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神様と私の関係について

 逢坂神社では、九時と三時にお茶の時間を設けている。

 朝は境内を清掃後、三時は丁度眠気が来る時刻にお茶菓子を摘みながらお茶休憩を挟むのだ。

 これが意外に重要で、この時間があるのと無いのとでは、心の余裕というものが違ってくる。


「美都さん、お茶にしようか」

「はいっ」


 デスクワーク用の眼鏡を外した豊布がそう声を掛けて来るのに合わせ、美都は元気よく立ち上がった。

 冷蔵庫からいそいそと取り出したのは、二本のボトルと菓子箱だった。

 要冷蔵のラベルが張られた菓子箱に入っているのは、抹茶のクリームを挟んだブッセだ。

 何故、美都が箱の中身を知っているのかと言えば、差し入れ――という名のお供えにと持ってきてくれた崇敬会のお婆さんが、一つだけ別に「食べてみる?」と聞いて下さって、思わず「頂きます!」と昨日の内にぺろりと食べてしまったからである。

 まあ、後ろで見ていた豊布も笑っていたし、お婆さんも「お嬢さんは元気がよくていいわね」と微笑んでいたので、大丈夫だろう。多分。

 お菓子に目が無いのは甘党だから仕方がないよねうん。

 ちなみにそのお菓子は、菓子箱ごとご神前に上げ、お婆さんの御祈願と一緒にお祓いを済ませた後にご神前から下げているので、既に神様はお菓子を召し上がっている。

 大抵お供えで頂いたものはそうして一度ご神前に上げた後に、お下がりとして美味しく頂いているのだ。

 豊布には市販のアイスコーヒーを、美都は自宅から持ち込んだアイスティーを、たっぷりと氷を入れたコップに注ぎ、菓子箱を開けてお茶請けに盛ると、お盆に乗せて座卓に運ぶ。


「ありがとう。さあ、頂こうか」

「はい。頂きます」


 先ずはアイスティーを一口飲んで、お茶請けのブッセに手を伸ばした。

 ひんやりと冷たいブッセは硬くなり過ぎず、抹茶も濃厚でとっても美味しい。

 思わず幸せな気持ちに包まれながらアイスティーを飲んでいると、社務所の引き戸がガラッと開けられた。

 外への出入り口ではなく、本殿に繋がる内側の扉だ。

 座ったまま見上げると、昼過ぎに帰ってくると言っていたカグツチの姿があり、慌てて居住まいを正した。相変わらず抜群のタイミングだなぁ。


「お帰りなさい、カグツチさん」

「おう、今帰った」


 座卓の横にどかりと座ったカグツチは、気怠げに襟元を寛げて髪を掻き上げた。

 いつ見ても暑そうな格好をしているのに、カグツチの周りは何故か涼しく感じて、本当にそこだけが天然の冷凍庫のように…ってあまりにもこれは不敬か。

 くわばら、くわばら。

 ちらりとカグツチに流し見られ、美都は取り繕う様に笑みを浮かべた。

 ごめんなさい、本心じゃないです。本当です、はい。


「お帰りなさいませ、神サン。あっ、ブッセ食べます?」

「いらん。それより水をくれ」

「はいはい」


 立ち上がりかけた豊布を目線で制し、「私、注ぎますね」と素早く立ち上がって棚からお客さん様のコップを取り出すと、冷蔵庫から緑色の一升瓶を取り出して、とくとくとコップに注いだ。

 中身はちゃんとしたお水だ。けれどただの水ではなく、境内の更に奥にある山間から湧きだした湧き水…所謂ご霊水れいすいを毎朝汲んでこの一升瓶に入れているのだ。

 これは豊布さんの趣味というかこだわりで、ペットボトルやガラスなどのボトルにご霊水を入れるのはどうにも抵抗があるらしく、元はお酒が入っていた空の一升瓶を水用の入れ物として再利用している。

 棚からもう一つのお盆を取り出してコップを乗せ、漆塗りの茶托を出してカグツチの前に置き、コップを乗せて出すと、「ありがとな」とお礼を言い、一息に水を飲み干した。


「もう一杯、如何ですか?」

「貰おう」


 ふむと少し考えて、美都はカグツチが飲んだコップに今度はたっぷりの氷を入れ、それからお水を注いでカグツチに出し、美都の定位置に座り直した。

 豊布が労うように柔らかく笑うのを照れくさく見ていると、視線がカグツチに移った。


「神サン、今日のご用事は何だったのですか?」

「ん? ああ、最近火事が多いから、火伏せの神事を執り行ってくれとの要請だった」

「なるほど、火伏せの神事ですか」


 したり顔で頷いた豊布にはその意図が分かったらしいけれど、生憎と美都にはさっぱりわからない。


「えっ、火伏せの神事って、この暑い時期にですか? 今は夏なのに、なんで…?」


 普通は水難事故防止の神事を行うのが一般的なんじゃないの?

 思わず首を傾げると、豊布が苦笑し、肩を竦めてごくごくと水を飲むカグツチの代わりに説明してくれる。

 何となくちゃんと聞かないといけない気がして背筋を伸ばした。


「夏は花火とか…まあ、失火の多い季節だから、火伏せっていうのもあながち間違ってはいないんだよね。ほら、花火大会とかで露店が出ていたりするでしょう? そういう時はボヤ騒ぎとか、まあちらほら出てくるもんなんだよね」

「ああ、そうなんですね」


 そうか、言われてみれば確かにそうかもしれない。

 夏は海や川イコール水難事故が多発するというイメージがあるけれど、その分火の気も多く入ってくるのだ。

 乾燥した冬に比べたら火事の件数は大幅に減少しているだろうけれど、それでも少ないということはないのだろう。


「豊布の言う通りだ。公的に火伏せの神事をせよというお達しではないから、取り敢えず氏子中に失火に注意するようお札を持って回って、後は殿内で祝詞を上げれば仕舞いだろう」

「そうですね。神サン、後でお札を奉製するの、手伝って下さいね 。美都も頼むよ」

「相分かった」

「分かりました」


 頷いたカグツチは、ふうっと息を吐いて、懐から玉盃を取り出した。

 綺麗な翡翠色に思わず吸い込まれる。一体幾らの値段がするのだろうか。

 その玉盃を向けられ、美都は瞬きを繰り返した。

 ん、んん?


「美都、そなたに預けた冷酒をこれへ」

「ええっ、まだ飲むんですかっ?」


 流石に飲み過ぎではないのかと豊布へ視線を向けると、「そう言えば神サンの食事事情について話していなかったね」と一人頷いた。

 食事事情って、何ですかという言葉はため息と共に外へ流れて行った。


「まあとりあえず、冷酒を出しておいで」

「…分かりました」


 美都があんまりにも不可解な表情をしていたからだろう、豊布は笑みを深めて美都から受け取った冷酒の栓を開け、カグツチの玉盃に注いだ。

 なみなみと注がれたお酒を溢すことなく飲み干したカグツチに、豊布は再び玉盃をお酒で満たした。


「ほら、美都さん。これを見てご覧」


 ちゃぷんと音がする一升瓶をよく見てみると、先ほどと同じく中身は全く減っていなかった。


「ええっ! こ、これはどういう…」

「美都、私はそなたら人間とは違い、物質を摂取する事はない。このお酒にある“気”を食らっておるのよ」

「“気”、ですか」

「気はどのような食物にも宿り、また人が加工したものにも等しく宿っている。別に私が“気”を食らわずとも死ぬことはないが、まあこれは単に人で言う所の味見だとか、そういうものだ」


 ぐいっとお酒を飲むカグツチに代わり、豊布が「神サンの言う通り、」と引き継いだ。


「つまりこれは、単なる“気”の味を確認しているだけ、という事になるね」

「はあ。要約すると、珍味を試食したり摘まんだりするおやつのようなもの、という事ですか」

「おやつか!美都は真面白いものよ。そうさな、別に食べずとも良いのだからおやつという感覚に近いのやもしれぬ」


 爆笑しつつそう言ったカグツチは、「これから説明する時にはおやつだと説明するとしよう」と頷くのを尻目に、豊布は僅かに苦笑して「言い得て妙だねぇ」と呟いた。

 うん、本当にそれで良いのか? なんか的外れな表現だったかもと美都が気付いた時には、二人はもう既にそんな事も忘れて目の前にあるお茶菓子に手を伸ばしていた。

 なんとなく、自分が恥ずかしいことを言った気がして少々居心地悪く、自身のコップに手を伸ばした。

 それから、暫し和やかな空気が流れ、美都がしっかりとお茶の時間を堪能した所で豊布が立ち上がり、ぐっと伸びをした。


「じゃあそろそろお札の準備をしようか。美都さん、授与品の棚に火除けのお札があるから、それを出しておいて。神サンは、押印をお願いします」


 座卓の上に広げたカップとカグツチの茶托やお茶請けを片付けて、美都が洗い物を済ませている間、豊布は座卓を綺麗に拭いてお札の奉製のために諸々の道具を片付けてくれたらしく、美都が火除けのお札を持ってきた時には既に豊布は席に就き、カグツチもまたその隣に座していた。


「豊布さん、お待たせしました」

「ああ、ありがとう、美都さん。美都さんは私が奉製したお札を上袋に入れる作業をしてくれるかな?」

「分かりました」


 カグツチの隣に美都が座した所で、早速豊布がお札を手に取った。




「はい、これで最後だね。後は火伏せの御祈願をしてくるから、美都さんはいつも通り祝詞を用意してね。私は着替えてくるよ」


 豊布がひらひらと手を振って控室に消えた後、カグツチはふっと息を吐いて背伸びした。

 その姿は一仕事終えたサラリーマンのようだ。いや、寧ろ、「疲れたからもう寝るわ」と完徹した学生のような……。


「私は学生などではないぞ」

「心を読まないで下さいっ」


 きっとカグツチを睨むと、生真面目な表情で「我は神だからな」と訂正を求めた。

 分かってます、十二分に分かっていますから、カグチツさん。

 心の中で深くお詫びを申し上げて、美都はカグツチに向き直った。


「カグツチさんも、お疲れ様でした」

「大したことなどしてはおらぬがな」


 胡坐をかいてふうっと息を吐いたカグツチは、すっと音も無く立ち上がり、すたすたと社務所のドアに向かった。

 半身を捻って美都を見つめたカグチツは、


「私は少し本殿で休んでおく。何かあれば呼ぶ故、それまでは仕事に精を出すが良い」


 と言うと、美都の顔も見ずにすたすたと去って行った。

 相変わらずさっぱりとした御方である。


 しんと静まり返った社務所に、ごうっというエアコンの稼動音が響き渡る。


 神様と…カグツチとの関係を言い表すならば、カグツチが遠い親戚の兄、私はその妹…いやいや、これじゃあちょっと可笑しいか。お稽古事の師匠とその子弟という関係がしっくりくるのかもしれないな、うん。師匠のお世話をするのは子弟の嗜みで、師匠は子弟の様子を見つつ、何か教えるべきことがあれば教え、修正が必要であれば諭す。

 私達は、そんな関係である。しかししこに利害というものは生じていない。

 あるのはそう、親しい友人に向ける親愛の情だ。

 それが今の、私達の関係である。


 それが間違っているだとか、不敬だと言われたらその通りなのだけれど。でも美都は、美都だけは、何のしがらみもなく親しく話せるこの立ち位置に居られることが、今は何よりも喜びである。

 未熟で、まだまだ分からないことだらけの奉侍者だけど、それでも、出来うる限りのことをしたいと、そう思うのだ。


「頑張るぞ~っ!」


 気合を入れて立ち上がった美都は、社頭に座って参拝者の接遇やお守りのお頒ちに精力的に取り組み、定時となる夕方まで奉仕に勤しんだ。

 その日、カグツチからの呼びたては、ついぞ無かった。


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