116.次の一歩
「みんな、落ち着いたかい?」
目を赤く充血させながらチェルソが聞いてくる。
骨董屋パニッツィにて、クルスの遺品の形見分けの最中に彼の遺書を見つけた一同。
それを読んで暫くは皆涙が止まらず、形見分けどころではなくなってしまったのだった。
「そういうチェルソさんだって泣いてただろ」
そうナゼールが指摘するとチェルソは悪びれずに言う。
「いやいや、これは心の汗さ。それより遺品整理の続きといこうか……といってもほとんど終わってるんだっけね」
結局資産価値のありそうなものは大量の金貨くらいのもので、残りは回復薬等の消耗品、そしてサイドニア王家に預ける予定の“鉄製の棺桶”と“黒い水晶”くらいのものである。
その二つを見てコリンがため息を吐く。
「あーあ、結局謎ばっかり残っちゃったね」
それに同意するレリア。
「たしかにそうね。クルスさん、やっぱり一人で色々抱え込んでいたのかしら……」
そんなレリアの言葉に反応したのはジルド少年だった。
「そんな事ないよ」
「え、どういう事かしら? ジルド」
「うーんとね、これもクルスさんとハルさんがプレアデスで話してた事なんだけど“用事が片付いてマリネリス大陸に着いたら秘密を明かす”ってフィオさんに言ってたんだ」
それを聞いて再び胸が締め付けられる思いのナゼール。
おそらくクルスは飢饉に喘いでいたプレアデスの民に気を使って、打ち明けるタイミングを計っていたのだろう。
そしてジルドの話を聞いたレジーナが付け足す。
「その話ならあたしもシスター・フィオから聞いたぜ。あと、それとは別にもう一つ思い出したんだけどよ……」
そう言うとレジーナは立ち上がり、チェルソと二人の子供たちに向き合った。
その眼光は鋭い。
「お前らよぉ……一体何モンなんだ?」
一方、話を振られたチェルソは困り顔だ。
「何者って……そりゃ骨董屋だけど」
「違う。あたしはそんな事を聞いてるんじゃねえんだよ」
「じゃあ、一体どういう……」
「人間じゃねえだろ、お前ら」
「……」
「なぁ、ガキ二人。何であの夜シスターとあたしが見張りで起きてたのに、わざわざ寝てたクルスを起こしてションベンしに行ったんだ?」
あの夜、というのはレジーナ達がスケルトンやグールに襲われたという時の事だろうか。
それを聞いた子供達は大変険しい表情である。
「そ、それは……」
ルチアが泣きそうな表情で答えようとするが、チェルソに遮られる。
「ルチア、いい。僕が話す」
「で、でも…おにいちゃん」
「いいから」
「うん……」
そうしてチェルソは大きく息を吐くと衝撃的な発言をした。
「僕らはね……“吸血鬼”なんだ」
その言葉を聞き、息を呑む一同。
急激に重くなった空気の中でレリアが恐る恐る尋ねる。
「あ、あの……それってノアキスを騒がせていたあの“吸血鬼”なのかしら?」
「うん、そうだよ」
「さ、三人とも?」
「もちろん」
とはいえプレアデスの民であるナゼール、レリア、ポーラの三名は“吸血鬼”がどういうものかを詳しくは知らないので、チェルソの告白を聞いても“あ、そうなんだ”程度の反応であった。
だがそれとは対照的にレジーナ、コリン、バフェット伯爵は非常に険しい表情をしている。
重苦しい空気の中、コリン少年が切り出した。
「三人はこれからも人間社会に溶け込んで生活していくつもりなの?」
代表してチェルソが答える。
「ああ、もちろん。僕らは今まで通り皆と仲良くしたいと思っている。今回、僕らの正体を打ち明けたのも、皆なら僕らの事を信用してくれると思ったからなんだけど……やっぱり信用できないかい?」
「いや、それは、ええと……」
言葉に詰まるコリン。
彼とてチェルソ達が悪い存在ではない事くらいわかっているのだろうが、今までに聞いた吸血鬼の悪評が邪魔しているのだろうか。
一方のレジーナは一片の迷いも無く答えて見せる。
「あたしは信用したって構わねえぜ。今までだってその気になりゃ、あたしらを襲う機会なんざ幾らでもあったんだ。今でもあたしらが無事だっていう事こそが、そいつらが善良だって証明さ。違うか、コリン?」
「……」
「なあに、もしそこの骨董屋が乱心したらその時はぶった斬ってやればいいだけさ。単純な話さ。そうならないように祈ってはいるけどよ」
レジーナの言葉を聞いて嬉しそうに感謝を述べるチェルソ。
「そう言ってもらえて嬉しいよ、レジーナさん」
「あたしはただ状況から分析しただけだぜ。礼を言われる筋合いはねえ。それより他の連中はどうなんだよ? こいつらは信用できると思うか?」
レジーナの問いに大きく頷くナゼール、レリア、ポーラ。
チェルソ達とはプレアデス諸島ではお互いに助け合った仲である。
充分に信用できる存在であるとナゼールは信じていた。
「ひとつ、いいだろうか?」
そう声を上げたのはバフェット伯爵であった。
彼はこの骨董屋の出資者であり、実質的なオーナーである。
ナゼール達がいくらチェルソ達を信用していようとも、彼の返答如何ではこの店の存続にも暗雲が立ち込めることとなる。
そのバフェットに緊張した面持ちで答えるチェルソ。
「なんでしょうか、伯爵様?」
「お前が言っていた“優秀な職人”というのは、そこの子供たちか?」
「ええ。彼らの実年齢は八十を超えています。そこらの職人を凌駕する技量を備えている事は私が保証致します」
「ふむ……」
腕を組み考え込むバフェット。
その様子を固唾を飲んで見守る“吸血鬼”たち。
やがてバフェットは毅然とした様子で告げた。
「わかった。信用しよう」
「ありがとうございます!」
バフェットの太鼓判を貰って安堵するチェルソ。
だが、そのチェルソに釘を刺すようにバフェットは告げる。
「ただし!」
「ただし?」
「条件がある。チェルソ、お前は冒険者として実績を積め」
「は、はぁ? 私が、冒険者になるのですか?」
「うむ。それは正体が露見した場合に備えての保険だ。人間の為に危険を冒して働いたという実績があれば極刑は免れる……かもしれん。ひょっとすれば、だがな」
「……な、なるほど」
バフェットの話を咀嚼するチェルソ。
彼にとっても人間社会に溶け込む為には大貴族であるバフェットの後ろ盾は魅力的だろう。
ゆっくりと頷くとチェルソは宣言した。
「わかりました。そういうことでしたら私も冒険者になるとしましょう」
「そうか。そう言ってくれて私も安心した。折角見つけた優秀な職人を失う所であったからな」
どうやらこの貴族にとっては“吸血鬼”を通報する事よりも、優秀な職人を確保する事の方が比重が大きいようである。
さすがクルスをして“アイテム狂”と呼ばせたバフェット伯である。
そしてチェルソは更に言葉を重ねる。
「ですが」
「ですが?」
「こちらからも条件を出させてください」
「む? 何だ、言ってみろ」
「まず、私が冒険者稼業に出ている間のルチアとジルドの世話を頼みたいのです」
「ふむ、それについては店の売り子に任せよう。不老の彼らを人目に晒すのは良くないから売り子には“職人殿は人嫌いだ”と伝えておく」
「ええ、恩に着ます。それともう一つ」
「何だ?」
「我々は時たま、人血に“渇く”事がございます。人間に例えるならば“無性にあの料理が食べたい”状態といいますか」
チェルソの奇妙なたとえ話にバフェットは渋い顔をする。
「ほう、それは穏やかではないな」
「ですが、血を一滴舐めれば大体収まります。そこで……」
「なるほど、血をくれてやる役が必要か。……それは今まではクルスに頼んでいたのか?」
「ええ」
「ふうむ。ならば事情を知っている者が望ましいだろう。ここに居る誰かが近くに居たらそいつに頼め。もし誰も居なければその時は前もって私に相談しろ。何とかしてやる」
「ありがとうございます、伯爵様。そうなると問題は私の冒険中ですが」
「ふむ、そうだな。というかそもそも一人では危ないのではないか」
それを聞いたナゼールはチェルソに提案する。
「じゃあ、俺も冒険者を手伝ってやろうか? 親父たちの補佐が終わった後なら手伝えると思う」
「え? いいのかい、ナゼール君?」
「ああ、俺だってもっとマリネリス大陸の事をよく知る必要があるしな。ドンガラの族長の息子として」
「それは頼もしいね」
「それによく考えたらチェルソさんはプレアデスの問題を解決する手伝いをしてくれたのに、俺はその時の礼をしてねえ」
「ああ、そういえばそうかもね。別に気にしてなかったけど」
そこへレリアも賛同してきた。
「なら、私も手伝うわ。ナゼールだけじゃ不安だし」
「おいおい、不安ってなんだよ」
「冒険者稼業だって危ないのよ? それで次期の族長の身に何かあったらまずいでしょう」
「う……」
レリアの指摘にぐぅの音もでないナゼール。
その様子を見たチェルソが笑いながら手を伸ばしてきた。
「じゃあ、僕らはパーティだね。よろしく、ナゼール君にレリアさん」
三人で手を合わせて絆を誓う。
これで三人パーティの結成だ。
その時、不意に店のドアがノックされる。
そしてナゼールも良く知る女性の声が聞こえてきた。
ダラハイド農場のキャスリンだ。
「ごめんくださーい。開けて頂けるかしらー?」
「はーい。今お開けします」
チェルソが扉を開けると、奥様の後に続いてダラハイド男爵も店内に入ってくる。
その様子を見て途端に動悸が激しくなるナゼール。
ナゼールは事前にダラハイド農場へ“直接会って伝えたい事がある”と手紙を出していた。
遂にこの時が来た。
奥様と旦那様に謝罪しなければならない。
“自分達だけ生きて帰ってきました”と伝えなければならない。
強張った表情のナゼールの心境を察してか、レリアが手をぎゅっと握ってきた。
そしてナゼールの目を見つめて頷く。
ナゼールは頷き返すと夫婦に歩み寄る。
「奥様、旦那様。あの……実は、クルスさんは……その……」
必死に言葉を紡ごうとするナゼールであったが、意志に反して口が上手く動かない。
発音するのが怖いのだ。
“クルスが死んだ”と口に出すのが怖いのだ。
だが、二人はナゼール達の悲痛な顔を見て全てを悟ったようだった。
「ナゼール」
キャスリンがそれだけ言うとナゼールの口を塞ぐように抱擁する。
途端にナゼールの目から再び大粒の涙が溢れてくる。
「あ”あああああ」
嗚咽を漏らすナゼールにつられるようにしてポーラやレリアも再び涙を流し始める。
そんな二人にハンカチを差し出すダラハイド男爵。
「使え」
「あ、ありがとうございます……」
そして彼は後ろを向くと腕で目の辺りを拭っていた。
そんなダラハイド男爵にレジーナが話しかける。
「あいつの名誉の為にこれだけは伝えなきゃならねえ。あいつがあの時『レヴィアタン』を引き付けてくれなければ、あたしらは今頃全員仲良く魚の餌さ。あいつ……クルス・ダラハイドは勇敢な男だった」
「……そんな事は言われんでも知っている。だが、教えてくれた事には礼を言っておこう」
「クルスだけじゃない。そのクルスを庇ったシスター・フィオも、ナゼールを助けたハルもだ。あいつらの犠牲の上にあたしらは立っている」
「そうか……そうだな。彼らにも弔辞を伝えねばならんな」
目を赤くしながら呟くダラハイド男爵。
その姿を見たナゼールは決意を新たにする。
胸に刻んだのはクルスの遺言。
“次の一歩を踏み出して欲しい”
いつまでも泣いているわけにはいかない。
どんなに辛かろうが前に歩を進めるのだ。
そして自分もクルスの事を、忘れない。
涙で濡れた目に、ナゼールは決意の光を宿らせたのだった。
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マリネリス大陸の中央部に位置するサイドニア王国。
その遥か西方には広大な森林地帯が広がっている。
豊かな広葉樹によって覆われたその森の中にエルフの創った国・ハルマキスは存在していた。
ハルマキスを統べる王家カールシュテインが建てた宮殿。
丸みを帯びたフォルムが美しいその宮殿から少し離れた所にある小さな建物にて。
そこに小さな少女がベッドで寝ている。
つやのある栗色の長髪からエルフ特有の長い耳が突き出ている。
すやすやと寝息を立てていたその少女が、不意にカッと目を見開き叫ぶ。
「やばいっ!!」
叫んだ少女は飛び起きると、狼狽した様子で部屋に備え付けてある水盆に顔を近づける。
そして、いつも思い浮かべる『彼』の顔を思い浮かべる。
そうすれば彼の動向がおぼろげながら“視える”はずであった。
しかし水盆には何も映らない。
「嗚呼、やっぱりじゃ……。視えん。なんという事じゃ、『世界存在』様が……」
見た目に似つかわしくない年寄りじみた喋り方でうろたえながら一人呟く少女。
『世界存在』とは彼女が千里眼ストーキング……もとい動向を追いかけていた男性の事である。
彼女はその男性を世界の救世主と信じて疑わなかった。
その『世界存在』が彼女の視界からかき消えてしまった。
落ち着かない様子で自室の中をうろうろと彷徨いながら、必死に考えを纏める少女。
とにかく『世界存在』の安否が不明な現在、それに次ぐ救世の徒を『召喚』する必要がある。
そう考えた彼女は自室の本棚を漁り始めた。
どこかにあったはずだ。
『召喚』に関する古文書が。
お読み頂きありがとうございます。
こうして彼は物語から姿を消しました。
それにより停滞するかと思われた来栖の脳内の空想世界ですが、そこに思わぬ闖入者が迷い込みます。
果たしてその闖入者はバルトロメウスから来栖を救えるのでしょうか。
次章から新主人公の登場です。
次話更新は 2月7日(水) の予定です。
ご期待ください。
※ 2月 6日 後書きに次話更新日を追加
※ 3月 4日 一部文章を修正
※ 4月21日 一部文章を修正
物語展開に影響はありません。