131.勇者の友達
エルフの建てた国・ハルマキスが誇る魔術研究の総本山『大樹の学院』。
そこで魔術を学ぶ学徒の一人であるマシューは沈んだ面持ちで学院の廊下を歩いていた。
向かう先は学徒向けではなく、外部の一般受講者向けの講義室である。
その講義室では魔術書を購入する一般客の参考になるような講義がしばしば行われているのである。
「はぁ……。気が重いなぁ」
誰にも聞こえないような極小の音量で呟きながら、ひとり廊下を歩く。
彼はこれから外部の一般客相手に講義をするのだ。
マシューが師事している教授曰く“人に教えるという行為は自身の知識の確認に最適である”との事だ。
しかしだからといって、ふつう齢十二の小僧に講義を任せるだろうか。
そう疑問に思ったマシューであったが、これも自身に対する教授の期待の表れだろう。
何とかそう自分自身を納得させ、重い足取りで講義室に向かう。
一般向けの講義室は学徒向けの講堂と比べてだいぶ小規模だ。
だが、そんなこじんまりとした部屋でも人前に立つのは緊張するものである。
そんな内心の緊張を表に出さないように、マシューは息を大きく吸って深呼吸をする。
静かに目を閉じて心を落ち着けさせると、しっかりとした足取りで入室した。
中に入ると一斉に受講者の視線が集中する。
顔ぶれをざっと見た感じではおそらく冒険者志望の腕自慢の若者か、もしくは狩人が大半であろう。
そして彼らはひそひそ声で何事かを囁きあう。
大方“なんでこんなガキが講義を?”とでも思っているのだろう。
なるべくそれらを気に留めずに毅然とした態度で講義を始めるマシュー。
「本日はよくお集まり頂きました。講師を務めさせて頂きますマシューと申します。さて本日の講義内容の“冒険者は如何に魔術を活用すべきか?”ですが……」
そう言いつつ、すらすらと講義室の黒板に《魔術》のリストを書き出していく。
そのリストはマシューが考える冒険者にとって有用と思しき《魔術》を纏めたものである。
そしてそれらの《魔術》は大まかに二種に分けられる。
ソロ向きかパーティ向きか、である。
近接戦闘を他の者に負担してもらえるパーティ所属の冒険者は詠唱の長い攻撃系魔術に専念できるが、ソロ冒険者はそうもいかない。
なるべくなら即効性のあるシンプルなものを選択すべきだ。
移動の助けになるような《風塵》や、もしくは武器の性能を強化するエンチャント系魔術も視野に入る。
そのような内容をマシューが順序立てて丁寧に解説してゆくと、当初は冷笑的だった受講者たちの態度も真剣になってきた。
熱心な眼差しでマシューの講義に耳を傾けメモを取っているその様は、学院で日々勉学に努めている学徒顔負けである。
否、あくまで《魔術》は研究対象である学院の者達とは違い、彼らにとって《魔術》は時に自分の命を預ける重要なスキルなのである。
真剣にならないはずがない。
やがて講義も終わり、せっかちな冒険者のたまご達は魔術書の売店へと足早に向かう。
マシューが挙げた魔術書を確保したいのだろう。
尤も、在庫は充分にあるので品切れの心配はないだろうが。
その様子を横目にマシューは食堂へと向かった。
昼食にはちと早いが講義ですっかり体力を消耗してしまっており、体が食事を求めていたのだ。
それに少し早いくらいの方が食堂も空いている。
マシューは食堂に行きサラダと鶏肉の揚げ物を注文する。
そして食堂の長いすに腰掛けて鶏肉を頬張ろうとした時、声をかけられた。
「講義おつかれさま、こども先生」
声の方向を見ると十五、六くらいの少年が立っていた。
その少年の頭からは灰色の毛皮のネコ耳がピンと生えており、そして色鮮やかなオッドアイが印象的である。
彼が噂に聞く獣人族というやつであろうか。
「ああ、どうも。ひょっとしてさっきの講義受けてました?」
「うん、後ろの隅っこの席で聞いてたよ」
どうやら緊張のせいで視野が狭まって彼の事が目に入っていなかったらしい。
「それで、どうでしたか? 僕の講義は」
「うん、とっても分かりやすかったよ。それでもっと聞きたいなぁって思ってさ。ここ、いい?」
彼は焼き魚とバターライスの定食を頼んでおり、定食が載ったトレイを手に持っている。
同席したいようだ。
「ええ、どうぞ」
「ありがとね」
言いながらそそくさと着席し、魚をがっつき始める少年。
やはりこの少年も普通の猫と同様に魚を好むのだろうか、などと思いつつ見つめていると彼はあっという間に料理を平らげる。
「ふぅ、美味しかったぁ。あれ、先生は食べないの?」
「あ、いや獣人族が珍しくて」
「あー、そっか。ボクが学院に来たのは初めてだったから見慣れてないんだ」
「はい、じろじろ見てすいません」
「いいっていいって。それよりさ、先生に聞きたいんだけど」
「何ですか?」
「先生は何でそんな冒険者について詳しいの?」
それは少年にとっては何気ない質問だったが、マシューにとってはそうではなかった。
思わず表情を曇らせてしまうマシューの顔を、少年が覗き込む。
「あれ、先生どしたの? ボク、ひょっとしてヤな事聞いちゃった?」
「いえ、そんな事はありません。ちょっと昔の事を思い出してしまっただけです」
「昔?」
「はい。僕の親友の話なんですけど……聞いてくれますか?」
「うん、いいよ」
大きく頷く少年。
その少年に向かってマシューは親友の事を話しはじめる。
「僕の親友……コリンっていうんですけど、コリンは僕なんか比較にならないくらい魔術の才能があったんです」
「ふむふむ」
「ですが、その才能を疎んだ人たちが少なからず居ました。そして彼らはコリンにあの手この手で嫌がらせを始めました」
「なるほど、そいつら性根が腐ってるね。いっそ異世界に転生でもした方がいい、雑魚として」
少年の辛辣な物言いに思わず噴き出してしまうマシュー。
「ふふっ、たしかにそうですね。でも当時コリンにはそう笑い飛ばすだけの心の余裕はありませんでした」
「えっ、もしかして……何かしちゃったの?」
「ええ、“人を殺せる本”……いや分厚い魔術辞典で教授に殴りかかってしまって」
それを聞いた少年は大きなリアクションをする。
「うわぁ! サスペンスドラマみたい!」
「ど、どらま?」
「あ、いや、何でもないよ。続けて」
「は、はい。ええと、それでコリンはこの学院を追い出されてしまったんです。でも僕は親友が追い出されるのを黙って見ているしか出来なくて」
「え? じゃあ、助ければ良かったじゃん」
さも当然のように言ってのける少年。
彼のように真っ直ぐな性格だったら、自分ももう少し人生を楽しめるかもしれない。
マシューは声を落として心情を吐露する。
「……そうですね。僕もそうしたかったんですけど……。でも僕には力と勇気がありませんでした」
「そっかぁ。ならしょうがないね」
「はい……」
沈痛な表情で語るマシュー。
そんなマシューを励ますように少年は明るく語りかけてくる。
「まぁそう気を落とさないでよ、先生。それで、その後コリンとは会ったの?」
「いえ。ですが風の噂でコリンが冒険者になった事を知りました」
「へえ、凄いじゃん! ……ってアレ? ひょっとして先生が冒険者に詳しいのも……」
「はい。もしコリンに再会できた時、彼の助けになるかもしれない。そう思って冒険者について色々調べたんです」
「なるほどねぇ」
「でも……コリンは僕なんかの助けがなくても高みへと羽ばたける存在でした」
「ん? どゆこと?」
「コリンはもう既に“白金”級の冒険者です。もはや僕なんかがアドバイスするのもおこがましい天上人です」
“白金”はギルド所属の冒険者の階級の中で最上級のものだ。
類い稀な実力とそれに裏打ちされた実績。
その力を以って多大な社会貢献を成した者だけが“白金”を名乗れる。
そして“白金”達は周りの者達から畏敬の念を込めてこう呼ばれるのだ。
『勇者』と。
マシューの話を聞いたミントは感心したように言った。
「そっかぁ、友達が『勇者』様かぁ」
「ええ、だから僕なんかはもう関わる事もないでしょう」
悲観的な態度をとるマシューに少年は少しイラついた表情を見せる。
「先生、そうやってなんでもかんでも自分の頭だけで決めちゃ駄目だよ。先生はまだ子供だし、コリンだって子供でしょ? だったらこれから先、どこかでひょっこり出会う可能性だってゼロじゃないよ」
「……で、ですが」
「そんでさ、コリンに会ったらこう言ってやればいいんだ。“僕も君の助けになりたかったのに、君は遥か先に行っちまって悔しいぞーこんちきしょー!”って」
「ええ……?」
「そしてこう付け加えてやれば完璧さ。“でも僕は君の事を誇りに思ってるぞ、友よ”ってさ。どう? これ、凄くかっこいい台詞じゃない? ふふふふ」
そんなお気楽な事を言う少年。
だが彼の無邪気な振る舞いを見ていると、自分の悩みが何だかちっぽけなものに思えてきた。
「ありがとう、おかげで少し気が楽になりました」
「ふふふ、どういたしまして」
「本当にありがとう。ええと……」
「ああ、そういえば名乗ってないね。僕はミントだよ」
そう言ってミントは手を差し出してくる。
マシューは微笑みながらその手を掴み、握手した。
その手はまるで猫の肉球のように柔らかく、そして暖かかった。
お読み頂きありがとうございます。
次話更新は 4月18日(水) の予定です。
ご期待ください。
※ 4月17日 後書きに次話更新日を追加
※ 4月28日 一部文章を修正
物語展開に影響はありません。