102.オール・ギリード・アップ
日が沈み、辺りがすっかり夜の闇に包まれた頃。
ラシェル・オーベイは腕を組みながら、代わり映えのしない映像を眺めていた。
ラシェルの屋敷、その敷地内のカメラから送られてきた映像を監視するモニタールームでのことである。
敷地内にはいくつかの監視カメラが仕掛けられており、その映像を確認しているのだ。
「……連中はまだカメラには引っかかってないのね」
「はい、ラシェル様」
「ふうん」
言いながら口に手を当てて考え込むラシェル。
まだ日が沈む前にオーベイの集落の民がラシェルの元に情報提供に来た。
“空中を舞う人影を見た”というのである。
それを受けたラシェルはハルとかいう機械人形への尋問を取りやめ、地下牢を後にする。
そして配下に双眼鏡を持たせ確認させたところ、何やら凄まじい強風に煽られて移動する人の姿を見たという。
おそらくクルス某が『精霊』シルフに頼み込んで無理矢理移動してきたのだろう。
普通の人間なら採用しない狂気的移動手段ではあるが、速さを求めるならこれ以上無い方法でもある。
しかもそれを自分だけではなく僕にも強要するなど正気の沙汰ではない。
やはりクルスという男はバルトロメウスの言う通り、ろくでなしの創造主に違いない。
しかし肝心のクルスは未だラシェルの網に引っかかってはこない。
カメラには何も映っていないし、敷地内の庭園を見張っているアルベリクもおとなしいところを見ると、何も見つけていないようである。
どうするべきか。
いっそこのモニタールームを出て自分から捜索に打って出てやろうかと考えたラシェル。
いや、駄目だ。
おそらくクルス某はこの屋敷からラシェルが居なくなるのを待っている。
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「クルス君。“この服”は確かに便利だけど……いくらなんでも蒸し暑過ぎるよ」
「わがまま言うなよ、チェルソさん。これが一番スマートな突破方法なんだ」
「スマート……? 泥臭いの間違いじゃないかい?」
そんな会話を交わしつつ茂みの中を低姿勢で進むクルスとチェルソ。
夕日が沈み、辺りがすっかり宵闇に包まれた後クルス達は行動を開始した。
先ずはクルスとチェルソの二人でラシェルの屋敷へと忍び込み、ハルとデボラを救出して合図を出す。
その合図で他のメンバーが屋敷になだれ込みラシェルの身柄を拘束する、という手はずになっていた。
そして現在クルスとチェルソは発見されずに屋敷に近付く為に“ギリースーツ”を着用して茂みを進んでいるのだ。
これは山間部などで狙撃手が身を隠す為に着るもので、軍用のツナギとジャケットに葉や蔦に見立てた布を多数縫い付けてある。
まるで人間大の茂みが、そのままそこにあるかのようである。
クルスが『生成の指輪』を用いて、これを生成した時の皆の怪訝そうな表情を忘れられない。
ただの葉くずや蔦の塊にしか見えなかったのだろう。
このギリースーツに現地で拾った本物の落ち葉や小枝を付けて茂みに隠れれば、よほどの事が無い限り発見はされないはずだ。
人は“そこに居る人間”は探せても“居ない人間”は探せないものである。
端っから“人間”ではなく“茂み”だと誤認させれば発見はされないのだ。
そんなギリースーツの唯一の欠点は、通気性が皆無なので非常に熱が篭りやすいという事だろうか。
温暖湿潤な環境の『プレアデス諸島』ではその欠点は際立ってしまう。
クルスは既に汗だくであり、尋常ではない蒸し暑さでどうにかなってしまいそうであった。
だが、これもすべてハルとデボラ救出の為である。
背に腹は変えられない。
暫く進んだところで、月明かりに照らされたラシェルの屋敷が見えてくる。
「えっ、嘘だろう? あれはまるで……」
小声でチェルソが話しかけてきた。
それに答えるクルス。
「ああ、まるでサイドニアの貴族屋敷だな。こんな密林の集落に場違いも甚だしい」
その屋敷を見たクルスは一層確信を深めた。
やはりラシェル・オーベイは『バルトロメウス』と関係している可能性が非常に高い。
そして何より異彩を放っているのは屋根の部分に取り付けられたソーラーパネルだ。
これは『ルサールカ人工島』からの横流し品なのだろうか。
なんにせよ、設備は外観よりもハイテクな可能性がある。
特に警戒すべきは監視カメラの類いだ。
そう思ったクルスは月明かりを頼りに注意深く辺りを探る。
やはり、あった。
監視カメラが敷地内を照らしている電灯の柱に取り付けられている。
「チェルソさん。あれを見てくれ」
「え、あの黒いのかい?」
「そうだ。あれは監視カメラだ」
「か、かめら? なんだい、それは」
「あれは……言わば“目”だな。あの黒い筒の中にガラスのように透明なレンズがある。あれの視界には入らないでくれ。ラシェルにバレてしまう」
「わ、わかった」
チェルソに注意を促し、カメラの死角を慎重に進む。
やがて裏口と思しき場所を見つけたがそこはオーベイ族の見張りが二名で守りを固めていた。
「どうする、クルス君? 二人だけなら始末しても良さそうだけど」
物騒な事をさらっと言ってのけるチェルソ。
クルスとしては、なるべくなら無用な殺しはしたくないと考えていた。
それは心情的な理由だけではなく、ハルとデボラ奪還作戦の事も考えてのことである。
「いや、死体が見つかったら“俺らが既に侵入している”って事がバレる。可能な限りノーキルで侵入したい」
と、自分の考えを述べるクルス。
そんなクルスにチェルソはけらけらと笑いながら言った。
「だったらどうするんだい? 裏口はやめて正門から行くとか? “ごめんくださーい”ってさ」
などと冗談を言うチェルソ。
百戦錬磨の“吸血鬼”だけあってあまり緊張も無いようである。
クルスとしては穏便に済ませたい今回の作戦だが、オーベイ族の長であるラシェルはそんな甘っちょろい考えは持ってはいないのは明白だ。
彼女は既にムカバの集落で人を殺めている。
レリアとナゼールに“クルスに会わせろ”と迫ったのも、クルスに害意があっての事に他ならない。
いよいよとなったら、その時は覚悟を決めなくてはならない。
そしてクルスは別の侵入経路を入念に探す。
その時、二階の窓の一つが気になった。
クルスの魔術《風塵》を使えば昇れそうだ。
施錠はされているようだが、見たところ防犯目的の強化ガラスというわけでもなく通常のものに見える。
だとすれば簡単に破れそうだ。
その際、物音はチェルソの魔術で消せばいい。
そして何より、その窓からは部屋からの明かりが漏れていない。
誰も居ないのだ。
「チェルソさん。あの窓」
クルスが指を差して言うとチェルソは頷いた。
「よしきた。《風塵》で上がるんだね?」
「ああ」
「じゃあ僕は《音消し》をかけよう。あの辺りには見張りは居なさそうだけど念には念を入れよう」
「ああ、頼む」
そしてその窓の真下に移動しようかという時に、思い出したようにチェルソが聞いてきた。
「あ、そうだ。まさかとは思うけど、屋敷の中もギリースーツを着ていくわけじゃないよね?」
「まさか。……中に観葉植物でもあれば、それに化けるところだがな」
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鎖に縛られたハルがのんびりとした調子で呟く。
≪退屈ですねぇ……≫
ラシェルの屋敷の地下牢にて。
デボラとゾエ婆とともに捕らえられたハルは、もうすっかりやることが無くなって暇を持て余していた。
そんなハルの独り言のような呟きにデボラが返事をしてくれる。
≪そうですね。ところでハルさん。前から聞きたいと思ってたんですけど……≫
≪ん? 何ですか?≫
≪ハルさんって……その……何なんですか?≫
デボラの繰り出してきた随分と抽象的な質問に面食らうハル。
≪うぇっ? 何ですかそのふんわりとした質問は≫
≪ご、ごめんなさい。その……何て言ったら伝わるかよくわからなくて……≫
≪?≫
≪私、どうしてもハルさんの“相”が見えなくて……。こんなの初めてなんです≫
≪そ、“そう”?≫
疑問を浮かべるハルにゾエが教えてくれる。
≪相ってのは占いでよく出てくる手相やら人相みたいなその人の持つ特徴さね。それを見ることでその人の“これまで”と“これから”がわかるのさ≫
≪え? 本当ですか? どうやって?≫
機械文明の申し子であるハルにはいまいち信用のできない話であった。
なぜ手の相を見ただけで、人生の先が見通せるというのだろうか。
論理が飛躍しているにも程がある。
そんなハルに優しく教え諭すようにゾエは話を続ける。
≪なあに、むつかしく考えることは無いよ。天気を見るようなもんさね≫
≪て、天気?≫
また話が飛躍したのだろうか。
占いの話が急に天気の話に変わる。
≪海で魚を獲る漁師ってのは天気を読む術に長けてるものさ。時化に出くわしたら命に関わるからね≫
≪はぁ≫
≪漁師たちが言うには雲の形やら、海の風が運んでくる空気と匂い、魚や鳥達の動き、そういったもので明日の天気がだいたい分かるそうだよ。何度も海に出る内に体で覚えるんだとさ。経験則ってやつさね≫
≪経験則……。もしかして、占いもそれと同じだと?≫
≪そうさね。そりゃもちろん外れる事だってあるさ。でも外れたっていう記録を残せば、次の占い以降でどんどん正確になってゆく≫
つまりは統計学のようなものなのだろうか。
手の相やら顔の相などの個人を表す情報を、その人の人生の浮き沈みと結び合わせて関連付けている。
確かにそういう意味では、膨大な過去の観測結果に従って精度を向上させている気象予報と考え方は似ているかも知れない。
そうハルは解釈した。
ゾエの話が終わったところで、じっとハルの顔……即ち人相を見ながらデボラが言う。
≪それで、私が言いたいのはハルさんには何の相も感じられないというか……。ごめんなさい。ちょっと手も見せてください≫
ここにきて漸くハルは不味い事態に陥った事に気づく。
アンドロイドであるハルの手には皺ひとつ刻まれていない。
不味い。
このままでは、人間ではないとバレてしまう。
焦るハル。
だが彼女の動揺など露知らずデボラはハルの手を調べ始めた。
手相どころか何の指紋も無いのっぺりとしたハルの手を見て益々訝しむデボラ。
≪えっ。ちょっと待って下さい。ハルさん、この手って……え? え?≫
ハルの手を触りながら狼狽するデボラ。
一方、触られている当人のハルはもっと狼狽していた。
≪や、やだなぁ。デボラさん、わ、私はちゃんとした人間ですよ。ははは≫
などと聞かれてもいない事に震え声で答えるハル。
だが、デボラは納得がいっていない表情だ。
≪え? いや、でも……この手って……≫
その時、ゾエ婆が弟子にぴしゃりと言い放つ。
≪そこまでにしときなさい、デボラ。すべての人が占いを有り難がるわけじゃないよ。前にも教えただろう?≫
≪あっ……ご、ごめんなさい。お師匠様≫
≪謝る相手が違うよ≫
≪本当にごめんなさい。ハルさん……≫
ゾエが初めて見せた厳しい口調に驚きながらもハルはデボラに告げる。
≪い、いえ、大丈夫ですよ。私は気にしてませんから……それに≫
と、そこまで言いかけたところでハルの耳がかすかな足音を察知した。
≪ハルさん?≫
とデボラが聞いてくるのをシッと遮る。
前方の暗がりから誰かが来るのが、かすかに見えた。
物言わず前方を見つめるハル達。
その時、ハルのよく知る声が聞こえてきた。
「シーッ。ハル、デボラ、無事か?」
クルスとチェルソの二人組みだった。
どういうわけか、二人とも汗だくである。
「マスター! それにチェルソさん」
喜色を浮かべて告げるハルに、チェルソが笑いかけながら話しかけてくる。
「おっ、ハルちゃん。思ったより元気そうだね」
「はい、おかげさまで。デボラさんも無事です。あっ、こちらの方はデボラさんのお婆様のゾエさんです」
「ふむ、その人も捕らえられてたのかい?」
「ええ」
そこへクルスが割り込んでくる。
「再会を祝して話したいのも山々なんだが、ひとまず脱出を優先しよう」
そう言って『生成の指輪』を用いて道具を作るクルス。
大型の肉厚のペンチのような外観のチェーンカッターだった。
そして牢の鉄格子を施錠している南京錠を切断する。
そしてハルとゾエの拘束具も切断してゆく。
「マスター、申し訳ございません……。こんな失態を……」
主に侘びを入れるハル。
「気にするな。助け合うのは仲間なら当たり前だ」
「は、はい……! このご恩は必ずや、私の働きで返します」
「そうやって気張るのも程ほどにな。お、外れたぞ。ちゃちな造りの枷で助かったな」
「ありがとうございます」
「あと、ほれ。お前の武器」
そう言ってクルスは『ベヘモスの胃袋』からハルの専用兵装を取り出して渡してきた。
早速、《パイルバンカーE型・改》と《フックショット》を取り付け、臨戦態勢に入るハル。
それを見届けたクルスは静かに告げた。
「さてと、それじゃオーベイの族長さんにお礼参りといくか」
お読み頂きありがとうございます。
次話更新は 12月18日(月) の予定です。
ご期待ください。
※12月17日 後書きに次話更新日を追加
※ 4月20日 一部文章を修正
物語展開に影響はありません。