135.アレがないと
ヘルガのライフルの銃撃によって、どうにかジャイアントモスを撃退したミント達。
だが、その直後何者かの気配を察知した。
近くの茂みから人のものと思しき物音がしたのだ。
「誰だっ! そこに居るのは!!」
緊張しながら武器を構えるミントの横で、冒険者マルックが威勢良く声を上げる。
だが茂みの中の人物からは返事が無い。
業を煮やしたマルックが畳み掛ける。
「そこにいる者! 返事が無い場合には害意有りと見なして攻撃を開始する! そうされたくなければおとなしく姿を見せろ!」
「……ま、待ってくれ! 今、姿を見せる」
そう言って茂みの中から姿を見せたのは小太りの中年男性であった。
上唇に髭をたくわえた男で、外見上は悪人には見えない。
その時ミントは既視感に襲われる。
男の顔をどこかで見た事があるような気がしたのだ。
だが、どこで見たのか思い出せない。
そんなミントをよそにマルックが質問する。
「誰だ、お前は?」
マルックの問いに小太りの男は声を震わせながら答えた。
「わ、私はハルマキスの街でパン屋を営んでいる者だ」
パン屋。
その単語を聞いた瞬間、ミントは思い出した。
ミラベルに連れられて訪れたパン屋でこの男を見た事があったのだ。
「あー! おじさん、『カートラ・ベーカリー』の人でしょ!」
その男を指差しながらミントが声を上げると男は頷いた。
「ああ、私は『カートラ・ベーカリー』の店長だ」
「やっぱりー。でも何でこんなところに?」
「それは……」
そう言って店長はじっと何かに視線を向ける。
その先にはジャイアントモスの死骸があった。
「おじさん、まさか……あの蛾って……おじさんの?」
ミントが恐る恐る声をかけると、店長は突如声を荒げた。
「マルガレータのことを“あの蛾”なんて呼ぶなっ!!」
「ええ?」
「ああ……私のいとしのマルガレータ……なぜ、なぜこんなことに……」
そして今度は顔をくしゃくしゃにして泣き出す店長。
どういうわけか彼は今たいへん情緒不安定なようであった。
そんな店長を慰めるべくミントは近寄ろうとする。
だが店長は一瞬で鬼気迫る表情になり、鋭く言い放つ。
「私に近寄るな!! このクズどもめ!!」
「ち、ちょっと……落ち着いてよ、おじさん」
「うるさい!! マルガレータが死んだのに落ち着いていられるか!!」
激昂する店長にミントは懇願する。
「おじさん、とにかく説明してよ。ボクら何が何だかさっぱりだよ」
「お前達が殺したマルガレータは、大いなる福音を齎してくれる存在だったのだ」
「ふ、福音? どうやって?」
「マルガレータの鱗粉は大量に吸引すると幻覚を引き起こす毒だが、ごくごく少量なら不安を和らげる作用がある。おまけに副作用もほぼ無い。うまく使えば毒どころか画期的な薬になるかもしれないのだ」
「うそでしょ?」
「本当だ。多くの人に協力してもらって既にその確証は得た」
多くの人の協力。
その文言に引っかかりを覚えるミントだったが、店長は構わずにまくし立てる。
「だから私はマルガレータの鱗粉を大量に保管して研究を始めた。色々な幻覚を見れる新薬を創ろうとしたんだ。それを使えば不安に押し潰されそうな時も、身を焦がすような怒りを覚えた時も瞬く間にリラックスする事ができる」
「は、はぁ……」
それはつまり、麻薬だの覚せい剤だのと同類なのではなかろうか。
そう突っ込もうとしたミントだったが、マルックに止められる。
どうやら感情に任せて暴露を続けている店長にこのまま全容を喋らせてしまおう、という魂胆のようである。
「だが、問題が起きた。マルガレータを大事に育てるあまり成長させ過ぎてしまったのだ。そこで私はマルガレータをケージから出して、森で育てる事にした」
「……」
「だが放し飼いではないぞ。危険だからな。私は小さい楔とロープでマルガレータを繋いでおくことにした。ちゃんとこまめに食事もやった。世話はできてたんだ」
「……ちなみにどんなエサをやってたの?」
「生きたブタだ。カツサンドの余り肉は食べてくれなかったのでな」
通常の蛾はストロー状の口で花の蜜などを吸って食事しているそうだが、規格外の体躯を誇るマルガレータはそんな食事では満足しなかったらしい。
「……」
思わず絶句してしまうミント達。
だが興奮冷めやらぬ店長は話を続ける。
「しかし、木に厳重に巻いてあったロープが何者かに切られてしまっていた。切断面から察するにリスか何かに齧られたんだろう。それでロープが外れてしまって、こんなことに……うううう」
そして再び涙を流す店長。
ミントが店長を『カートラ・ベーカリー』で見かけた時は、もっとまともな印象であったが今の彼は狂人そのものである。
この躁鬱の激しさはひょっとしたら蛾の鱗粉の影響かもしれない。
もしこの男が自分自身も実験台にしていたのだとしたら、たいしたマッドサイエンティストである。
その時ミントの隣でじっと話を聞いていたヘルガが動き出す。
彼女は険しい表情で店長に問いかけた。
「店長さん、ひとつ聞かせてよ。その鱗粉ってさ……ひょっとして売り物のパンに入れた?」
「ん? ああ、もちろんだ。そのおかげで小量なら弊害なく高揚感が得られると実証された。お客さんも皆喜んでいる」
ヘルガの問いに、さも当然のように答える店長。
「それって全部のパンに?」
「いやBLTのサンドウィッチだけだ。他のパンだとどうしても味に影響が出てしまってな。だがBLTのソースには上手く馴染んだ」
それを聞いて怒りを覚えるミント。
この男は断りも無く不特定多数の客を実験台にしたのだ。
一歩間違えれば客達の身に深刻な影響が出ていたかもしれない。
否、今気づいていないだけで、こうしている間にも何らかの副作用が生じているかもしれないのだ。
だのにこの男はそれを悪い行為だとは思っていないようだった。
ミントは不機嫌を露にして皆に提案する。
「ねぇみんな……もういいでしょ。こいつとその蛾を街の衛兵に引き渡そうよ」
「あたしも賛成だ。こいつは野放しにしちゃいけない人種だ。蛾の入手経路はあとで吐かせりゃいいだろ」
ところがそれを聞いて激昂する店長。
「何を言うか! お前達こそ私の大事なマルガレータを殺したのだ! そっちこそ罪であろう!」
「はあ?」
「そもそも私は善行をしたのだ。現にBLTを食した客たちは皆一様に素晴らしい笑顔で食事を楽しんでいた! それにだな……」
店長が言いかけたところで、彼の背後から忍び寄っていた女性が持っていた杖で後頭部を打ちつけた。
蛾の鱗粉を吸引して錯乱していた女魔術師スサンナだ。
杖の一撃で昏倒する店長。
その店長に罵声を浴びせるスサンナ。
「だまらっしゃい!! なーにが“素晴らしい笑顔”よ!! 私は今とーっても気分が悪いわよ!!」
「スサンナ、もう聞こえてねえぞ。このおっさん気を失ってる」
「ふん、もういいわ。さっさと運びましょ。マルック」
「そうだな、やれやれ」
マルックはため息をつくと手早く指示を出す。
「おいハンネス、おっさんを縛って運んでくれ」
「ああ、任せろ」
「残りの人間で蛾を運ぶぞ。手袋を忘れるな。それと口の部分に布を巻け。鱗粉を吸い込まないようにな」
そうしてマルガレータを運ぶミント達。
運んでいる最中、マルックがふと呟いた。
「そういえば…………まあいいか」
その様子が気になったミントが問いかける。
「マルック、どうしたの? 何か気になるの?」
「いや、たいした事じゃねえんだ。忘れてくれ」
「えー、気になるよ。教えてよ」
そうミントがせがむと、マルックは渋々話し出す。
「いや、店長に聞き忘れてな」
「ん、何を?」
「いや……パン屋の店主が名付けたのに、何で蛾の名前が『マルガレータ』なのかなってな。ピザ屋ならしっくりくるんだが……」
腑に落ちてないマルックにヘルガが笑いながら言った。
「おいおい、それを言うなら『マルゲリータ』だろ」
「あ、そうか。俺も気づかぬうちに鱗粉にやられてたかな。ははは」
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「うふふふふ~BLT、BLT」
いささか気持ち悪い笑みを浮かべながらハルマキスの中央通りを軽やかに歩く女性。
ハルマキスのギルド職員ミラベルだ。
彼女はすっかり『カートラ・ベーカリー』にハマってしまっており、今となってはBLTサンドウィッチなしでは生きられないのではないかと自分でも心配になるほどである。
はやる気持ちを抑えながら店の前まで来た彼女だったが、その目に飛び込んできた景色はいつもと違うものであった。
店の前にはたくさんの客がいるが、その視線の先の店舗は閉まったままだ。
そして宮殿から派遣されてきたと思しき衛兵や神官が店の周りにたむろしている。
何だろう。
状況が飲み込めないミラベルは人だかりに向かう。
その時、衛兵の一人が声を張り上げた。
「静粛に!! 本日この店の主人が危険薬物製造の疑いで身柄を拘束された! 店主はその危険な薬物をここのメニューの一部に混ぜ込んでいたと供述している! よってこれより緊急の健康診断を行う! ここの料理を食した事のある者は神官に申し出よ! 繰り返す、本日この店の……」
衛兵の呼びかけを聞いたミラベルは急に目の前が真っ暗になったような気分になった。
と言ってもそれは自分が気づかずに危険な薬物を摂取していた事に対してではなく、BLTが食べれない事に、である。
その時ミラベルは顔見知りの衛兵を見つけた。
宮殿のセシーリアに呼ばれた時に応対してくれた者だ。
その衛兵にミラベルは駆け寄る。
「あ、あのっ」
「ああ、お前はギルドの……。お前もここの料理を食べたのか?」
「はい……」
「そうか、なら早く神官に診てもらえ」
「はい、それは後でもちろん。それよりBLTは……」
「あ?」
「もうあのBLTは食べれないのですか? 私、アレがないと……アレがないと……」
そう呟くミラベルを青ざめた顔で見つめる衛兵。
やがて彼は決断した。
「これは重症だ。一刻も早い治癒が必要のようだ。おおい、神官殿!! こっちへ来てくれ!!」
お読み頂きありがとうございます。
次話更新は 5月 7日(月) の予定です。
ご期待ください。
※ 5月 6日 後書きに次話更新日を追加
※ 4月28日 一部文章を修正
物語展開に影響はありません。