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52話 転換点

 「つ、つかれた……」


 朝食から昼、昼から午後に入って、その間行われたのは、おおよそ『修行』という名の拷問だったと俺は回想する。

 言葉遣いから始まり、歩き方、礼の仕方。朝食の時は免除されていたのだと悟った昼食における食事の作法。立ち振る舞い。etc。


 それらは、特別な場合などという短期なものに限定したものなどではなく、およそ生活するに当たり当然行うだろう行動全てに及んでいた。


 基本。そういうことらしい。


 大体が、歩き方などという段階で基本も基本だ。そのうち息の仕方とか、そういうのまで習うようになるんじゃないかと冗談のように想像して……割と洒落にならないことに気付いて落ち込んだ。


 修行は主に、アーリィによって行われた。例によって慇懃でありながら有無を言わさぬ断固とした主張により反論を封じられた上で行われる修行は、キツい以外の言葉が出てこない。

 何だかんだでアイラも一緒に参加しているが、どちらかと言えばアイラの方が習得が早かった。屈辱的ではある。

 いやいや、それは当然だ。そもそも俺は男だ。もしこれで俺の方が習得が早かったら、アイラはかなり切ないことになりそうだし、俺は俺でかなり複雑な事になっただろう。


 それにしてもよく考えてみると、先々男に戻ったとき、全力で意味の無いスキルが俺に蓄積されていっている気がしてならない。確かにそのフリをするにあたって、多少はそういうのも覚える必要があるのだろうなぐらいは考えていたが、ここまで本気になって習わなければならないとは全く想像していなかった。

 上流階級における色恋沙汰のフリ。色恋沙汰のフリという話が馬鹿馬鹿しすぎたため、正直俺はナメていたと思う。とんでもない話だった。


 「……もうやめたい……」


 俺の口から本音が零れる。

 その言葉は誰に届くでも無く、秋っぽい高い青空に吸い込まれていく。

 そして、きっとアーリィに見られたら全力で怒られるだろうだらしない格好で、椅子に深くもたれるようにして体勢を崩した。


 今は休憩時間。そのようにアーリィからは言われている。

 館の庭にあるテーブルセットに一人、俺は座っている。

 テーブルにはお茶が置いてあり、そのうちお茶会の修行とかも行なうそうだが、今日は免除ということらしい。この辺の半殺し感が絶妙で、俺が爆発しないように見事にアーリィに俺は制御されていた。恐ろしい女だ。


 昨日今日で思い知ったが、なにしろ彼女は完璧だった。

 メイドとしての立ち振る舞い。言葉。仕事。非の打ち所が無い。その状態で、少なくとも建前上一歩引いた状態を保ちながら、俺に『命令』してくる。言ってみれば影の当主のような状態だ。

 そんな彼女に、お嬢様などと言われ当主としてあつかわれる。それはある種、人形を仕立てるようなものに近い。それでいて、俺にそこまでの不快を感じさせないのだ。


 自分の格好を見る。

 朝、それこそ人形のように着せ替えられた服だった。淡いブルーのプルオーバー。下はスカートではなく、脛丈のパンツ。今思えば修行のためだったのだろう。この格好で午前一杯足の間に板を挟んで歩かされるなどという謎の修行をさせられた。おかげで足はパンパンだった。

 顔は薄化粧。これもアーリィの技だ。

 当たり前だが自分ではさっぱりわからない。髪もきちんとセットされている。

 つまり見た目は完璧になっているはずだ。あとは中身ということになるのだろう。

 これはひょっとすると中身が伴ってしまったら、俺は完全に女になるってことなんだろうか。今さら過ぎる話ではあるが、それはちょっとした恐怖ではあった。本当に俺は男に戻れるのだろうか。


 ……とはいえ、今は泣き言を言っても仕方が無い。

 取りあえず今は耐えて、そして男に戻ろう。その為に、しっかりとそれを頭に刻んでおかなければならない。俺は男だぞ、ということをだ。


 「とはいえなぁ」


 気が滅入る。俺は、何度目かになるため息を大きくついた。


 「あははっ、なんだか随分疲れてるんだね。大丈夫?」


 そう緩みきった時、突然外から声をかけられた。男の声だった。

 俺はハッと意識を持ち直し、その声の主を探る。


 声の主は、庭の端、壁の上に座っていた。壁はそう高いものでは無いが、それでも2メル程度はある。その上に男は腰掛け、興味深そうな笑顔で俺を見下ろしていた。

 歳は20過ぎぐらいだろうか。いまいち若いのだか、歳がいっているのかがわかりにくい。それもそのイタズラっぽい少年のような笑顔によるものだった。そして不躾で、無遠慮な視線。如何にも浅慮そうなその感じが、いよいよその年齢をわかりにくくさせている。


 「誰ですか?」


 俺はさり気なく居住まいを正し、その闖入者を軽く睨め付けながら鋭く誰何した。

 今までのことを考えると、自分でも驚くほどスッと敬語が出た。ひょっとすると、修行の成果なのだろうか。だとしたらちょっと怖い。


 「あっは、ごめんごめん、やっぱり先に名乗るべきだよね!うん。僕の名前はルシアン。キミは?」


 やたらテンション高く半ば自己完結しながら男は名乗り、そして断りも無く壁の上から軽やかに庭に降り立った。


 違う。そうじゃない。

 聞きたいのはお前の名前なんかじゃ無い。壁まであるこの館を堂々と覗いていたお前は何者だと聞いたんだ。


 そんな俺の内心などまったく気付いた様子も無く、庭に降り立った無礼な男―――不本意ながら名前まで知った―――ルシアンは、遠慮など無く俺の前まで来ると、テーブルに手を着いてにこやかな表情のまま俺の顔をのぞき込む。


 近い。一体、なんなんだコイツは。

 貴族的に『無礼者!』といって殴りつけて良いのか。


 「……なんですか?無礼ですね」


 流石に相手が何者かわからないだけに、殴るのは自重した。それでも睨みながら無礼だということは伝える。普通にこの押しが強すぎる感じは不快だった。


 「うん、名前。教えて欲しいなってさ」


 言った言葉は、後半だけ都合良くスルーされた。和やかな顔のまま聞いてくる。

 その押しの強さは不快ではあっても、その表情は、素直に言って人好きのしそうな笑顔だった。それを見ていると何故か引き込まれそうになる。


 「……クリス」


 目を離し、ぼそりと名前を告げる。

 まともに相手をしてはいけない類いの人間である事はわかっていた。

 それでも相手が先に名乗ったこと、それからその不思議な魅力に釣られて、気付いたらつい名前を名乗っていた。何故かはわからない。


 「クリス。見た目通りの可愛らしい名前だね」


 その声は、今までの強い語感のある強引なものではなく、耳に纏わり付くような優しく涼やかなそれだった。


 ぞくり。


 その声が、何故か俺の脳髄を揺さぶった。

 それは、名前を呼ばれたことがそうだったのか。

 それとも可愛いなどと言われたことがそうだったのか。

 それとも。


 言葉自体がそうだったのか。


 わからない。

 ただ、あの首筋に現れるちりっとした感覚を、何倍にもした違和感を感じたのは確かだった。


 無意識にルシアンの方を向く―――目が合った。

 吸い込まれそうなその黒い瞳。

 この目は、どこかで見たことがある。懐かしいような。でも、奪われてしまいそうな。


 自分の動悸が、知らずして高まってくるのがわかる。

 これは何だ。色んな感情が、俺の意思とは関係なく、次々と浮かんでくる。

 焦れる。吸い込まれる。昂ぶる。奪われる。引きはがされる。

 一体誰が?


 目の前。ルシアンの顔が近付く。


 俺が。私が。俺が。私が。俺が。

 俺ががががががががが


 ―――レオン!


 ぱきん


 頭の後ろのほうで、何かがはじけた音がした。


 「ルシアン様!」


 同時に耳に届いたその声に、俺は我に返って、瞬間、体を仰け反らせルシアンから離れる。

 そして自覚するほどに混乱した頭を整理するように何度か目を瞬たかせて、そして声のした方を見た。


 「やあ、アーリィ。何時も綺麗だね」


 先にそこに居た者に声をかけたのは、ルシアンの方だった。それは、先ほどの異様な雰囲気など微塵も感じさせない飄々とした声だった。

 俺は何故か、アーリィからも顔を逸らし、唇を軽く噛んだ。


 今のはなんだったのだろう。上手く表現できない。

 いろいろな感情が俺の中で一度に広がって、俺は酷く揺さぶられた。

 危険―――だったのだろうか。それすらも、よくわからない。

 理解出来ないし、直感的に理解してはいけないような気もする。


 「訪問でしたら、きちんと玄関から来て下さい!」


 「あはは、ごめんな。つい。こっちの方が近いからね」


 「つい、じゃ、ありませんよ。何時もそうでしょう」


 耳に、アーリィとルシアンの遣り取りが響く。

 それは如何にも普通だった。今のは、俺の中だけで起こったものなのだろうかと考える。

 ルシアンは関係している事だったのかどうなのか、判別がし辛い。


 「とにかく、本日は何の用事なのでしょう?ルシアン様」


 「レオンが帰ってきたと聞いてね。顔を見に来たら、見慣れない、もの凄い美少女が居たからね。ちょっと親睦を深めようかと、ね」


 「……お嬢様はレオン様の大切な方ですので。手を出すようであれば、幾らルシアン様でも許しませんよ」


 レオンの名前が出たことで、俺はハッとしてアーリィを見た。

 いや、話の流れを考えれば、出てもおかしくはない。

 ただ、さっき混乱の中、レオンの顔がちらついたことが思い出された。


 その瞬間俺が感じたのは、相反する二つの感情だった。

 それは純粋な願い。欲求。

 ……そして。


 「へぇ、そうだったんだ!レオンがねぇ。全然女には興味無いのかと思ってたけどな。何かちょっと感慨深いなあ。それにしても」


 葛藤の中、ルシアンの手がスッと俺の顔に伸びた。

 完全に油断していた俺の顎に指先が触れる。


 「―――でも、ちょっともったいないよね」


 そうして見下ろすその瞳に、ぞくりとしたものを覚える。その感覚に、思考が一瞬途切れた。

 すぐに理由を考え、俺は衝撃を受ける。


 その感覚が、快感に近いものだったから。


 「~~~~~!!!!!!」


 その瞬間俺は立ち上がり、反射的にルシアンに向かって殴りかかった。


 「っと」


 「お嬢様!」


 その拳は、ルシアンを捕らえられなかった。首を振ったルシアンに、割と余裕で避けられる。

 だから俺はもう一度振りかぶって、そこでアーリィに体ごと止められた。


 「っ!無礼者!」


 先ほど出なかった言葉が、今度こそ俺の口から出る。

 とにかく俺は、何かをルシアンにしなければならなかった。害を為す何かを。

 そうして一刻も早く、この感情を否定しなければ。


 「駄目です!お嬢様!」


 アーリィに止められながらも、俺は藻掻いて、尚もルシアンに掴みかかろうとする。

 その目前で、ルシアンは本当に楽しそうに笑顔を作った。


 「あはっ!クリス。やっぱりレオンにはもったいないかな?僕は凄くキミを気に入っちゃったよ」


 いけしゃあしゃあと、本当に何でもないように、そう言った。

 ―――人好きの良い、笑顔のままで。


 「っ……うっ」


 俺はそれを見て、動きを止める。

 何故だ。何故俺は。


 「兄さん!」


 レオンの声が、幻聴のように響いた。

 その時最も聞きたくて、そして最も聞きたくなかった声が。

 ―――兄さん?


 「ああ、レオン。邪魔してたよ」


 「どういうことなんだ!なぜ、城に居なかったんだ!」


 その声は、激昂するような激しいものだった。

 レオンがそういう声を上げる場合、それは大抵、俺に関わることだった。

 その声は背後から近付いてきて、そして俺とアーリィを追い越し、ルシアンから俺たちを遮るようにして止まった。俺はレオンの背中しか見えない。


 「だって、僕はあんまり関係ないしね。戦争するとかしないとか」


 「そんなわけないだろ、仮にも―――っ!」


 そこで不自然にレオンは声を止めた。

 それは背中越しにも、慌ててそうしたというのがわかるほどの不自然さだった。


 「あれ?レオン。ひょっとしてクリスに、言ってなかったのかい?」


 何を?

 その話の流れで、なぜそこで俺の名前が出るのかわからない。


 「……まあ、いいか。レオンもクリスも怒らせちゃったし、また日を改めるよ。クリス」


 動かなくなってしまったレオンを置いて、ルシアンはレオンを避けてこちらに歩き、そしてすれ違った。


 「僕が誰なのか……いや、レオンが誰なのか、ちゃんと聞いておいたほうがいいよ。んじゃ、まったね」


 最後までルシアンは飄々としたまま、そうした言葉だけを残し、去って行った。

 来たときと同じような、一方的すぎる行動に、俺は戸惑うばかりだ。


 「レオン……?」


 動かないレオンに怖ず怖ずと、俺は声をかけた。

 一体、どんな顔を今、しているのだろう。かなり気になる。なぜ、レオンはそこまで兄?に対して怒ることがあったのか。

 そしてレオンは、誰なのか。それはどういうことなのか、気になることばかりだった。

 レオンは俺の言葉に、大きくため息をついて、そしてようやく俺を振り返った。


 「すいません。見苦しいまねを見せてしまいましたが」


 振り返った顔は、何時ものレオンだった。

 ため息で、表情を吹き替えたのだろうか。

 何となく、俺はそう思った。


 「いや、いいんだが……ええっと、今の、レオンの兄弟だったのか?」


 「不本意ながら……そうです」


 やれやれと、困った顔をするレオン。

 いや、何か違う気がする。レオンの中にある感情は、別な気がする。

 取り繕っているように、俺は見えた。何故そう見えるのか、理屈では上手く説明できない。


 「……とりあえず、色々聞きたい事があると思うのですが、後でちゃんと説明しますので……」


 困った顔のままのレオン。

 そうじゃないだろう?俺たちの間では、そうじゃないだろう?

 はっきり、言ってくれれば良いのに。


 なにをそんなに、恐れてるんだよ。


 「では、後ほど。アーリィ。着替える。手伝ってくれ」


 ……どうしてなんだよ。

 理解は、出来てる。アーリィが居るから、そうしてるのだと。

 じゃあ、二人きりでは、ちゃんと話してくれるのだろうか。いや、俺の感情はそう言ってない。

 今、どうして話してくれないのか。

 それが不安で、不満だった。


 思い返す。

 ルシアンが、俺を見たときちらついたレオンの顔。

 その時俺が感じたもう一つの感情は。


 間違いなく、嫌悪、だった。

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