45話 病室にて
日が暮れて、夜の帳が落ちようとする町中。俺はトボトボと、道を歩いている。
本当は、日が落ちる前に家に帰らなければならなかった。そういう約束だったはずだった。
だが、俺は時間を忘れて遊び、そして、約束を破った。その後ろめたさが、俺の足を鈍らせる。
町の家々には明かりが灯り、もうとっくに家に居なければならない時間だと、俺に告げている。まだ大丈夫と強がってみても、既に太陽は没し、夕焼けは藍色に取って代わって、遠く山々を黒く染めている。
不安だった。暗い夜道が、それを煽る。
帰ったら怒られるのだろうか。叱られてしまうだろうか。
そんなことばかりを考えて、家路を歩く。
ああ、俺は、怒られた。
帰った先には母が居て、俺は酷く叱られたんだ。母に叩かれて。俺は泣いて。でも、家に入れてくれて。泣きながらご飯を食べた。心配した妹が、俺を見ながら色々話しかけてきたけれど、意地を張って妹をも泣かせてしまった。
……ごめんって言って一緒に寝た。
夜道に長い影を落とし歩く俺を、俺は見ている。
もう、あの道を辿って、俺は家には帰れない。
その先にあるのは、燃え盛る俺の家だ。俺と、妹と、父と、母が、それを呆然と見ている。突如戦争が始まったのだ。幼かった俺は、それが一体なんなのかも、理解出来なかった。
家は、なくなった。
でも、まだ家族が居た。俺にはまだ残ったものがあったはずだった。
夜道に長い影を落とし歩く俺を、俺は見ている。
もう、あの道を辿って、家族には会えない。
その先にあるのは、俺が作った三つの墓だ。父と、母と、妹の。
誰の手も借りずに作った、俺の罪咎の跡。
頼ってはならない。期待してはならない。願ってはならない。
俺は、その三つの小さな碑石に誓った。
夜道に長い影を落とし歩く俺を、俺は見ている。
もう、あの道を辿って、故郷には帰れない。
その先にあるのは、哀しみだけだ。
だから、俺は一人で船に乗った。哀しみを振り切り、忘れるためだ。
だが、忘れることはない。一つとして、忘れることはない。
夜道に長い影を落とし歩き続けた俺を、俺は見ていたのだから。
船に乗った。新しい土地へついた。剣を握った。冒険者となった。モンスターを狩った。人を殺した。戦争に行った。騙された。飢えた。彷徨った。裏切られた。裏切った。そして、迷宮にもぐった。
全てが幾層にも積み重なる、確かなる俺の記憶。
今、俺はその上に立っていて、だからこそ俺は俺として存在する。
記憶。過去の記憶。思い出。経験。生き様。ここまで生きてきた、俺の全て。
それこそが今、俺の意思を形成する、全てだ。
それを胸に、先へ進もう。
フワっと、意識が戻ってくる。
夢を、見た気がした。はっきりとは思い出せない。
ただそれは、俺の夢だった。『クリス』の夢ではなかった。
なぜ、今さらに俺の夢を見たのだろう。疑問に思う。
とはいえ、それは普通の事のはずだった。
そもそも女に―――『クリス』になる前は、自分の過去の記憶からくる夢など、しょっちゅう見ていたからだ。そしてそれが、普通なのだと思う。
夢とは、自分の経験、記憶から形作られるもの。おおよそ人はそう言うし、俺もそうなんだと思う。だから、自分の思い出を夢に見るのは、普通の事だ。
だが、その普通の筈のことが、俺を不安にさせる。
つい数日前に見ていた、あの『クリス』の夢。それは、普通ではなかった。なぜなら、それは俺の記憶には無かったからだ。通説を信じるならば、有り得ない話だ。
だが、俺は『クリス』でもある。普通では無い。だからなのだろうと、そう思うことが出来た。
ただ、だとしたら今見た俺の夢は、何を意味するのだろう。
いや、意味など無いのかも知れない。断続的な夢の中、普通の中に、『クリス』がまぎれているだけなのかも知れない。そうに違いない。きっとそうに違いない。
そう思わなければ、不安で不安で仕方ない。
夢は反転した。『クリス』と俺は、入れ替わった。
そんなことは、有り得ない。
俺は、俺だ。
「クリス?」
俺を呼ぶ声に、目を開く。
霞んだ向こうに、誰かの顔が映った。その後背が眩しくて、誰なのだかよく見えない。
それを確かめるため、手を伸ばし、その頬に触れる。
手のひらに伝わる、柔らかで暖かな感触。
心にある不安は霧散し、ジワッとした安心感が心に広がる。無意識に口元が緩む。
「―――ここじゃ無いだろ。レオン。お前の場所は、その壁際」
俺が目が覚めた時、居る場所はそこじゃあ無いだろ。
ここが何処なのかはわからないが、それが俺たちの普通なんだろうと、あえて俺は嘯いた。次第にはっきりしてくるレオンの顔が、堪らなく心配そうだったからだ。
「……良かった。大丈夫なのですね」
「ああ」
気怠く、呆けたような意識を、出来る限りに奮い起こし、何事も無いふうを装う。
大丈夫だとは、少し言いがたい。
とはいえ大事なのかといえば、別にそうでもないようだ。少なくとも俺は目覚め、そして覚醒しつつある。
いや、そんな大仰なものではなく、あえて言えば寝過ぎた時の目覚めに近い。
というか、実際そうなんじゃ無いだろうか。
「俺はどれくらい……とと」
「っと!」
ベッドから身を起こしたが、力が入らず蹌踉ける。すかさずレオンがそれを支えた。
「う……すまん」
少し情けない。あんまり無理しないほうが良さそうだ。支えるレオンの腕にしがみつき、ぐらぐら揺れる自分を押さえる。
「気をつけて下さい。三日も寝ていたのですから」
「三日!?」
寝過ぎたとは思っていたが、そんなに寝ていたとは。
起きたついでに、状況を整理する。俺とレオンが居るここは、どうやら病室のようだった。あまり広くない室内に、俺が居る簡素なベッド。それから机。そして、なにやら入った瓶が並ぶ戸棚。
机の際にはあまり大きくはないが窓があり、そこから差し込む光が、すくなくとも夜でないことを示している。
どこの病室なのかといえば、多分要塞のなのだろう。確か要塞には一晩滞在みたいな話だったはずだ。
もしかすると、俺のせいで、三日も時間を割いたのかもしれない。
要塞と言えば、あの襲撃の夜を、今さらながら思い出す。
マドックスはどうなったのだろう。ルーパートは無事なのだろうか。そういえば、竜にも襲われていたはずだ。
レオンがここに居ることを考えると、全体的にはなんとかなったのだろう。
とはいえ。
「なあ、レオン。みんな無事なのか?」
まずはそこから確認する。
「無事ですとも……と言いたいのですが、ルーパートの怪我が酷く、現在は絶対安静といったところですね……」
いやまあ、そうなんだろう。
というか、生きていたのか、ルーパート。正直、あのマドックスと正面切って戦って、命があっただけ幸運な部類に入ると思う。もちろん、当のルーパートがどう思っているかわからないが。
「他は?」
「他といっても、次に問題だったのは他ならぬ貴女ですしね」
「俺?」
「ええ、実際、特に外傷もないのに、気絶して目を覚まさない。しかも三日も。どうなっているのか誰もわかりませんでしたよ……」
ははは、と疲れの見える乾いた声で笑う。どうも思った以上に心配かけてしまったようだった。
とはいえ、ルーパートはともかく、俺が次なのであれば、他の者は無事だってことなんだろう。怪我は無い寝てただけの俺だ。他は平気そうだ。
むしろ今のレオンのほうがしんどそうに見える。
「すまん、心配かけたな……」
一応謝っておく。
コイツのことだから、ずっと起きて看てくれていたのかも知れない。
よく見ると、目の下辺りにうっすらと疲れが見える。
それはテラベランの屋敷で、やっぱり同じように俺が気絶した日の翌朝見た、その姿と同じだった。
その事実に、ギュッと胸が締め付けられそうな感覚を覚える。それが何なのか、理解を拒むように、俺は下唇を軽く噛んだ。
「あ、あと、マドックスは?」
つい声が上擦る。だが、ここは聞いておかなければならない。
「あれは……わかりません」
「わからない?」
「ええ、クリスが吹き飛ばした壁の向こうに行ったはずなのですが、あの後、竜が突っ込んできたりしたので、結局、あれがどうなったのかわからないのです」
あれ、か。素直に名前も呼びたくないのかもしれない。
しかし、そうなると生死不明って事か。いや、確実に死んではいないだろう。吹き飛ばした俺だからこそ、わかる。
あの程度で鏖殺は死なない。
そうすると、今後が不安になる。内部の手引きがあったとはいえ、要塞に居て襲われたのだ。
奴であれば、どこでも襲う事ができる。諦めてなければ、何時でも死ぬ危険があるとも言える。
諦めていなければ、か。
正直、マドックスの強さ以外の部分は、よく知らない。
あっさりしているのか、それとも執念深いのか。一度、ギルドかどこかで調べた方が良いのかも知れない。
いや、レオンの事だから、レグナムに併行調査依頼をかけたかも。
それはともかく、呼び捨てなんだな。今更ながらに、レオンの変化に気付く。
クリス。
クリス……か。
まあ、良いんだけど。良いんだけど?
「竜はどうしたんだよ」
「竜の方は、要塞によって仕留められました」
「マジで?!」
そっちは素直に驚いた。てっきり、マドックスと一緒に逃げたとかいうオチだと。
「ええ、一応この要塞は、対モンスター戦要塞ですからね。特に対竜装備は十分でした。大型弩弓によって仕留められたそうです……先ほど、竜が突っ込んできたなどと言いましたが、それが仕留められた竜だったというわけで」
思い出すと、マドックスに気をとられ気付かなかったが、途中からあまり地響きがしなくなっていたような気もする。
そういえば、パーシバルが対竜装備がどうとか言ってたな。
「っと、そいえば、パーシバルは?」
「彼も、行方不明ですね」
……まあ、そういうオチなのだろうな。
しかし、要塞内部にまで、敵の手が。
そこまで考えて、ハタと気付く。
敵って、なんなのだろう。
「な、なあ、マドックスは多分、誰かに雇われて襲ってきたんだろうけど、レオンはなんか心当たりがあるのか?」
「心当たり?うーん……」
珍しく悩んだふうを装うレオン。指先を、端正な顎において考えている。
なんていうか、改めてこういう仕草が似合うなと思う。こう、色っぽいというか。
「ありすぎて、わかりませんねえ」
困ったような笑顔で答えた。
そこは、笑顔でいいのかよ、と思うが変な事を考えていたせいか、その笑顔にドキッとする俺。
「……なんだよそれ」
慌てて視線をそらす。
しかし、レオン。人好きする性格なのは間違いないと思っていたのに、案外、敵が多いのだな。それともそれが上流階級というものなのか。
コンコン
そんなことを考えていると、一つしか無いドアがノックされた。レオンが、それに答え、『どうぞ』と入室を促す。
「―――っ!」
入ってきたのは、アイラとパルミラだった。
俺を見て、一瞬だけ驚いた顔になり、目を瞬かせるアイラ。パルミラも心なしか驚いた顔になった。
それに答えて、軽く手を上げる。
すると、アイラの表情が見る間に崩れ、その両目からボロボロと涙を流し始めた。
「お姉様あああぁ~~~~!」
驚く間もなく、部屋に駆け入ったアイラが、ベッドの上の俺に抱き付く。
勢い付いていたので、げぼっと間抜けな声を俺は上げた。続いてパルミラが無表情のまま入ってきて、アイラの上から俺にぎゅっと抱き付く。
「心配した……とても」
オイオイと泣くアイラとは対照的に、でも顔を俺の胸に埋めたまま、ぽつりと言うパルミラ。
そうか、そうだよな。レオンだってあんなに心配かけたんだ。二人だって、心配だったに違いない。二人の頭を軽く撫でる。
「ああ、心配かけたな……もう大丈夫だ」
「ふい」
と言っても、二人は離れてはくれない。
ふと、レオンの顔を見て、俺は苦笑するしかなかった。
なんか今話はやったら短く感じますが、おおよそ5000文字です。




