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67話 積層する記憶

 私は、独りぼっちでした。


 良く言う戦災孤児という、それです。


 生まれたところはもうわからないけれど、でも、物心ついたとき、真っ黒焦げになった両親の前で泣いていたのは覚えています。

 ですので、両親の顔も知りません。もしかしたら、その黒焦げのものは、両親じゃ無かったかも知れません。とにかく戦争があって、私はどうやらそれで全てを失ったようでした。


 それから、私がどうやって生きたのか、実のところ断片的にしかよく覚えていません。

 なぜかというと、殆どが暗いところで生きていたからです。


 それは、多分どこかの地下で、そして私は奴隷でした。

 昼となく、夜となく、私は、或いは私達は働きました。

 言われるままに、その地下で何かを拾い集め、渡す。そうすると、ご飯がもらえる。そういう暮らしだったと思います。


 ですので、私の世界はその暗い地下が全てで、それ以外を知りません。それはある意味、幸運なことでもありました。


 もし、それ以外の世界を知っているならば、私はきっと堪えられなかったでしょうから。知らないことは、幸せなことなのです。

 ただ、そこでは考えることも無くて、今思えば、生きているのか、死んでいるのか、それとも私は人間なのか、それすらも曖昧でした。


 そんな世界から私を連れ出してくれたのが、今のご主人様でした。

 きっとそれは、ただの幸運だったのでしょう。たまたまだったのだと思います。

 でも、私はその場所から、ご主人様によって連れ出され、そして新しい世界を知る事が出来ました。

 新しい世界、新しい生き方、新しい価値観、それら全ては、ご主人様が私に与えてくれたもの。私の全ては、ご主人様によって与えられました。


 だから、私の全てはご主人様のものなのです。


 ですから、それから私はあらゆる全てをご主人様に捧げるようにしました。

 ご主人様が望まれる私になろうと、一切の努力を惜しみません。色々ありましたが、そうやってずっと私は生きてきました。

 その生き方に、全く疑問などありません。


 ―――そう、あの人が来るまでは。


 あの人が、ここに来たとき、ご主人様は言いました。私の大切な人だと。

 最初、私は嬉しく思いました。何故なら、それまで心配されるほど女性に興味のなかったご主人様が、大切な人を連れられてきたからです。


 ですが、何故か私の心には、トゲのようなものが刺さります。


 その正体が、わかりません。わかりませんが、あの人がご主人様の事を言うたび、或いは、ご主人様があの人の事を言うたび、心にチクチクと刺さるのです。


 でも、私はその正体を知ろうとはしませんでした。

 本能的に、それが考えてはいけないことだと思ったからです。


 それでも、あの日、あの人がご主人様の為に自分を犠牲にしようとしたとき、私はその正体に気付きました。


 それは、私と一緒だったのです。


 私だってご主人様の為に、その命を捧げたい。私だって出来る。それは難しいことではない。私も出来る。私が―――そうしたかった。


 それは、嫉妬でした。


 好きとか、嫌いとか、愛しているとか、憎いとか、そういうのではないのです。


 私を、ご主人様に捧げること。


 それが私の全てです。私の存在意義の全てです。

 それなのに、あの人は、私よりも先に、それを示してしまった。

 それは私が、そうしたかったのに。それは私の、役目なのに。

 ご主人様の為に生きて、死ぬのは私のものなのに。

 その他の何が奪われてもいい。ご主人様の愛も要らない。

 でも、それだけは、私のモノ。

 誰にも、渡したくなかった。

 ですから。


 私はそれを受け入れたのです。






 ―――一体何だ。


 「ごほっ、ごほっ」


 覚醒した俺は、あの黄金の光に飲まれてから、今この瞬間までに巡った何かの記憶に対して戦慄した。

 ひたすら気持ちが悪かった。吐きそうになり、咳き込む。

 すると、頭上でガシャッと、金属が摩れる音がした。


 「……う?」


 クラクラする頭で、それが何なのか確認する。

 そしてようやく、俺は自分がどうなっているのかを知った。


 俺は、両手首を鎖に繋がれ、吊されていた。上には、あのテトラの心臓が、不気味に蒸気を吹き上げて、脈動している。

 やはり俺は、ここに連れ戻されたのか。先ほど見た記憶といい、俺の中で場面が切り替わりすぎて、まるで夢を見ているような気分になる。それも飛び切りの悪夢だ。


 足は辛うじて地面に着いているものの、手首についた鎖がギリギリすぎて、一歩もそこを動く事が出来ない。

 それでもなんとかしようと藻掻いてみるが、鎖は固く、解けそうも無いことは、直ぐにわかった。大体がこうして拘束している時点で、藻掻いた程度で外れるわけも無い。


 「くそ……」


 「やあ、気付いたんだね」


 毒突くと、それに対して返答があった。その声の主が誰なのかわかっていながらも、その声の主に目を向ける。

 そこには、床に胡座をかいて座り込むルシアンの姿があった。それから、ぼーっとした様子で、その横に立つアーリィ……マドックスの姿は無い。


 「早いお帰りだったね」


 「無理矢理つれてきといて、何言ってやがる……」


 相変わらず飄々としたルシアンを睨み付け、俺はギリッと奥歯を鳴らした。

 俺を掠ったのは、アーリィ……というか、テトラなのだろうが、その裏で手を引いていたのはルシアンなのだろう。


 結局、一番の黒幕はこいつなのだ。


 アーリィは、先ほどの邪悪な顔も無く、さりとて何時もの凜々しい顔つきでも無い、まるで魂が抜けたかのような顔で、ゆらゆらと揺れながら立ちつくしている。それはそれで異様だった。


 テトラは、何処へ行ったのだろう。まだ、アーリィの中に居るのだろうか。


 「アーリィをどうしたんだ……」


 「どうもしないよ。僕は、彼女については何もしていない。テトラが勝手にやったことだしね。ああでも、君をそうやって拘束したのは僕だけど」


 「……お前はもう少し、紳士的な人間だと思っていたけどな」


 「だって、そうしないと君は逃げてしまうじゃないか。だからこれは僕の本意ではないけど、仕方ない事だと思って欲しいな」


 皮肉で返すと、まるでそれは俺が悪いとでもいうようにルシアンは、あきれ顔で首を横に振った。その様に、イライラが募る。


 とはいえ、何もすることが出来ない。

 魔法が行使できないか、先ほどから目をこらしているが、青い炎が灯らない。

 さっきの黒い靄のせいなのだろうか。それとも、他の何かがそれを邪魔しているのだろうか。


 「アーリィ!おい!アーリィ!」


 様子はおかしいが、唯一の頼みに俺は声をかける。

 先ほどは明らかに操られていたものの、少なくとも今はそうじゃ無いようだ。正気に戻ってくれることを祈って、その名前を呼ぶ。


 「無駄だよ。彼女は、テトラを受け入れてしまった。そのテトラはアレに戻ったけど、もう彼女は壊れちゃったんだ。普通の人間だったら、あれには堪えられない。ここにあるのは、抜け殻だよ」


 予想はしていたが、認めたくない事を、ルシアンはあっさりと暴露した。

 唇を噛む。


 アーリィ……ここまで、あれほどまでに凄絶に生きてきたのに。それがこんなにもあっさりと、壊れてしまうのか。


 さっき見た追憶が、俺の中に残っている。

 なぜそれを、俺が見る事になったのかはわからない。でも、それは明らかに、アーリィの記憶に他ならなかった。


 俺と同じように戦争で失い、そして奴隷として生きて……レオンの為に生きた。

 その考え方は、殆ど狂気にも似たそれであったけれど、でもそれが彼女の生き様だった。全ての人間がそうであるように、積層する記憶が、経験が、彼女をそのような人生にした。それはどんなに歪もうと、否定できない。


 でも、それはもう、ここには無い。


 俺の頭の中に刻まれているだけで、最早無くなってしまった。失われた。


 どくん


 そこまで考えた時、さっき見た記憶が、奔流のように俺の頭の中に揺り戻ってきた。


 『私はご主人様のもの』

 『あの人が、こなければ』

 『それは嫉妬で』


 それは、壊れてしまった者の記憶。持ち主を失った、思い出。


 「う、ああ、うああああああっ!」


 俺は突き上げてくる感情のままに、絶叫した。

 意味もわからずここにある、最早戻る事も無い、記憶、経験、生き様。


 それが今や彼女の中からは消滅して、何も無い。

 これからも当たり前のように積み重なっていくはずだったそれは、永遠に失われてしまった。


 「ああっ!あああ!あああ!」


 涙が溢れて止まらない。

 思ってはいけない。考えてはいけない。死んだものの、生き様などは。

 それは、傭兵として戦う中、俺が出した結論だった。そうでなければ心が堪えられない。


 なのに、俺がそうしたわけではないけれど、最早死んだに等しいその記憶が、頭の中にはっきりと残っている。

 だからこそ、俺の感情は焼き切れそうだった。


 アーリィの中にあった何十年もの記憶。それがもう存在しないという事実。

 そこから生まれた感情は、恐怖に他ならなかった。


 怖い。怖い。怖い。


 俺も、こうして失われるのか。何も無くなってしまうのか。

 アーリィも、『クリス』も、こうやって無くなってしまったのか。


 「うぐ、あ、あ」


 そんなことは無い。そうじゃない。違う。

 砕けそうになる恐怖の中、必死になって自分を取り戻すように、根拠も無く心の中で何度も否定の言葉を繰り返す。


 考えるな。考えてはいけない。


 「はー、はー……」


 何度も深呼吸を繰り返す。

 大丈夫。何でも無い。

 少しだけ、落ち着いてきた。


 「面白い反応をするね。君は。別段、人が死ぬのを初めて見たわけじゃないだろう?」


 流れた涙や涎を拭うことも出来ないまま、俺はルシアンを力なく睨んだ。

 言ったところで、わからないだろう。理解も出来ないはずだ。

 今の恐怖は、自分が死ぬにも等しかった。


 「……記憶が、あんだよ」


 それでも、ぽつりと俺はそれだけを伝えた。

 理解されないだろうが、今の狂態の言い訳を何となく言っておきたかったからだ。


 「なるほどね」


 すると、ルシアンは意外にも得心がいったかのような顔で、そう頷いた。

 余りにも意外なその言葉にルシアンを見ると、ルシアンはその場から悠然と立ち上がって膝をパンパンと叩いた。


 「何がわかったっていうんだよ……!」


 わかったというなら、それはそれで腹が立った。

 わかるわけが無い。理解出来るはずも無い。だから、軽々しく利いた風の口をきかれるのも癪に障った。


 「いや、つまりね。どうやら君は、他人の記憶を写し取る能力があるみたいだって事だよ。まあ、前からそうだろうとは思っていたけど、今ので裏が取れた」


 だが、ルシアンの「わかった」はどうやら別の事だったようだ。

 一人、得心がいったように、腕を組んで俺を見る。


 ……言われれば、確かにそうなのかもしれない。

 ただ、アーリィの記憶が見えたからといって、それが『能力』とまで言われるのも、飛躍しすぎなような気がする。


 「……だったらどうした」


 だから、俺はつっけんどんにそう返した。正直、今そうした話をしてくるルシアンの目的が、俺にはさっぱり見えなかった。

 そんな訝しむ俺に、ルシアンはふっと笑い、そして言った。


 「うん、だからやっぱり君は、沼男なんだよ」

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