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48話 帰るべき場所

 翌日、俺たちは帝都に向かう馬車の中に居た。

 素直に言えば、馬車はもうかなりうんざりではあったものの、帝都までの行程は残すところ三日であることを思えば、まだ堪えられるような気がした。


 ただ、それでも俺は少し憂鬱だった。

 馬車の旅が終わると言うことは、同時に、この何でも無い日々が終わることでもある。

 ここまで来るのにあまりにも色々な事があった為に、その話が頭から外れていたが、そもそも俺が帝都に向かう目的は、この親衛隊の目的とは違う。

 親衛隊は、ただ帰還のため。

 俺、もしくはレオンの目的は―――


 「お姉様、往生際が悪いですよ」


 馬車の中でうんうん言ってると、アイラにトドメを刺された。

 うん、わかる。わかってる。

 確かにその通りだし、今の俺はかなり女々しい―――女々しい、か。今の俺には皮肉に過ぎる。


 「いや……だってよ。帝都に着いたら、ほら、フリとはいえ、結婚なんだぞ……」


 呻くように俺は言った。

 何故、俺はこんな事を受けてしまったのか。

 受けてから何度目になるかわからない思考を、ぐるぐると回す。

 よく考えてみれば、何だかんだで帝都に着いてからの段取りを、レオンから聞き出せてないことを思い出す。そう、結婚のフリなのか、婚約のフリなのか……って、そういえば前も全く同じ事で悩んでいたな、俺。酷いデジャヴを感じる。


 つまり、俺はそこを考えるのが嫌で、今までその手の話題を意図的に避けていたワケだ。何しろ、この仕事を受けてから、レオンとは何度も話す機会があったはずなのだが、色々あって結局何も聞けてない。ついでに言うと、俺もかなり頭からその話が消えていた。


 「アイラ、クリスをそっとしておいてあげて。きっとクリスは……アレ……その、マリッジブルー」


 「ああ、そっか……」


 「いやまって、そこは納得するところじゃないからなアイラ。パルミラも上手い事言ったような雰囲気になるなよ」


 大体お前ら、ちょっと前まで俺が女になりつつあるとかなんとか言ってたくせに、今度は全面的に肯定なのか。いい加減にしてほしい。


 「でもお姉様、もうここまできてしまったのですから、もう諦めてどーんと構えておくしかないですよ?もうどうにでもなれー、みたいな」


 「投げっぱなしすぎるだろ……」


 とはいえ、無責任にも程があるアイラのアドバイスらしきものは、それなりに正鵠を得ている。

 わかってはいる。わかってはいるが、わかる事が出来ないだけだ。この場合、理性と感情は別だというべきなのか。


 「でも、逃げるつもりはないんでしょう?だったら、悩んでも仕方ないじゃ無いですか」


 「私もそう思う。クリスがレオン様のお願いを聞いた時点で、詰んでる。諦めて」


 身も蓋もない追い打ちが、良い感じに連続で決まる。

 言い返す言葉も無い。

 なんか、この手の話を二人とすると、何時も必ず俺がやり込められて終わっている気がする。どういうことなんだ……。


 「はー、もういいよ。わかったわかった。なるようになれだ」


 俺はふてくされて、ごろんと長いすに転がった。

 そうすると、ごろごろと転がる馬車の車輪の音が、直に体に伝わってくる。見える窓から空が見えて、雲の様子から馬車が順調に移動しているのがわかる。

 もう何をしても、そのうち帝都に着いてしまう。そして着いたが最後、俺は依頼をこなさなければならない。


 確かにアイラが言うとおり、今さら逃げたり、依頼を止めたりは出来ない。

 想像するに、レオンになんて言えば良いのか全く考えが浮かばないし、もし言ったとしても、或いは逃げたとして、その後レオンがどう思うかなどは、考えたくも無かった。


 確かに、詰んでる。


 嫌で嫌で仕方ないが、そう結論せざるを得なかった。大きくため息を付く。


 「……もう、お姉様。元気出して下さいよ。私達も一生懸命お手伝いしますから」


 「そう、クリスは一人じゃ無い。私達もいる」


 二人の今さらのようなフォローに少しの有り難さを感じつつも、それでも消えない不安に、俺は再びため息をついた。






 俺の意に全く関係なく、俺たちは順調に帝都までの道のりを進む。


 バスラゲイト要塞から一日ほどで山岳地帯は終わりをみせ、景色は再び平地へと戻った。

 平地と言っても、今まで通過した、ビレルワンディ周辺の荒野然したサータイン地方とは違い、かなり緑が多い。

 それに、疎らにも、街道沿いには民家が目立つようになってきた。

 この辺りまでくると、治安の面でかなり違ってくる。なにしろもう帝都のお膝元にあり、流石にモンスターにしろ、盗賊にしろ、この辺りで活動する余地は無い。活動したところで、あっという間に討伐されるのがオチだ。

 そうした関係で、街道の往来も少しずつ増えていく。

 これまで一日に一回すれ違うかどうかだった隊商なども、大きなものから小さなものまで、しょっちゅうすれ違うようになってきた。サーカルナア山系のこちら側、帝国領としての文化圏が全く違うといって良い。


 帝国領土はかなりの広大さを誇るが、あえて分割するとすれば、サーカルナア山脈を隔てて今まで通過してきた北領と、そしてこの南部中核領に分かれる。

 もちろん、中核領も地方領主により分割支配されている関係上、より細かな分類が出来るが、ただそれでも北領だけは別で、帝国領内でありながらその雰囲気が全く違う。

 あえて言えば、南部から見た場合、北領は未開の地のように見られることが多かった。それほどまでに、人口密度や文化が違うのだ。

 それはやはりサーカルナア山脈の存在が大きく、そして領土としては北領が最も歴史が浅いことも関係している。

 現在は小康状態とはいえ、北領は帝国最前線である事は変わりなく、全体的に住民に緊張を強いているという状態にある為だ。


 「なんかこう、賑やかな感じですよね」


 馬車の窓から外を覗きっぱなしのアイラが、そんな感想を漏らす。

 すでに行程は三日目。おそらく夕方にも帝都に着くはずだった。周辺はもう既に帝都近郊といって差し支えない為、民家の数もかなり多く、住民の行き来すらもはっきりとわかるようになってきた。

 馬車の中には、俺とアイラだけ。

 パルミラは、例によって外でレパードと一緒に馬に乗っているはずだ。


 「そういや、アイラはどの辺の出身なんだっけ?」


 よく考えれば、余程はっきりと語られたパルミラの過去に対して、アイラの過去はあっさりし過ぎていて、アイラが結局どこの出身なのかも、よく知らないことに気付く。

 たしか、農村とは言っていたはずなのだが、どこの農村なのかは知らない。そんな状態だった。


 「……実はよくわからないんですよね。私、奴隷に売られるまで、村から出たことありませんでしたし、外のこととか全然知らなくって。でも、売られてからあんな山は越えなかったから、多分北のどこかなんだと思います」


 その答えは、どこか他人事のようにあっさりしていた。だから俺は、以前から聞くべきかどうなのか悩んでいた事を、聞いておく事にした。


 「アイラは……故郷に戻りたいとか、無いか?」


 既に故郷などというものが存在しない俺やパルミラと比べ、それでもアイラには未だ故郷はある。

 パルミラはわからないが、俺でも多少なりとも望郷の念はある。実際、何事も無かったようにアイラを連れてきたし、着いてきてしまった為に、いよいよそんな言葉は今さらでしかなかったが、もしアイラが故郷に帰りたいと願っているのならば、今は無理でも、いつかは帰してやりたい。

 無くなってしまったからこそ、思う。

 帰れる場所があるのであれば、何時かは帰るべきだ。


 「無いですね」


 「まったく?」


 「ええ、全然」


 それに対して、アイラは一分のためらいも無く、笑みさえ浮かべて断言した。


 「だって、あの村はきっと私の生まれた場所でもないはずなんです。私は言ったとおり拾い子でしたし、親の顔も全然知らないんですよね。育った所ではあるんですけど、育ててくれた人たちは、もちろん少しは恩を思ってはいるけど、売られちゃったし、それはそれでもういいかなって思うんですよ。だから故郷って、私にはよくわからないです」


 あっけらかんとした調子で、アイラは言う。

 パルミラの過去も壮絶ではあったが、アイラも十分なほどに、普通では無い過去を持っていると改めて俺は思った。本人は全く気にしてはいなくとも、俺はその話に胸が詰まるような感覚を覚える。


 認識を改める。

 俺やパルミラは、故郷を無くしてしまったが、アイラにはそもそも無くす故郷すらも最初から無い。

 もちろんそういう人間も、少なくとも俺の経験上珍しくは無いし、同情するにもそれはありふれている。ただそれでも、それが普通では無いのは確かだった。


 何時か帰る場所。それは自分がどこに居ても、もし帰れなくとも、心のどこかに拠り所として残る。それを自らの歩みの裏付けのように、振り返って確認することで、安心することが出来るから。

 俺は、それを無くしてしまったことによって、否応なしに自覚し、諦め、覚悟しながら前に進むしかないことを理解している。それでも何時か、あの海の向こうに戻るのかもしれないと、思い、想いながらだ。例えそこに、何も無いとしても。


 でも、アイラには、それすらも無い。


 「お姉様」


 無言になってしまった俺を気遣うように、アイラは笑顔のまま続けた。


 「私はあの日まで、なんにも考えずに生きてきました。何にも無くって、自分の意思もなくって、自由も無い。そんなだから、考える必要が無かったんです。私は何で、生きているんだろう。私はなぜ、この世界に生まれたんだろう。空っぽで、意味がなくって、価値もない私は、どうしてここに居るんだろうって、思ってました。当然、そんなのわかりっこないから、考えないようにしてました。辛いんです。考えると。考えない方が、全然楽です。苦しくないです」


 アイラは窓の外を見ながら、にこにこ笑って歌うように言葉を紡ぐ。

 それが何でも無いようなことのように。

 当然のように。


 「でも、お姉様、私を助けてくれたじゃ無いですか。価値が無い私を、必死になって生かそうとしてくれたじゃないですか。私には価値があって、その命にも意味があるって、教えてくれたじゃ無いですか。だから、私は考えるようになりました。自分の事、これからのこと、生きること、たくさんのこと。もし―――」


 言葉を切って、そして初めて俺を見た。真っ直ぐに、俺の目を見据えて。


 「―――考えることが、生きることなんだっていうのなら、私はあの時生まれたんです。だから、私の故郷はここです。ここにあるんです。だから」


 そのまま、アイラは深々と頭を俺に下げて、


 「―――一緒にいさせてください。お願いします」


 そう言った。


 それは静かであっても、絶叫にも似た懇望だった。

 その姿に、俺は唐突に理解した。


 何時も、何でも無いように振る舞うアイラ。

 それは、恐れからくるものだったのかもしれない。

 もし、それが拒絶されてしまったならば。想う気持ちが、理解されなかったならば。

 心から想い、思う気持ちを隠して、拒絶されることを恐れ、そして自分を守り、果てしなく相手を気遣う。だからこそ、自分の事は何でも無いふうを装う。

 傷ついてしまわないように、傷つけてしまわないように。

 それがもし、拒絶されたとしても、想い思いが、途切れてしまわないように―――笑って、話すのだ。


 だからこそ、今、頭を下げはっきりと言う言葉が、どれほどのものなのかが、よくわかる。

 思い返せば、一度、アイラは俺にそんな想いをぶつけてきた事がある。

 それは、初めてあった、あの奴隷の馬車の中で。

 その時、もし、俺がその気持ちを拒絶していたなら。

 もし、聞かなかったならば。

 今、アイラはこうしていないだろう。


 「わかった。アイラ、一緒に行こう」


 俺は正面から、アイラの頭を胸に抱いた。

 それは優しい嘘に近い。

 何時か、別れる時がきっとくるだろう。ずっと一緒には居られない。それが早いか、遅いかの違いがあるだけで。

 それでも今、俺はアイラを拒絶しない。先の事など、どうでもいい。

 無責任だと誹られてでも、今、そういってやることが大切なのだ。


 以前であれば、俺はそうしなかっただろう。

 何時だって俺は、責任を問うた。間違っているかいないかを何時でも気にした。後悔を恐れた。


 間違っているかもしれない。後悔するかもしれない。

 それでも。

 それでも―――今はこれが正しい。


 震えるアイラを抑えるように、俺は抱きしめる両手に少しだけ力を込めた。

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