FNo.4 109号室 カルファーネ
この病棟の住人はとにかく世話の焼ける奴ばかりだ。
大広間で櫻と一緒に昼食後に談笑している間の静けさもきっと一時的な物だろう。
ここでは普通の病院と違い拘束時間はほとんどない、検査の日以外は皆が思い思いの事を自由にしている。
しかし、自由というのも考え物だ、人数が増えれば増えるほど衝突が起きる。
わぁああぁ!と大きな声が突然耳に入る。また何か起こったらしい。
「リノンか?まさかグレースか!?」
そう言いながら勢いよく立ち上がると、声の方からダイヤモンドを背中に生やした少女が右目に眼帯をした少年を引きずりながら現れた。
「いやぁごめんごめん、なんか知らないけど仁がメリアルの逆鱗に触れっちゃってさ」
「……はぁ、なにしたんだ?メリアルはそう怒る奴じゃないだろ」
「…それが、通りかかっただけで」
仁は病棟内では比較的新しく入ってきた少年だ。右目に施された眼帯は目から花の咲く病にかかっている者の証拠、支給される眼帯は病を抑える働きがあるらしい。
「仁さん、メリアルに会うの初めてでしたよね?」
腰を抜かした仁を起すように櫻が手を差し出した。
「…なるほど!禁句をうっかり使っちゃったんだね」
ここで言う禁句はメリアルに対して『天使』と呼ぶことだ、過去の蟠りもあってそう呼ばれるのがとても嫌いらしい。
怯える彼を見てリノンはお腹を抱えながら笑っていた。
「笑ってる場合かリノン」
「なんで?賑やかな方が楽しいじゃない」
「その後始末をいったい誰がやると思ってる」
髪をかき上げながら眉をひそめるカルネを輝翼の少女は優しく落ち着いた口調で宥めた。
「大丈夫、大丈夫。メリアルもう少しでネガティブタイムだろうから。櫻、後は任せたよ」
「私がお力になれるのでしたら協力します」
「んじゃあ、メロウとあんこでも連れてきてお茶会セッティングしてあげてよ。お話聞いてあげて」
最近は、リノンも周りの面倒を見るようになってきた。リノンは人付き合いにおいての落とし所をきちんと理解している。何かしら喧嘩が起きたときはあいつの方が早く対処することも多い。リノン自身がしでかしたときは別だが。
「まぁ、右目とはいえ青い花が咲く病だからね…今回は怒らずおさ--」
「オイ!メリアル!!新人いじめてどうする!」
リノンの制止を振り切り、ものすごい剣幕で向かってくるメリアルを止めるために走り出していた。
「あーあ、結局行っちゃった…ほんとにカルネはお人好しだなぁ。仁は確かにここに来て日は浅いけど、新人って程でも無いじゃん」
「リノンさん、ここに来る方々に時間感覚なんてほとんどありませんよ?」
「きっと、リノンの場合は太陽の昇る回数で日を数えているんだ」
二人の後ろから落ち着いた少年の声にリノンは小さく応えた。
「記録があった方がカルネに無理させない程度に出来ると思って」
「どいつもこいつも相変わらず、利益の無いことを」
「まぁ、自分の住む場所が快適になった方がいいでしょ?ユーリ」
「……無知なようで多くを考えている人だ」
「ユーリほどじゃないよ。というか、君が出てくるなんて何の用事かな?」
目的が無いとユーリは動かない。
「カルファーネに用があったんだけど、今は取り込み中のようだね」
「大丈夫、もうすぐ終わるよ」
カルネとメリアルの口喧嘩を一瞥すると、リノンは穏やかに微笑んでそう言った。
どうしても俺は皆に厳しく接してしまう、櫻のようにうまくはいかない。
リノンはそれでいい、なんて悠長な事を抜かしていたがそうは思えなかった。
未だ空いている病棟、そこを借りて俺とユーリは定期的に集まっていた。
「何か考え事かい?カルファーネ」
「えっ?」
「僕が話してる時に上の空だった、はいこれ翻訳文」
「あぁ、すまんな」
「そういえば、リノンの翼の件だけど……」
ユーリとはよく話が合う。彼には知らない言語の本の翻訳、宝石関連のことをいろいろ教えて貰っている。
ブルーダイヤがホウ素の不純物で出来ることも彼からきいた情報だった。
ここの住民の多くは病棟まで来る経緯の記憶を持っている者はほとんどいない。
病棟に来る前の記憶すら全く無い者もいる。
検査は先生も看護師もいない、機械だけが動いて作業を繰り返しているだけだ。
それなのに定期的に検査があることを疑問に思う者が殆ど出ない。
むしろこの生活を良いモノとして受け入れている患者の方が多い。
俺は初めはおかしいと騒ぎ立てた。そんな俺を殴って止めたのはリノンだ。
「周りの不安を煽ってどうする!ここには今にも息絶えそうな奴だっているんだ!」
彼女は今よりもっと暴力的で気性が荒く常に何かに焦っていた。
そうして、周りから隠れるように俺は病棟の図書館に連れて行かれた。
眼前の青い瞳から光が徐々に失われていく……耳元に寄せられたその唇から紡がれる声は感情を全て殺したような冷たさで、一瞬別人かと思った。
「もう少しなの、邪魔しないで」
今でもその瞬間は鮮明に記憶に残っている、この時ガラスの割れたような音が外でしなかったら、俺は一生口が聞けないようにされていたかもしれない。
音に反応した彼女はすぐさまそっちへ走っていった。
その時、詰まった息を大きく吐いて座り込んだ俺の後ろの壁から風が吹き込んでいた。
不思議に思った俺が少し押してみれば、キィイと壁だったものが開く。
開いた部屋は想像してたより明るくて、病棟の検査室と同じ匂いがした気がした。
変わらず続く本とファイル…?
開いてみれば患者の記録が定期的な日時で書かれている。
そこにはやたら薄い自分のファイルもあった。
自分の生い立ち、ここに来た日時、血液型、出身地、そして病気の症状と進行具合。
これが現実だと言わんばかりの数字の羅列。
事細かに記された自分のデータに背筋が凍った。
“今にも息絶えそうな奴だっている”
俺たちが未知の奇病におかされている事実は変わらない。
そもそも、病棟に来たからといって治る見込みなんてどこにある。
死ぬなんて考えないように誤魔化してた、だけどその可能性は明らかに高い。
……だったら俺はどうするべきなんだ?
ここから逃げたって生きられる望みは少ない、現状より酷くなるだけだ。
皆にコレを伝えたところで、混乱を招くだけだろう。
結論として、病棟にいる事が俺たちにとって一番生きられる可能性が高い。
だったら、俺は何をすべきだ?知ってしまった以上知らなかった頃には戻れない。
そうして俺が取った選択は密かに足掻く事だった。
--現状を打破ではなく永らえるように--
「にしてもあの図書館の蔵書はかなり幅が広いんだな」
「あぁ、俺もそれには驚いた」
「いつも皆に怒っている君が人のためなんて、やっぱり似合わないなぁ」
「そうか?」
「僕にはそんな器用な真似できないや」
「俺だって器用じゃない、あいつらを叱ってばかりだ」
「そりゃ誰だって完璧にはなれないものさ、現に病棟に来る奴らはどこか欠けている奴の方が多い」
「それは言えてるな」
二人で乾いた笑いを漏らしてもここは誰も来ない。
「でも、君のお陰で救われてる子だっていると思うよ」
「今日はやけに優しいな、ユーリがそんなことを言うと怖い」
「僕はココが住みやすいからね、居るために何か対価を求められているんだったら応えるだけさ、利害が一致している」
リノンか…彼女はすでにユーリに取引を持ちかけている。あれからリノンは何も言わなくなった。きっと俺の目指す方向とリノンの目指す方向が遠からず繋がったんだろう。
「俺も住みやすい方がいいが……騒がしいのはどうにかならないか?」
「それは無理な話だと思うよ」
またか…と大きくため息をつく、遠くでする騒がしい声を愛おしく感じてしまうようになったのは本当に困ったものだ。
今日もここは静かなことはない、住人が生きていれば声が絶えることは無い、なんでもないようなこんな日々が続く限り俺は幸せなんだと思う。
カルファーネ〈カルネ〉【くるくる】
109号室に住む無性別の患者。
桃色の髪と紫と赤のオッドアイの瞳を持つ。
厳格な性格で、花しか食べられない病を患っています。
運命的な出会いをすれば治るかもしれません。
宝石の涙を流す病の患者に憧れている人がいます。