129.ヤバい葉っぱ
エルフの国ハルマキスのギルドにて。
二階事務所で一人の女性が書類の山と格闘している。
「あ”ぁ-、肩こったあ”ぁ……」
女性らしからぬ野太い声を吐き出して、ギルド職員のミラベルは体を伸ばす。
今日はここ最近の中でもハードな一日である。
同僚の職員が風邪で寝込んでしまっているので、その分のしわ寄せが来ているのだ。
「あ、もうこんな時間」
気づけば既に中天を過ぎていた。
そろそろ昼食を調達しなくては。
ミラベルお気に入りのパン屋である『カートラ・ベーカリー』の看板メニューであるサンドウィッチは非常に競争率が高い。
早く確保しないとあぶれてしまう。
そう考えたミラベルはそそくさと二階の事務所から階段を降りて、一階受付に向かう。
足早に入り口へ向かう途中、彼女の耳に聞きなれた声が聞こえてきた。
「あー! ミラベルお姉ちゃん! ちょうど良かった」
セシーリアが召喚した獣人族の少年、“ごろねこ”改めミントである。
ミントはドワーフの女性と共にギルドに訪れていた。
「ミント君、久しぶり。どうしたの? ギルドに来るなんて珍しいですね」
「うん。たった今、狩人の講習の申し込みをしたところ」
「おお! ついにミント君も狩人に!」
「うん、あとヘルガも一緒にね」
ミントが紹介するとその女性が会釈する。
「あ、どうも」
「ええ、こちらこそ、ミント君がお世話になってます……っと。そういえば今は急いでるんだった」
急ぎ『カートラ・ベーカリー』に向かわなければ。
その様子を見たミントが尋ねてくる。
「どうしたの? お姉ちゃん。何か用事あるの?」
「うん、火急の用事があるんですよ。私の今日の生き甲斐というか。ちょうどいいや、二人もついてきてください」
「え? どこいくの?」
「いいからいいから。とにかくついてきて」
説明の時間も惜しいミラベルは全力で走り出す。
ミラベルが息を切らしながら『カートラ・ベーカリー』前にたどり着くと、既に人だかりができている。
そのまま行列に並び整理券を手に入れる事に成功した。
「なーんだ。生き甲斐っていうから、一体どんな用事かと思ったらパン買いに来ただけかー」
ミントが呆れた表情で呟く。
そんなミントに憤慨するミラベル。
「買いに来た“だけ”って……。ここのサンドウィッチは私の一日の楽しみなんですよっ!」
「ふーん、そう」
しかしミントにはその価値がわからないらしい。
愚かな“ごろねこ”である。
やがて行列が進み、ミラベルはお気に入りのBLTのサンドウィッチを注文する。
ミントはツナサンドを頼み、ヘルガという女ドワーフは玉ねぎの入ったホットドッグを購入していた。
三人は店から少し離れたベンチに陣取り、それぞれ頼んだ昼食を頬張る。
「あー、やっぱりコレですよ。コレ。この中毒性はやばいですね」
至福の表情で語るミラベル。
彼女の頼んだBLTサンドにはピリッとした辛味が特徴のソースがかけられている。
その辛味がトマトの酸味と絶妙にマッチして食欲を促進させてくるのだ。
それを見たヘルガが話しかけて来る。
「本当に美味しそうに食べるね。あたしもそっちにすれば良かったかも」
「いやぁ、だって美味しいんですもん。このソースひょっとして何か、ヤバい葉っぱでも入ってるんじゃないかって思うくらいですよ」
「ヤバい葉っぱって……おいおい薬物かよ」
「いや、本当そのくらい見事な味のソースなんです。製法は企業秘密らしいんですが」
「へぇ、今度機会があったら絶対そっち食べるわ」
「ええ、オススメですよ。ミント君はどうせツナ一択なんでしょうけど……。ね? ミント君?」
ミラベルがミントに話を振ると、そこには物言わずにツナサンドをもしゃもしゃと貪っているミントの姿があった。
まるで野生に返ったかのような獣じみた食いっぷりに思わず言葉を呑むミラベルとヘルガ。
一瞬でツナサンドを食べつくし、満足げな表情を浮かべるミント。
その晴れやかな顔から察するに、どうやら理性を取り戻してくれたらしい。
「あ~美味しかった~。ミラベルおねえちゃん、こんな美味しいお店知ってるんだったら教えてよ」
「えー。だってただでさえ競争率激しいのに、これ以上ライバル増やしたくないんですもん」
などと心の狭い事を言うミラベルにミントが諭すように告げる。
「おねえちゃん、そういうのを何て言うか知ってる? “狭量”って言うんだよ。ひとつ勉強になったね」
「ほお、愚かな“ごろねこ”君も少しは学がついたようですね。お姉さんは嬉しいですよ、ふふふ」
「にゃんだとー」
そう言ってミントが笑いながら指で突っついてくる。
それをサンドウィッチを持っていない方の左手で巧みにガードするミラベル。
その様子を眺めていたヘルガが口を開いた。
「楽しそうにじゃれあっているところ悪いんだけどさ。ミント、このお姉さんから情報を聞き出すって話だろ」
「あ! そうだった、すっかり忘れてた!」
そういえばミントはミラベルの姿を見て開口一番“ちょうど良かった”と言っていた。
もともと何かの用事があったようだ。
「どうしたの、ミント君?」
「実はさ、狩人について聞きたくて」
「ああ、そういえばさっき講習申し込んだって言ってましたね」
「うん、それで色々聞けたらなーって」
「なるほど。まぁ講習内容とか試験については規定により教える事はできません。他の受講者と差が生まれてしまいますからね。ですが、それ以外なら何なりと」
それを聞いたヘルガが聞いてくる。
「はい! あたし聞きたいんだけど」
「何ですか? ヘルガさん」
「狩人ってさ、危なくないの?」
「んー、死者は滅多に出ませんねぇ」
「あ、出るんだ……」
「まぁそりゃぁ不慮の事故ってやつですよ。危険な生物に近付いてしまったり、罠が誤作動したり……。でも、そういう事故を無くす為に講習があるんで、そんなに悲観しなくても大丈夫です」
「なるほどねぇ」
太い腕を組んで唸るヘルガ。
そんな彼女にミラベルは問いかける。
「他に質問はありますか?」
「どのくらい稼げるの?」
「そうですねぇ。個人の技量にかかってくるので一概には言えないですね。めっちゃ稼ぐ人も居ればそうでもない人も居ますし」
「そうかぁ……頑張んないと稼げないのか」
「まぁ稼ぎたいんなら冒険者の方がいいでしょうね。報酬額はケタ違いですし」
「し、死亡率は……?」
「勿論そっちもケタ違いですよ、ふふ」
「だよねぇ……」
がっくりとうな垂れるヘルガ。
どうやら彼女には何か目的があって金策が必要なのだろう。
そんなヘルガを横目にミントが尋ねてくる。
「お姉ちゃん、冒険者登録ってお金かかる?」
「あ、そっか。ミント君は最終的には冒険者になりたいんでしたっけ」
「うん。おばあちゃんには“まずは立派な狩人になれ”って言われたけど、でも冒険者登録もついでにやっちゃおうかなって。登録ってすぐできるの?」
「ええ、登録自体はすぐできますし、登録料も発生しないですよ」
「へーそうなんだ。狩人みたいに講習とか無いんだね」
「まぁ、あれこれ教えても……“戻ってこなくなる方”が多いですし」
「そっかぁ……。でもさ、すぐ登録できるんなら一応登録だけでもした方がいいよね。“こうけんてん”って冒険者じゃないと貰えないんでしょ?」
ミントの鋭い質問に思わず唸ってしまうミラベル。
彼の言うとおり狩の途中で魔物に出くわし排除に成功しても、冒険者登録してなければ貢献点にはならない。
金銭で幾ばくかの報酬が得られるだけだ。
「たしかに、それはそうですね。うん、ミント君みたいに冒険者志望の人だったら、とりあえず登録だけしておくっていうのも手ですね」
「でしょでしょ?」
「でもその代わり“緊急案件”で否応無く召集される可能性もありますけどね。まぁ“錆び”の冒険者の手も借りたい状況が来る可能性は低いですが」
「ふうん、じゃあ登録もやっちゃおう」
「それがいいですね。ヘルガさんはどうします? 冒険者、稼げますよ~」
冗談めかしてヘルガに尋ねるミラベル。
即答で断ってくるかと思ったミラベルであったが、ヘルガはどうしようか悩んでいるようだ。
そんな彼女にミントが何事かを囁く。
「ヘルガ、なっちゃおうよ冒険者」
「ええ、でもようミント……」
「だーい丈夫だってぇ。さっさと“アレ”を完成させちゃえばさ、危険な依頼もへっちゃらさ。そんでヘルガと“アレ”の名声も一気に広まってさ。そしたらお金もがっぽがっぽ稼げちゃうよ」
「別に名声はいらないんだけど、更なる開発資金は欲しいなぁ」
「でしょでしょ。ぐずぐずしてると工房の人たちが先に“アレ”を実用化しちゃうかもよ?」
「うーん……。なんだか口車に乗せられてる気がしないでもないけど……でも一理あるね」
「じゃあ……」
「うん、あたしも腹くくった。冒険者登録もする! まだ登録だけだけど」
「そうこなくちゃ」
二人の話を黙って聞いていたミラベルがそれを引き取る。
ここハルマキスでは冒険者の獲得に常に頭を悩ませていた。
ここの住民は狩人が多いので、ある程度の害獣……オオカミやクマ程度なら冒険者に頼らずとも彼らで何とかしてしまう。
だから冒険者を志す物好きが育ちにくい土壌が出来てしまっていた。
ここは彼らの気が変わらない内に囲い込んでしまうが吉だ。
残りのBLTサンドをかっ込んでミラベルは告げる。
「お話が纏まって良かったです。それじゃ登録にいきましょうか」
「うん」
ミントの朗らかな返事を合図にベンチから立ち上がる三人。
それにしても。
ミラベルは歩きながら考えた。
“アレ”とは何ぞや、と。
お読み頂きありがとうございます。
次話更新は 4月 5日(木) の予定です。
ご期待ください。
※ 4月 4日 後書きに次話更新日を追加 一部文章を修正
※ 4月28日 一部文章を修正
物語展開に影響はありません。