1.発端
延々と続く直線に嫌気が差していた。
実家に帰る途中の高速道路での事である。
来栖はハンドルを握りながら欠伸をかみ殺す。
代わり映えのしない景色を眺めながらの行程はいつもながら退屈であった。
しかしこの繁忙期に休みがとれた事は今のご時勢では喜ばしい事なのだろう。
時刻は先ほど夜九時をまわったばかり。
なるだけ早く仕事を片付けたつもりだったが、こんな時間になってしまった。
それもこれも新人社員の定着率の悪い我が部署のせいだろうか。
来栖の職場はとあるアパレル企業の商品を扱う倉庫であり、彼はその倉庫の出荷担当社員であった。
倉庫は二十四時間稼動しており、広大な敷地にこれでもかと詰め込まれた膨大な数のアイテムの管理に社員は頭を悩まされる。
そして何より人間関係だ。
その倉庫には正社員・パートタイマーは勿論の事、派遣会社の人間やら他社の運送ドライバー。
更には検針の下請け会社、そして来栖にとっては大変おそろしいクライアントの皆様方、等々非常に多くの人間が出入りしており気苦労も多い職場である。
そして二十四時間稼動の倉庫という点が災いしてか、昼勤から夜勤への異動なども珍しくない。
このような要因を嫌って社員が少なくなり、そして残された者の負担が増える。
せっかく補充された新人は、割りに合わない職場だとすぐに見抜き辞めてしまう。
嗚呼、素晴らしきかな負のスパイラル。
かくいう来栖もようやっと三年目の若造ではあるが、同僚が次々と変わる職場にやるせ無さも感じていた。
来栖はため息混じりに独り言を呟く。
「もう辞めちゃおっかなー……」
世の社会人にこの台詞を吐かない人間は果たして存在するのだろうか。
などと思考が暗くなってきた来栖は頭を軽く横に振って邪念を振り払った。
そして彼は気を取り直して別の事を考える。
こういう時、来栖という人間はよく空想に思いを巡らせる人種であった。
そしてその数多の空想を纏めて小説を構想し、投稿サイトに公開するのがささやかな趣味であった。
彼は近年流行りの『異世界転生』だの『チート』だの『見てるこっちが呆れるほどのクソ長いタイトル』などの要素を毛嫌いする傾向にあり、自らの作品にそれらの要素を取り入れることは決して無かった。
そのポリシーは確かに立派なものだったのかもしれない。
だが裏を返せば時流を省みない独りよがりなものでもあった。
そうした背景から生まれた小説の出来はお世辞にも良いものとは言えず、閲覧数や評価数も実に寂しい数字であった。
それはおそらく彼が小説の世界観や設定に偏執的ともいえるこだわりを見せ、逆にストーリーにあまり手を掛けなかったのが原因なのだろう。
来栖にもそれは分析できてはいたのだが、自分の悪癖を直す気は特になかった。
彼は閲覧数の為に小説を書いてるのではなく、自分がただ書きたいから書いているのだ。
ストーリーを練る暇があったらその時間で少しでも設定を考えたい、というのが来栖の願いだった。
そうやって細かく設定・世界観を練る事で、自分がまるで世界の創造主にでもなったような気分になれるのだ。
具体例を挙げると、彼は作品世界を構築するにあたってまず最初にオリジナルの言語をこさえる。
既存の外国語をベースにして捏ねて、捏ねて、混ぜ合わせてオリジナルの言語をつくる。
そうして苦心して新たな言語を想像し、創造するうちにその世界の詳細なイメージが頭の中で完璧に構築されるのだ。
そんなエピソードを聞いた小説仲間は彼の事をこう評している。
”設定狂”と。
その時、前方を走る車のテールランプが来栖の目に付く。
来栖は目を擦り眠気を振り払うように努めた。
高速でボーッと運転していては、スリップストリーム現象で前方の車に引き寄せられてしまう。
来栖は意識を現実に繋ぎ止める為にラジオをつける。
するとニュース番組が流れてきた。
チューニングをいじるのも億劫なので、そのまま耳を傾けた。
キャスターがその日のトピックを明朗な声で読み上げる。
タクシーの初乗り運賃が安くなった。
朗報に聞こえたが都内勤務ではないのであまり関係ない。
アーティストの訃報。
来栖の好きなバンドの人だった。
鹿島のミッドフィルダーが海外のチームに移籍。
サッカーはワールドカップの時くらいしか見ない。
バルトロメウス症候群とかいう難病の国内初の症例が確認されたらしい。
眠り病のような症状で感染源も治療方法も不明なのだそうだ。
垂れ流されるニュースを聞いていた来栖だったが、車窓から見える等間隔に横を過ぎる灯りに眠気を誘われる。
あと一時間も走れば実家に着くのだが、ここらで休憩を入れた方が賢明のようだ。
来栖は眉間に皺を寄せながら軽く首を回してほぐす。
そしてサービスエリアまであと少し頑張ろう、と自らに気合を入れた。
しばらく車を走らせると程なくして入り口が見えてきた。
眠気覚ましにコーヒーでも買おう、と思ったと同時に急に疲労感が襲ってきた。
コーヒーはやっぱりやめて、短時間でも仮眠をとったほうが安全かもしれない。
そう考えた来栖は駐車場へと車を進めた。
そしてシートを倒して少し横になる。
どのくらい眠っていただろうか。
来栖は目が覚めるとシートに預けていた体を起こして大きく背中を伸ばす。
「んんん……」
度重なる超過勤務のせいかあちこちにガタが来ている様だ。
良い整体師を探さなければ、と思いながら周りを見ると何やら様子がおかしかった。
辺り一面が漆黒の森なのだ。
どう見てもサービスエリアの駐車場ではない。
「……ん?」
おかしい。
そう思って来栖は窓を開けてみる。
その瞬間、日本では聞いたことも無いような鳥の鳴き声が森に響いた。
マレーシアのジャングルなんかに居そうな鳥の鳴き声である。
ここは本当に日本なのだろうか。
不安になった来栖はスマートフォンの画面を見る。
電波状況を示すアンテナのアイコンの場所には圏外と表示されていた。
「圏外か……。おいおい勘弁してくれよ」
実家の両親にどうやら到着が遅れそうだと連絡したかった。
どのくらい遅れるかは不透明であるが。
それにしても状況が、いまいちわからない。
わからないが、ここでじっとしていても埒が明かないと考えた来栖は、移動を試みる。
ノロノロと車を進める彼に言いようの無い不安感が襲う。
その時だった。
遥か前方、車のヘッドライトが何かを捉える。
“それ”はこちらに背を向けて屈んでいるように見えた。
人だろうか。
いや、それにしては体格が小さい。
子供だろうか。
しかし、こんな夜更けに子供が森にいるのはおかしい。
などと疑問を頭に浮かべながら来栖は目を凝らす。
距離が遠く後ろを向いている為に“それ”が何なのか判別できない来栖。
前に進まなければ。
しかし進むのが、どうしようもなく怖い。
それは何かを食っていた。
来栖が意を決して進みだした時、“それ”は振り返った。
口からだらだらと血を流しながらこちらを睥睨するそれは明らかにヒトではなく、ましてや猿などでもない。
浅黒い褐色の肌に小さい体格。
口からはピラニアの如き鋭い歯がびっしりと生え、手に赤黒い染みのついた棍棒を握り締めている。
子鬼、ゴブリンだ。
ゴブリンは人間の遺体らしき何かを食っていた。
瞬間的に身の危険を感じた来栖は、咄嗟にクラクションをけたたましく鳴らす。
すると子鬼は何かをわめき散らしながら逃げていった。
しばらくハンドルを握り締めたまま来栖は動けなかった。
一体自分はどうしてしまったのか。
気でも触れてしまったのだろうか。
だが、来栖がたった今目撃した光景は幻覚にしては何もかも生々しすぎた。
息を乱しながら来栖は頭を抱える。
その時スマートフォンの着信音が車内に響き渡る。
静寂を切り裂いた着信音に心臓が止まる思いをした来栖が、慌ててスマートフォンを引っつかむ。
誰かからの着信だったが、文字化けしていて読めない。
いずれにしても取るしかない。
選択の余地は無かった。
「は、はい……。もしもし」
来栖がおそるおそる電話を取ると男のくぐもった声が聞こえてきた。
「よぉ、もう着いたか」
聞いたことの無い声だった。
「あんたは一体?」
誰何するが、男は答えず更に言葉を重ねる。
「いやぁーお前が無事で良かったよ。お前がそこでくたばると俺もやばいんだよな」
「は?」
要領を得ない言葉に来栖は困惑する。
だが来栖は混乱しながらも状況確認のために男に問いかけた。
「ここはどこだ?」
「さぁ、どこだと思う?」
こいつは人をおちょくってるんだろうか、と来栖は不愉快な気持ちになった。
少し腹を立てながらも来栖は考えを巡らせる。
眠っている間にどこか別の場所に連れてこられたのだろうか。
だが来栖がパーキングエリアで仮眠をとってからそれほど時間は経っていない。
第一、誰が眠っている人間を車ごと誘拐するのだ。
そして来栖は先ほど見た子鬼を思い出す。
あれは少なくとも“今までいた世界”には居なかったように思えた。
いや、まさか、そんな、あり得ない。
たっぷりと時間をかけて、来栖は電話の男の問いに答える。
「…………異世界?」
答えた瞬間に通話口から男の哄笑が聞こえてくる。
「はっはっはっは、異世界!? そんなもん、あるわけねえだろ」
「じゃあ一体どこなんだよッ!」
渾身の回答を否定され、思わず声を荒げてしまう。
「まぁ落ち着けよ。そこはな……」
「……」
「そこはお前の頭ん中の空想の世界だよ、設定狂の作家先生」
お読み頂きありがとうございます。
次話更新は 4月9日(日) の予定です。
ご期待ください。
※ 4月11日 地の文を一部分修正
※ 4月13日 電話の男の台詞を一部分修正
※ 7月30日 行間を修正
※ 8月 8日 レイアウトを修正
※11月13日 一部文章を修正・追加
※ 3月15日 一部文章を修正
※ 6月 1日 一部文章を修正
物語展開に影響はありません。