164.フルネーム
鉱山都市ボレアレのビョルンの事務所にて。
古い鉄工所を再利用したその建物の会議スペースにレジーナとハル達が集められる。
ハルが捕らえた暗殺者を自警団が別室にて尋問する中、ハルがビョルンに来訪の意図を説明している。
その光景をレジーナは興味深く観察していた。
かつて金髪碧眼だったハルはどういわけか黒髪赤眼になっている。
本人曰く“イメチェン”をしたそうだ。
そのハルから来訪の意図を告げられたビョルンが呟いた。
「ほう。武器素材を探しに……ねえ」
「はい、そうなんです。ですからボレアレ特産の魔鉱を見たくって」
「なるほどな」
そう受け答えしているハルを、じっと注視するレジーナ。
髪と瞳の色こそ違うが彼女の素振り、そして声はかつて見たハルそのものだ。
ということはサイドニア王城地下に安置されていたというハルの予備の体が、ついに動き出したということだろうか。
レジーナがそう考えていると、コリンが耳打ちしてくる。
「ねえ、レジーナ。あの人って本当にハルさん?」
「ああ。あの腕っ節の強さ、丁寧だけど掴みどころの無いスカした振る舞い。紛れも無くヤツだよ」
「じゃあ……あっちの人は?」
そう言ってコリンが目線を向ける先には、ハルそっくりの女性がちょこんと座っている。
フォルトナと名乗ったその女性の方が、外見上は以前のハルに近い。
だが、独特の訛りのある言葉遣いはハルとは明らかに別人のものだ。
レジーナとコリンの視線に気付いたフォルトナが小さく手を振る。
その横では白黒の“まだら髪”の少年が、目つき悪くレジーナ達を見つめている。
レジーナは視線を再びハルに向ける。
彼女は以前と変わらぬ人懐っこさで、ビョルンと話を続けていた。
「魔鉱を見たいってんなら、別に構やしねえんだが……今はちょっと時期が悪いな」
「時期? どういうことですか?」
「今ちょうどボレアレの町をザルカの工作員がうろついている。あんたらがとっ捕まえてくれた連中がそうだ。何か企んでいるかもしれねえ」
「本当ですか? それは困りましたねえ」
そしてハルは何やらブツブツと独り言を言う。
「……マスターの筋書きにない……」
などとハルが呟いていると、獣人族の少年がコンとハルの肘をつつく。
「おーい。ハルー、戻ってこーい」
「おっと、ごめんなさい。考え事を……。で、ビョルンさん。今は町の治安が良くないって認識でいいんですか?」
ハルの問いにヒゲをさすりながらビョルンは答える。
「治安のいい町では、いきなり宿は爆発しねえだろうな」
「ご尤もですね。でしたら提案があります」
「何だ? 言ってみろ」
「我々がこの町の問題解決に協力しましょう。我々は一刻も早く作業に取り掛かりたいですし、こう見えて荒事は得意です。お力になれるかと」
「いや、部外者のあんたらにそこまでしてもらうわけには……」
ハルの提案に難色を示すビョルン。
しかし未だに工作員の素性をつかめていないビョルンとて、人手は欲しいはずだ。
そんな彼が外部のハル達の介入を渋るのは体面を気にしてというわけではなく、今日顔を合わせたばかりのハル達を信用できていないのだろう。
態度を決めかねているビョルンにハルは告げる。
「信用できないというのであれば、他の方の意見を聞いたらいかがですか? そこのレジーナさんとコリンは私とは古い知り合いです」
それを聞いたビョルンはレジーナに確認をとってきた。
「今のは本当か、レジーナ?」
「ああ、本当だよ。外見は変わっていたから一瞬誰かわからなかったけどな」
「そうか……」
「ついでに言うと、実力も本物だ。あたしは拳闘でハルに負けてる」
「はぁっ!? 嘘こくなよ、“白金”!!」
目が飛び出んばかりに驚くビョルンに、コリンが補足する。
「本当だよ、僕も見た。ハルさんは強いよ」
「はぁー……信じらんねえな。こんな細身の嬢ちゃんがあのメスゴリラを……」
ビョルンの失礼な物言いをレジーナが咎める。
「おい、ジジイ。今なんつった」
レジーナの抗議を無視してビョルンはハルに問いかける。
「だったら、あんた達にも手伝ってもらってもいいか?」
「ええ、もちろん」
「わかった、恩にきるぜ。今尋問している野郎が何か喋りやがったら、すぐに知らせるからよ」
「お願いします」
そこへイェルドがビョルンに質問をする。
「頭領殿、私からもひとつ良いか?」
「何だ? エルフの兄ちゃん」
「我々の当面の宿についてだ。今日まで泊まっていた宿は木っ端微塵であるし、今後宿泊する場所も襲撃に巻き込まれる可能性がある」
「ふうむ、たしかにそうだな……。ちょっと待ってろ。今考えてる」
そう言って考えを巡らせるビョルン。
腕を組んで思案していた彼は、やがて何かに思い至ったようだ。
「よし! なら俺が昔使ってた古い作業場を貸してやる。町外れの不便な場所だが、そのぶん静かでいい。案内するからついて来な」
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ボレアレの頭領ビョルンに案内されて、彼が昔使用していたという作業場を目指すハル達。
日も暮れ、辺りが暗闇に包まれた頃、目的の建物が見えてきた。
町外れの閑静な一角を歩いた先にあったビョルンの古い作業場は、老朽化の著しい二階建ての木造家屋でところどころ壁の穴を木の板で塞いだ跡がある。
防犯意識の低いことこの上ないが、おそらく金目のものはここには置いていないのだろう。
以前ノアキスで泊まったフィオレンティーナの古巣の教会のほうが、まだ綺麗である。
ハルがその木造家屋を分析していると、後ろにいるテオドールが一言呟く。
「うっわ、すげえボロ屋」
ビョルンの古い作業場を見た者の感想としては何ら間違っていない発言ではあったが、本人に聞こえる場所で言うには不適切な言葉である。
テオドールの無礼な物言いを注意するフォルトナ。
「テオ、そんな言い方は失礼ッスよ」
「あ? 本当のことだろうがよ」
だが言われた当人は気にせず笑っている。
「がはは、綺麗な作業場だろう? 待ってろ、今鍵を開けてやる」
入り口の南京錠を解錠して扉を開けるビョルン。
一行が中に入るとビョルンがランプに火をつけた。
灯りがつき、部屋の様相が明らかになる。
中には大きな作業台があり、その上にはかつて彼が使っていた工具が整理整頓されている。
現在ビョルンが使っている事務所の乱雑さからは想像できない綺麗さだった。
ハル達が作業場内を眺めているとビョルンが懐かしそうに言った。
「ここはな、納期がヤバい仕事の時に俺が篭ってた場所だったんだ。静かだから集中できる」
その発言にヘルガが同意した。
「たしかに。私、ここ気に入ったよ」
「がはは、よくわかってるじゃねえか。お前も職人気質だな」
そして上を指差すビョルン。
「寝具は二階にある。若い職人に偶にここを貸してたから一応手入れはしてあるぜ」
ハルはビョルンに礼を言った。
「ありがとうございます、ビョルンさん」
「なあに、いいってことよ。そんじゃまた明日な」
「はい、お休みなさい」
そうして去っていくビョルンを見送ったハル達。
するとレジーナがハルに問いかけてきた。
「ハル」
「はい、何ですか? レジーナさん」
「とりあえず、その……久しぶり、だな」
そう言って握りこぶしをハルの目の前に突き出すレジーナ。
彼女なりの挨拶らしい。
ハルはそれにトンと拳を合わせて笑いかける。
「ふふ、お久しぶりです」
「でよ、色々と聞きたいことがあるんだけどよ」
「ええ、話しますよ。何でも」
ハルはレジーナ達に自身がアンドロイドだということ、仕えていたクルスはこの世界の創造主だということ、そして今はクルスの遺志を継いで動いているということを告げる。
それを聞いて、懐疑的な表情を浮かべるレジーナ達。
その中でもレジーナは苦笑いしながらハルの話を聞いていた。
アンドロイドという部分はともかくクルスが創造主という話はあまりに荒唐無稽であるせいで、ハルの話をまったく信じていない。
苦笑を浮かべるレジーナにハルは歩み寄る。
対して彼女は嘲るように言った。
「ったく、久々に会ったと思ったらわけわかんねー話しやがって。ハル、お前のくだらない冗談は今ので終いか?」
「レジーナさん」
「なんだよ、うるせえな」
相変わらず冷笑的な態度を崩さないレジーナ。
いや、ひょっとすると怒っているのかもしれない。
いつまで茶番をつづけているのだ、と。
だがいつまでもそんな態度をとられてはハルも困る。
ハルはレジーナに告げる。
「お願いがあるんです」
「なんだよ、今の話を信じろってか? 悪いけどそれは難しいぜ、ハル」
「もっとシンプルなお願いですよ、レジーナさん。いえ、レジーナ・カルヴァートさん」
フルネームで呼ばれたレジーナが表情を変える。
彼女は誰にもその名を明かしていないのだ。
その名を暴露したハルを睨みつけるレジーナ。
「てめぇ……。どこで知った?」
彼女の視線をまっすぐ受け止めるハル。
この程度で怯んではいけない。
彼女にはやってもらわねばならないことがある。
ハルはそれを告げた。
「レジーナさん、あなたにはザルカ帝国を潰して欲しいんですよ」
彼女には、自身の物語『ナイツオブサイドニア』を早々に終わらせてもらう必要があるのだ。
お読み頂きありがとうございます。
次話更新は 7月 4日(水) の予定です。
ご期待ください。
※ 7月 3日 後書きに次話更新日を追加
※ 5月 9日 一部文章を修正
物語展開に影響はありません。