54話 新たな記憶
私は、魔法を使えない。
それが、最終的に私が私に下した、結論だった。
当初六応門全てに適性を持つと判定し、狂喜に染まり私を煽て、褒めそやした者達も、やがてそれが一向に発現しないのをみるや、戸惑い、そして一転して私を攻撃しはじめた。
それは、仕方ないことだったのかもしれない。
芽吹きさえすれば大きな恵みを与えるはずの奇蹟の種は、芽吹かない。
金の卵を産む鶏だとわかっているのに、産まない。
私はそういう存在だった。大人達は、余程の思いで歯噛みしたに違いない。
簡単に言って、魔法の適性と、そして魔法が使えるかどうかという話は、別だ。
確かに魔法の適性を―――応門を―――確認できさえすれば、魔法が使えるようになる。そこの間に挟まる行程は多岐に渡るものの、大体は最後には使えるようになるのだ。殆どの場合は。
そう、殆どの場合は。
だけど、今の言葉が示すように、希に適性を持っているにも関わらず、何時までも魔法が発現出来ないものも居る。
私が、そうだった。
理由はわからない。魔導院のどの人に師事し、あらゆる方法で教示を受けてなお、私の魔法は一向に発現することはなかった。
こうした場合、それはそれで本人の魔法発動に関する適性が無かったと結論され、そのまま話は終わる。本人は、また市井へと戻っていくことになる。
でも、私はそうされなかった。何しろ、六応門全てに適性などという、殆ど有り得ない前提を持っている。一部の大人は諦めきれなかったし、そして残りの大多数の大人は、そんな私が市井に戻る危険性を叫んだ。
一向に発現しなくても、何時かは発現するかもしれない。
そしてそうなったとき、もし私が他の国にでも居たら。或いは、他の国に浚われでもしたら。
それが、彼らの主張する、危険性だった。
その為、私は魔導院に閉じ込められた。最早、魔法発動を期待されるわけでも無く、でもその発現を恐れられ、私は監禁されたも同然だった。
私が、一体何をしたというのだろう。
私の中にあった適性は、別に私が作ったものではなくて、最初からそこにあった。
私には、関係ない。
その適性を調べたのは、両親の多分、何と無い気持ちであって、自分が望んだわけじゃ無い。
私には、関係ない。
その結果、適性を視て、そして期待する大人達。
私には、関係ない。
そして、それが発現しないことに怒り、怒鳴り散らす人々。
私には、関係ない。
私には、関係ない。
私には、関係がない。
それでも、それが発現しないことは、私ががんばれないことが悪いんだって、最初は私自身を責めた。周囲の期待に応えられない自分が悪いと。
あの時から、私に会いに来てくれなくなった、兄様。
兄様が来てくれないのは、きっと私が頑張れないからなんだ。
金の卵を産まない、鶏は、どうなってしまうのか。
それでも私を、諦めないでみてくれていた、その人が最後に出した結論は、それだった。
その人は言った。魔法を使えるようにしてやろうと。
ただ、それだけを言った。
私は、その提言に飛びついた。
魔法さえ使えれば、みんな認めてくれる。ここから出ることが出来る―――兄様にも、会える。
そして、私はあれほどに渇望した魔法を手に入れた。
人間でなくなることを、引き替えにして。
目が覚めた。
微睡む意識を覚醒させていく。聴覚が、嗅覚が戻る。そして視覚。目を開く。
何度か目を瞬かせた。
―――俺は。
最初に思ったのは、何故自分が生きているのか、という疑問では無かった。
俺が、俺でいることの、確認だった。目が覚めた以上は、そのほうが余程重要だった。
どうやら俺は、俺のままらしい。
目覚めた場所は、お屋敷の、俺の部屋とされたベッドの上だった。あの後、何があってここに居るのかはさっぱりわからない。ただ、牢屋でない事を考えると、いろいろな意味で大事には至らなかったようだった。
レオンは―――首を横に向ける。そこに俺が頼んでおいた椅子があって、その椅子で―――レオンが寝ていた。その姿に、何とも言えない感情がこみ上がってくる。
レオンが無事であるということ。そして、そこに居るという事実。
じんと、目頭が熱くなるのを感じたが、唇を噛んでそれを堪えた。最近、涙もろくなっている気がしなくも無い。きっと『クリス』の影響なのだろう。
レオンのその寝顔に、俺は安堵のため息をついた。
でも、どうなのだろう。あの時俺は、確実に『クリス』の記憶に飲まれようとしていた。先々は、またその可能性もある。その時、俺はそれに対抗できるのだろうか。
『クリス』といえば、久々に夢を見た。
この夢は、前に見た夢の続きなのだろう。今、それを再び見る事になったのかは、何故なのだろう。『クリス』の意識が、俺を侵食した影響なのだろうか。
新しい夢は、俺にいろいろな事実を告げていた。
『クリス』が魔法を使えなかったと言うこと。その為に、辛い思いをしたということ。兄様―――レオンに会いたがっていたということ。
そして、それを手に入れるために、人間で無くなったということ。
これを思うに、謎が二つ解ける。
まず一つが、些細な話ではあるが、唯一無二たる『クリス』が殆ど有名で無いということ。確か、ギルドマスターのアルクも言っていた。噂でしか聞いたことが無いと。
それは、結局彼女の魔法が顕現しなかったことに理由があるのだろう。
その後、彼女は魔法を手に入れるが、それでもそこまでの経緯をもって、その事実そのものも隠蔽されたのだと予想出来る。
そしてもう一つ。こちらの方が重要だ。
それは、この身体の謎に関してだ。夢では断片でしか知覚できなかったが、どうやらこの『クリス』の身体は、なにかしらの改造を受けたようだ。
改造というのはおよそ人体に対して行うような行為ではない。だが、傷つかない身体。疲れない事実。そしてアイリンすらもわからないと断じた、魔法の発動形態。
それを鑑みた上で、人間ではなくなったと言う『クリス』の言葉を信じるならば、その見に、他力による何らかの行為を受けたのは明白だ。
それは改造と言っても、差し支えは無いだろう。
経緯はともかく、結果、彼女はその宿願であった魔法を、ついに手に入れた。
そして彼女は―――裏切られた。
その間の部分が、今は埋めることが出来ない。
ただ、それがどうも、レオン、そしてルシアンに関係している事であることはわかる。
特に、レオン。
あの時感じた、嫌悪の感情は強烈すぎた。
少なくとも、彼女の中では、レオンが彼女を裏切ったという事になっている。
だが、夢の彼女はそれでもレオンに会いたがった。
とするならば、その後、レオンと彼女の間で何かがあったのだろう。
楡の木の下で、レオンは、彼女に会った事を明言している。ただ、その時の事を詳しくは語っていないことを思い出す。
何が、あったのだろう。
俺は、目の前、軽く寝息を立てるレオンを見る。
その顔からは、何も窺うことが出来ない。
帝国第三王子、レオン・ストロイデル。今、元奴隷で、男女で、人間かどうかですら定かでは無い者の部屋で寝息を立てている彼には、そのような背景など何処にもない。何時もの、レオンだった。
それで良いじゃ無いか。
あの時語られた衝撃の事実も、そしてそこから残った自分の中にある確執も、その寝顔を前にして氷解していく。
ベッドからそっと身を起こし、そして降りる。
自分の身体を確認すると、薄いレースのワンピースだった。案外扇情的に見えなくも無い。そしてそっと胸を撫でた。そこにあるはずの、ナイフの傷は何処にも無い。
ただ、驚きはしない。それ以上に、俺がそもそも生きていることの方が不思議だったから。そして、人間で無いならば、いよいよそれも不思議では無いのだろう。或いは、あのナイフが特殊なのだろうか。
レオンの前、ベッドに腰掛ける。
何時もとは逆だと、俺は思う。眠るレオンをのぞき込むよう、膝に肘を突いて、両手の上に自分の顎を載せた。
目を覚ました時、おはようと言ってやろう。
驚くに、違いない。
俺はそれを想像して、口元に笑みを浮かべた。
期待通り、というか、期待以上に、起きたレオンは驚嘆し、俺は抱き付かれたあげく、もんどり打ってベッドに押し倒された。
そんなこんなで、あの騒動の時とは別の意味で気まずくなってしまったが、嬉しかったのは確かだった。
レオン。その正体は、グレアストロイデル帝国第三王子。レオン・タイレル・ストロイデル。
でも、そのまた正体は、ただのレオン。
そんなレオンは今また、俺に新しい一面を見せている。子供っぽく邪気の無い顔で笑って俺が起きた事を喜んでくれている。
それを見るに、あの時感じた距離をまた詰め戻せた気がした。
一方で、俺はレオンに、夢の内容を話せないでいた。
『クリス』に憑依しているだけの俺はともかく、その人間ではない事実は、むしろレオンに辛そうな気がした。
それから、その経緯、そしてきっとレオンの中で完成してしまうだろう結論が、レオンにどんな心的外傷を与えるのか、想像すら恐ろしい。
聞きたいけど、聞けない。
俺の夢の話を初めてしたあの夜、俺はもし次の夢を見たときは話してやろうなどと、軽く考えていたが、今に至ってみればとても話すような内容ではないことに気付く。
もし人間に云々や、騒乱の夜のことがなければ、話していたかも知れない。
だが、今やその辺りの情報を統合してみると、どうしてもレオンにとってのいい話には繋がりそうに無かった。
仕方ないので、とりあえずそれは保留して違う話を聞く。
レオンが言うには、俺が倒れ、目を覚まさなかったのは五日間。
それはそれで驚いたが、よく考えてみると、こういうパターンが増えてきた気がする。テラベランの屋敷で紋章が発動して気絶した時は翌日。マドックス戦の時の魔法発動のショックで三日。そして今回が五日。
ひょっとして魔法を使うと、気絶する体質なんだろうか。いや、それにしてもグイブナーグの時は、別段そういうことは無かったし、そもそも今回は魔法そのものが発動していない。
ただ、それでも魔法的な何かが関係はしているのだろう。今後は気をつける必要がある。
……それよりも、恐ろしいのは勝手に魔法が発動してしまうことだ。
それは暴走といっても過言では無い。今回それを止められたのは、俺が死んだから……ではなく、今生きてることを考えると、あのナイフが何か鍵を握っているのだろう。多分。
確か、あれはアイリンの師匠とやらが俺にと持たせたものだったはず。もしかすると、その師匠とやらは今回のこの暴走を見越して、俺に持たせたのだろうか……考えすぎか。
何にせよ、一度その師匠に会って話を聞いてみたい気もした。
そして件のナイフは今どこにあるのかというと、何のことは無い。俺の部屋のテーブルの上に置いてあった。
貰ったときは深く考えずに居たが、改めて見るとそれは不思議な拵えのナイフだった。
ぬっぺりとした艶のある黒のナイフ。鞘から抜いてみると、刀身から柄まで一体化していて、何処にも繋ぎが無い。全てが、黒い。それが一体、何の鉱石でもって作られたのかサッパリ分からなかった。鉄では無いことがわかるぐらいだ。
軽く刃先を指で触れてみると、刃は案外なまくらで、刃が普通に肌の上を走ってしまう。
こんな刃で、俺は自分を刺したんだな、と今さらながら自分の咄嗟の行動に戦慄した。
とはいえ、あの時はそうせざるを得なかった。結果として、死ななかったとはいえ、間違った行動はしていないと、俺は思う。そうしなければ、自分はもとより、レオンも、そしてアイラもパルミラも、ついでにアーリィも死んでいたに違いない。
「そういえば」
「どうしました?」
ふと俺は思い出したように、再び椅子に座ったレオンに話を向ける。
「パルミラは、どうした?」
アイラはともかく、あの騒動の中、第三王子たるレオンに剣を向けたパルミラは、今、どうしているのだろう。普通、間違いなく死刑以外に有り得ない行為ではあるが、レオンの事でもあるし、きっとそれはないとは信じたい。
ただ、あの場にはアーリィも居たし、立場的な問題もある。無罪というのもまた、なさそうな気もした。
「パルミラさんは今―――」
レオンが起きた後のシーンを、あっさりと済ませてしまいました。
このシーンを書くには、レオンへ一人称の視点変換をするのが最適なのですが、一人称である以上、あまり視点変換をしたくなかったのです。
外伝として組んだ場合は別ですが、本編では少なくとも『クリス』視点は変更されない予定です。