138.“きゃっ!!”
交易都市ドゥルセにて。
日も傾き夕闇が辺りを包み始めた頃、一人の獣人族が通りを歩いている。
スナネコのような大きな耳が特徴の語学教師ポーラである。
「ああ、すっかり遅くなっちゃった……」
独り言を呟きながら足早に通りを進むポーラ。
その先には骨董屋パニッツィがあった。
店先の扉には閉店の文字。
今日の営業は既に終了している。
だがポーラは構わず扉を叩く。
ポーラは今日、この店の主人チェルソに呼ばれて来たのだ。
「ごめんくださーい。チェルソさーん。開けてくださーい」
こんこんと扉をノックしながらポーラが告げると、中から声がする。
「今開けるよ、ちょっと待ってて」
そして開いた扉からチェルソが顔を出した。
「やぁポーラさん。悪いね、急に呼び出しちゃって」
「いえいえ」
「とりあえずさ、入ってよ。夕飯まだでしょ?」
「ええ、お腹ぐうぺこです」
「ははは、そりゃ丁度いい。今日は久々に腕によりをかけて料理を作ったのさ」
「それは楽しみです」
満面の笑みを浮かべるポーラ。
チェルソの後をついて居住スペースのある三階に上がると、ナゼールとレリアがくつろいだ様子で椅子に座っていた。
ナゼールはポーラに気づくと手を上げる。
「よう、ポーラ」
「若様、レリア。もう来てたんですね」
「ああ」
“銀”のタグをぶら下げたナゼールはマリネリス大陸で購入したと思しき革鎧に、プレアデス諸島のエキゾチックな腰巻や腕輪をつけた折衷スタイルだ。
対してレリアは完全なマリネリススタイルで、平素な黒のチュニックにショートレギンスを合わせた動きやすい格好だ。
唯一のプレアデスらしさはプレアデス産の宝石を用いたイヤリングだろうか。
二人の姿を見ながらポーラが呟く。
「あーあ、二人ともすっかりマリネリスに染まっちゃって……」
するとレリアが笑いながら反論してきた。
「あらやだ、ポーラに言われたくないわよ。おしゃれメガネなんか掛けちゃって」
などと三人が談笑していると、奥のキッチンから二人の子供がやってくる。
「ポーラさん、いらっしゃーい」
「うん、お邪魔してます。ルチアちゃん、ジルド君」
彼らは両手に皿を持っており、その皿には香ばしい匂いのする料理が載っている。
見たところ、白身魚のムニエルのようだ。
バターでこんがりと表面を焼かれた魚にレモンの果汁がかけられており、その香りがポーラ達の鼻腔をつつく。
「おお! 美味そうだ!」
ムニエルを見て喜色を浮かべるナゼール。
彼も空腹だったらしい。
その時、階下の扉を誰かが叩く音がした。
それを聞いてチェルソがキッチンからやってくる。
「お、主賓がいらっしゃったみたいだね。僕が迎えてくるからルチアとジルドは盛り付けを頼むよ」
「うん!」
元気良く返事をする二人の子供たち。
階下へ降りていく彼を見送りながらポーラは子供たちに尋ねた。
「私たち以外に誰かを呼んでるの?」
「うん、バフェット伯爵さまだよ。というか今日は伯爵さまがご用事があるんだって」
「あ、そうなんだ」
程なくしてチェルソがバフェットを連れて三階へ上がってきた。
バフェットの脇には執事の男が控えている。
たしかギルマンとかいったか。
入室してきたバフェットは部屋を見回すと大仰に告げる。
「ふむ、皆そろっているようだな」
そして太った体を揺らしながら席についたバフェット。
そんな彼にチェルソが話しかける。
「伯爵様、ささやかながらお食事を用意致しました。冷めないうちにどうぞ」
「うむ、ご苦労。皆で頂くとしよう」
そうして皆でチェルソの料理を食べる。
こんがりと焼かれた白身魚の表面はかりかりとしており、それでいて中の身はふわっとしていて美味だった。
魚好きのミントが居たら涎を垂らして喜びそうな一品である。
世間話をしながら料理を楽しんだ一同。
食事を終えたところでバフェットが口を開く。
「さてと、そろそろ本題に入ろうか。実は今日集まってもらったのには理由があってな。頼みたいことがあるのだ」
「頼みたいこと?」
ポーラが尋ねる。
冒険者であるナゼール達が呼ばれるのはわかるが、自分が呼ばれた理由が思いつかなかったのだ。
「うむ。最近、行商人から気になる噂を聞いてな」
「どんな噂です?」
「“ハルマキスに妙な狩道具を使う狩人がいる”とな」
どうやら、いつもの蒐集癖が疼いたようだ。
その狩り道具も新たにコレクションに入れるつもりなのだろう。
レリアがバフェットの言葉に反応する。
「伯爵様。それはどんな狩り道具なんですか?」
「うむ。何やら細長い筒状のものでな、その穴から火薬を使って鉄の弾を打ち出すものらしい」
「え、それって……まさか“銃”じゃ……」
レリアが顔を強張らせて呟く。
その言葉を受けてバフェットは大きく頷いた。
「うむ、だからそれをこの目で確認したいのでな。ナゼール達には護衛を頼みたい」
それに力強く答えるナゼール。
「任せてくださいよ。その噂は俺も気になりますし」
「うむ、そう言ってくれると助かる。それでポーラには、ハルマキスの様子を聞きたいのだが……」
そう言ってポーラに向き直るバフェット。
ここでポーラは今日なぜ自分が呼ばれたかを理解した。
「ええ、何なりと」
大きく頷くポーラにバフェットが問いかけてくる。
「ポーラはハルマキスに居た時に、銃の噂を聞いた事はあるか?」
「いえ」
「ふむ、ならばそういう情報を知ってそうな人物に心当たりは?」
「ええと、ハルマキスギルドのミラベルさんですかね。彼女なら力になってくれるかと」
「ギルドのミラベルだな。わかった。あたってみよう」
そう言ってバフェットは執事ギルマンにポーラから聞き出した名前をメモさせる。
ポーラはさらに補足情報を伝える。
「あ、ちなみにミラベルさんはドゥルセギルドのメイベルさんの従姉妹さんです。彼女の知り合いだと伝えれば快く協力してくれるでしょう」
「なるほど」
「一応、私も手紙を書いておきます。それを彼女にお見せください」
語学教師の仕事があるポーラはこれ以上マリネリスを離れるわけにはいかなかった。
残念ながら今回は同行できない。
「ふむ、悪いな。わざわざ」
「いえ、お安い御用です」
「よし、では頼む。さて、私たちはそろそろ引き上げるとしようか。日程は追って連絡する」
そう言って立ち上がるバフェットとギルマン。
ドゥルセの高級宿をおさえておいたらしい。
そんな彼らをチェルソが見送る。
バフェット達が去った後で、ポーラは口を開いた。
「あの、チェルソさん」
「ん、なんだい?」
「ちょっとお願いがありまして」
「言ってごらん」
「実はハルマキスの知り合いの方に、お土産を届けて欲しいんです」
「お土産か、どんなのだい?」
「“ルチアライト”と“ジルダイト”を使ったアクセサリが欲しいと言ってました。代金は私が払いますから……」
ポーラがそう告げるとチェルソは首を横に振る。
「いやいや、それくらいなら僕が負担するよ。ポーラさんにはいつもお世話になってるし」
「本当ですか? ありがとうございます」
「これくらい当然さ。で、誰に渡せばいいんだい?」
「はい、セシーリアさんって方なんですが」
その名を聞いたチェルソは眉を顰める。
「……セシーリア……」
「お知り合いですか?」
「いや、同じ名前の人物と昔会ったんだ。でもかなり昔だから、長命なエルフとはいえ存命の可能性は低いね」
それを聞いてポーラは思い出す。
そういえばセシーリアはチェルソの名乗るパニッツィという姓に反応していた。
彼女はその姓の人物と二百年ほど前に会った、と言っていた。
「昔って、二百年くらい前ですか?」
「ん? あー、そのくらいかもしれないね」
そう言いつつ、喉を潤すためグラスの水を口に運ぶチェルソ。
「そうですか。ちなみになんですけどチェルソさんは、チェーリアさんって方をご存知ですか?」
それを聞いた瞬間、盛大にむせるチェルソ。
水が口からこぼれ、チェルソの着ている衣服を濡らす。
「ごほっごほっ!!」
「チェルソさん、どうしました? 大丈夫ですか?」
「あ、ああ、すまない。水が器官に入ってしまった。ははは」
「動かないでください。今拭きますから」
そう言ってハンカチをチェルソの胸元に近づけるポーラ。
だが、勢い余って手がチェルソの胸に触れてしまう。
ポーラの手に柔らかな感触が伝わる。
その時。
「きゃっ!!」
チェルソの口からまるで女性のような悲鳴が漏れる。
普段の凛々しい声色とは似ても似つかない。
真っ赤になって顔を伏せるチェルソに恐る恐る声をかけるポーラ。
「今“きゃっ!!”って言いました? チェルソさん……?」
「……」
「それとも……あなたが、チェーリアさん、なんですか?」
ポーラの問いにチェルソ、否、チェーリア・パニッツィはゆっくりと頷いたのだった。
お読み頂きありがとうございます。
次話更新は 5月 19日(土) の予定です。
ご期待ください。
※ 5月18日 後書きに次話更新日を追加
※ 4月29日 一部文章を修正
物語展開に影響はありません。