64話 禁忌
目が覚めると、そこは白い世界だった。
いや、白い建物の中だった。
少なくとも、レオン屋敷の俺の部屋では無い。
俺は一応、ベッドで寝ていて、そして横を向いて、そこにその姿が無いことを確認する。
そこには、レオンも居なくて、そして椅子もない。
何とも言えない気分になる。
起きがけではあるが、しっかりと感覚や、記憶は戻ってきている。あの後、どうなったかはよくわからないが、きっとアルクによって俺たちは、あの場所から連れ出されたのだろう。
そうでなければ、こんな場所で目覚めるわけがないと思う。きっとより悲惨だっただろうし、ひょっとすると、もう目覚めなかったかもしれない。
そう思えば、多分、まだマシなのだと思う。
ただ、ここにはレオンが居ない。その痕跡も無い。
正直、何が正しくて、何が間違っているのか、全くわからない。
ルシアンは悪なのかと問われれば、わからない。悪なのだとした場合、その目的を同じくすると言うレオンは悪なのか。それもわからない。それに対抗していると思われたアルクは、正しいのか。それも、さっぱりだ。
何と何が繋がっていて、どのように俺に関係しているのか。
そして俺はどうしたらいいのか。
今は、なにもわからない。
レオン。もう、教えてくれても良いんじゃ無いのか。
もし、レオンが正しくて、間違ったことをしていないのであれば、教えてくれても良いんじゃ無いのか。そうしないのは、何なんだろう。心にやましいことがあるからなのか。
いや―――もう、正しくなくてもいい。間違っていてもいい。やましくてもいい。
だから、レオン。頼むよ。
俺に、お前を教えてくれよ。
「やあ、起きたみたいだね」
そう思ってたからこそ、部屋の扉を開けて声を掛けてきた存在がアルクである事に、俺は酷く不満を持った。
それは完全に顔に出ていたのだろう。途端にアルクの顔が、しょげたものになる。
「そこまでがっかりした顔しなくてもいいじゃないか……、電撃の事は謝るからさ。機嫌直してくれないかな」
「マスター、そんなことをしたのですか?」
よくわからないことを言いながら謝るアルク。
いや、謝られてもなぁ、と思う間もなく、続いて入ってきた懐かしい人物が、じとっとした目でアルクを睨む。
パッツィさん。一緒に来てたのか。
それはビレルワンディ冒険者ギルドの職員。パッツィさんだった。
というか、この二人がここに居て、あのギルドは今どうやって運営しているんだろう。
「取りあえずこちらを」
パッツィさんが、白い簡易なローブのようなものを手に、俺に近付く。
よくわからないが、着ろということなんだろうか。ベッドから半身を起こす。
「ああ……って、なんで?」
起こした瞬間、駆けられた毛布がずるりと落ち、そして初めて気付いた。
俺は、裸だった。少なくとも、上半身には何も着けていない。手で確認したが、下は辛うじてパンツぐらいは履いていた。
「大丈夫、私が脱がした」
慌てる俺にパッツィさんがそっとローブをかけてくれる。
そうこうしてたら、グラスを乗せたお盆を持ったパルミラが、部屋に入るなり、そう言った。……いや、そうじゃなくてだな。
「クリスはもう少し恥じらいを持つべき……はい」
釈然としないまま、差し出された盆から、グラスを取る。中には普通に水が入っていて、俺は有り難くそれを飲んだ。
「……ふう、ありがとな。というか、パルミラも無事だったのか」
「うん。クリスは気絶してたけど、あの後、アルクの魔法で二人とも脱出できた」
「そういえば、電撃ってなんだったんだよ」
気絶という言葉を聞いて思い出す。
あの時、転移と同時詠唱していたのが、電撃の魔法だということを。そしてそれを、アルクは俺に使った。あれは、一体、何の真似だったのか。
アルクを見る。
いや、それだけじゃない。こいつには、色んな事を聞かなければならない。
「うん。実はね。君の身体は、意識がある間は、全ての魔法が殆ど効かないようになってるんだねぇ。だから、転移させる前に、電撃で眠って貰ったんだね。いや、余裕かましてたけど、結構危なかったんだ。あの電撃で君が気絶しなかったら、君だけ置いて逃げてたところだったよ」
いや、良かった、などと自分だけ納得するような事を言って、笑うアルク。割と洒落にならない事を言っている気がする。
「っていうか、ちょっと待て。俺の身体って、魔法が効かないのか?というか、なんでお前がそんなことを知ってる?」
おかしな話だった。
魔法が効かないなどという話は、俺にしても全くの初耳だった。そんな話を、なぜこいつは知っているのか。
「ああ、そうか。そこからか……まあ、この話は、僕の口から語って良いのかな?わからないけど、とりあえず食堂の方へ行こうか。この際だから、全員に知って貰った方が良いだろうし、ね。補足される部分も多いはずだから」
いよいよ不穏な事を言って、アルクはさっさと部屋を出て行った。
「じゃあ、着替えましょうか」
「あ、ああ」
パッツィさんが、改めて近くに置いた籠を俺に差し出してくる。中に入っているのは、服だ。ドレスとか、そういうのではない。あのドレスは何処に行ったんだろう。
「あ……」
食道だとかいう扉を開いた向こうには、見知った顔が何人か並んでいた。
アルクは当然として、レグナム。アイリン。そして、アイラ。レグナムはともかく、なぜ、アイリンやアイラまでここに居るのだろう。
そしてレオンは……いない。
「お姉様」
所帯なさげな感じに椅子に座っていたアイラが、俺を見た途端立ち上がって、こちらに駆けてきた。
メイド服のままだが、館の仕事はどうしたんだろう。
「アイラ、なんでここに?」
「よくわかんないんですけど、アイリンさんに連れてこられて……」
何か意味があるのかと思ったら、意外にも、本人はわけがわかっていなかった。そうすると、アイリンは何なのだろう。
少しぶすっとした顔で椅子に座っている。
「アイリンはなんでここに居るんだよ」
「だって私の家だもん」
割と、それは衝撃的な話だった。
今、寝室からここまで歩く間に、それなりの家だってことはわかった。勿論、レオンの館とかと比較するのは野暮にしても。
そして、ここは帝都の塀の中。案外アイリン。特権階級なのかもしれない。
「結構、魔法士なんてそんなものよ。数少ないワケだし、他国に出て行かれても困るしね。魔法士ってだけで、家もらって塀の中なの」
思わず聞いたら、あっさりと真相を教えてくれた。この辺りは、そういう魔法士の住む区画なのだとも。
しかしそれはわかったが、そのアイリンの家に、なぜ俺たちは大集合なのかという疑問もある。集まった面子的に、不思議な会合でもあった。
とはいえ、とにかく促されて俺も椅子に座る。そうすると、アイラが甲斐甲斐しくお茶を入れて回った。メイドの本領発揮だが、家主のはずのアイリンは座りっぱなしだった。
ひょっとしてアイラはこの為に呼ばれたんだろうか。
「さて」
さて。
全員が座ったところで、アルクが全員を見回す。俺、アイラ、パルミラ、レグナム、アイリン。その順番に、視線を巡らせた。そういえば、パッツィさんが居ない。さっきは間違いなく居たはずなのに。
「レグナム、甘い物出してよ」
「仕方ないですね」
アルクに言われたレグナムは、素直に懐から黒く長細い箱を出した。
その箱を開けて、中身を一つずつ、全員に回していく。正体はチョコレートのようなものだった。真っ黒いケーキのようでもある。
「いや、そうじゃないだろ。真面目な話があるんじゃなかったのか?」
ついその行動があまりにナチュラルだったので、ツッコむのが遅れた。
そして気付く。なんかこのノリ。どこかで……。
チョコを頬張るアイリンと目が合う。
ああ、あれだ。テラベランのアイリンと同じノリだ……。
「……アレだろ。アイリンの師匠って、アルクなんだな?」
脈絡も無く、俺はふと突然合点がいった事を口にした。
そう思えば、様々なことに説明がついてしまう。
少なくともこの場で、何故アイリンの家なのか。そしてアルクは何故ここを選んだのか。そのあたりがはっきりする。
「ご明察。よくわかったね」
「お前らノリが一緒なんだよ」
「何か、私ショックかも……」
何故かそれにショックを受けたアイリンが言うには、テラベランから第一小隊に同行して早く進発したあと、ビレルワンディで師匠であるアルクに会ったそうだ。
そこで、更に先行して要塞で俺たちを待ち構えていたらしい。
「まあ、僕とアイリンが師弟なのは、とりあえず置いとこうか。聞きたいのは、僕がなぜ、クリスの事を知っているのか。だったよね。そこから、話そうか」
急に本題に戻ったアルクのその台詞に、一気に場の雰囲気が緊迫する。主に、アルクとレグナム以外が。
レグナムは今のところ、殆ど口を開いていないが、もしかすると既におおよその事は知っているのかも知れない。
「じゃあ、話そう。この―――物語を」
そうアルクはもったいつけて、一つ咳払いをし、朗々と語り始めた。
「―――昔々あるところに、将来を嘱望させる奇蹟ともいえる六応門の適性を持った女の子が居ました。名前を、クリスティーン・ルエル・フェルミランと言いました。通称『クリス』です。この六応門適性は本当に凄く、歴史上一度も発現をみた例が無いぐらいです。それを知った、周囲のものは、本人の戸惑いはよそに、狂喜乱舞しました」
なんで童話風味なんだよ。
とは思ったが、アルクなりのわかりやすい説明なのかも知れない。
この辺りは俺の夢の記憶と同じで、確かにわかりやすい気もしたので、黙って聞くことにする。
「ですが、クリスは確かに奇蹟の適性を持っていましたが、魔法を使うことが出来なかったのです―――魔法を理解する適性はあったものの、行使する適性が無かった、というべきかな。井戸に水があることはわかる。でもくみ出す手段が無い。こんな感じかな。例え話はすこし苦手でね―――まあ、とにかく、それがわかると、みんな大層がっかりしました」
「その物語口調、最後までやるんだ」
つい、ツッコミをいれてしまう俺。
「そうでないと、案外凄惨な話だしね」
フッと笑って答えるアルク。そう言われると、返す言葉も無い。
確かに、そうなのかもしれない。夢の中の『クリス』の苦悩と慟哭に充ち満ちた、あの記憶が思い出される。
他人の気持ちなど、全てはわかってやれない。
ただ、俺と『クリス』の間では、かなりの部分を理解することが出来る。伝える言葉は何時だって不完全。それを介す事無く見る事が出来た俺は、殆ど経験を共有しているに等しい。
そして確かにそれは、凄惨だった。
脳裏に焼き付く、『クリス』の苦悩。絶望。欲求。それは最早俺の経験として、この胸の中にある。
それを思い、ギリっと奥歯を噛みしめる。
「おおよそ彼女を取り巻くみんなが、彼女を見放した頃、彼女に一人の悪魔がささやくのでした。人間でなくなったら、魔法が使えるよ、と。彼女はどうしても魔法が使いたかったのです。それは、みんなを見返すため。そして大切な人に会うため。彼女は、悪魔に聞きました。貴方の名前はなんですか?悪魔は答えます。私の名前はアルクツール・バンベルクだ、と」
え?
童話口調で語られるその最後に、アルクは、余りにも思いがけない台詞を吐いた。
その口調があまりにも淡々としていて、そして仄仄しかったので、突然出てきた名前に思考が一瞬止まった。
「……なっ!?」
俺は椅子を蹴って立ち上り、アルクを見る。
同時にパルミラ。剣の柄に手を当てている。一瞬遅れて、アイラも。アイリンは、呆然とした顔でアルクを見ている。そんな話は、聞いていなかったのだろう。
落ち着いているのは、当のアルクと、レグナムだけだった。
アルクは、その猜疑の視線の中、ティーカップに目を落とし、淡々と続けた。
「……当時、魔導院院長だったその悪魔は、一つの研究をしていました。降魔石です。知っての通り、降魔石は命そのものを使用して作られます。そして魔法の発動媒体として加工されます。この『命』は、通常、モンスターや、或いは動物、植物などから抽出されますが、この場合、何でも良いというわけではなく、何らかの応門に適性があるとされるモノが対象となりました。応門適性とは、別に人間だけが持っているわけではありません。知恵は、ある意味必要ないのです。ただ、適応する応門の数だけが、重要でした」
がちゃん。
己の師匠を信じられないような目で見ていたアイリンが、アルクの話をそこまで聞いたとき、激しく動揺したように自分の目の前のティーカップを倒した。
ワナワナと、震えている。同じ魔法士の彼女は、何かがわかったのだろう。口元から何かボソボソと言葉が漏れている。
まさか。そんな。
そういう言葉だ。
「だから、悪魔はこう考えました。それなら、複数の応門を持つ、人間の命を使ったらどうなるのだろうと」
そう言った時のアルクの目は、どこにも感情を窺うことが出来ないような瞳の色をしていた。
死んだ人間の目に近いが、それよりも深く、暗い。
全身が総毛立つのがわかる。
確かに悪魔がこの世に存在するのであれば、そういう目なのだろうと俺は思った。
アイラも、パルミラも、同じだったのだろう。アイラなどは小さく悲鳴を上げて、後ずさる。顔は真っ青になり、今にも気絶しそうだった。
以前、降魔石が命を使っていると教えてくれたのは、誰だっただろう。アルクだったか……いや、レグナムだ。
確かその時、俺は、ふと不安になった。命を使って降魔石を作るという行為は、命を奪うことを目的にするように感じる、と。だとしたら、最終的に人間の命だったらどうなるのだろうと考えても、おかしくはないような気がする。
ただ、その考えは、吐き気がするほどにグロテスクで、直感的にも、禁忌なのだろうということがわかる。
人の命を、使う。
たったそれだけの言葉が、余りにも気持ち悪かった。
「初めは、単なる好奇心でした。考えるだけなら、大した話ではないわけで。ただ、研究が進んでみると、意識を残したまま、降魔石化出来ることがわかりました。この場合は、どうなのでしょう。倫理的に言っても、別に命は奪っていないと言えるのではないでしょうか。それに、今、目の前にそれを望んでいる存在が居る。降魔石化すればきっと魔法も使えるようになるでしょう。それでも、悪魔は悩みました。それが正しいかどうか、判断できなかったからです」
長くなってしまったので、一端切ります。




