113.タイカイニチル
「ナゼール!! 下がれ!!」
《トロンピート》の銃口を『レヴィアタン』に向けながらナゼールの元へと走り寄るクルス。
クルスの叫び声ではっとしたナゼールが後ろに飛びずさった。
それを確認したクルスはグレネード炸裂弾を白い大蛇の顔に向けて発射した。
グレネードの爆発で白い大蛇が怯んだ隙に、《トロンピート》のセレクターをいじって三点バーストからフルオート射撃へと切り替える。
そしてありったけの銃弾を白い大蛇に叩き込む。
グレネード炸裂弾と《トロンピート》のフルオート射撃をまともに被弾した大蛇は、その体躯を赤く染め上げながら海へと落ちてゆく。
この程度で倒せたとは思えないが、とりあえず一時的に追い払う事には成功したようだ。
その様子を確認したクルスは一息ついた。
そしてハルの方を見やる。
『レヴィアタン』の吐き出した強烈な酸をまともに浴びたハルは合成樹脂でできた人工皮膚をあらかた溶かされており、中から鋼鉄のパーツとカーボンナノチューブを用いた人工筋肉が露になってしまっている。
その姿は無残なもので、辺りには機械部品が溶けた際に発生した異臭が漂っていた。
「ハルさん……! あ……ああ、なんてこった……」
ハルの傍らにはナゼールが座り込んでおり、ハルの身を案じているがその表情は困惑も混じっているようであった。
クルスはその二人に近付く。
それに気づいたハルがクルスに声をかけてきた。
「マスター、ごめンなサい……。ザッ……本当はマスター、ザッ……をお守りしナけれバなラ、ザッ、ないのに……。ザッ、わたし、こンな……ポンこツでゴめんなさイ……」
喉元のスピーカーも破損してしまっているようで、時折ハルの言葉にザッ、というノイズが走る。
献身的なアンドロイドの言葉はクルスの胸に深く突き刺さった。
「いや、ハル。お前は本当によくやってくれた。お前の事を誇りに思う。ありがとう」
「マすター……ザッ」
見たところ、ハルの体はもう長く持たないであろう。
それを悟ったクルスはハルに指示を出す。
「ハル、“ブラックボックス”」
「はイ。今まデ、ザッ、ありガとウござイました……。私ノ、ザッ、たッた一人の、マスター……」
クルスの最後の指示を受けたハルは機能を停止し、ガクっとうなだれる。
直後に脊椎近くの部分が開き、そこから黒い水晶のようなものがせり出してきた。
『ブラックボックス』だ。
クルスはそれを大事に『ベヘモスの胃袋』へと収納した。
一部始終を呆然と見守っていたナゼールが、搾り出すように口を開く。
「く、クルスさん。これは一体、どういうことだ……?」
「それは……」
ナゼールの問いに答えようとしたクルスに呼びかけてくる者があった。
ポーラだ。
「クルスさん!!」
ポーラはその手に何かを握っている。
手の平サイズの黒い球体であった。
落下傘と思しき布がへばりついているところを見ると、どうやら閃光弾に気を取られていた間に敵に撃ち込まれたらしい。
「どうした? ポーラ?」
「クルスさん、これから、音が出てます」
「音?」
クルスには何も聞こえない。
不審に思いながらクルスはその黒いボール状の物を受け取る。
手にとって初めてわかったが、そのボールは細かく振動していた。
そしてよく見ると、極小の穴が多数空いておりそこから音が漏れ出しているようだ。
その黒いボールはスピーカーであった。
瞬間、クルスもそのボールの危険さに思い当たる。
恐る恐るポーラに尋ねる。
「おいポーラ、まさかこの音って」
「はい……確証はないんですけど、たぶん『メルヴィレイ』を引き寄せます」
それを聞いたナゼールが激昂しながら言う。
「おい! 危ねえじゃねえか、それ! 早くぶっ壊さねえと!!」
そう言ってボールを叩き割ろうとするナゼールを制止するクルス。
「待て、ナゼール。今更これを壊したところで状況は変わらない。すでにあの白蛇は俺らに目をつけちまってる」
「じゃあ、どうするんだよ?」
「そんなの決まってる。このボールを連中に返品してやるんだ。そして白蛇を連中におっ被せて、その隙に俺らはこの海域を離脱する。そうする以外に助かる術はない」
まだ遠くに連中の乗ったクルーザーが見えた。
どうやらこの船が沈められるのを見届けるまで、奴らも帰るわけにはいかないらしい。
遠くからかすかに“『白き鯨』に食われちまえ!”という呪詛の言葉が聞こえてくる。
あの白蛇はルサールカではそう呼ばれているらしい。
なぜ鯨などと呼んでいるのだろうか。
その時、その『白き鯨』が再び動き出す。
大きな振動が船に伝わり、木造船が軋む音が響く
「もう時間がない。ポーラ、ボールはこれ以外にあったか?」
「いいえ」
「そうか、わかった。これは俺が返してくる」
その言葉を聞いたナゼールがクルスを諌める。
「おい、本気で言ってんのかよ。クルスさん!」
「俺はいつだって本気だ」
クルスは言うと『ベヘモスの胃袋』から以前生成したマシンピストル《リューグナー18》と弾層を取り出すと、『ベヘモスの胃袋』をナゼールに投げて渡した。
「おい、クルスさん?」
「それ持っててくれ、ナゼール。海に落とてしまうとまずいからな。いいか、絶対に失くすなよ!」
「待てよ、おい、クルスさんっ!!」
クルスはナゼールの言葉を無視し、船べりから飛び出した。
魔術《風塵》を発動させ、空高く舞い上がる。
『精霊』シルフに飛ばされた時に比べれば全然高さを稼げていないが、それでも海上の上昇気流を上手く捉える事に成功し結構な高さを飛翔する事に成功した。
そして《印術》を刻む。
《勝利》《俊足》のルーンを重ねがけする。
“重ねがけはラシェル戦だけ”という精霊との約束なんぞ知った事か。
今こそがクルスとバルトロメウスの戦いの分水嶺である。
《印術》の重ねがけのせいか、既にボロボロの体が更に軋む。
だがそんな痛みなぞ知った事か。
フィオレンティーナとハルが受けた痛みに比べればこんなものは屁でもない。
《風塵》で空に舞い上がったクルスは、眼下に見えた白い塊に目をやる。
体長四十メートルを超える白鯨の巨体から、先ほど酸をぶち撒けた白い大蛇の首がいくつも伸びている。
それこそが『白き鯨レヴィアタン=メルヴィレイ』の真の姿であった。
マリネリスやプレアデスの民達がこの鯨を蛇だと誤認していたのは、海面下の鯨の巨体を見る事が無かったからだろう。
そしてその鯨の姿は遠くから見ると、多数の線虫がボール状に絡まっている様にも見えた。
その時レヴィアタン=メルヴィレイの大蛇の首の一つが水しぶきを巻き上げながら起き上がり、クルスの方へと襲いかかってくる。
クルスは大蛇の噛みつき攻撃を《風塵》でかわすと、突進してきた大蛇の首を蹴って加速した。
《印術》で身体能力を底上げしているお陰で、凄まじい速度を得たクルスはそのままクルーザーの一隻へと向かう。
それでも飛距離が足りず途中で海上へ落下してしまうが、海面を魔術《氷床》で凍らせて一時的な足場を拵えた。
そして急ごしらえの足場を強く蹴って再び《風塵》で空に跳びあがる。
気づけば目標のクルーザーはもう目の前であった。
そのまま空から強襲をかけるクルス。
空から突っ込んでくるクルスの姿を視認した敵兵士が一斉に銃撃をしてきた。
クルスは生成の指輪を使って《ライオットシールド》を自分の目の前に複数生成して身を守る。
落下しながら盾を目の前に居た敵兵に叩き付けると《トロンピート》によるフルオート射撃を見舞う。
さらに、数で劣るクルスは目茶苦茶に動き回りながら《トロンピート》を乱射し、敵部隊をかき回す。
同士討ちを狙う為だ。
そうこうしているうちに《トロンピート》が弾切れした。
装填の時間すら惜しいクルスは二挺目の《トロンピート》を生成してそれを撃つ。
二挺目も弾切れすると、クルスは即座に《リューグナー18》を抜いて目の前の敵兵に銃弾を浴びせる。
敵の応射には目の前に《ライオットシールド》を生成し、射線を塞いで対処した。
それを嫌がって接近してきた敵は骨砕きで頭をカチ割った。
クルスの顔が返り血で染まる。
遮蔽物に隠れながら海の方を見やると、白い鯨は大蛇の頭を蠢かせながら徐々にこのクルーザーのところへと近付いてきていた。
順調にレヴィアタン=メルヴィレイはクルスの持つボールに釣られている。
もう少し引き寄せたら離脱しよう。
クルスは敵陣の中で覚悟を決める。
一対複数の絶望的な戦いをクルスは続けた。
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「ヴィーク少尉、どうするんですか?」
フロスト伍長が対物ライフル、《ドラッツェ》のスコープを覗き込みながら聞いてくる。
その視線の先では“ラッパ持ち”ことクルスが僚船のクルーザーで大立ち回りを演じている。
このまま一人で向こうの戦力を全滅させてしまいそうな苛烈な襲撃であった。
ラルフは回顧する。
閃光弾を打ち上げ“ボール”を投擲後、モーターボート隊をクルーザーに収容したまでは良かった。
だがクルスは何か超常の力を使って風に吹かれながら僚船のクルーザーに飛び乗り、そこで信じられないような戦闘を繰り広げている。
生身とは思えないスピードで銃撃をかわし、ようやく銃撃が当たったと思ったらどこからとも無く現れた《ライオットシールド》に防がれる。
白兵戦を挑んでも剣であっさりと返り討ちにされてしまう。
あいつは、おかしい。
バケモノだ。
我々の現在の保有戦力では敵わない。
そう判断を下したラルフは迅速に宣言した。
「離脱する」
「え? し、しかし少尉。まだ僚船が戦っています」
「彼らはもう手遅れだ、フロスト伍長」
「……で、ですが……!」
「もし伍長があのバケモノを倒してくれれば、俺もこんな決断は下さなくて済むんだがな」
「……申し訳ありません。おそらく、それは不可能です」
この海上の揺れの中、正確な狙撃をするだけでも大変なのに、あのバケモノは尋常じゃない速さで動きまわっている。
フロスト伍長とは相性の悪い相手であった。
そこへバーンズ伍長が焦りを隠さずに話しかけて来た。
「少尉、『白き鯨』がこっちに向かってきているぞ! トンズラこくなら急がねえとやばいぜ!!」
叫びながら彼は撮影用のドローンを飛ばしている。
そのドローンでクルスが死ぬ瞬間を撮影したものが殺害成功の証拠となるのだ。
ラルフは彼に怒鳴り返した。
「ああ! 全速離脱!!」
その命令を待っていたと言わんばかりにクルーザーが荒々しく発進する。
急加速でバランスを崩しかけるラルフ達。
だが、そんな状況でもラルフは指示を忘れない。
「バーンズ伍長、撮影はドローンの操作可能距離ギリギリまで続けろ! 映像データは受信できてるんだ。何ならドローン本体は回収できなくても構わん」
「なんでだよ!? もう作戦中止で撤退するんだろ?」
「うまくいけば、『白い鯨』が奴を葬ってくれるかもしれない。いいから映像だけは回しとけ! お前だって報酬は欲しいだろ?」
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「はぁ……はぁ……はぁ……」
ぜぇぜぇと息を切らしながら辺りを見回すクルス。
もう近くに息のある敵兵は居ない。
何とかクルーザーの一隻を無効化することに成功したようであった。
ラルフはもう一隻の方のクルーザーに搭乗していたようである。
そのクルーザーは既に逃走を始めている。
とりあえずは生き延びる事ができた。
だが、忘れてはいけない。
ここからが肝要だ。
クルスはクルーザーに先ほどポーラから受け取ったボール状のスピーカーを置く。
そして海の向こうを確認する。
『白き鯨レヴィアタン=メルヴィレイ』は順調に釣れたようだ。
まっすぐこのクルーザーに向かってきている。
モーゼの十戒よろしく、海を割らんばかりの勢いでこちらに向かってくる白き鯨。
彼我の距離はぐんぐんと近づいている。
そろそろ離脱しないとクルスも危険だ。
体長四十メートルオーバーのバケモノに正面衝突などされたら、このクルーザーごとクルスもぺしゃんこである。
度重なる戦闘と大切な仲間の死でもってクルスは身体的にも精神的にもひどく疲弊していた。
だが、それもこれで終わりだ。
何としてもマリネリスに帰るのだ。
その際にはクルスに“最先端の武器を造れ”と言ってきた国王エドガーに謝らなければならない。
自分の考えが甘かった、と。
敵であるバルトロメウスはもうルサールカも取り込んでいるのだ。
こちらにも奴らに対抗できる装備が必要だ。
今回のような犠牲をもうこれ以上はださない為に。
そして帰ったらフィオレンティーナの魂の安寧を祈って葬儀をしなければならない。
彼女は死の間際までクルスの身と精神を案じてくれていた。
その思いに報いるのだ。
そしてマリネリスに帰ったらハルもちゃんと……。
そうクルスが考えながら足を踏み出したその時、何かに躓いた。
否、躓いたのではなく何かが足首を掴んでいる。
先ほどクルスが骨砕きで頭をカチ割った敵兵であった。
完全に仕留めたと思っていたが、浅かったようで顔を血だらけにしながらも執念ぶかくクルスの足を掴む。
そうしている間にも白き鯨が海を切り裂きながらこちらに突進してくる。
不味いことに先ほどより加速している。
このままでは激突してしまう。
「おい、死に損ない!! 離せ!!」
クルスが骨砕きで尚もその敵兵の頭を切りつけるが、その男はまるで生ける屍になったようにクルスの足を掴んで離さない。
先ほどの戦闘で疲弊しきったクルスはその男を引き剥がすのに手間取ってしまう。
死に物狂いで男の頭を叩き割ったクルスが、漸く足の自由を得た時、既に『白き鯨レヴィアタン=メルヴィレイ』の立てる轟音がすぐそこまで迫ってきていた。
震える表情でその光景を見つめるクルス。
もう、回避は間に合わない。
死の恐怖で頭が回らなかった。
白き鯨が海面から顔を上げる。
大口を開いた。
まるで生きている津波がそのままこちらに突っ込
「あ」
その声すらかき消されてしまう轟音の中で、クルスは自分の中の何かがぽっきりと折れる音をかすかに聞いた気がした。
直後、クルスの意識は漆黒に塗りつぶされた。
クルス・ダラハイド、大海に散る。
お読み頂きありがとうございます。
次話更新は 1月23日(火) の予定です。
ご期待ください。
※ 1月22日 後書きに次話更新日を追加
※ 4月21日 一部文章を修正
物語展開に影響はありません。