107.調査
ラシェルの屋敷での死闘から三日が過ぎた。
マリネリスの神職であるフィオレンティーナ・サリーニは、額の汗を拭いながら晴れ晴れとした空を見上げた。
この前の陰惨な戦いを強引に払拭しようとしている様な快晴である。
ひょっとしたらこれも精霊の仕業かもしれない。
マリネリスでいうところの神の様な立場の彼らならば、そのくらいの事はやりかねない。
だが空から視線を下げ、地上に目をやると少しばかり緊迫した景色が嫌でも目に入ってくる。
オーベイの族長ラシェル・オーベイがレリア達に討たれ、集落は物々しい雰囲気に包まれていた。
ムカバの集落とンゴマの集落から武装した男達が押し寄せ、族長を失ったオーベイの民達を厳戒態勢で監視しているのだ。
あれから、族長であるラシェルを失ったオーベイ族は他の三部族に管轄されることとなった。
ラシェルの配下であった者達は捕らえられ、ラシェルの引き起こした飢饉や不死者騒ぎの共犯として扱われるそうだ。
ムカバやンゴマの者達からすれば、飢饉を引き起こしたオーベイの者達を生かしておけないという意見が多数派であるようだった。
一方でナゼールが言うには“おそらく今回の災禍はラシェルの独断でありオーベイ族全体が悪ではないだろう”との事であった。
だが彼は“それでオーベイの一族がそのまま許される事も無いだろう”とも付け加える。
そんなナゼールの言葉を頭の中で反芻しつつ、フィオレンティーナはこれまでの事を振り返っていた。
あの夜、クルス、レリア、ハルの三名がラシェルと対峙していた頃。
アルベリクと言う名のサーベルタイガーはレジーナとコリンによって倒された。
熟練の冒険者である二人も、大きな牙を用いた攻撃を仕掛けてきたアルベリクには手を焼いたようだが、最終的には二人の息の合ったコンビネーションが上回ったわけだ。
大量の死体が連なって形成された死体の巨人はフィオレンティーナ、ポーラ、アメリーの三人による祈祷と奇跡によって徐々に浄化していき、散らばって分離した不死者をナゼールとチェルソ、そしてアメリーが連れてきたムカバ族の者たちが処理するという方式で殲滅に成功する。
残るラシェルの配下達は無差別な攻撃を繰り返していた死体の巨人の攻撃に巻き込まれ、数をだいぶ減らしておりすっかり戦意が折れてしまっていた。
彼らにレジーナが大剣を突きつけ降伏勧告をすると、言葉が通じないにも関わらずその配下達はあっさりと武器を捨ててそれに応じた。
ひょっとすると彼らもラシェルの恐怖政治にうんざりしていたのかもしれない。
その直後にフィオレンティーナ達はクルス達と合流し、ラシェルの死を告げられた。
普段は冷静なレリアは目を真っ赤にしており、つい先ほどまで号泣していたのは誰の目にも明らかであった。
そのレリアから仔細を聞かされたデボラは複雑そうな表情をしていたが、震えながら語りかけるレリアに影響され次第に目から涙の粒を落とし始めた。
そしてそのデボラとレリアを抱きしめながら悲しみを分かち合うゾエ婆。
その様子はオーベイの事情をよく知らないフィオレンティーナにも、深く突き刺さるものがあった。
そして戦いが終わった現在、持ち主を失ったラシェルの屋敷で会合が開かれている。
アメリー・ムカバ、ヤニック・ンゴマ、そして病で弱っているドンガラの族長オレールの代理であるナゼールの三名。
その三部族のトップに加えて、ゾエ婆とレリア、デボラの三名も参加しての話し合いである。
そして、その会合はどうやら紛糾しているようだった。
どんな内容を話しているかはフィオレンティーナには分からなかったが、既に丸二日を会合に費やしている時点でオーベイに対する処遇を決めかねているのは容易に想像できた。
こんな時クルスなら上手く纏めてくれるかもしれない。
そう思ったフィオレンティーナはクルスにその旨を伝えてみるが、彼は“部外者が口を出すような案件じゃない”と静観の構えであった。
確かにマリネリス大陸から来た異民である自分達が、プレアデスの事に口を挟むべきでは無いだろう。
そう思ったフィオレンティーナは黙って目の前の仕事を片付ける事にした。
フィオレンティーナは現在、屋敷の地中から不死者として這い出してきた夥しい量の骸を荼毘に付しているところである。
会合の間、暇を持て余していたマリネリスの皆とポーラで、ラシェルが集めた不死者の残骸を片付けているのだ。
そこへコリン少年がやってきて声をかけてきた。
「フィオさん」
「あ、コリン君。どうしたんですか?」
「クルス見てない? 探してるんだけど」
「いえ。クルスさんに何か用で?」
「うん。エセルバードがさっき到着して、クルスのこと探してる。“今回の件の顛末を聞かせろー”ってさ」
クルスは不死者の埋葬には参加せず、ひとりでラシェルの屋敷を調べているところである。
この屋敷はどうやらマリネリスともプレアデスとも違う地の技術がふんだんに使われているらしい。
そんな屋敷を調べられるのはこの場ではクルス以外に居ないであろう。
だがハルが言うには、クルスは暫く一人になりたがっている様子らしかった。
聞くところによると、ラシェルにトドメを刺したのはどうも彼であるらしい。
それもレリアの目と鼻の先で。
その事をいたくクルスは気にしており、ここ二日はだいぶ口数が少なかった。
フィオレンティーナはコリンの問いに答える。
「クルスさんならたぶん屋敷ですよ、コリン君。ちょっと待っててください。私呼んできます」
「うん、お願い。この辺で待ってるからさ」
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豪勢な内装が施されたラシェルの屋敷の中で、クルスは一人沈んだ面持ちで調査に勤しんでいた。
死闘の夜から三日経つが、未だに目を閉じるとラシェルの最期が目に浮かんでくる。
≪わたしと、レリア達と、何が、ちがったの? なんで、わた、しは、こんな生き方しか、でき、なかったの?≫
死に際の彼女の台詞が耳にこびりついて離れなかった。
クルスはそれを振り払うように頭を横にぶんぶんと振ると、ラシェルとバルトロメウスをつなぐ手がかりを再び探し始める。
ラシェルの書斎を漁ったクルスは彼女の使用していたと思しき机から大量の封筒を見つけた。
封筒の中身は空であったが、差出人の名を見るとH・Dというイニシャルが記されていた。
それがバルトロメウスの名乗っている名前なのだろうか。
それとも代理の者の名だろうか。
さらにラシェルの書斎を調べるクルスであったが、その努力もむなしくそれ以上の手がかりはみつからない。
おそらくバルトロメウスの指示でラシェルは便箋を全て焼き捨てているのだろう。
だが敬愛する人物からの手紙を保管しておきたいとラシェルが願った結果が、これらの大量に残された封筒なのだ。
まったく、大した敬愛ぶりである。
その敬愛ぶりを象徴するように彼女は配下の者にバルトロメウスの像を彫らせている。
クルスがその者を突き止めて尋問したが、特に画や写真を見せられたわけではなく口頭でラシェルに指示された通りに彫ったという。
おそらくバルトロメウスはラシェルに何も自身の情報は渡していない。
その調査結果はクルスを落胆させるには充分すぎるほどであった。
かつてラシェルが座っていた椅子にもたれかかり盛大にため息を吐き出すクルス。
そして目を閉じて眉間の辺りを強く揉む。
これ以上ないくらいの全力調査の代償でだいぶ疲れが溜まっているようだった。
「クルスさん」
不意に声をかけられ、びくっと体が動いてしまうクルス。
声の方を見やるとフィオレンティーナが居た。
「ああ、フィオ。どうした?」
「エセルバードさんがお呼びだそうですが……」
「ああ……そう。わかった、後で行く」
近衛兵長エセルバードの気難しい顔を思い浮かべるクルス。
また何か嫌味でも言われるのだろうか。
それだけで気分がげんなりしてきた。
そんなクルスの様子を見たフィオレンティーナがクルスの顔を覗きこむ。
「クルスさん。顔に疲れが溜まってますよ。こんな所でずっと調べものしてないで、外に出て気分転換しましょう」
「え、別に俺は大丈夫……」
「いーえ! 大丈夫じゃないです!」
そう言うとフィオレンティーナは強引にクルスを椅子から引き剥がす。
「ほらほら、まずは顔洗いましょ。この屋敷の水場はどこですか?」
書斎から出て、フィオレンティーナに引っ張られながら歩くクルス。
これではまるで拉致である。
「おいフィオ。離してくれ。一人で歩けるって。洗面所はこっちだよ」
言いながら洗面所を目指すクルス達。
その途中でふと見慣れない部屋を見つけた。
調理場から近い場所にあるその部屋は鉄製の扉で閉ざされていた。
「あれ、この部屋なんだったっけ」
「へ? ここまだ見てないんですか、クルスさん?」
「うーん、一回見たような気も……」
言いながら両開きの鉄製の扉を開ける
中にはダンボールが山のように積まれていた。
「あ、思い出した。ここはバルトロメウスに関係ないと思って後回しにしたんだったな」
「へぇ。ところでこの箱には何が入ってるんですかね。結構な数がありますけど」
「見てみよう。どれどれ……」
箱の中を開けてみると健康食品じみたパッケージが目に飛び込んでくる。
それを覗きこみながらフィオレンティーナが聞いてきた。
「なんですか? それ?」
「これは、ルサールカの食品だな」
「え? 食べ物なんですか? これが?」
「ああ」
言いながらクルスはパッケージを開封し、中の包装ビニールを破って開けた。
中から出てきたのはブロック状の加工食品であった。
それをばりぼりと咬み砕くクルス。
味は現実世界で食したバランス栄養食品と大差ない。
ブロック食品を食べるクルスにフィオレンティーナが聞いてくる。
「見た目はクッキーみたいですね。私もひとついいですか?」
「いいよ、ほら」
「ありがとうございます」
ブロック食品を頬張るフィオレンティーナ。
ゆっくりと咀嚼してから感想を述べる。
「うーん。何だか思ったより淡白な味ですね……。ルサールカの人達はこれでおいしいと思ってるんですかね」
「さぁな、でもこれは一年腐らずに保つぞ」
それを聞いたフィオレンティーナは文字通り目を丸くした。
「はぁっ!? いちねん!? ほ、本当ですか?」
「ああ。じゃなきゃこんな無造作に箱に入れて大量に保管なんてしないだろ」
「た、たしかに………………あれ?」
何かを閃いた様子のフィオレンティーナ。
「どうした、フィオ」
「いえ……ひょっとして、これを配ればプレアデスの食糧問題はある程度解決するんじゃ……」
その瞬間、落雷に打たれたような気分に陥るクルス。
バルトロメウスの事ばかり考えていて、大事な事が頭から抜け落ちてしまっていたようだ。
「たしかにそうだ。これを各集落に配って、それでも余った分は帰りの船旅での食糧として活用できる」
「すごい!! 朗報じゃないですか! ほら、早く皆に伝えに行きましょう!」
フィオレンティーナが鼻息荒く提案してくる。
「その前に“顔洗え”って言ってなかったか、フィオ?」
「あ、そうでした。ほら早く!!」
と、急かされながら洗面所にたどり着いたクルス。
そして蛇口を捻る。
「あれ、そこから水が出るんですか?」
「ああ、地下に水道が引いてあるようだ」
「はぁ…。でも、出ないですね……」
「……うん。そうだな」
蛇口を捻ったものの、一向に水が出てくる気配がない。
どうしたものか、と思案していると水が出てきた。
「おっ……と。これは……」
否、出てきたのは水ではなく、半透明の女性の姿をした『精霊』ウンディーネだ。
[ あら、『世界存在』様。ごきげんよう ]
≪あ、ああ……。どうした、ウンディーネ。何か用か?≫
[ ええ。もしお暇なら『世界の歪み』へと案内して差し上げますけど、如何? ]
お読み頂きありがとうございます。
次話更新は 1月5日(金) の予定です。
ご期待ください。
※ 4月21日 一部文章を修正
物語展開に影響はありません。