123.肖像画
ハルマキスの宮殿内部にて。
カールシュテイン王家の者のみが使用を許される正餐室でイェシカとセシーリアは静かなひと時を過ごしていた。
これからイェシカと両親の久方ぶりの再会である。
そう考えるとイェシカはなんだか落ち着かない。
そんな彼女の様子を察してかセシーリアが話しかけて来る。
「なんじゃイェシカ、おまえ緊張しとるのか」
「べ、べつに……」
「なあに。どーんと構えておれば良いのじゃ。娘が帰ってきて喜ばん親なぞおらん」
そう言ってケラケラと笑うセシーリア。
だがイェシカが緊張しているのは両親に会うことだけではない。
彼女はセシーリアにもう一つの理由を説明する。
「いや、親父とおふくろに会うのもそうだけど、こんなにちゃんとしたディナーなんて久しぶりでよ。テーブルマナーなんて忘れちまった」
「わしだってそうじゃよ。ここ最近は離れの自室で夕食をとっておる。まぁ心配するでない。会食というわけでもないのじゃから」
「うん……」
「イェシカ。おまえはどうせ外でジャンキーなものばかり食べておったのじゃろう?」
ぎくりとするイェシカ。
菜食を好む者が多いエルフにしては珍しくイェシカは肉と脂、そして酒をこよなく愛していた。
幸い、過度な体重増加は今のところ無いが油断すると危ないかもしれない。
一瞬顔を硬直させたイェシカにセシーリアが釘を刺してくる。
「駄目じゃぞう。若いうちはいいかもしれんがその内体にくるぞう」
「わぁーってるよ。っていうか婆っちゃんだって体が出来上がってない内から酒ばっかり飲んでんじゃねえかよ」
「良いんじゃよ、わしは強いからのう。そういうお主は酒はどうなんじゃ?」
苦しいところを突かれるイェシカ。
「つ、強いぞ。ちょー強い。マジで」
「ほう、弱いのか。残念じゃ。一緒に飲めるかと思っとったが、お前が先にダウンするんじゃつまらん」
「だーかーら、強えーって!」
「ふん、強がらんでも良い」
その時、正餐室の扉が開けられる。
見るとイェシカの父であるアレクサンテリと母ルオナヴァーラが入室してくるところであった。
二人はイェシカの姿を認めると黙ってこちらに歩み寄ってくる。
アレクサンテリに至っては仏頂面を隠そうともしない。
即座に立ち上がって直立不動の姿勢になるイェシカ。
セシーリアは隣で静かに見守っている。
「あっあっあの、ち父上、母上。こっこここの度は私が、か勝手にこの宮殿を飛び出してしまい……」
イェシカが言い終わる前に二人は彼女を抱擁する。
「よく、よく戻ってきたな。イェシカ」
「本当に……心配したのよ。イェシカ」
二人とも目に涙を溜めながらイェシカに告げる。
それを受けてイェシカも普段被っている“粗暴な女エルフ冒険者イェシカ”という仮面を脱ぎ捨てた。
「う”うう、おとうさん、おかあさん。ただいま」
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「にゃあーあ」
「にゃあーあ、じゃないの。お・み・ず」
「お・みゅ・じゅ」
「よしよし、いいこいいこ」
依頼主セシーリアとイェシカが王族の正餐室に向かった後、ポーラ達は“ごろねこ”と呼ばれている獣人族と過ごしていた。
気を利かせた侍女たちが食事を持ってきてくれたのでそれを美味しく頂いた後で、折角だから“ごろねこ”に言葉を仕込んでいるのである。
ちなみにギルド職員のミラベルは書類仕事が溜まっているとのことで、さっさと帰ってしまった。
「しっかし妙なガキだな、そいつ。言動を見る限りまるっきり猫じゃねえか」
デズモンドが呟く。
この少年はプレアデスの獣人族とは違い、人語をまったく解さないようだ。
ポーラの知る限りそんな獣人族は故郷には存在していない。
たしかに妙である。
「そうですね……。でも本当に“まるっきり猫”ってわけじゃないみたいですけどね。こっちの言葉を真似しようとしてますし」
そこへブリットマリーが尋ねてくる。
「ポーラちゃんはその子が何言ってるかわからないの? あなたもネコ耳でしょ?」
「ええと、猫の言葉はちょっとはわかりますよ。“ごはん”と“あそんで”だけですけど……」
そもそも、まともに会話を試みたことも無い。
「あら、そうなの」
「ええ、そんなもんですよ」
その時“ごろねこ”が壁に向かって歩き出す。
それを諌めるリオネル。
セシーリアからはこれ以上壁を傷つけないように見張っててくれと頼まれている。
「む、いかんぞ“ごろねこ”。壁は爪研ぎではないのだからな」
「にゃあーあ」
壁に向かって手を伸ばす“ごろねこ”をリオネルが止めようとしたその時、彼が何かに気づく。
「む、何だ? これは……」
訝しげな表情を浮かべるリオネルに問いかけるポーラ
「リオネルさん、何かあったんですか?」
「うむ、そこの壁に何かの画があってな」
その画が収められた額縁はこちらからは見えないように裏返しに置いてあった。
“ごろねこ”はその額縁に反応していたようだ。
ブリットマリーがリオネルに問いかける。
「ねぇリオネル。何の画? 見たいわ」
「ちょっと待て。む、これは……」
その絵を見た瞬間リオネルの表情が強張る。
デズモンドがたまらず声を上げた。
「おい、リオネル。もったいぶってねぇで見せてくれ」
「わかった……」
その絵をテーブルまで持ってくるリオネル。
それを見てポーラ達は息を呑んだ。
それはとある男の肖像画であり、これを描いた人物はかなり腕利きの画家であるようだった。
何故ならその男の特徴がしっかりと描かれていたからである。
それは黒髪で黄色い肌をしたポーラ達も良く知る男、クルス・ダラハイドを描いたものだった。
「これ、クルスさん……ですよね?」
ポーラが疑問の声をあげるとリオネルとブリットマリーが困惑しながらも同意した。
「うむ、そう……見えるな……」
「ええ……そうね……」
一方のデズモンドはポーラよりも深い部分で疑問を抱く。
「でも、何でこんなところにあいつの肖像画が?」
困惑する一同をよそに“ごろねこ”はしきりに画に向かって鳴いていた。
「うーにゃーあ、ごろろ」
顔を見合わせる一同。
画に関心を寄せる“ごろねこ”の様子に疑問を抱いたポーラは駄目元で尋ねてみた。
「クルスさんのこと、知ってるの?」
対する“ごろねこ”の返答は要領を得ない。
「ごろろろ、にゃーああ、ふしゅるる」
その時、部屋の入り口から声が聞こえてきた。
セシーリアだ。
イェシカの姿がないところを見ると、おそらく彼女は親子水入らずで食事を楽しんでいるに違いない。
「もどったぞい。“ごろねこ”の世話ご苦労じゃったのう」
そのセシーリアに駆け寄り質問をするポーラ。
「セシーリア様、あなたはクルスさんとお知り合いなんですか?」
「クルス? 誰じゃそれ?」
「あの画の男性ですっ! 黒髪の」
それを聞いてセシーリアは目を見開く。
「ポーラ、もしかして『世界存在』様の事を知っておるのか!」
「せ、世界存在?」
「そうじゃ! この世界を救ってくださるお方じゃ!」
『世界存在』。
そういえば過去にプレアデスの精霊たちも同じことを言っていた。
あの時はクルス本人が否定していたのでたいして気に留めていなかったのだ。
ポーラが過去の記憶を探っていると、セシーリアが聞いてくる。
「それでポーラ、どうなんじゃ? 今『世界存在』様はどちらにおるのじゃ?」
「クルスさんは……亡くなりました」
瞬間、セシーリアの表情から一切の感情が抜け落ちる。
「……そうか、やはり……そうじゃったか」
そしてよろよろとソファに腰掛けるセシーリア。
“やはり”と口走ったところを見ると、彼女も予期していたらしい。
「ごろろにゃあ」
静寂に包まれたセシーリアの自室に“ごろねこ”の声が響く。
意を決してポーラはセシーリアに問いかける。
「あの、セシーリア様。この“ごろねこ”は一体……」
「わしが……『召喚』した。“救世の徒”として」
「は、はぁ」
「こやつと、『世界存在』……いやクルス様か。そのクルス様との関係はわしにもようわからん。じゃが……」
ソファから立ち上がったセシーリアは“ごろねこ”に近寄り、彼の体をやさしく撫でながら続けた。
「わしはこやつが何であれ、ちゃんと育てるつもりじゃ。それが『召喚』した者の責任じゃしな。勿論、こやつが世界の救世のために動いてくれる事がベストじゃが」
「そうですか……」
「ところで、ポーラよ」
「はい?」
「おまえはクルス様からこの世界について何か聞いておらんか? 生前の彼と近い距離に居たんじゃろう?」
「ええと……」
そんな話を自分に振られても困る。
というのがポーラの正直な感想であった。
いきなり世界がどうと言われても、ぴんと来ない。
元々クルスは秘密の多い男であったし、自分は彼から詳しい話など何も聞いていない。
と、そこまで考えてポーラは思い出す。
“彼女”なら何か知っているかもしれない。
否、知っているに違いない。
“彼女”はあれだけクルスと近い距離にいたのだ。
はっとするポーラの様子を見てセシーリアが聞いてくる。
「なんじゃ、何か思い出したのか?」
「はい。もしかしたら……ハルさんなら何か知っているかも……」
それを聞いたデズモンドが呆れ顔で尋ねてくる。
「おいおい、ポーラちゃん。どうやって聞くんだよ。ハルちゃんは……」
「死んでませんよ」
「……あ? いま何っつった?」
「ハルさんは、死んでません。たぶん……」
その言葉を聞いたデズモンド達は驚愕する。
ブリットマリーがポーラに飛び掛らん勢いで聞いてきた。
「ねぇ、ポーラちゃん。それってどういう事?」
「それは……ここから話す内容は絶っっ対に他言しないでくださいね」
「え? ええ……」
「ハルさんは、人間じゃありませんでした」
「え?」
呆けた顔をするブリットマリー。
無理も無い。
“ハルの遺体は損傷が激しいから見せられない”とデズモンド達に説明したのは、他ならぬポーラであった。
実際にはサイドニア王家から口止めされていた。
サイドニア国王ウィリアム・エドガーは海上で襲ってきた連中の一味の諜報活動を警戒していたのかもしれない。
ポーラは話を続ける。
「“遺体はメルヴィレイの酸でひどく腐食しているから見せられない”っていうのも、ハルさんの体を見られない為の方便です。本当はハルさんの体は今サイドニア王城にあります」
急に自分達の理解を越えた話をされて困惑するデズモンド達。
そんな中、黙って聞いていたセシーリアが口を開く。
「なんじゃ、わしにはようわからんが、そのハルとやらは復活する可能性があるのかのう?」
「……そう思います」
「なるほど、なら答えは一つじゃ」
セシーリアは“ごろねこ”に腕を回して笑顔を浮かべる。
「こやつにそのハルとやらの復活の道を探らせる。その為には先ずは“お勉強”じゃな。そうじゃろう、塾長殿?」
セシーリアの言葉にポーラは力強く頷いた。
“ごろねこ”がクルスとどんな関係かはわからないが、だが“ごろねこ”を育てることでかつてポーラ達がクルスに世話してもらった礼を、ひょっとしたら返せるかもしれない。
「ええ、セシーリア様。“ごろねこ”をちゃんと育てましょう!!」
お読み頂きありがとうございます。
次話更新は 3月14日(水) の予定です。
ご期待ください。
※ 3月13日 後書きに次話更新日を追加
※ 4月26日 一部文章を修正
物語展開に影響はありません。