声が!! ねえ、メアリー!!」

「お嬢様!! お静かに!!」


 鬼の形相でメアリーに遮られ、レジーナは泣きじゃくった。



 どのくらい走っただろうか。

 急に馬車が止まる。


 そして御者台からメアリーが馬車の幌内のレジーナに声をかけてくる。


「お嬢様、いいですか。よく聞いて下さい」

「う、うん」

「あちらの方に歩いて行って下さい。向かった先にノアキスがあります。絶対に音を立てないで」


 そう言って彼女が指差す先は、道とは別方向の林だ。

 夜の林は暗闇に覆われている。


「ば、馬車は?」

「ここからは、歩きです」

「うん、わかった……」

「それと、これを」


 そう言って一枚の封筒を差し出してくるメアリー。


「これは?」

「これをノアキスの教会に持って行ってください。必ず便宜を図ってくださいます」

「私が持っていくの? メアリーは?」

「わたくしとは、ここでお別れです」

「え? でも……」

「シッ!!」


 急にメアリーがレジーナの口を塞ぐ。

 次の瞬間、男の声が聞こえてきた。


「そこの馬車!! 動くな!!」


 それを聞いてメアリーはレジーナに囁く。


「大丈夫、ただの検問です。私が彼らとお話していますから、お嬢様はあちらにお逃げください」

「う、うん……」


 レジーナは身を屈めて林へと進む。

 緊張と恐怖で心臓が爆発しそうだったが、自分を律してメアリーの言いつけを守って進んだ。


 その時、遠くから微かに女性の悲鳴が聞こえた。

 メアリーの声だった。





 そこで目が覚めた。


 ガバッと起き上がるレジーナ。

 周りを見ると、寝具に包まって各々が眠っている。


 その中でアンドロイドの二人の姿が見えない所を見ると、彼女達は寝ずの番をしているのだろう。



「ごー、ごー」


 灰色の毛皮のネコ耳の獣人族ライカンスロープミントのいびきが響く中、レジーナはさっきの夢を反芻した。


 あの後、父、メアリーそしてフランシスは亡くなったらしい。

 彼らは自分を、おそらく愛してくれていたのだろう。


 自分はどうだろうか。


 レジーナの頬を涙がつたう。


 彼女は父の名前を思い出せなかった。

 おそらく父は、創造主に名前を設定して貰っていないのだ。


 その事がただただ悔しくて、そして悲しくてレジーナは静かに泣いた。





お読み頂きありがとうございます。


次話更新は 7月 7日(土) の予定です。


ご期待ください。



※ 7月 6日  後書きに次話更新日を追加 

※ 5月10日  一部文章を修正

物語展開に影響はありません。

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