FNo.6 501号室β アルテミシア
何も無い乾いた土地の上に苔が生す角を持った鹿が現れて歩いて行くと緑が蘇る、私のお父さんの遠い先祖のお話。
お母さんの先祖は黄金の麦畑を駆ける狐だったらしい。
異形な血を継いで旅をする一団。その中で私は生まれた。
私たちは一つ所に住まう事が出来ない。
そこに居るだけであり得ない変化をもたらしてしまうからだ。
突然そういう生まれ方をした子を引き取りながら、痩せた土地を潤して回るのが私達に与えられた運命だった。
代々受け継いだ生きる術、幸いなことに私達を必要としてくれる人々は世界中にいる。
そんな人々を助け、お礼を貰い、旅をしながら生きるのが当たり前だった。
お父さんの家系には鹿の角に似た樹木角が生える。私にもそれは遺伝した。
薄茶色の髪色やちょっと犬歯が人より鋭いのはお母さん似。両親は自分たちの子供だと喜んでいた。
私には兄がいたという、しかし私が生まれる前に幼くして亡くなってしまったんだとか。
そのせいからか、両親は私のことをとても可愛がってくれた。
物心がつく前から私にはちょっとした特技があった。
私は草花から薬を作ることが感覚で出来てしまう。
口にくわえた時の感じ、みんなにはわからないくらいのわずかな匂いの差など五感で全てを使えば適切な薬ができるから、これまで専門書などは読んだことはない。
いろいろな土地を巡っているとき、たくさんの病気の人を見てきた。
その人達を救ったりい癒やしたりできるこの特技は皆に褒められたし、私も誉れ高かった。
だけど、人には長所があれば短所もある。
私は人と話をするのが苦手なのだ。
これまで私は人をよく観察して病を見抜き、治療薬を作っていたので口数が少なくても何とかやっていけた。
さらに特殊な血縁のせいだろうか、一緒に旅をしていた人達は察しが良すぎるくらいで、私がどうにか話そうとしている間に私の意思をくみ取って行動してしまう。
その察しの良さに甘えていた私は、この病棟に来てからものすごく困った。
旅団の人が一人もいないココでは自分の力で生きて行かなければいけない。
ましてやこの外界から遮断されたような隔離施設において対人関係は重要な生活要素なのだ。
だけど、いざ話そうとしてもこわばって無愛想な表情をしてしまう、そのせいである人にはすごく嫌われたし、またある人にはとても困った顔をされ、しばらくすると皆私には話しかけなくなった。
結局、私は孤独の根を地に深く下ろしていくことになってしまったのだ。
「そんなことないですよ、アルテミシアさん」
そう柔らかい笑顔で言うその少女は病棟内で私と話す数少ない人だ。
私の遅い答えが出るまでじっと待っていてくれる。
「………そう、でしょうか?」
少なくともユーリ…くんには好かれてないと思います。この間すごい避けられましたし、初対面の時以外は話してないような……。
そんな事を言葉に出さずに胸の内にしまい込んでしまうから悪いんだと自覚しているけど、なかなか上手くいかない。櫻ちゃんは私が何とか話し出せるまでじっと待ってくれる。
その綺麗な黄色と緑色の瞳に直視されるのが怖くて目線を下げていると、これ以上話せないことをくみ取ってか、彼女は気にすることなく穏やかに言葉を紡いだ。
「みなさんは貴女が他人と接することが嫌いな人だと勘違いしてるんです」
「…でもそれも、間違ってない、です…結局、私は話すの苦手ですし」
なんでこんな小さな声しか出ないんだろうと自己嫌悪しながら、必死に言葉を考える、こんなに他人と話したのはいつぶりだろうか……やっぱり人と話すのは難しい。
「でも、人と関わりたくないと思っているわけでは無いのでしょう?」
「…でも……」
「そうでなければ、こんな素敵な場所を作って下さらないでしょうし」
背伸びをしながら深呼吸をする櫻ちゃん。そういって木漏れ日の差すうららかな午後の日差しをお腹いっぱいため込んで、あたりを見回す。
耳をすませば小鳥のさえずりと動物たちの草を踏む音、そしてどこからか来た風にサワサワと葉のこすれる音がこだまする。小さな森の生態系をうつした様なこの場所にはベンチなどの休憩場所が整備され、それに沿うように石畳の小さな小道が隅々まで続いている。私と櫻ちゃんはそこの中心部に当たる小さなテラスで談笑していた。
ここは私の唯一の居場所である植物園の一室だ。
他にもいくつかの植物園の部屋があり、気候によって区別されている。
このテラスの辺りに咲いているのは花を食べる患者達の食事、一人一人ちゃんと花壇を分け、名札をつけて綺麗に整えて私が育てていた。
「私ができるのは、これくらいだから」
「お陰で助かってます」
「そうだと…いいな…」
アルテミシアが手を少し空に向けたかと思うと、蝶々が一匹手にふわりと留まった。
するとたちまち他の蝶々たちも彼女の角を留まり木にするように集まってくる。端から見れば不思議な光景だろうが、毎回見ている櫻は何も驚かなかった。
それに、こういうときはアルテミシアの機嫌が良いのだと櫻は何となく察していた。
彼女はただ花を育てるのが上手で薬を作るのが得意なだけではない。
アルテミシアは動植物に好かれている。そして彼女自身は気づいていないのだろうが、無意識にこの植物園の主としてこの空間を支配し管理しているのだ。
前に彼女に似たような患者がいたことがあったのを櫻は覚えていた。
もしその患者と同じならばここにアルテミシアが住み着くのはまた必然なのだろう…ただ、その患者と性格はだいぶ違うようだが。
「貴女が嫌と思ってることを無理に強要したくないだけなんです。きっと皆さんはもっとお話ししたいと思ってますよ、病棟の人達はいい人ばかりですから」
「わっ…わた、し…」
彼女が話そうとしたときの頭の小さな揺れで蝶々が一斉に空へ舞う。
「櫻ちゃん…みたいな、社交的でみんな…を支えッられるような…人になりたい」
真っ赤になりながら言う彼女を見て、櫻は朗らかに微笑む。
「ふふっ、アルテミシアさんはおかしな事をおっしゃるんですね」
アルテミシアは首をかしげ、目を丸くしながら櫻を見つめた。
「みなさん、互いに支え合って今ここに立っているんですよ。私だって、皆さんに助けて貰ってます。もちろん、貴女にも」
そう言って側の花壇の方に歩きながら何かを摘み始めた少女を、植物園の主は戸惑い気味に追いかけようと立ち上がる。
「あのカルネ君とリノンさんだって支え合い、みなさんに支えられているのです」
ご存じでしたか?そう言って手渡されたのはハーブの女王とも称される薬草。
櫻ちゃんも少しくらいなら薬草の知識があると言っていたっけ……そんなことを思いながら、ゆっくりと歩く櫻に続いた。
「それに貴女も一役買っているのですよ?私、一つの花壇を特別に頼んで育てて貰っているでしょう?」
「はい、この花壇ですね」
行き着いた先の花壇は特殊な栄養剤を使って育てて、前々から櫻に頼まれていた特別な花壇だった。今はカーネーションが赤く燃え、咲き誇っている。
「実は、カルネ用の花なんですよ。そして彼はリノンさんのためにそんな食事をしている」
話の意味がよく理解出来なかったものの、なぜか櫻ちゃんの言葉に救われている気がした。
「ね?貴女は役立たずでは無いですよ、むしろ貴女がいなければ私達は生きていけない」
少し興奮気味にいつもより早い口調で熱心に私を諭す彼女の思惑は分からない。だけど……
「皆様に代ってここでお礼を言わせてください」
有り難うございます、と深々と綺麗なお辞儀をするその姿はまさに淑女だった。
「こんどは、他の人も連れてきておしゃべりしてみます?」
あんこさんが確か新作お菓子作りで相談してみたいと小耳に挟んだのですが……。
そう言って微笑む櫻を見てアルテミシア大きく首を横に振る、大げさに動く樹木角が邪魔そうに風を切っていた。
全否定…ですか、と残念そうな表情をする彼女にごめんなさいと謝った。
「そっ…それは…ハードルが………」
「ふふっ、大丈夫ですよ。ゆっくりで良いんです、時間はまだあるんですから」
樹木角の生えた少女がそこに住み着くと、住人達は喜んだ。また彼が来てくれた、これで自分たちは安心して生きてゆけると。
日差しが暖かな昼下がり、この植物園の主は突然の来訪者に警戒し簡単には姿を見せない。
そんな主が他人と話すことが出来るようになる日はすぐ側まで迫っていた。
アルテミシア【よもぎ】
501号室に住む無性別の患者。
薄い茶色の髪と黄と青のオッドアイの瞳を持つ。
引っ込み思案な性格で、樹木角が生える病を患っています。
完治は難しいと思われます。
血の涙を流す病の患者に憎い人がいます。