110.これからのこと
マリネリス大陸へ向かう船内の食堂にて。
プレアデスの呪術師レリアは無表情にブロック状の保存食品を咀嚼していた。
最初は物珍しさが興じておいしく食べる事が出来たのだが、二十日も過ぎてしまえば流石に飽きが来る。
一応味のバリエーションは数種類あり、船の調理担当はそれをローテーションして提供してくれているようだった。
それに加えて付け合せの品も用意してくれている。
淡白な食事に飽きても暴動が起きないのは料理人達による手心の賜物である。
今日の付け合せは乾燥させたトウモロコシを使ったコーンスープだ。
やさしい味わいのコーンスープとポテト味のブロック食品をレリアが黙々と食べていると、不意に話しかけられる。
「レリアー。一緒に食べようー」
ネコ耳の獣人族の娘ポーラである。
彼女もレリアと同様、プレアデスに残らず今回の船旅に同行している。
「ええ、いいわよ」
レリアがそう言って隣の席をぽんぽんと叩くとポーラは嬉しそうに目を細める。
「ありがと」
ポーラは明るい表情でブロック食品を美味しそうに食べている。
その様子をレリアが何の気なしに眺めていると、ポーラと視線がぶつかった。
「ん? どうしたの? 私の顔に何かついてる?」
「いえ。ただ、美味しそうに食べるなーって」
「だって美味しいんだもん。しかも、しかもよ。レリアは聞いた? これ、腐らずに一年保つんだって」
「聞いた聞いた。フィオさんが目を丸くしながら教えてくれたわ」
丁度その時、新たに食堂に入って来る人影が見えた。
赤毛のレジーナとコリン少年であった。
二人は食事を受け取ると、レリア達に話しかけてくる。
「よお。ここ、いいか?」
どうやら相席したいようだった。
「ええ、もちろん。どうぞ」
「ありがとよ」
そう言ってレジーナとコリンはレリア達の向かいに着席する。
しばらく談笑しながら食事を楽しむ四人。
やがて話題も一段落したところでレジーナが切り出した。
「レリア、おまえ妹と離れ離れになっちまって心配なんじゃねえか?」
「いいえ、別に」
「なんだよ、冷てえな」
「離れ離れになったのは確かに寂しいわ。けれど心配はしてない。あの子ならうまくやれると思うし、ゾエお婆ちゃんもついてるもの」
レリアの妹デボラは族長亡きオーベイを纏めるべく新族長へと擁立された。
当初はレリアが族長になるよう打診されたのだが、レリアはそれを固辞した。
折角マリネリスの言語と文化に触れられたのだ。
もっと色々なところを回りたいと思ったのである。
それに今後プレアデス諸島とマリネリス大陸の貿易が活発になった場合、マリネリス大陸に精通した人間が絶対に必要になる。
そういう人材はいずれ必ずプレアデスの民達の助けになる。
そうレリアは睨んでいた。
だから、いざという時は自分がデボラを助けるのだ。
という自分の考えを三人に語って聞かせるレリア。
それを聞いたレジーナは感心した様子で述べる。
「ほぉー随分しっかりしてんだな」
「別に。このくらい普通でしょ」
「そうか。そんじゃあ、ネコ耳は今後どうするつもりなんだ? やっぱり鐘造りか?」
話を振られたポーラはやんわりと否定した。
「ううん。鐘はもうオットーさんの工房の職人さん達でも造れると思うし。あ、でも、もちろん音のチェックをお願いされたら喜んでやるんだけどね」
「そうか、普通の奴には聞こえねえもんな」
「うん。それで、私は鐘造り以外にやりたい事ができたの」
「やりたい事? なんだよそれ」
ポーラが答えようとしたところで、別の人物の声がかかる。
「それ、私たちにも聞かせてくださいよ。ポーラさん」
声の方を見るとフィオレンティーナとクルスであった。
彼らも食事に来たようだ。
レリアが席を勧めると二人並んで座る。
そんな二人の様子を観察するレリア。
フィオレンティーナはいつも通りであったが、対してクルスは目の下に青黒いクマをこさえている。
体調が優れないのだろうか。
その様子を見てコリンがクルスに話しかけた。
「クルス、どしたの? 目の下。クマが凄いよ。調子悪いの?」
するとクルスは笑いながら答える。
「大丈夫だよコリン先輩。ただの寝不足だ」
「ふーん、ならいいけど」
その寝不足の原因は何なのだろうか。
レリアは思案する。
クルスがラシェルを倒した夜以来、少し様子がおかしいのはレリアも薄々気づいてはいた。
しかしあまり“その事で気に病むな”と念押しするのは逆効果であろう。
それでも、心配になって声をかけてしまうレリア。
「クルスさん、本当に大丈夫? 何かあったら遠慮なく言って。力になるわ」
それを聞いたクルスは朗らかに笑う。
「大げさだよ、レリア。俺は大丈夫」
「本当?」
「本当さ。それよりも、俺もポーラの話が聞きたいな。ポーラのやりたい事って何だ?」
話題を転換させるクルス。
それを受けてポーラが話しはじめる。
「私、マリネリスで古プレアデス語の教室を開きたいと思ってるんです。私たちがクルスさんとハルさんに教わったように、今度は私が他の誰かに教えたい」
「へえ、いいんじゃないか? うん、凄くいいと思う」
うんうんと頷くクルス。
「ありがとうございます。クルスさんにそう言ってもらえて嬉しいです。でも……」
「でも?」
「そういう教室を開くのって、どのくらいお金かかるんですかね?」
ポーラは費用の心配をしているようだった。
だが、その悩みはクルスによって一刀両断される。
「それなら多分心配は要らないだろう。通訳はサイドニアも欲しがっている筈だ。エドガー陛下に言えば便宜を図ってくれるに違いない」
「ほ、本当ですか?」
「ああ、何なら俺からも上申しておこう」
「お、お願いしますっ!」
クルスに頭を下げ、にこにこと笑うポーラ。
悩みが解決し、澄んだ表情をしている。
ポーラの話が一段落したところで、今度はフィオレンティーナが話題を投げかける。
「レジーナさんとコリン君は変わらず王都で依頼三昧ですか?」
それに答えるレジーナ。
「どうだかな、あんまり仕事がねえようだったら移動するかもな」
「そうですか」
そこへコリン少年が何かを思い出したようにクルスに告げる。
「あ、そうだ! クルス、憶えてる? 前に“殺人鬼”と戦ったじゃない?」
「ああ、あったな」
「その時さ、クルスが言ってたアレ。なんだっけバ、バル……」
「バルトロメウスの事か?」
「そうそう、それ。そのバルトロメウスを信仰している邪教について調べろって依頼があって、連中の使ってた密会場を調べた事があったんだ。知りたいでしょ」
それを聞いたクルスは前のめりになる。
「ああ、教えてくれ!」
「うん。といっても大した事はわかってないんだけど、それでも連中の教義はわかったよ」
「本当か?」
「うん。そいつらが言うには“我々が生きているこの世界は、悪の創造主によって造られたから不完全に出来てしまった。それを正す為にはその創造主を殺し、新しく世界を造りかえる必要がある。そしてそれを成し遂げてくださるのが邪神バルトロメウス様である!”っていう教義みたいだよ」
それを聞いたポーラは首を傾げながら言う。
「もしその人たちの言ってる事が合ってるなら、バルトロメウスって良い神様なんじゃないですか?」
それを苦笑しながら否定するのはレジーナだ。
「おいおい、ネコ耳ちゃんよ。真に受けちゃいけねえぜ。実際あたしらが調べた邪教の塒も胡散臭え儀式の形跡がいくつもあった。まともじゃねえよ、連中は」
「あ、そうなんですね。なーんだ」
「ただ……」
「ただ?」
「もしその創造主とやらが実在して、目の前に居やがったら……その時はぶっ殺してやる」
そう静かに告げたレジーナの目には怒りの炎が燃えているように見えた。
理由が気になったレリアはレジーナに尋ねる。
「何でそこまで創造主を恨んでいるの?」
それを聞いたレジーナは短く、ただ一言で答えてみせる。
「お前ならわかるんじゃねえか? クソったれな境遇なのはお互い様だろ?」
レジーナにそう言われて、言葉も出ないレリア。
たしかに自分も目の前に創造主とやらが居たら悪感情を抱いていたかもしれない。
レリアだって好き好んでラシェルと殺し合いをしたわけではないし、母セリアも結局体を悪くして死んでしまった。
そんな自分の散々な境遇を決めた奴がいたら、あらん限りの罵詈雑言をぶつけても気は収まらないだろう。
そしてレジーナも過去に何か辛い出来事があったのだろう。
それこそ家族と引き裂かれるような何かが。
と、考えている内にふとクルスの顔を見て違和感に気づいたレリア。
「クルスさん、どうしたの? 顔が真っ青よ」
「え? そ、そうか?」
「ええ。大丈夫? やっぱり体調悪い?」
クルスの顔はまるで重度の貧血に見舞われたかのように蒼白になっている。
その様子を見たフィオレンティーナがクルスに言った。
「クルスさん、船酔いしちゃったんですかね。ちょっと甲板に出ましょうか。風に当たれば良くなりますよ」
そう言ってクルスの手を引いて立たせる。
「あ、ああ。悪いな、フィオ」
フィオレンティーナに連れられて、よろよろと歩き出すクルス。
目のクマと蒼白な顔が相俟って気の毒なくらい具合が悪そうだ。
二人は食堂に来た時と同じように連れ立って甲板へと向かっていった。
その背中にコリン少年が言葉をかける。
「おだいじにー」
それを聞きながらレリアはふとターユゲテ島の川で『精霊』たちが言っていたことを思い出す。
『世界存在』とやらがプレアデスに来ているとか何とか。
それがひょっとしたら先ほどの邪教が探している創造主ではなかろうか。
そして、精霊達はその世界存在に出会えたのだろうか。
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「ほらほら、大丈夫ですよークルスさん。大丈夫だいじょうぶ」
最高に具合の悪そうなクルスの背中をさすりながら、フィオレンティーナがやさしく語りかける。
結局クルスはあの後二度ほど嘔吐し、胃の内容物を海にぶち撒けた。
今もたいそう具合の悪そうな表情で船べりにもたれかかっている。
「ありがとう。フィオ、ちょっと座りたい」
「はいはい、どうぞ」
そう言ってその場でへたり込むクルスを補助して座らせてやった。
一時は安定したように見えたクルスの容態であったが、やはりまだ本調子には程遠いようだった。
とりあえず睡眠させて体力を回復させるのが先決だろう。
「さ、クルスさん。船室に戻りましょう。先ずはしっかり寝て体を休めましょう」
そう提案するフィオレンティーナであったが、クルスは難色を示す。
「いや、もう少しここで……」
それを遮るようにフィオレンティーナはぴしゃりと言い放つ。
「クルスさん、ひょっとして寝るのがこわいんですか?」
「……」
「大丈夫ですよ。私がついてます。クルスさんがちゃんと寝付くまで傍で見ててあげますから」
「……もし俺がうなされてたら?」
「その時はもちろん往復ビンタで起こしてあげますよ。グル"ズざーん! ってね」
そう冗談めかして言うフィオレンティーナを見て、少し表情が和らぐクルス。
「わかった。ありがとうフィオ。でも、もう少しだけ風に当たりたい……」
「いいですよ。あ、そうだ。アレ貸してください」
「アレ?」
「この前クルスさんが生成した双眼鏡です。ちょっと海を眺めたいんです」
フィオレンティーナがそう言うとクルスは『ベヘモスの胃袋』に収納された双眼鏡を貸してくれた。
「ほら」
「ありがとうございます」
双眼鏡を受け取り、それを覗き込むフィオレンティーナ。
遠くの波しぶきまで鮮明に見渡せる双眼鏡で大海原をじっと眺める。
そして海面から視線を上げて空模様を確認すると、上空に雲が見え始めてきた。
ひょっとすると一雨来るかもしれない。
濡れる前に戻ろうと思ったフィオレンティーナはクルスに声をかける。
「クルスさん、そろそろ行きますよ。クルスさーん」
「……」
だが返事が無い。
不審に思ったフィオレンティーナがしゃがんで顔を覗き込んで見ると、クルスはうたた寝をしていた。
「なんだ、ちゃんと寝られるじゃないですか。でもここではダメですよ」
そう言いつつ人差し指をクルスの頬にぐりぐりと当てるフィオレンティーナ。
その刺激で目を覚ましたクルス。
「ああ、フィオ。ごめん、ちょっと寝てた」
「まったくもう……。こんなところで寝てると風邪引いちゃいますよ。ほら起きて起きて」
言いながら立ち上がり、ふと船の縁の向こうの海面を見るフィオレンティーナ。
何か違和感を感じたのだ。
さらに注意深くその海面を見つめる。
おかしい。
そこには船が無いのに、まるでもう一隻透明の船でもいるかのように白い航跡が見える。
次の瞬間。
今まで何も無かった海面に急に船が現れた。
マリネリスやプレアデスで見られる木製の船ではない。
それは鋼鉄製の船であった。
その船にはフィオレンティーナが見た事も無いような服装をした男たちが乗っている。
男の一人が黒い何かをこちらに向けてきた。
真っ黒い筒の穴がこちらを向いている。
その瞬間にフィオレンティーナは直感した。
あれはかつてクルスがウィリアム・エドガーに突きつけたものと同種だ。
“銃”だ。
その時クルスが緩慢な動作で起き上がる。
彼は突然現れた鋼鉄製の船に気づいていない。
「クルスさん!! 伏せてっ!!!」
起き上がったクルスを突き飛ばすフィオレンティーナ。
次の瞬間、銃声が響いた。
お読み頂きありがとうございます。
次話更新は 1月13日(土) の予定です。
ご期待ください。
※ 1月12日 後書きに次話更新日を追加
※ 4月21日 一部文章を修正
物語展開に影響はありません。