08話 駆け引き
夢を見た。
酒を飲んで、変な場所で寝たからかもしれない。
俺は、草原に居た。渡る風が気持ちよく、俺の髪をなびかせる。空はどこまでも青く、高く、澄んでいる。
立っている場所は丘のようで、草原は遠くまで見渡せ、その先には街が見えた。
あの場所に何時か行ってみたい。
それは、俺のささやかな夢でもある。
「…………」
背後から名前を呼ばれた。親しいその声に振り返ると、屋敷を背後に私の……が遠くに見えた。私は……が大好き。その優しそうに微笑む姿に向かって駆け出す。
「……?」
近くまで行くと、私を待っている……の横に、私と同じぐらいの男の子が居るのがわかった。戸惑い、歩調を弱めながら、近くまで行く。
この男の子を、私は知らない。
ただ、凛としたその佇まい。輝く金髪が、印象に残る。
「……」
私は、誰と問うた。
「……」
彼は……と答えた。
「……誰だよ」
慣れていないが素晴らしく寝心地のいいベッドから覚醒し、そのベッドの天蓋を見上げながら俺は開口一番そう言った。
誰、とは。
夢の中の、俺を含む全員だ。
こんな記憶を、俺は持たない。少なくとも、あんな場所は行ったこと無いし、他の二人にもあったことはない。
無論、夢の『私』とやらの経験もない。
なんなんだ、これは。
夢と、わりきっていいのだろうか。
そう考えるには、何かがひっかかる。何か重要な事のような気がする。
気がする。気がするが、それが何なのかがわからない。寝起きだからか、昨日の酒の影響か未だ頭がぼやっとする。
纏めようにも、まとまらない。まだるっこしい。
「あー、もう、なんなんだよ」
「何がですか?」
「いや、夢が…………っ!」
ぼんやりしたまま、自然な問いについ答えてから、異変に気付いた。ベッドから跳ね起きて、声のした方に向き直る。
「ああ、おはようございます」
大きなこの部屋の壁際で椅子に座ったレオンが和やかに挨拶した。
それはここに居ることは全然普通、当たり前と言わんばかりの朗らかさだった。
だからといって甘受できるわけではない。
あまりのことに口をぱくぱくさせ、なんとか声を絞り出す。
「な、んで、レ、オン………………さま?」
自分でもどうかと思う程に混乱しながら、最後に何とかサマを付ける。
なんというか、死ぬほど恥ずかしい。自分のあまりの動揺っぷりに、胸がドキドキする。
というか何故起き抜けに、こんな気持ちにならなければならないのか。
そもそも屋敷の主人とはいえ、朝っぱらにゴフジンの部屋に勝手に入るのは一体どういう了見なのか。
それともこれが貴族の普通なのか。だとしたら何故俺の部屋なのか。
謎は尽きない。
「んー……、変に繕わなくってもいいですよ?ここは私と貴女しかいませんし、いつもの口調で」
……こいつ。
その何でも無いような口調の言葉に衝撃を受けつつも、同時に、だよな、という諦めにも似た感情が心に去来する。
正直何時バレるかという状態だったし、今なら今でその方が精神的にいい。
「……いつから、わかってた?」
ただ、だからといって全部明かすかどうかは別の問題だ。口調を戻しながら、慎重に言葉を選ぶ。
まだこの男が何を考えているのかがわからない。
「わりと、最初の方からですね」
いけしゃあしゃあと、そう宣うレオン。驚きを通り越して呆れた。
「……案外意地が悪いんだな」
最初の方、というのが、具体的にどこなのかはわからないが、本当に最初の最初からなのだとしたら、パルミラの自傷までした演技や、アイラの話術も、全部見抜かれていたということになる。
パルミラはともかく、アイラはペラペラと嘘を並べていたのを見抜かれていたわけで、そう考えると、アイラが途方も無く哀れに思えた。
「いやぁ、だって皆さん必死でしたし、取りあえずここは付き合って、話を合わせるほうが空気が読めてるかな、と」
はははーと、ちょっと申し訳なさそうに笑うレオン。案外フランクだ。
その台詞は、優しいと言えなくもない。結果的に残酷な事になってしまったが。
「それはともかくですよ」
レオンの話に苦笑していたら、急にレオンはトーンを落として続けた。
ここからだなと覚悟を決め、心の中で身構える。
「腹の探り合いも何なので単刀直入に言いますが……貴女たちは逃亡奴隷、ですね?」
あくまで笑みを浮かべたまま、はっきり言い放つレオン。
椅子に座って手を組んで、こちらを見据えるその目には、有無を言わせぬ迫力のようなものがあった。ただ、それが無くとも、ここまではっきり言われては、言い逃れの言葉も無い。
「……そーだよ。なんでわかったんだ」
なんでと問うのも今更で、随分野暮な気もしたが、一応聞いておく。
「いや、私たちは違法の商人……まあ、平たく言えば奴隷商人を追ってましてね。ですが、追っている途中、ゴブリンに襲われ壊滅したそれらを見つけたわけです。それはそれで良いのですが、調べてみると奴隷商人はともかく、どうにも奴隷の数が少ない。なので、ひょっとしたら、とは思っていた訳ですよ」
そこまで言われると、是も非もない。
かなり奇跡的な確率だが、タイミング良く本当に軍が動いていた、ということだ。
「……ゴブリンは?」
「ついでなので、潰しましたよ?被害報告も出てましたし」
事も無げに言うレオン。
昨日の行軍を思い出すと、嘘で無ければあの状態は既に一戦終わった状態だったというわけだ。
ただ、それにしてはそういう雰囲気も無く、損害も一切ないように見えた。
つまり、レオンの言っていることは嘘か、もしくはあの軍団が洒落にならないほど強いかどちらか、ということなのだろう。
そしてこのタイミングで、レオンが嘘をいう必要性がないことを思えば、答えは一つ、ということになる。
ただ、そうだとすると、俺には一つだけ思うところがあった。
つまり、あの時殺したトロい女についてだった。
タイミングを考えると、レオンがゴブリンどもと接敵したのは、俺たちが脱出した1日以内のタイミングだろう。
ひょっとしたら、あの後直ぐだったかもしれない。
だとしたら、もしかすると、あの女を放置していても助かったかもしれないという可能性が見える。開き直って考えれば、俺たちですら何もしなくても『なんとかなってしまった』かもしれない。
……いや、それは可能性でしかない。結局のところ結果がすべてなのだ。
助かったかもしれない人間を殺しておいて言うのも何だが、起こってしまったことを考えても仕方ない。
ただ、それは小さなトゲのように、俺の心に突き刺さった。
「……とりあえず、一件落着ってとこか」
壊滅していたとはいえ、追っていたらしい奴隷商人も捕捉。ゴブリンも殲滅、と。
大団円、めでたしめでたしだ。
お終いと言わんばかりに、両手を叩く。
すると、レオンは難しい顔をして指を組んだ。
「いえ、そうすると……一つ困ったことになりました」
「なにが?」
「実は私たちの任務の目的は、別に奴隷商人を捕まえることでは無いんです。いや、ある意味そうなんですけど」
今まで通りの口調で話すレオン。その姿に、俺はなにか嫌な予感を覚えた。
なんというか、それ以上を聞いてはいけない、ような。
「より大きな得物を狙ってましてね。奴隷商の親玉です。誰だと思います?」
「それって、だいたいアタリが付いてる、って事か?」
聞いてはいけない。
頭の中の何かが警鐘を鳴らす。なのに、俺は聞いてしまった。
「グイブナーグですよ」
は、と息をのむ。それは、この街の領主の名前に他ならなかった。
それにしても、領主自らが奴隷商の親玉だったなんて。
しかし冷静に考えてみると、なるほど全てに説明が付いてしまう。
あの奴隷商人は、どこへ向かっていた?
確かに予想したもう一方のカクラワンガより緩いとはいえ、俺たちもその目で見たように、この街でも一応検問はある。だとしたら、奴隷商人はどうやってそれを通過するつもりだったのだろう。
そして、グイブナーグそのものの市民の噂。
『大量の奴隷を持っている』
……持っているどころじゃない、売っていたのだ。
さらにここは港町。そんな奴隷を出荷するのに都合も良い。
「……そういうこと、か」
「ええ、なので、私たちは奴隷商人を捕縛して、動かぬ証拠とやらを押さえようとしていた訳なんですが……押さえる前に燃えてましたね。全部」
そう言われれば、そうだ。
あのとき確かに派手に燃えていた馬車もあった。多分、その辺りに証文とかそうしたものがあったのだろう。
「というわけで困ってるわけです」
レオンはそう両手を開いて締めくくった。
「なんでだよ。そこまでわかってんなら、屋敷でも城でも突入して調べりゃいいじゃねえか」
継続する警鐘に突き動かされるように、言葉を繋げる俺。無意識に、毛布を握りしめる。
「最悪それでも良いんですけど、一応相手は貴族なわけですし、万が一にも証拠がありませんでした、では済まないんですよ」
確かにそうかもしれない。
レオンがどの地位かはわからないが、多分そうなった場合、それが例え皇帝でも結構難しいことになってしまうだろう。
貴族とは、それなりに力を持つ立場なのだ。
「そこでですね」
「いやだ」
改めて話を進めようとしたレオンに、俺は即座に言った。
「……まだ何も言ってないじゃないですか」
「いや、アレだろ。どうせ、俺たちに奴隷として領主のおっさんところに潜入しろって話だろ」
三白眼で睨め付けながら、レオンに言ってやった。
やっと警鐘の正体がわかった俺は、ズバリ、レオンの言いたいことを返してやった。
それだけで、かなり胸が空いた。気に入らないヤロウというわけではないが、それでも何でもかんでも相手の思い通りはイヤだった。
「そういうことです。話が早くて助かります」
「たすかんねーよ!主に俺たちが!何が悲しゅうて再び奴隷になんなきゃいけねえんだよ」
アホか!と続けるのは流石に自重した。
だが、言ってやりたい気持ちで一杯だった。勝手ばっかり言ってんじゃねえ。
「ふ、む、だとしたら困りましたねえ。出来たらお願いのほうが良かったんですが、逃亡奴隷を保護したと、グイブナーグに届けましょうか。本当のことですし」
「お前そういうこと言うか」
脅しだ。
優男レオン。ただ者では無いとは思ったが、やはりただ優しいだけでは無いって事か。
……そんなイメージは言われる1分前辺りで崩れていたが。
「ま、それは冗談として。ここは交渉といきましょう。私としては、この件に協力してくれれば、一人、これくらい報償を出しましょう」
と言って、指を三本立てるレオン。
……3?
3というのが銅貨なのか銀貨なのか金貨なのかで、かなり違う。あと、単位。
少し考える。金貨3枚だとする。
金貨3枚は、つまり銅貨3万枚であって、俺たち冒険者の中では相当な金額だ。
おおよそ一日過ごせば銅貨50枚ぐらいかかるので、上手く食いつなげば2年ぐらい保つ。詰まる話それは、大金だと言って良い。
だが、奴隷。
また、奴隷。
それは心底イヤだった。
しかも自分からなるなどとは。ついでに言うと、きっとアイラもパルミラもイヤだと言うだろう。
それに逃げ出す前までの奴隷の場合は、売られる前であっただけに精々荷物扱い程度だったが、そのグイブナーグとかいうおっさんの前だと下手したらイキナリ襲われかねない。自分の容姿については、不本意ながら自信がある。
つまり、完全に女奴隷として扱われる。それは本当にイヤだった。
「いやだ」
俺はきっぱりと首を振った。
「じゃあ、これだけ」
そうすると、レオンの指が一つ増えた。4万。2年と少しいける。でも。
「いやだと言ったらイヤだ」
首を振ってそっぽを向く。
……なんとなく、今の俺、女の子っぽいな。
「はあ、じゃあ、これだけ。もう、これ以上は出せませんよ?」
ついに指は5本になった。ちらっとそれを見る。
5万。3年いける。というか5万あったら、いろんなものが買える。冒険者時代に我慢していた、新しい剣、新しい鎧―――
くっ、駄目だ。
ついつい夢が広がってしまう自分自身を叱咤して、俺は首を振った。
「断る!金の問題じゃないんだよ!」
後ろ髪引かれる思いを感じながら、それでも俺はキッパリと言ってやった。
そうすると、レオンは心底がっかりした顔になり、自分の手のひらを見ながら、ぽつりと言った。
「そうですか……50でも」
がたっ
「50?!」
そのつぶやきにベッドから落ちそうになるほどの衝撃を受けながら、俺は問い返す。
「ええ、50ですが」
50?!はぁ?
50万て、ええと、30年いけ……いや、もう、そういう換算も馬鹿馬鹿しい。
50万もあったら、冒険者とか止めて別の商売をしてもいい。男に戻る手段などは、魔術師でも雇えばいけるんじゃないだろうか。
しかも、こいつは一人、と言った。
もし3人仲良く暮らすとしたら、150万!
「仕方ないですね、じゃあ、別の手段を」
「ちょ、ちょっとまって」
待って下さい。
立ち上がろうとするレオンを必死に止める。
それでも少し葛藤が残る。でも50万。
これから冒険者しても、多分その1割もまとまって拝めない金額。もちろん心底運が良かったら手にする可能性はあるだろう。
ただし、ほぼ無い、と言って良いほどの確率ではある。
悩む。
「どうしましたか?」
浮かしかけた腰を再び椅子に下ろすレオン。これでニヤニヤでも笑っていたら、俺は断ったかもしれない。
内心どうかはわからないが、首をかしげて俺を見る。ああ、腹立つ。
「わかったよっ!受けるよ!奴隷にでもなんでもなってやらぁ!」
吐き捨てるように、俺はレオンにそう言った。血を吐きそうだった。
「それは何より」
やはりレオンは嫌みでもなんでもない顔で、にっこりと笑った。
なんかちょっとキャラがブレてきた気もします。