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アマルコルド -私は忘れない-  作者: 利府 利九
第七章 Our Time Is Running Out
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117.続・発端



 目が覚めた。


 起き上がった彼はふわぁと大きな欠伸をすると体を伸ばす。

 そうして体をほぐした後、寝ていたソファーから降りて窓の外を窺った。


 駐車場に“くるま”が無い。

 どうやら“おとうさん”と“おかあさん”は出かけているようだ。


 しばらくの間窓の外の風景をじっと眺めた彼は、窓にうっすらと映った自分の姿を見る。


 灰色の毛並みにトラ柄の黒い線がいくつも走っている。

 自分で言うのもなんだが、見事な毛並みである。


 そのカラーリングは“あめりかんしょーとへあ”に似ているらしい。

 ただ“あめりかんしょーとへあ”にしては毛が長いので“ざっしゅ”だろう、と“おとうさん”は言っていた。


 そして黄色い左目と白みがかった右目のオッドアイが色鮮やかである。


 そんな来栖家の飼われているオス猫である彼の名は『みんと』であった。



 窓から風景を眺めていた『みんと』であったが、やがて空腹を覚えた。

 なにか“ごはん”はあるだろうか。


 くんくんと空気中の匂いを嗅ぐ。

 気づくと鼻が乾いていた。


 舌をペロッと出して軽く鼻を舐める。

 猫は鼻が乾いていると匂いが嗅ぎ取り辛くなってしまって、なんだか落ち着かないのだ。


 くんくんと鼻を動かし、かすかな匂いをキャッチした『みんと』は台所へと向かう。


 台所には彼専用の皿が設置されている。

 そこを見やると“かりかり”しかなかった。


 “きゃっとふーど”とかいうのが正式名称らしいが、来栖家では“かりかり”と呼ばれている。

 本当は“かんづめ”が食べたい『みんと』であったが、“かんづめ”は他の誰かにお願いしないとだめだ。

 だが生憎“おとうさん”も“おかあさん”も出かけている。


 今家に居るのは『みんと』と“おにいちゃん”だけだ。

 “おにいちゃん”はちょっと前まで“びょういん”にいたらしいが最近この家に帰ってきた。


 でも、ずっと寝ている。

 ずっと、ずーっと寝ている。

 いくら何でも寝すぎだ。


 そうだ、“おにいちゃん”を起こしてあげよう。

 そして“かんづめ”を用意してもらうのだ。


 そう『みんと』は思い立つ。



 “おにいちゃん”は二階の自室で寝ていた。

 そこを目指して階段をとたとたと駆け上がる『みんと』。


 そして部屋の前にたどり着いたは良いが、問題はドアがしまっているという事だった。

 とりあえず“おにいちゃん”に鳴いて呼びかけてみる事にする。


 ひょっとしたらその鳴き声で彼が起きるかもしれない。


「にゃー、にゃーああ」


 だが、呼びかけても返事は無い。


 まったく、いつまでねているつもりなのか。

 段々と腹が立ってきた『みんと』は強硬手段に出る。


 背伸びをしてドアノブに向かって前足を伸ばす。

 だが、どれだけ頑張っても届かない。


 ならば、と今度はドアノブ目掛けてジャンプした。

 左右の前足で必死にドアノブにしがみつき全体重をかける。


 ガタンと音を立ててノブが下を向き、ドアが少し開いた。

 そのドアの隙間に前足を入れてドアを開く『みんと』。


 中に入ると、ベッドに横たわる“おにいちゃん”の姿が見えた。

 それを見て嬉しくなった『みんと』はごろごろと喉を鳴らす。


 そのままベッドに飛び乗り、布団ごしに“おにいちゃん”のお腹の上で“ふみふみ”をする。

 そして“おにいちゃん”に呼びかけた。


「ごろろにゃー、ごろろろ。にゃーーあ」


 おい、起きろ“おにいちゃん”。

 ボクのために“かんづめ”を用意するのだ。

 そう告げる『みんと』だったが“おにいちゃん”は一向に起きる気配が無い。


 おかしい。

 いつもなら寝起きのガラガラ声で“ああ、おはようございます。みんとさん……。”とか何とか言って渋々起き上がるのに、まったく起きようとしないではないか。


 そう思って“おにいちゃん”の口元を見ると、何か透明のチューブのような物を咥えている。

 咥えているというかテープで固定されているようだった。

 何だろう、と思って鼻を近づけて匂いを嗅ぐ『みんと』。


 その際に、“おにいちゃん”の口元についていた唾液が鼻についた。

 尚もくんくんと匂いを嗅ぐがそのチューブが何なのかはよくわからない。


 一通り調べたところで、ちょっと鼻の湿り気が少なくなってきた。


 『みんと』は舌をペロッと出して軽く鼻を舐める。

 猫は鼻が乾いていると匂いが嗅ぎ取り辛くなってしまって、なんだか落ち着かないのだ。





-------------------






「ただいまー」


 そう言いつつ自宅の扉を開ける来栖の母。

 そして夫と近所のスーパーマーケットで買って来た品々を運び入れる。


 息子が謎の奇病に倒れてから早一年。

 医師達は手を尽くしてくれたが、残念ながらそれが実を結ぶ事は無かった。


 途中、一時的に脳波が消えてしまい脳死状態の疑いも出たが、何とか持ち直した。

 しかし同時に脳波が低い意識レベルで安定してしまった。

 結局“回復の見込み無し”と判断され、入院から在宅介護へと切り替わる事となった。


 だが全てを自分達でやるのではなく、週に二回ほど病院のスタッフが来てくれている。

 治療方法の確立されていない難病ということもあって、民間の介護サービスには頼らないでくれと病院側から頼まれていた。


 要するに、下手をすると自分達も感染する可能性があるのだ。

 だから家には線虫用の殺虫剤が常備してあるし、彼の口に触れてしまった物はすべて使い捨てだ。


 正直、これからの事を考えると気が重い。

 しかし、息子は今も病魔と闘っているのだ。

 親が先に音を上げるわけにはいかない。


「あれ、『みんと』いないな……」


 夫が買い込んだ食糧品を冷蔵庫に詰めながら呟く。

 そういえば妙であった。


 いつもは車の音が聞こえると、窓際に行ってにゃあにゃあ鳴いているのに今日は静かだ。

 出かける前に見たときはソファーで寝息を立てていたはずだが影も形もない。


「二階にいるのかしら。ちょっと見てくるわ。ついでに洗濯物しまってくる」

「おう」


 そう言って二階へと上がる来栖の母。

 上がってすぐ、異変に気づく。


 息子の部屋のドアが開いている。


 家を出る前はちゃんと閉まっていたはずだ。

 まさか『みんと』が開けたのだろうか。


 中に入って部屋の中を見渡すとすぐに『みんと』の姿を発見した。

 息子が横たわっているその上で、体を横にして寝ていた。


 なんだ。

 寝てただけか。

 よかった。

 彼女はほっと胸を撫で下ろす。


 病院の医者達からは“ひょっとしたら猫にも影響があるかもしれないから息子とは接触させないように”と言われていた。

 それ故にドアを閉めていたのだが、まさか『みんと』がドア開けをするとは。


 以前『みんと』がドア開けした際に扉にひっかき傷をつけたのを、来栖の母が怒って以来しなくなっていたので油断していた。

 今度からはドアに鍵をかける事も検討しなくてはならないようだ。


「もう、駄目でしょ。『みんと』ちゃん。“おにいちゃん”は今お寝んね中なんだから」


 来栖の母は息子の事を“おにいちゃん”と呼ぶ癖がついていた。

 『みんと』が末っ子の赤ちゃんのように思えて、自然にこういう言い回しをするようになったのだ。

 もしかするとこの猫は息子の名前を“おにいちゃん”と認識しているかもしれない。


 来栖の母は『みんと』を起こすべく優しく体を撫でる。


「ほら、『みんと』ちゃん。起きるのよ。“おにいちゃん”とは治ってから遊びましょう。ね?」


 猫というのは全身の感覚が研ぎ澄まされているのか、寝ている状態でもちょっと指が触れるだけでバッと起きたりする。

 いやそれどころか、ただ寝顔を観察しているだけでも視線を察知して起きることもあるくらいだ。


 だが、いくら撫でても『みんと』は一向に起きる気配が無い。


「まさか……」


 そう思って来栖の母が息子の口元を見やる。

 呼吸器のチューブが固定されている口元に灰色の毛が一本付着していた。


「ああ、なんてこと……」


 来栖の母はポケットから携帯電話を取り出すと、一番親身になって治療に望んでくれた医者に連絡を取る。


「も、もしもし。来栖です。突然のお電話ですみません。あの……葛城先生、一つお尋ねしたいのですがよろしいでしょうか」


 そして大きく息をついて気を落ち着けると、こう尋ねた。


「『バルトロメウス症候群』というのは、ヒト以外にも感染するのでしょうか? 例えば……ネコとか」



用語補足


ふみふみ

 布団やベッドなどのふかふかした場所で猫が時折見せる仕草。

 左右の前足を交互に動かして地面を踏みしめる。

 これは猫が飼い主に甘えたい時によくやる動作で、猫側からの愛情表現ともいわれている。



お読み頂きありがとうございます。


次話更新は 2月10日(土) の予定です。


ご期待ください。





※ 2月 9日  後書きに次話更新日を追加

※ 2月10日  一部文章を修正

※ 4月21日  一部文章を修正

物語展開に影響はありません。

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