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41話 襲撃

 ごぽごぽと、沈む音。

 ゆっくりと、その底におちていく。

 濁ったそこは、真っ暗で、目を開けているのか、それとも閉じているのかもわからない。

 滑って纏わり付くその水が、体をすり抜けていく。

 下へ、下へ。

 藻掻くこともなく、絶望も無く、意思もなく、心も無く、その底へ向かって降りていく。

 何時、そこへ入ったかはわからない。

 何時、そこへ着くのかもわからない。

 わからないことが、恐怖でしかないとしても、心がなければ、感じることも無い。

 ひたすらに、おちる。

 いつ着くのかわからない、その底に向かって。


 永遠とも、一瞬とも言える、その最中。

 水以外の、何かが体に纏わり付いた。

 それが何なのかは、理解しようもない。

 ただ、幾条ものそれが、体をなぞるように、或いは、新たにそれを浮かび上がらせるように、幾重にも、幾重にも、張り付いていく。

 限りなく透明にも近かった、その心をも、形作るかのように。

 それは明らかな変化だった。私は―――俺は。

 目は未だ見えない。

 手は、足は、動かない。

 だけど、思いは叫ぶ。ここから浮かばなければ。

 魂を震わせ、意思を燃やし、心を輝かせて、あの水面に浮上する。

 宵に眠ったものが、あした、目を覚ますのが当然のように。


 ―――この沼から浮かび上がり、俺は、始まる。






 目が覚めた。


 それが当然のように―――というわけではなかった。それは、真っ暗な部屋を見れば分かる。

 未だ、暗いということは、夜は明けていない。

 体を包むような、柔らかな布の感触。俺はベッドに寝ているのだろう。


 ただ、何か違和感がある。こうじゃなかった。そういう不思議な感覚。

 それは夢だっただろうが、さっきまで違う何かを感じていたような……思い出せない。


 ボンヤリした意識のまま、俺は沈み込んだベッドから身を起こした。


 「あづっ!!」


 瞬間、刺すような頭痛に襲われる。それで一気に、俺の意識は覚醒した。

 なんだこの頭痛。

 などと思ったのは一瞬のこと。朧気ながらに昨夜のことを思い出す。

 確か、レオンに勧められて、結構あの不思議な酒を飲んだような気がする。


 その先の記憶がさっぱり無いが、それ程には飲んだと言うことだろう。詰まる話、この頭痛は二日酔いだ。その証拠に、かなりキモチワルイ。


 しかしこんな夜更けに目が覚めてしまうなんて。

 この気持ち悪さと、頭痛によって、俺はきっともう眠ることが出来ないだろう。


 「うぇぇ」


 それにしても頭痛も耐えがたいが、それ以上に気持ち悪さが増してくる。きっと目が覚めたと同時に、体のなかも覚醒したのだろう。腹の辺りから何かがせり上がってくる感覚がある。


 吐きそう。


 俺は口に手を当てて、外から差し込む僅かな明かりによって辛うじて見る事の出来る部屋の中を見回した。ベッドに吐くわけにはいかない。何か、ないだろうか。

 部屋は案外殺風景で、そして今ここに居るのは俺一人だった。アイラや、パルミラは何処へ居るのだろうか。同じように、一人部屋なのだろうか。


 ベッド以外に目が着くものは、窓と、そしてその側にある簡素な机だけ。その上に、洗面器とタオルが置いてあった。コップを裏返しに水差しも置いてある。

 きっとそれは、起きがけに顔を洗う為にそこにあるのだろう。だが、そんなことはどうでも良かった。俺はベッドからずるりと這い出ると、痛む頭を押さえながら、ソロリソロリとゆっくり急いで、洗面器を目指す。


 「うぇぇぇぇぇぇえええぇぇぇ」


 そこにたどり着いた俺は、そのまま臨界に近かった腹からせり上がるそれを洗面器の中にぶちまけた。

 ゼイゼイと荒い息を吐きながら、二度、三度と、それを繰り返す。静かな部屋の中、俺の呻吟する声と、ぼちゃぼちゃと俺の口から吐きだされるそれが洗面器の中に落ちる音だけが響く。


 「うっぐっ……う」


 吐くために力んだことによって、頭痛は締め付けるようなそれに変化したものの、それでも少しだけ、すっきりした。

 ドクドクとこめかみ辺りが酷く脈打つのを感じたが、それも頭を押さえているうちに、少しずつ収まっていく。


 「ふうー……はぁ」


 意識的に深呼吸を繰り返し、頭を、体を落ち着かせる。

 水差しに手をやって、コップを使うまでも無く、その注ぎ口に直接口をつけて、それを呷った。

 冷たい水が、喉に残った吐瀉物を再び腹の中に押し流す。あまり飲むと、再び気持ち悪くなりそうだったので、半分ほどを洗面器に吐き戻す。

 そしてきっと、涙とか鼻水とか、そうしたもので酷いことにになっているだろう顔を、タオルで拭った。


 「ふう」


 やっと落ち着いた。まだ、頭は痛むが、吐いた以上、これ以上酷くはならないだろう。

 それにしても、空気が欲しい。吐き戻したそれが部屋の空気を悪くしている。

 俺はそのまま窓に近づくと、閉じたそれを外に開け放った。


 途端、結構強めな風が、部屋の中に流れ込んでくる。それに冷たい。高度の高い山間部だからなのだろうか。

 ただ、今はその冷たい風が心地よかった。目を閉じて身を乗り出しながら、それを全身に浴びる。少しずつ体が冷えていき、それに伴って頭痛が治まってくるのような気がした。


 目を開けて、周囲を見る。

 今度の部屋は、ビレルワンディの駐屯地どころではない、相当高い場所だった。下を見るに何階なのかわからないほどだ。


 ただ、それだけに、景色は良い。

 要塞を形成する外郭を超えて、その向こうの山々が見える。そしてその上に広がる星空も。

 道中で見たときよりも空に雲が多く、真っ黒なそれがかなりの早さで流れていく。空の上はもっと風が強いのかも知れない。


 再び視線を下に下げると、それはそれで眩いほどの光が見えた。

 それは、今この時間でも、多くの人が動いているという証。

 要塞の要所にある見張り台にかがり火が焚かれ、歩哨が詰めているということ、そしてそれを支援する人たち。

 それから、隊商達が、或いは非番の兵士達が飲み歩く、酒場の明かり。宿の明かり。

 上から見ると、それは良く出来た模型のようにも見えた。小さく動く、人々の営み。揺れる光。それらを見下ろしている自分。


 神様が俺たちを見ているのであれば、きっとこういうふうに見えるのだろう。

 そう考えると、それは確かに快感で、そして酷く傲慢な気分になった。

 少なくとも、俺は見下ろされる側の人間でしか無かったし、今もそうだと思いたかった。ここから見下ろすそれは快感ではあっても、それに慣れたくなどなかったからだ。


 俺は、窓から身を戻し、扉を閉めようと手を伸ばそうとして―――それに気付いた。外郭の上。黒い人の影がある。

 いや、それは別に問題ではなかった。歩哨なのだろうと思えば、それは納得できたからだ。

 ただ、何か違和感がある。それがなんなのか分からず、目をこらしてみる。


 「?」


 よく分からない。

 かなり離れていることもあり、結局気のせいなのだろうと、再び窓を閉めようと窓枠に手をかけた。


 ぴぃーーーーーー


 「……っ!?」


 その瞬間、何か甲高い音が耳に届いた。それはかなり耳障りで、聞いているだけで精神を乱されるような、そんな音だった。


 その出本を探して、外に目を向ける。


 果たしてそれはさっきまで見ていた塀の上の影からだった。離れていてもわかる。その影は、何かを口に当てていたから。多分この音は、笛の音なのだ。

 そして唐突に、違和感の正体を悟った。


 大きい。


 離れていて、そして近くに比較対象がないので気付かなかった。その影はかなり大きい。もし人だとするならば、少なくとも2メルを超えている。

 そして、比較対象が無いというのもおかしかった。

 なぜなら、逆側にある塀の上には、少なくとも3人ほどの兵士の姿が見える。


 そう、3人居た。


 さっきまでは、そこにも3人ほどの影があった。だけど今は1人で、そして変な笛を吹き鳴らしている。


 何かが、おかしい。


 これ程までに届く、耳障りな笛の音を響かせているのに、要塞の動きは無い。

 逆側の兵士も、特に反応している気配は無かった。

 聞こえていないのか。或いは、聞こえないのか。

 だとしたら、この笛の音はなんだ。あの影は、一体。


 凝視していると、首筋にちりっとしたものを感じた。手を首に当てる。

 これは、山道のあの夜、レグナムと一緒に居たとき感じたそれと同じ。

 つまり、嫌な予感。嫌な気配。

 だが、未だに誰もそれに気付いていないように思える。

 部屋を出て、知らせるべきか?

 そう思っている間に、その影は笛を口から離し、そしてこちらを見た。


 「!!!」


 ぞくっとしたものを全身に感じて、俺は息を飲んだ。

 この距離、この暗さ。部屋には、明かりは無い。

 なのに、俺は、その影が明らかに俺の視線を捕らえたのを確信した。

 そして、その見えるはずも無い顔に、笑みが浮かんだのも―――


 「っ!」


 本能的な恐怖を感じ、俺は窓から後ずさり、そしてそのまま扉に向かって駆け出した。

 急いで、誰かにあれを伝えなければならない。あれは、危険だ。


 カァンカァンカァン!


 同時に突然、窓の外から、甲高い鐘の音が鳴り響いた。

 その鐘の音の場所は、少しずつ増えていく。

 一体、なにがあったのか。そう思ったのは一瞬。

 すぐにそれが何を意味するのかを悟る。


 ―――敵襲だ。






 今さら?!

 そう感じて、部屋のドアノブに手をかけた瞬間、俺は背後を振り返った。

 窓の向こうにあったあの影は見えない。その代わり、何か巨大なものが窓の側を轟音響かせて、高速で通過した。


 ごう!


 遅れてやってくる音と衝撃。


 「うわあっ!?」


 開け放たれた窓は破壊され、その破片を部屋の中にまき散らす。

 俺は慌てて扉を開き、廊下に転がり出た。部屋は真っ暗だったものの、廊下は明かりが灯っている。その眩しさに一瞬立ち止まったものの、元からそこまで明るくはなく、直ぐに目が慣れた。


 ずしん、という重い音と共に、廊下全体が揺れる。


 違う。今の警鐘は、あの影に対するものじゃない。今、一瞬窓を横切ったなにかに対するものだったんだ。


 だとしたら、あの巨大なものはなんだったのか。

 おそらくモンスター。空を飛ぶ巨大なものといえば、一つしか思い浮かばない―――モンスターの王。竜だ。


 確かに、サーカルナア山脈には竜が住まうとされている。

 だが、それは殆ど伝説一歩手前に近い。それほどまでに、目撃される事は少ないのだ。

 その理由はよくわかっていない。縄張りがあり、そこに入ってくる者に対しては容赦しないが、滅多にそこから出ることはないからとか、そもそも人間と関わり合いになりたくないからとか、様々な説が語られている。


 ともかくそんな竜が、要塞を襲うなど、かなりあり得ない話に近い。襲われた城兵も青天の霹靂だったに違いない。だいたいが、俺すらも竜を見るのは初めてなのだ。


 また、ずしんという音と共に廊下が揺れた。ミシミシとそこかしこで音がして、天井からパラパラと何かが剥離して通路を汚す。


 ただ俺はそんな竜がなぜここに現れたのか、おおよその検討がついていた。直感でしか無いが、あの影が吹き鳴らしていた笛によって召喚したに違いなかった。

 その意図は想像も出来ないが、少なくともこれだけは言えた。これは偶発的な襲撃などではなく、何者かの意思が介在する計画的なものだと。


 「クリス!」


 その推測に空恐ろしいものを感じ始めた時、俺は背後から名前を呼ばれ、振り返った。


 「パルミラ!大丈夫なのか?!」


 隣の部屋のドアが開け放たれていて、そこから出てきたのだろうパルミラが、寝間着姿で剣だけはしっかり持ってそこに居た。流石パルミラだと言える。


 「問題ない。だけどこれは何?」


 異変は感じ取ったものの、状況までは上手く把握できてないようだ。襲撃前から起きていた俺はともかく、多分、さっきの竜の通過で目を覚ましたに違いない。

 さすがにそこから状況が把握出来ていたら、あまりにも凄いとしか言いようが無い。

 それはともかく、アイラは。


 「お姉様~!」


 「アイラ!無事か?!」


 なんということはない、やはり背後からかけられた声に振り返ると、俺の部屋の隣の扉から出てきたらしいアイラが、もの凄い混乱顔でこちらに駆け寄ってきた。

 その瞬間、ずしんと地響きが鳴り、通路が揺れ、アイラがつんのめる。


 「あぶなっ!」


 殆ど無意識にアイラを抱き留める。そのまま揺れが収まるのを待った。アイラは俺の中で丸くなっているだけで、どうにも状況に全く対応できていない。

 とはいえ、それは仕方ない。それなりに場数を踏んだ俺やパルミラはともかく、奴隷から色々あったが、アイラは未だ一般人だといえる。ただの年相応な女の子だ。


 「説明は後だ!とにかく下に降りよう。ここは、危険だ」


 パルミラが頷く。

 要塞の中とはいえ、それを揺るがすほどの力が行使されている事実は、その倒壊の可能性を考えると危険きわまりないとしか思えなかった。

 それに、少なくとも俺たちはかなりの上層階に居る。常識的に考えて、上ほど危ない。


 「アイラもしっかりしろ。行くぞ!」


 未だに混乱からの半泣き状態にある胸の中のアイラに叱咤する。

 厳しいかも知れないが、そんなことを言ってられる状況でも無い。


 「きゃ!」


 軽く悲鳴を上げるアイラの手を引っ張り、気付いてみると全く不案内な廊下を当てずっぽうに駆け出した。

 ずきずきと頭が痛む。今の今まで興奮で忘れていたが、さっきまで盛大に吐いていたぐらいだ。すぐに治ったりはしない。

 横に並んで走るパルミラが、俺の様子を見て言った。


 「クリス、もうお酒禁止」


 言い返す言葉も無い。

後半とか言ったのが18話辺りなのですが、既に40話を超えました。

しかもさっぱり自分の考える完結に手が届いてません。

自分でも、何話構成になるのか、予想も付かなくなってきました。

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