150.悲しみ
【ブラックボックス バックアップウィザード データ転送進捗表示】
……データ転送状況89%
……データ転送状況92%
内部メモリ容量確認……クリア
……データ転送状況94%
……データ転送状況96%
CPU稼動開始……身体パーツとの同期開始
……データ転送状況98%
……データ転送状況99%
ブラックボックス内の記憶データインストール……完了
【記憶データ再生開始】
『レヴィアタン』の吐き出した強烈な酸をまともに浴びたハルは合成樹脂でできた人工皮膚をあらかた溶かされており、中から鋼鉄のパーツとカーボンナノチューブを用いた人工筋肉が露になってしまっている。
その姿は無残なもので、辺りには機械部品が溶けた際に発生した異臭が漂っていた。
「ハルさん…!あ…ああ、なんてこった……」
ハルの傍らにはナゼールが座り込んでおり、ハルの身を案じているがその表情は困惑も混じっているようであった。
その時クルスがこちらに駆け寄って来る。
ハルは己の無力さを噛み締めながら、クルスに声をかける。
「マスター、ごめンなサい……。ザッ……本当はマスター、ザッ……をお守りしナけれバなラ、ザッ、ないのに……。ザッ、わたし、こンな……ポンこツでゴめんなさイ……」
喉元のスピーカーも破損してしまっているようで、時折ハルの言葉にザッ、というノイズが走る。
ハルはもうまともに言葉を発することも出来ない自分が情けなかった。
だがマスターであるクルスはそんなハルを労うように言う。
「いや、ハル。お前は本当によくやってくれた。お前の事を誇りに思う。ありがとう」
「マすター……ザッ」
そしてクルスはハルに指示を出す。
「ハル、“ブラックボックス”」
「はイ。今まデ、ザッ、ありガとウござイました……。私ノ、ザッ、たッた一人の、マスター……」
【記憶データ再生終了】
「はっ!!」
ハルは鉄製の箱の中で目を覚ます。
『ブラックボックス』内の記憶データが完全に転送され、本体も無事起動できたらしい。
そこまで思考が至ったハルはつい先ほど再生された情景を思い出す。
そうだ、今は戦闘中だ。
海上でルサールカの連中と『レヴィアタン=メルヴィレイ』の襲撃を受けたのだった。
慌てて鉄製の箱を開けて外へ出る。
辺りを見回すと周りには骨董品やら美術品、貴金属などが積まれている。
こんな船室があっただろうか?
ハルがそう考えていると、声がした。
「は、ハルさん……」
声の主はハルも良く知る人物、ナゼール・ドンガラであった。
そしてその隣にはレリアも居る。
ハルはナゼール達のもとに走り寄った。
「ナゼール!! レリア!! 良かった……、無事だったんですね。それで『レヴィアタン』はどうしました? それと船は? 船の皆は大丈夫なんですか?」
「あ、ああ。ふ、船は無事だ。何とか俺達はマリネリス大陸に戻れた」
びっくりした様子でナゼールが説明してくれる。
それを聞いてハルは安堵した。
どうやら戦闘は既に終結しているらしい。
きっとクルスが機転を利かせて連中を追い払ったのだろう。
「それはよかった。っていうことはここはドゥルセですか? 骨董品が一杯あるって事はチェルソさんの仕事場とか?」
「いや、サイドニアだ。王城の地下の宝物庫だ」
「は? 王城? 何でそんなところに……」
予想外の答えに眉を顰めるハル。
まさか、“あのヒゲ”がまた何か良からぬ事を企てているのだろうか。
ハルが状況を考察しているとレリアが話しかけてくる。
「あの、ハル……さん!」
その様子はひどく不安げだ。
そしてその表情のまま彼女は尋ねてくる。
「本当に、ハルさんよね? 不死者じゃなくて」
それを聞いてハルもようやく思い当たる。
おそらくクルスがハルの正体に関して説明を疎かにしているのだろう。
説明不足のまま、今は席を外しているのだ。
ハルはにこやかに微笑みながらレリアを安心させるべく語りかける。
「そういえば、説明してませんでしたね。実は私は人間ではなくてですね。アンドロイドという、まぁ……機械人形とでもいいましょうか。とにかく、お二人に黙ってて申し訳ないです」
「う、うん……」
未だ、あまり納得できていない様子のレリア。
しょうがない。
後でクルスと一緒に懇々と説明するほかないようだ。
その時、ナゼールがハルの手を掴みながら言葉をかけてくる。
「ハルさん。俺、おれ、ずっとずっとハルさんにお礼が言いたかった。あの時、助けてくれて、本当にありがとう」
目に涙を溜めながらハルに感謝するナゼール。
ハルは笑いながら返事をする。
「大げさですよ、ナゼール。そりゃあ私だって体を壊されたのは残念ですけど、でもこうしてまた会えたんだから良いじゃないですか」
「あ、ああ」
目をごしごしと擦るナゼール。
そんなナゼールにハルは言う。
「とりあえず外に出たいですね。ここは薄暗くてなんかイヤです。それにマスターにもお詫びしないと。折角造っていただいた体を壊してしまいしたし……。ああ、マスターお怒りじゃなければ良いんですけど……」
ハルの言葉に目を剥いて反応するナゼールとレリア。
ハルはそんな二人の反応にきょとんとしてしまう。
何か変な事を言っただろうか。
やがてナゼールは大きく息を吐き、ハルの両肩に手を置く。
そしてハルの目をじっと見据えると言った。
「ハルさん、心して聞いてくれ。実は」
その瞬間、ハルのCPUが異常な速度で演算を始める。
ここまで彼女は全く考慮していなかったのだ。
彼が敗れた可能性を。
「い、イヤです、聞きたくない!! 嫌です!!」
「ダメだ、ハルさん! あんたは俺が今から言う事を聞かないと、ダメなんだ!」
「……」
ハルは全身を震わせながらもナゼールに続きを促すように、小さく頷く。
それを受けてナゼールは静かに言った。
「クルスさんは亡くなった。『レヴィアタン=メルヴィレイ』に食われて……」
「……うそ、つかないでくださいよ、ナゼール」
「本当だ」
「うそですよ、うそ……」
そこへレリアがハルの手をそっと握る。
「本当よ、ハルさん。ナゼールは嘘をついてない。それに私たちの服装もあの時とは随分違うでしょう? ほら」
そう言ってレリアとナゼールはくるまっていた毛布を取る。
たしかに彼女らの格好はハルの知っているものではなく、随分と垢抜けていた。
そして彼らの胸元には“銀”色に輝くタグがぶら下がっている。
「……どういうことですか、レリア?」
「あれからもう二年も経っているの。ハルさんにとってはあっという間だったみたいだけど……」
「……そう、ですか……」
言うなり、その場にへたり込むハル。
急激に押し寄せてきた過負荷でハルはその場を動けない。
それはいままで味わった事のないまでの強烈な“悲しみ”であった。
そんなハルを落ち着かせるべく、レリアが黙ってハルの肩を抱き寄せる。
そういえばかつてフィオレンティーナもこうしてくれたっけ。
そう考えると不思議と気持ちが落ち着いてくる。
これでハルにもおぼろげながら事態が掴めてきた。
つまり彼らはクルスの遺した素体とブラックボックスを使って、どうにかハルを再起動させられないか試してくれていたのだ。
その時、戸外から声がかかる。
「ナゼール君、レリアさん。そっちはどう?」
そう言いつつ中に入って来たのは、骨董屋チェルソだ。
「チェルソさん……」
「ハルちゃん!! 久しぶりだね、本当に良かったよ!」
そう言って抱擁してくるチェルソ。
彼にとっても“久しぶり”だそうだが、ハルにとっては“ついさっきまで”一緒に戦っていた仲間である。
「ありがとうございます、チェルソさん」
静かに告げるハル。
そのハルを見てチェルソは察したようだ。
「ハルちゃん、心配はいらない。僕たちがいる」
「はい……」
「クルス君はね、立派だったよ。本当さ、僕が保証する。だから、そんな悲しい顔をするのはよしてくれ」
「はい……!」
ハルがチェルソの言葉を噛み締めていると、更に誰かが来た。
「あ、ハルさん起きたんだ。久しぶり。私の事覚えてる?」
「もちろん、ヘルガさん」
ノアキスで鐘造りに協力してくれた女ドワーフのヘルガだ。
彼女は気さくな様子でハルに近付いてきて手を差し出す。
ハルもそれに応じて手を伸ばし、二人はがっちりと握手した。
「ふーん、そいつがハルなんだ。ほんと、そっくりだね」
気付くと、ヘルガの隣に十五、六くらいの獣人族の少年がやってきていた。
灰色の毛並みで、黄色い左目と白みがかった右目のオッドアイが色鮮やかである。
「はじめまして、ですよね? ネコさん」
「うん、そうだね。ボクはミント。ヘルガの相棒だよ。よろしくね、ハル」
「ええ」
そうしてミントとも握手するハル。
彼はハルの手を握りながらハルにそっと耳打ちしてきた。
「ねえ、ハル。協力してよ」
「え、いきなり何ですか?」
困惑するハルにミントは言葉を続ける。
「“おにいちゃん”を助けるためにさ、知ってるんでしょ? 『バルトロメウス症候群』について」
その単語を聞いてハルは驚く。
この世界の人間でそれを知る者はごく僅かしかいないはずだ。
「ミント、あなたは一体……?」
「ボク? ボクはネコだよ、見ての通りね。ふふふ」
ミントはそう言うと、目を細めて笑った。
お読み頂きありがとうございます。
次話更新は 6月13日(水) の予定です。
ご期待ください。
※ 6月12日 後書きに次話更新日を追加 一部文章を追加・修正
※ 4月30日 一部文章を修正
物語展開に影響はありません。