43話 鏖殺と呼ばれた男
ファンタジーを標榜しながら、44話目にして、初めてそれっぽい戦闘シーンを……っ!
鏖殺のマドックス。
その男は、そう呼ばれていた。
おそらく、現在生きている中で、最も有名な冒険者。少なくとも、俺の知覚する限り、それは間違いの無い話だった。
有名な冒険者には、二つ名というものが付く。
曰く、山刀の、とか、片目の、とか、見た目に由来するもの。
或いは、幸運の、とか、不死身の、とか、そうした行った行動に由来するもの。
共通するのは、それは何かを成し遂げた者に対しての敬意を表し、誰からとも無く、名付けられるということだ。
二つ名を持つ。つまり、それは確かな実力の証とも言える。
無論、そうであるが故に、自称で語る者も後を絶たない。
ただ、そうした者達の名前など、酒場の話題にも上ることは無い。間違いの無い実績に裏打ちされた名前だけが、人の記憶に残るのだ。
そのような事情の中、その、『鏖殺の』という物騒な名前だけは、別格だった。
曰く、たった一人でトロールを含むゴブリンのコロニーを落としたとか、大醒猿と呼ばれる通常50人以上で討伐する大型モンスター群を一人で斬獲したとか、とにかくそうした耳を疑うような武勇伝が、その名前には常について回った。
それだけであれば、俺も、なるほどそんな奴も居るのだな程度で終わったかもしれない。所詮、酒場の与太話。半信半疑で終わっていても、何も問題が無かったからだ。
だが、俺はその『鏖殺』を実際に目の当たりにした。
帝国から、少し離れた辺境小国家群。その小国家同士の小競り合いの最中、奴は現れた。敵として、だ。
そこに俺も傭兵として居た。正直、小競り合いというぐらいだから、気楽に参加したのを覚えている。
周りも、あまり俺と認識は変わらなかった。せいぜいがそれぞれが数を増強しながら膠着し、最後は外交的に解決する類いの戦い。そう、思っていた。
だが、寸土を原因とした牽制の趣が強かったその戦場は、その存在が現れただけで、一気に興亡をも揺るがす一大戦争へと発展した。
ともすれば、相手方もそこまでは考えてなかったのかも知れない。だが、結果として、俺が与するその哀れな国は、本当に滅亡してしまった。
無論、その全てが『鏖殺』によって、為されたわけでは無い。
だが、戦いには勢いがある。
最初の戦いで、その存在によって、一方の主力兵団が完膚なきまで壊滅させられたのだ。
それが原因で滅亡したのだとしたら、やはりそれは『鏖殺』によるものと言っても過言では無いだろう。
その初回の戦いに、俺たちは居て、そして実際に『鏖殺』を目の当たりにした。
それは圧倒的過ぎた。
敵兵団の先頭に立ち剣を振るい、俺たちの陣を、戦術を、ただただ純粋な武力を持って文字通り木っ端微塵にした。
目の当たりにした俺の目には、それは竜巻のようにも思えた。
あらゆる手段、努力を払ってなお、止めることが出来ない天災の類い。ひとたびそれに遭遇するや否や、精々逃げ惑い、避難する以外に為す術は無い。そういう種類の厄災。対抗するなど、愚かでしか無い。
その場で俺が生き残ったのは、運が良かったというそれだけに尽きた。
戦いらしき状態になったのは、最初の一合だけ。それ以降は一方的に蹂躙された。文字通り俺たちは鏖殺された。
全員が全員、他人の事など考える余地も無く、逃げ惑い、そして殺された。
少なくとも一万を数えていた筈の兵団で、その場から一体何人が生きて、或いは五体満足で逃げ出せたのかは分からない。最終的に自分が何故生きているのか分からなかったほどだ。もしかすると、あの場で生き残れたのは俺だけなのかも知れない。
未だにそう思える程に、それは俺の記憶のなかで、十分すぎるほどトラウマとして残っている。
そんな『鏖殺』が目の前に居る。あり得ない事態だった。
俺が見たのは三年ほど昔の記憶だが、少なくともその威容は何も変わってないように見えた。その巨躯からにじみ出る、武威の圧力。何も、何も、変わっては居ない。
食いしばった歯がガチガチと鳴る。目尻に涙がにじむのが分かる。漏らしそうだった。
それらが全く恥と思えないほど、俺は恐怖していた。
それでもあの時は、兵団という中にあって対峙した。今は、直接に、眼前に対峙している。
逃げられる道理も無く、そしてこの男がその気になれば、俺たちは一息で死ぬ。
「お、お姉様……」
俺の尋常で無い様子に、知覚で手を握るアイラが気遣いの声を出す。
その声に、漸く俺は、固まる思考と体を少しだけ落ち着かせる事が出来た。
そうだ、守らなければ。しっかりしろ。
震える片手を握りしめて、視線をマドックスに向ける。
恐ろしい。怖い。
だけど、守らなければ。
「な、なんでテメエがここに……」
「ん、ああ、仕事だ。取りあえず、今半分終わったがな」
何となくつまらなそうに、片手の大刀で肩をトントンと叩くマドックス。
態度はともかく、答えは最悪だった。
この期に及んで、俺は、ただここで遭遇したのは単なる偶然で、マドックスの狙いは別というシナリオを期待していた。
それは自分で言うのも何だが、かなりか細い。そもそも俺たちはここに連れてこられた。その先に居たこいつが俺たちに関係ないわけが無い。
そして最後の希望も、今、本人の口から否定された。
仕事が『今』、半分終わった。つまり、俺たちに会うのが半分ということなのだろう。残り半分は、想像するのも恐ろしい。
「私達を、どうするつもり?」
マドックスの恐ろしさを知らないだろうパルミラが、気丈にも油断無く剣を構え、それを向けながら問う。
対するマドックスは、全く歯牙にもかけていないのか、平然とした態度のままだ。
「達?いや、俺が用があるのは、そっちの銀髪の嬢ちゃんだけだぜ?」
間違いなく、自分の事だった。その事実に戦慄すると共に、目的が自分だけである事に安堵する。少なくとも、二人は関係ない。
「……だったら、どうするんだよ。俺を……殺すのか?」
ともすれば外れそうになる視線をマドックスに向ける。この男が、用があるというなら、殺す以外に思いつかない。
だが、俺のその問いに、マドックスは一瞬惚けた顔になり、そして笑った。
「うははは!そんなつまらねえ依頼なんか受けるかよ。大体お前を殺す程度なら、こんな大がかりにするか。それに俺の趣味でもねえ。お前はついで。本命は」
「クリスさん?!」
「おっ。本命登場だな」
両者の声に、背後を振り返る。
そこには、レオン。レパード。ルーパートの3人が居た。いや、その後ろにアイリンも居る。
「レオン!」
その姿に、純粋な嬉しさを覚える。
だが、同時にマドックスの言葉に引っかかりを覚えて、それを理解した瞬間、真逆の感情になった。
「クリスさん!無事ですか?!」
「ダメだ!レオン来るな!あいつは」
マドックスはなんと言った?
半分の仕事。本命の登場。
それは、レオンを狙っているということではないのか?
そもそも、なぜここに来た。
ここに俺たちが居るということを知っているのは、パーシバルだけだ。だとしたら、レオン達もパーシバルか、もしくは別の要塞内の裏切り者に、ここに誘導されてきたということだろう。
謀殺、暗殺。今ここで展開されようとしているのは、そうした貴族の世界なのかも知れない。
俺は餌で、目的はレオン。
そういうことだったのだ。
「扉を!」
気付いたときには遅かった。レオン達の背後の扉が再び閉じる。
全員がそれに振り返る前に、硬質の音を立てて、それは閉じた。おそらく、外からしか開かないようにロックもされただろう。
焦ったレパードが、扉に突進し、体当たりをするも、それを証明するかのように、扉はびくともしなかった。
やられた。俺がもう少し早く気付けば、レオンだけでも逃がすことが出来たはずなのに。
歯噛みする俺の背後から、死刑執行人と化したマドックスの声が響く。
「おっと、ついでとはいえ、大物が釣れたな……狂犬の、いや今や、猟犬のルーパートと言うべきかぁ?」
「……マドックス……テメエ、なんでこんな場所に……!」
その姿を見て、絶句するかのような、珍しい反応をするルーパート。
それも一瞬。
腰に下げた短剣と小剣を抜き、俺たちの前面に出る。
「ルーパート!あいつは!」
「わかってる……下がってろ!」
マドックスの前面に立つという、俺から見れば命知らずすぎる行為に、俺は悲鳴を上げるように警告する。
対するルーパートはわかっていると答える。それ以前に、今の二人の会話を察するに、わかってないわけはなさそうだ。
それでも一方は余裕。そしてもう一方は睨め付ける視線で対峙する。
「クリスさん、下がって」
「あ、ああ……パルミラ!」
床に張り付いたようになっていた足を引きはがし、パルミラに声をかけてじりじりと後ろに下がる。
同様に、パルミラも油断無く剣を構えたまま、後ろに下がっていく。流石に、足手まといであると悟ったようだ。
そのまま下がって、レオンの前に立つ。そうすると、肩にレオンの手が置かれ、そしてレオンが少しだけ前に出て、俺たちを後ろに庇った。
軽く唇を噛む。俺もそうだろうが、真に危ないのはレオンだ。それなのに、俺は心から安心してしまっている。
確かに今の俺には、戦う力などない。それでも、守りたいものがある。
アイラ、パルミラ。それにレオンも。
気持ちばかりが、先行する。
「クリス」
歯噛みする俺に、アイリンが何かを俺に手渡した。
一つは、飾り気の無い、黒い鞘入りのナイフ。そしてもう一つは―――降魔石。
ハッとして、アイリンを見る。
「師匠が渡せって言ってたものよ。理由は私にはわからないけど、今渡しておかなきゃと思うから……」
その意図はわからない。だが、渡されたそれは純粋に嬉しかった。
降魔石。
これがあれば、一矢報いることが出来るかも知れない。そうでなくとも、少なくともここに居る者達を守る事が出来るかも。
降魔石は、実際、俺にとっては気持ち悪いものでしかない。だが、今はその存在が有り難い。
以前レグナムに貰ったものは、無くしてしまった。
だから、この一つだけ。
それが俺の切り札になる。
一方で、万が一、ルーパートがマドックスに勝利すれば、それは杞憂に終わる。
両者に対しての俺の中の記憶を探れば、どうひいき目に見てもマドックスに軍配が上がってしまう。
ただ、それでもルーパートには勝って欲しかった。それが如何に無責任な応援であろうと、心からそう願わざるを得ない。
二人は、今なお対峙したまま動かない。隙を、窺っているのだろうか。
ずしん!
今まで以上の、揺れが俺たちを襲った。
「きゃあっ!」
叫び、震えるアイラを抱きしめて、それでも俺は対峙する二人から目を離さない。
ばらばらと天井から破片が落ちる。その一つが、二人の間に落ちようとした瞬間、両者が動いた。かのように見えた。
がちん。
両者の中間で、凄まじい音と共に火花が散った。その大音量に、アイラはおろか、パルミラさえも剣を手放し両耳を覆う。
「があああっ!」
しかしルーパートはそれが当然とばかりに止まらなかった。体を捻って地面を滑るように動き、獣ののような咆哮を上げ、マドックスに肉薄する。
その姿に、さしものマドックスもその大刀で受けた。再び、剣同士が打ち合わされる金属音が響く。そしてそのままルーパートは更に体を捻り、蹴撃を放った。
そのコンビネーションは、奇しくもあの夜、パルミラがルーパートに放ったのものだった。だが、早さと鋭さが桁外れだ。俺の目にも、殆ど見えない。
「っ!」
果たしてその蹴撃は、同じようにマドックスには届かなかった。というより、届く前にルーパートが距離を取った。
何が起こったのか知覚することもできなかったが、距離を取るルーパートの蹴り足に、血が滲んでいる。マドックスは、何時そうしたのか、大刀を両手持ちに変え、構えを切り替える。
「うははは!俺とここまで打ち合えるとは、さすが狂犬。退屈な仕事も、楽しめるというわけだ!」
お返しとばかりに、マドックスの大刀が閃く。それは動きの止まったルーパートの上に打ち下ろされた。
真っ向唐竹割り。
ルーパートがどうなったかわからないまま、大刀は地面を打ち、派手に土埃、というより、石埃を巻き上げた。
その石つぶてが、こちらにも飛んでくる。それはレパードが前面に出て、持った盾で打ち落とす。
ルーパートはどうしたのか。真っ二つになってしまったのか、叩き潰されたか。
俺がそう思っている間に、舞い上がる埃が薄れると、ルーパートは地面に叩き付けられたマドックスの大刀の刃峰に乗っていた。
絶技すぎる。それは、あまりにもあり得ない光景でもあった。
「むうっ!」
マドックスが行動を起こす前に、ルーパートは刃峰を走り、マドックスの頭上を回転しながら飛び越える。
その双剣を空中でマドックスの後頭部に振り下ろすが、まるで後ろにも目が付いているかのごとく、マドックスはしゃがんでそれを避けた。
そのまま、振り返りざまに、ルーパートの着地点に大刀を横薙ぐ。
今度こそ両断するかと思ったその剣閃を、ルーパートは更に宙に舞ったまま、剣で受け、その反動を回転しながら流し、着地した。
強い。
ルーパートの実力の一端を見たのは、あのギルドでの一件だが、それでもまだ全力でもなんでもなかったようだった。少なくともここまでの攻防で、ルーパートはそれを証明している。
桁外れのスピードと、トリッキー過ぎるその戦闘スタイル。
そして何よりも、今のところ、あのマドックス相手に、一歩も引けをとっていない。
このままなら、勝てるのだろうか。
ただ、それでも、どうしても、俺はルーパートの勝ちが確信できない。
それ程までに、俺の記憶にあるマドックスの強さが、脳裏に焼き付いている。
それは、俺の恐怖からくる、過大評価だろうか。
本当に、そうだっただろうか。
手の中にある降魔石。
勝てば使う機会があるはずも無いそれを、俺は強く握りしめた。
しかもその戦闘シーンは、主人公蚊帳の外、という。




