放課後ふたたび
時間は放課後、場所は化学実験室。普段人気のないこの場所に、俺こと冬木秋彦はいた。双眼鏡を片手に。
もう十分ほど、ある一点を凝視している。すると、背後から声が掛けられた。
「おい冬木、お前こんなとこで何してる?しかも双眼鏡片手に」
振り返ると五十がらみのオッサン、もとい化学教師千金楽龍蔵が立っていた。
「先生うっす。覗きですよ」
「双眼鏡を寄越せ」
「へいよ。プール裏の焼却炉」
「あん?なんだおい。あれは菅原に吉永、赤井と…笹井か?」
「誰だかは知らんが人数は合ってる」
「どう見ても笹井が因縁つけられてるようにしか見えんな。仕方ない、ちょっと遊んでやるか」
「さっすがチェケラ先生。イカしてるせ。そこに痺れる憧れるー」
「ぬかせ。乳臭いガキどもが将来困らない為の教育だ、バカタレ」
そう言うとチェケラ先生は足早に出ていった。そしてすぐに校内放送が流れる。
『えー2年4組の菅原、吉永、赤井、直ちに職員室まで来なさい。焼却炉脇でのことは目視済みだ。三人がかりで一人に因縁つけるとはやるな!逃げたら明日の全校集会で問いただすからな。三分間待ってやる。さっさと来い』
うーん、さすが変態教師。やることが1ラジアン上を行くぜ。おお、三人衆が血相変えて走っていく。
おっと、笹井がこっちに気付いたようだ。双眼鏡覗きながら手を振ってやる。
何か叫んでいるようだが、当然聞こえない。しかしまあ、まだ足が痛むようだから迎えに行ってやるか。
*
「よう、なかなか面白い生活を送っているようだな」
「何バカなこと言ってるのよ。信じられない!」
「そうか、まだ足が痛むだろうから来たんだが…必要なさそうだな。じゃあな」
「先輩ちょっと待ってよ!ごめんなさい、私が悪かったわ!」
「ふむそうか。なら仕方ない。とりあえず移動するか」
*
「ほら入れ」
「お、お邪魔します…」
連れてきたのは何の変哲もない空き部屋、もとい部室である。そこで中にいた人物から声を掛けられる。
「冬木、あんたが女連れとは珍しい。どういう風の吹き回しだ?」
「倫理的見地から保護した野生のセジウィックだ。気軽にマニュファクチュアと呼んでやってくれ」
「誰が大脱走の製造屋よ!」
「いやあジェームズ・コバーンはなかなか渋かったな。個人的にはあの飄々とした感じが好きだ」
「ええ、確かにそれはそうだけど…って違うわよ!」
「ははは、そうかそうか。冬木が連れてくるわけだ。くくく、なかなかじゃないか、冬木」
俺と笹井のやり取りを見ていた某女子が可笑しそうに笑う。
「初めまして。私は文芸部部長の野田朱里だ。以後お見知りおきを」
「わ、私は笹井夏紀です。初めまして」
野田の自己紹介に笹井も答える。ご丁寧にお辞儀までしている。
「まあ、立ち話もなんだ。どうぞ掛けてくれ。今お茶を出そう。冬木、君も座りたまえ」
「あ、お手伝いします」
「野田がああ言っている。座っておけ。それにお前足が痛むだろう」
「でも…」
「ま、気にすんなや」
*
「先輩って文芸部だったんですね。意外です」
学校からの帰り道。文芸部でダベっていたら下校時刻になったので、こうして帰路についている。
笹井と野田はすぐに打ち解けたようで、昨日の一件も含めていろいろと話していた。俺は本を読んでいたのでスルーしていたが。
「まあ書くのはアレだが、読むのは好きだからな」
「へぇ〜何読むんですか?」
「ランチェスターの法則」
「何ですかそれ?」
「ググれカス」
「なっ!?」
絶句したようだ。うむ、こいつのリアクションはいちいち面白いな。
「何てこと言うのよ!バカ!信じられない!」
「まあ気にするな。カルシウム足りてるか?」
「原因は先輩です!」
「むつかしいな」
影法師が長く延びる。ザ・夕暮れ時だ。
そろそろ笹井の家に着くところで、彼女が口を開いた。
「ねぇ、先輩」
「なんだ?」
「連絡先、教えてくれない?」
「なんだ、それならタウンページにいろいろ載ってるぞ」
「違うわよ!先輩の連絡先!電番とかメアドとか」
「ああ、そっちか。今メモってやる」
ポケットからペンとメモを取りだし、電番を書いて渡してやる。
「ありがとう先輩。あとでいろいろ送るから」
「へいへい」
「あと、それと、なんだけど…」
「なんだ?」
「足が良くなったらでいいんだけど…あの、その」
「わかった。いいだろう」
「へ?」
固まる笹井。意味が理解出来なかったようだ。
「だから、どっか行きたいんだろ。付き合ってやるよ」
赤くなってる。可愛い奴め。
「も、もう!知らない!じゃあね先輩!」
赤面しながら家に這入る笹井を見ながら、さてどこへ行くことになるのやら、と嬉しくも嘆息する俺であった。