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アマルコルド -私は忘れない-  作者: 利府 利九
第六章 Until The End Of My Life
109/327

109.謝罪のことば


 ザルカ帝国領に存在するとある屋敷にて。


 暗がりに包まれただだっ広い部屋の中。

 マリネリス大陸では珍しい黒髪を手でかしながら、少年は不機嫌そうに口を開いた。


「なーんだ。結局、失敗したのか。あの女……名前なんだっけ。ええと、何とか・オーベイ」

「ラシェル・オーベイです。バルトロメウス様」

「そうそう、そいつ」


 邪神バルトロメウスを自称するハロルド少年は従者から報告を聞いていた。


 ルサールカ人工島から取り寄せたビジネスチェアで水平にぐるぐると回りながら、頬を膨れさせている様は歳相応に見えたが、しかしながらその双眸に宿る光の禍々しさはとても十代の少年のものにはみえなかった。

 彼は口を尖らせながらふくれっ面で呟く。


「流石にスタンガンしか武器をあげなかったのはケチケチしすぎだったかな」


 ラシェルに武器を提供しなかったのは経済的な理由だけではなく、信用の問題もあった。

 万が一寝返られた場合に過剰な戦力を持たれても困ると考えたハロルドは、こと武器に関してはほぼ何も提供はしていなかった。


 もしかするとラシェルにちゃんとした武器をくれてやればクルスを仕留めてくれたかもしれないが、それを今更考えても後の祭りである。


「ま、いっか。“本命”は次だし。ねぇ、ジュノー社の連中には声かけてるんでしょ?」


 そう尋ねると従者は明瞭に答える。


「ええ。現在既に作戦海域へと赴いているとのことです」

「ならいいや。これで奴が海の藻屑になってくれれば言う事はないね。ふふふ」


 言うと今度はご機嫌な表情で椅子でくるくると回るハロルド。


 最初からラシェルには期待してはいなかったハロルドは、懇意にしている『ルサールカ人工島』の有力企業『ジュノー社』から傭兵を借り受けていた。

 そいつらにクルスを襲わせる手はずだ。


 それも海上で。

 その様子を目に浮かべて、自然と顔がにやけるハロルド。


 クルスの一行はもう既に『プレアデス諸島』を出立しているらしかった。


 ハロルドが裏で糸を引いていたオーベイ族のいざこざを片付けた後、どうにか暫定的な族長オサを立てて可能な限り穏便に事態を収めたらしい。

 もちろん多少の粛清はしたであろうが。


 新しい族長は……ええと、何ていったっけ。

 たしか何とか・オーベイの妹の占いバカの少女だ。

 そしてその占いバカの師であるババァが後見人についたとか何とか。

 いい加減に回想するハロルド。


 もうオーベイ族に興味を失っているハロルドは従者の報告も聞き流していた。


「よしわかった。お前はもう下がっていいよ。暫く一人になりたい」

「かしこまりました。ご用命の際はお呼びください」


 従者を追い払うとハロルドは目を閉じて思考の海に沈む。



 寄生虫である彼がこうやって宿主の脳を間借りして思考能力を得ている、と宿主・来栖が知ったらどう思うだろうか。

 さぞおぞましい気分になるだろうな、とハロルドは笑う。


 ハロルド、もとい『バルトロメウス線虫』の雌雄同体の一個体である彼は、かつて地中を這いずり回っていた頃を思い出す。

 そこは正に地の獄という表現以外に見当たらない場所であった。


 そもそも線虫という生き物は地球上のあらゆる生物種の中でも一、二を争うくらい繁栄している。

 ニンゲン様が調べた生物量バイオマスによるとそうらしい。

 但し、大抵のニンゲン様はその事を知らないが。


 生物量は“ある特定地域に存在する生物の質量”を表す言葉だそうだ。

 尤も、正確に測定するのは不可能なので繁栄度合いは推測を含むものだろう。


 だがその繁栄具合とは裏腹に実際の生存競争は厳しいものであった。

 彼がかつて居た地中は線虫を捕食する天敵だらけで一時も気が抜けなかったのだ。

 多くの同胞がむごたらしく食われる中、何とか生き残った彼は決死の思いで地表に出て果物の中に潜り込む。


 その果物はリンゴというらしかった。


 ブラジルだかどこだか原産のリンゴに混じった彼はその果物の中に潜み、奇跡的な幸運で殺処理を免れる。

 あの時、殺虫処理をいい加減にやっていた職員には後で感謝状を贈らねばならない。


 そのような経緯を経て輸出されたリンゴをスーパーマーケットと呼ばれる施設で手に取ったのが、来栖という人物であった。


 そしてヒトの体内に寄生したハロルドはそこの住環境の良さに感動を覚える。

 常に天敵に追われていた地中とは何もかもが違う安全で安寧な空間。


 そこで彼はこの世に生を受けて始めて安らぎを得た。

 そして脳へと入り込みヒトの思考能力を借り受ける。


 脳内で増殖を繰り返し個体数を増やした彼らの行程は順調に見えたが、しかしここに来て思わぬ不都合が生じる。

 本能に従い宿主の脳を操ろうとしたが、どうやら元々『バルトロメウス線虫』が宿主とする生物はヒトではなくサルであった。

 そのサルが何という種かはニンゲン様も特定できていないらしい。


 サルを操る術はバルトロメウス線虫の遺伝子情報に組み込まれていたが、ヒトは専門外である。

 とにかく行動を操ろうとして脳に働きかけたその時、急に宿主である来栖が昏睡状態に陥ったのだ。


 そして今に至る。


 以来、この空想世界に受肉したハロルドはどうにかしてヒトを操るよう進化できないか、ずっと模索している。

 それを阻止しようとしている『宿主の自意識の欠片』とでも言うべき存在がクルス・ダラハイドである。


 そしてクルスは先日見事に『世界の歪み』を見つけ出した。

 その際に脳内に電流が流れた。


 ニンゲン様は脳内の神経伝達物質を云々かんぬんする時に電気信号を発し、その際に微弱な電流が生じるらしい。

 その電流に巻き込まれて、折角増殖した同胞たちの一部が焼かれてしまった。

 『バルトロメウス線虫』は生物としての強さは貧弱極まりない。


 その時のハロルドの落胆は計り知れなかった。

 そして同胞を焼かれた怒りに燃えるハロルド。

 もう同じ事はさせないと心に誓う。


 クルスの脳を間借りして得た知識を生かして、彼の心を、自意識の欠片をへし折るのだ。


 そして進化への糸口を探る。

 それが他の宿主に取り付いている同胞の助けにもなるに違いない。


 ハロルドは種の保存へ向けた使命感に胸を熱くした。





------------------------






「えー次は翠斉橋~、スイセイバシ~」


 電車内に流れるアナウンスの声にはっとして目を覚ます来栖。


 疲れが溜まっていたせいか、ついついうたた寝をしてしまっていたらしい。

 慌てて電車の車両から降りる。


 どのくらい眠っていたであろうか。

 来栖が見上げると既に日は落ち、辺りは夜であった。


 だが暫く眠っていた割には頭の重さはとれていない。


 来栖は翠斉橋駅内のトイレへと立ち寄り、洗面台で顔を洗う。

 そして緩んでいたネクタイも締めなおすと、多少は気分がしゃっきりした気がする。


 そういえば洗面台で何か面白い出来事が、最近起こった気がするがアレはなんだったか。

 思い出せない。


 トイレから出て駅の改札を抜ける来栖。

 そして線路沿いの道を歩き出した。


 急がないと遅れてしまう。



 ……何に?

 疑問に思う来栖だったが、思いとは裏腹に一向に答えが出てこない。


 どうやら疲れは想像以上に溜まっていたようだった。

 自分が何用で外出していたか思い出せないのだ。


 その時、後ろから声をかけられる。


「あのー、すみません」

「はい」


 振り返ると一人の女性が話しかけてきていた。

 黒髪をサイドアップに纏めていてる美人で、漆黒の夜を切り取った様な真っ黒のビジネススーツを着こなしている。


 来栖の知らない人である。

 外資系企業の社員さんだろうか。


「ひょっとして来栖さんですか?」

「ええ、そうですが……私に何か?」

「私の事、憶えてますか?」


 その台詞に来栖は当惑する。


「いえ。あの失礼ですが、どこかでお会いしましたか?」


 そう尋ね返すとその女性は怒りを露にした。


≪いいや、憶えているはずだ!! だってお前は私を刺し殺したんだから!!≫


 その言葉と同時に翠斉橋駅も何もかも消えうせ、闇夜のステロペ島の景色へと一瞬で切り替わる。

 ラシェルの気迫に気圧され、狼狽するクルス。


≪あ、ああ……≫


 いつの間にか自分の姿格好も空想世界のものへと切り替わっていた。


≪言え! クルス・ダラハイド! 何故私をあんな悲惨な境遇に設定した! 何故だ!≫

≪……う……うう≫


 ラシェルの剣幕に恐れをなしたクルスはその場から逃げ出そうとするが、足を《樹縛じゅばく》で絡め取られる。

 否、それは樹縛ではなかった。


 白いぬめっとした細長い虫、線虫だ。

 線虫が手足に巻きついている。


≪うあああぁぁぁ!≫


 あまりのおぞましさに悲鳴を上げるクルス。

 だが、ラシェルはそんなクルスにはお構いなしに乱暴に顔を掴んで罵倒してきた。


≪おい! ろくでなしの創造主! お前が想像して、創造した世界は最低の糞溜めだぞ! わかってんのか! おい!≫

≪あ、ああ……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……≫


 自らの考えた登場人物に罵られたクルスは恐怖と罪悪感でもはや思考する事もできず、ひたすらに謝罪の言葉を繰り返し続けた。




-----------------------





 『プレアデス諸島』から船が出航して早くも二十日ほど経過した。


 出立は予定よりだいぶ早い日程であった。

 当初は船上で消費する食糧をどうにかしてプレアデスで確保してからの出立となるところを、ラシェルの屋敷で大量のブロック食品が発見されたことにより前倒しされたのだ。


 マリネリスへの帰還の行程は現在のところ往路同様、平穏そのものである。

 懸念されていた『レヴィアタン』との遭遇もなく、ただただゆったりとした日々を消費する毎日。


 そんな事を考えながらフィオレンティーナが海を眺めていると、後ろから声をかけられる。


「あのー、フィオさん」


 その声に振り返ると、そこにはハルが居た。


「どうしました、ハルさん? 珍しいですね、甲板に出てくるなんて」

「はい。あの、マスターの事で相談なんですが……その……」


 そう言いよどむハル。


 クルスはあれ以来、精神に変調を来たしていた。

 本人はいつも通り振舞っているつもりのようだったが、ぼおっと虚空を眺める事が多くなり、話しかけても数拍遅れて生返事をする事が増えた。


 原因はどう考えてもラシェルの屋敷の地下で体験した“アレ”だろう。


 フィオレンティーナはクルスとの約束通り、誰にもその事を言っていなかった。

 その為、おそらく周りの人間は“クルスはレリアの異母姉を手にかけてしまった事を気に病んで、そのせいで落ち込んでいる”と思っているだろう。


 だがクルスのよき理解者であるハルはちょっと違う様子である。


「クルスさんがどうしたんですか、ハルさん?」

「マスターは今、凄くうなされてまして……。フィオさんに起こしてあげて欲しいんです」

「良いですけど……。ハルさんがやってもいいんじゃ?」

「いえ、私じゃ駄目です。その……何ていうか、今のマスターは人肌に触れないといけない気がするんです。とにかくお願いします」

「は、はぁ……」


 言うなり、ハルはさっさと船室に引っ込んでしまった。

 やはり船酔いは健在なのだろうか。


 それにしても、彼女も妙な事を言うものだ。

 “人肌に触れさせる”ならば尚更、ハル自身で何ら問題は無いではないか。


 とにかく、ここでこうしていても仕方が無いのでクルスの船室に向かう。

 扉の前まで来て一応、ノックをしてみる。


「クルスさーん、起きてますかー?」


 返事は無い。

 扉は施錠されていなかったので、開けて中へ踏み入る。


 クルスがベッドに横たわっている。

 表情は苦しそうで、汗だくだ。


 不意にクルスが口を開く。


「■■■■■■、■■■■■■、ごめんなさい、■■■■■■……」


 悪夢でも見ているのだろう。

 彼は寝言で、複数の言語でずっと謝罪の言葉を口にしているようだった。


 思わずクルスの体を揺するフィオレンティーナ。


「クルスさん、起きて! クルスさん!」


 二、三度強めに体を揺するとクルスは目を覚ます。

 恐怖に目を見開いたクルスはフィオレンティーナの姿を見つけると、少し落ち着いた。


「あ、ああ……フィオ」

「うなされてましたけど、こわい夢でも見てました?」

「ああ、ちょっとおばけ……がな」

「おばけ?」

「いや、たいした夢じゃない。起こしてくれてありがとう」


 フィオレンティーナに心配をかけまいとしているのか、クルスは汗だくな顔を拭きながら微笑を浮かべる。

 その様子を見て胸が締め付けられるフィオレンティーナ。


 たしかに彼には今、人肌に触れることが必要かもしれない。

 クルスがどんな重い物を抱えているのかフィオレンティーナには知る由も無かったが、それでもその重さを分け合う事ぐらいはできるはずだ。


 そう考えたフィオレンティーナはクルスを船室の外へ連れ出すことにする。

 強引に腕を掴みながらクルスに言った。


「クルスさん、ちょっと食堂に行きましょう。弱気になるっていうことは栄養が足りてないって事ですよ。きっと」

「おい、フィオ………。わかったよ。心配してくれてありがとう」

「いえいえ、お安い御用です」


 そうして二人は連れ立って歩き出す。




 この時、フィオレンティーナは知らなかった。


 別れの時はすぐそこまで迫っていたのだ。



お読み頂きありがとうございます。


次話更新は 1月10日(水) の予定です。


ご期待ください。




※ 1月 9日  後書きに次話更新日を追加 一部文章を修正

※ 4月21日  一部文章を修正

物語展開に影響はありません。

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