136.時間が無い
「あぁ~疲れた~」
パンパンになった腕を揉みながらミントが溜め息混じりに言った。
ジャイアントモスを撃破後、その死骸を運びながらハルマキスの街にたどり着いたミント達。
衆目の好奇の目に晒されながらギルドにジャイアントモスの死骸を届けた後、マルック達と別れたミントとヘルガ。
巨大な蛾を森の奥から街まで運んでくるのはミントにとっては中々に重労働であった。
だがヘルガは相変わらず息一つ乱していない。
「鍛え足りてないな、ミント」
「ふん、何とでも言ってよ。ヘルガ、ところで」
「なんだよ」
「お腹空いた」
ジャイアントモスと店長をギルドに引き渡した後、宮殿の衛兵を呼んでもらった。
その衛兵に細々とした報告を済ませたミント達であったが、すっかり時間が経ってしまっていたのだ。
さすがに空腹も限界である。
「そうだな。どっかでメシ食うか。ええと、どこにしようか。……って、よくよく考えたらいつも行ってる店を潰しちまったな」
「そうだね……」
ミントとヘルガも比較的『カートラ・ベーカリー』のパンを食べる機会は多かった。
だが、件のBLTに手を出していなかったのは不幸中の幸いである。
どこで食事をとろうか悩みながら二人が歩いていると、目の前を亡者のようなフラフラとした足取りで歩く女性の姿が目に付いた。
ハルマキスのギルド職員にして『カートラ・ベーカリー』のヘヴィユーザーであるミラベルだ。
「ミラベルお姉ちゃん!!」
ミントが元気に声をかけるとミラベルは気だるげな様子で振り返る。
「ああ……ミント君に、ヘルガさん」
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「私は、あんまり、大丈夫、じゃない、ですねぇ……」
途切れ途切れに呟くミラベル。
まさか、彼女が日常的に摂取していたBLTの副作用だろうか。
「おいおい、大丈夫かよ。ミラベルさん?」
心配を露にヘルガが声をかけるが、ミラベルの返答は予想外のものだった。
「ああ……はい。神官様に診てもらいましたが、身体的にはまったくの健康だそうで」
「……は? え、本当に?」
「はい、でもBLTを失った悲しみで食事も喉を通らなそうで……」
その時ぐぅーーと腹の虫が鳴る。
音源を辿るとミラベルであった。
「……やっぱりちょっとは通るかもしれません」
無表情で言い直すミラベル。
そんなミラベルを見て複雑な表情でミントは言った。
「お姉ちゃんもお腹空いてるみたいだし、とりあえずどこかで食べようよ」
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「ねぇ~、お姉ちゃん。元気出してよ」
テルヴォ宿泊所の食堂のテーブルに突っ伏しているミラベルをミントが励ましてくる。
彼の心配そうな声をミラベルは複雑な心境で聞いていた。
いつものように昼食を買いに行ったミラベルは、『カートラ・ベーカリー』前で衛兵に半ば取り押さえられるようにして強制的に神官による治癒を受けさせられたのだった。
神官たちによって問診から始まり体の異常について色々と検査させられたが、結局異常は何一つ見つからなかった。
その後、職場に顔を出したミラベルは“今日はもうあがっていいよ”という台詞を同僚に言われ帰路についた。
早上がりは普段ならとても嬉しい事態であったが、BLTが無い今となってはそれも虚しいだけである。
そして無表情で歩いている彼女を見つけて声をかけたのがミントとヘルガであった。
ミント達によって宿泊所の食堂に連れてこられたミラベルはそこで食事をとる。
彼が宿屋の女主人に事情を告げると彼女は快く食事を用意してくれた。
だがお気に入りのパン屋が営業中止に追い込まれ、ソウルフードを食べられない彼女の落胆は深かった。
そんな彼女をなんとか励まそうとしてくるミントだったが、ミラベルの気持ちは沈んだままだ。
「うるさいですよ、“ごろねこ”君。あなたが『カートラ・ベーカリー』を潰したんですからね。あなたが私からBLTを奪ったんですからね」
そう言ってミントを睨みつけるミラベル。
彼女がミントの事を“ごろねこ”呼ばわりする時は決まって機嫌の悪い時だ。
こういう時は何を言っても逆効果だ。
それを経験側で知っているのか、ミントは特に言い返すこともせずただ黙っていた。
ところが一緒に居たヘルガは腹に据えかねたものがあったのらしく、ミラベルに突っかかる。
「ちょっと、そんな言い方無いんじゃないの? あのままあの男に実験させてたら、あんただって症状なしで済まなかったかもしれないんだよ?」
「そ、そんな事は私にだってわかってますよ……」
「本当にわかってる? だったら今の言葉がミントにとってどんだけ失礼かもわかるよな? ミントはあの店の客のためを思って、あの店主に怒ってたんだ。それを無碍にするような事を言うなよ」
「うう……」
ヘルガの追求を受けて弱るミラベルを庇うようにミントが言う。
「いいよ、ヘルガ。ボクは気にしてないから」
「そういうわけにはいかねえよ、相棒。こういう時はガツンと言わないと」
「ボクだって怒った時はガツンと言うよ。でも今はそんな怒ってないし」
「お前がそう言うならいいけどよぉ……」
ヘルガはまだ納得いかないようだ。
そんな二人にミラベルは向き直ると、テーブルにこつんとぶつけるくらい頭を下げる。
「二人とも、ごめんなさい。どうやら私は冷静さを欠いていたようです。今回の件の功労者を罵倒するなんて」
「いいよ、お姉ちゃん。頭を上げて、ほら」
ミントの許しの言葉を得たミラベルは上体を起こす。
そして感謝の言葉を述べる。
「ありがとう、ミント」
「ううん、大丈夫。気にしてないから」
ミラベルの謝罪で重かった空気が少し軽くなった。
その流れに乗ってミラベルは二人に問いかける。
「あ、そうだ。二人とも。折角ですから今回の事件の詳細を教えてくださいよ」
「うん、いいよ。ええとね……」
そう言って事の顛末をミントから聞きだすミラベル。
その内容はミラベルにとっては非常に興味深いものであった。
中でも驚嘆させられたのはジャイアントモス退治のくだりである。
「へぇ~、ヘルガさんの狩り道具が早速火を噴いたわけですね。凄いですよ」
ミラベルの賛辞の言葉に満更でもないヘルガ。
「ま、まぁな。へへ……」
「そして未知の新種の魔物を撃破するとなると、貢献点も一気に溜まっちゃったんじゃ?」
「ああ、貢献点は後日くれるってさ。未知の新種の脅威度がまだよくわからないから、死骸を詳しく調べてから加算してくれるってよ」
「そうなんですか。まぁ、一気に“錆び”卒業は間違いなしでしょうねぇ」
「そ、そうかな? ひょっとしてそれって結構凄いの?」
「凄いっちゃあ凄いですよ」
「おお」
「でも、上には上がいますけどね。固定パーティも組んでないような人が二日で“鉄”に昇格した、とか」
「うわ……どんなバケモンだよ」
「それから一日で“銅”に上がった人も居ますね。この人とは私も会った事があります」
「なんて奴?」
「レジーナさんって人です。“紅のレジーナ”」
「あっ、その名前あたし聞いたことあるよ。へぇー、勇者様ってハルマキスに居たんだ」
するとヘルガの隣で話を聞いていたミントが突然身を乗り出す。
「勇者!? ひょっとしてその人、コリンの知り合いかなぁ?」
ミントが“小さな大魔術師コリン”の事を知っている事に驚くミラベル。
「あれ、ミント君よく知ってますねぇ。コリンさんはレジーナさんのパーティの仲間ですよ」
「へぇーそうなんだ。ボクもその二人に会ってみたいなぁ。今どこに居るかわかる?」
「さぁ……。あ、でも最近二人仲間が増えて四人で活動してるって話は聞いたことありますよ」
「ふぅん」
「ま、ミント君もハルマキスを出たらその内会えるんじゃないですか?」
「そうかもね。ああ、そう考えたら早く昇格したくなっちゃった」
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ミラベルが家に帰るのを見送った後、ミントはテルヴォ宿泊所の自室のベッドに転がり込む。
今日の森での活動時間はさほど長くはなかったが、精神的にも肉体的にも疲労していた。
ヘルガは彼女の部屋で何やらライフルの手入れをしているようだ。
今日の戦闘で改善点でも見つかったのだろうか、かちゃかちゃと部品をいじる音が聞こえてくる。
それを聞きつつベッドに寝っころがりながら、ぼぉっと天井を見つめるミント。
そうして考えるのは今後の事である。
飼い猫『みんと』として来栖家で“おにいちゃん”に缶詰を開けて貰うはずが、いつの間にかこんなわけのわからない世界に放り込まれて随分経つ。
ここハルマキスでの生活は彼にとってたいへん居心地の良いものであったが、無論いつまでもこうしているわけにはいかない。
時間が無い。
早くこの世界から出て来栖家に帰らねばならない。
きっと“おとうさん”も“おかあさん”も心配している。
それに猫は人間の六、七倍の速さで歳をとるという。
このままここに居たらあっという間に寿命を迎えてしまう。
時間が無いのだ。
その事を強く心に刻みながらミントは静かに目を閉じた。
お読み頂きありがとうございます。
今回で第七章は終了で、次話から第八章のはじまりです。
八章では来栖の三作目『機械仕掛けの女神』の主人公達が満を持して登場します。
ルサールカから来た彼らがミント達とどう関わってくるんでしょうか。
お楽しみに。
次話更新は 5月 9日(水) の予定です。
ご期待ください。
※5月 8日 後書きに次話更新日を追加
※4月28日 一部文章を修正
物語展開に影響はありません。